京都合宿・3
5月の最初の日、匠達は土御門の家で賀茂の術者につけた追手からの連絡を待っていた。
ただ、連絡を待って時間を無駄にするつもりはなく、匠達技術科の面々は西岡と共に学校へ提出するレポートの作成に取り掛かっている。
そして、魔法科の面々は――。
「皆さん、古式家へようこそ」
刀治と冬海を連れ、古式家を訪れていた。
そこは、現在の古流の中核を担う家ということもあり、家全体からありとあらゆる古流魔法の気配がにじみ出ている。
「古式先輩、本日はお招きに……、おはようございます」
「小川……、任せろと言ったのに、何故先に口を開く」
「いや、何となく?」
「小川木葉さん、貴女は小川前会長とは違うようですが、同じように面白い人ですね」
「あはは、まぁ、よく言われます」
「立ち話もなんですから、着いて来てください」
古式は木葉達を中へと招く。
木葉は平然としているが、他の面々は緊張の余りに口を開くことが出来ずにいた。
そして、招かれた場所では、春清の兄である四季が待っていた。
「古式先輩、四季兄貴、既に報告を受けていると思いますが、改めて報告させていただきます。小川の神降しを狙っている賀茂の分家ですが、本家が関わっている可能性が出てきました」
「春清、既に伝わっている報告は時間の無駄だ。お前達からの報告を考慮した上で、咲から話がある」
四季が春清を止めると、全員の視線が古式へと注がれた。
「私の神降しについても、その成り立ちは聞いたようですし、賀茂の本家が関わっている可能性は高いでしょう。ですが、それは推測にすぎないため、古式が賀茂の本家に対して分家を注意するよう促すことは出来ても、それ以上動くことはありません」
「まぁ、しかたないですよね。そっちからすれば、他家の分家が一般人を襲ったってだけですからね」
「小川木葉、咲の話は終わっていない」
「あ、すいません」
四季が木葉を咎めるが、古式は怒るそぶりを見せず、笑うだけだった。
「ふふ、いいんですよ。それで、続きですが、古式家は動きません。ですが、私個人は別です。小川前会長との中もあり、同じコノハナサクヤヒメを降ろす中ですから、手を貸しましょう」
「玉姉には煮え湯を飲ませられたはずなのに、手伝ってくれるんですか?」
「小川!」
春清はどうしても茶化してしまう木葉に対し声を荒げる。
木葉はその声に反省するそぶりを見せるが、古式が咎めることはなかった。
「春清君、いいんですよ。小川木葉さんにつていも調べてありますし、こちらにも思惑がありますから」
古式の言葉を聞き、木葉は常に浮かべている笑みを消した。
「思惑……、うちの神降しの秘密を知りたいってことですか?」
「やはり、わかりますか」
「わかるも何も、それ以外ありませんよ」
古式家は、その成り立ちがどうであれ、古式系古流魔法の頂点に君臨する家だ。
そのため、他家を追い落とし、家としての力を強める必要はない。
そこから考えるに、木葉の手助けする理由は、神降し以外なかった。
「では、率直にいいましょう。小川木葉さん、神降しの秘密を教えていただけませんか?」
誰もが無理だと思い、木葉を見つめる。
古流魔法を受け継ぐ家にとってその家にだけ伝わる秘術は何かに変えられるものではない。
小川家に伝わる神降しは、その点において、この上ない秘術だ。
そして、木葉が口を開く様子を見て、誰もが拒否を口にすると思っている。
「いいですよ」
その言葉に誰もが言葉を失った。
家に伝わる秘術を教える。それは、本来であればありえないことだ。
「小川木葉さん、本当にいいんですか?」
「うちには古流魔法が伝わってますけど、古流の名家のように術者としての挟持が伝わってるわけじゃないんです。ただ、子供の可能性を狭めないため、ただそれだけです」
「それでは、然るべき場所を――」
「今じゃ駄目ですか?」
今ここで秘術について口にする。それは、それぞれの家に伝わる術を秘匿し、伝え続ける古流の名家ではありえないことだ。
だが、木葉はそんな挟持を持っておらず、報酬の先渡しをすることで、主導権を握ろうとしている。
「少しお待ちください。結界を強くします」
そう言うと、古式は数枚の呪符を取り出し、今いる部屋の結界を強化する。
中にいる分には何も感じないが、部屋が完全に隔離され、外からの干渉を封じた。
「では、お願いします」
けれど、記録を取るそぶりを見せず、ただ耳を澄ませる。
今から木葉が告げる内容が内容だけに、迂闊なことは出来ずにいた。
「一度しか言いませんよ。まず、重要なのは血です。ちゃんとした理論は残ってませんけど、血に術を刻みこんで体質を調整します。何代か前に調べたら、遺伝子に術のかけらが仕込んであるみたいで、それが影響しているらしいです。そのお陰で生まれる子供は必ず魔法使いとしての才能に恵まれるそうですよ。まぁ、妊娠中にその遺伝子を活性化させる必要があるらしいんですけどね」
木葉は平然と話しだすが、アリシア達はその話を聞いていい話なのかわからず、戸惑っていた。
「それで、普通に成長して、魔力操作を覚えたら、呪符に封印してある魔力を取り込む。以上です」
木葉の話が唐突に終わる。
子孫に神降しを使えるようにする方法は受け継がれている。
だが、神降しを可能とする家系を作り出す理論は、残っていなかった。
「つまり、古式家を作り出した時の考え方は間違っていなかったということですか。ただ、その術の完成度の問題ということですね。それで、その呪符に封印してある魔力というのは?」
「んーと、私達を神の依代にするためのものって伝わってますけど、封印を解く条件が厳しすぎて、調べられてないんですよ。まぁ、そういう理由で、他所の人が使えるように出来ないんです」
「木葉、私達が聞いてよかったの?」
「ん? だって聞いても手に入れられないんだから、大丈夫だよ」
「聞いてみれば、知っている方法と同じ、けれど、その完成度が違う。そういうことですか」
古式は見るからに落胆している。
それは、自らの立場を裏付ける力が、外から見れば、ただ完成度の低いものでしかないからだった。
「遺伝子に仕込んである術のかけらを教えたいのはやまやまなんですが、何かあるってことしかわかってなくて、よくわかってないんで、無理なんですよね」
「残っていませんか……。それはしかたありません。賀茂家が手に入れることも出来ない。それが判明したのですから、よしとします」
古式は前向きに考えようとした。
だが、その言葉を聞き、木葉は首を横に振った。
「一つ、方法がありますよ。私にもその術のかけらがあるんですから、私が手順を踏んで子供を産めば、その子は神降しを使えるようになるわけです。それなら、私を捕まえて犯しますよねー。まぁ、たっくん以外には触らせませんけど」
そう、今すぐ手に入れることは出来ない。
だが、手に入れる方法はあった。
そのための方法を淡々と話す木葉の声を聞き、誰もが息を呑んだ。
「小川木葉さん、貴女に賀茂の手がとどくことはありません。私が、助力します」
「当てにします」
木葉はにこやかに笑う。
ただ、その笑顔は準備されたものだった。
古流の名家同士の関わりでは、古式は頼りになる。
だが、神降しを基準にした実力では、木葉が頼りにする理由はなかった。
「それでは話はここまでにしましょう。これ以上小川木葉さんから何かを聞き出す意味もありませんし」
「ところでアリっち、ここでは人脈を築かなくていいの?」
その言葉にアリシアが固まった。
確かに古式系の古流の名家の中心に位置する古式家との繋がりは欲しい。
だが、アリシア・ジーニアという、一捜査官が持つには恐れ多い繋がりだった。
「えっと、持ちすぎると、上から睨まれるので……」
「ふふ、アリシア・ジーニアさんでしたね。名前は、覚えましたよ」
古式は重くなった空気を軽くしようとアリシアへと笑いかける。
だが、アリシアだけは気が軽くならなかった。
「そういえば、土御門君、たっくんが翻訳した魔法の大本って土御門君ちの?」
「うちのもあれば、名家全体で共有しているものもある」
「そういえば、春清がそんなこと言っていたな。あれはあいつが翻訳したのか」
この話に食いついたのは四季だった。
それまで必要以上に口を開くことがなかったため、誰もが驚いている。
「土御門君のお兄さん、たっくんは凄いんですよ」
「プログラムを見たが、あれは見事だった。咲、あいつを古式で抱え込むというのはどうだ?」
「確かに、賀茂の反乱を防いだ功績で、召し抱えましょうか」
古式が協力するための対価は木葉が支払った。
そのため、対価として匠を貰い受けるのではなく、褒美として匠に古式のお抱えという立場を与えようとした。
けれど、それに対して声が上がる。
「匠さん、すでに、確保、済み。欲しいなら、上を、通して」
「ワイズマンカンパニーですか。まぁ、強制ではなく褒美としている以上、断られることもありますね」
古式と四季は、必ず匠を手に入れようとは思っていない。
すぐに引き下がったことがその証拠だ。
「今回の件では貸し借りなしだ。なら、別の貸しを作ろうか。お前達、古式系の術に興味はないか?」
「ない」
「別にいいかなー」
「その……私は少し、興味があります」
四季の提案に対し、興味を示したのはアリシアだけだった。
ニアはワイズマンカンパニーに所属しているため、様々な情報を手に入れることが出来る。
木葉は、古流魔法が伝わっている。
それに引き替え、アリシアは優秀な現代魔法使いとして作られたが、現代魔法を作るために作られた妹もいるため、各地の古流魔法に興味があった。
「四季、釣れたのはアリシアさんだけでしたね」
「だが、釣れた以上は、しっかりと捕まえるか」
「え、あの……」
二人はまっすぐにアリシアを見つめる。
そんな二人が纏う雰囲気にアリシアは動くことが出来ずにいた。
この後、アリシアに対して古流魔法の指導が行われ、土御門家に戻る頃、アリシアは魔力の使いすぎで疲れ果てていた。
翌日、連休の合間にある平日ということで、古都校の面々とは別行動になった。
匠達は、新しく入った情報の整理をしている。
「昨日の深夜に動きがあったらしい」
「俺達が帰ったと思ったんだろうな」
匠達は学校に対し合宿という名目でこちらに残っており、そのためのレポートも作成しているため、京都にいることについて、咎められる理由はない。
「まぁ、随分と不用心に動いたらしいから、そういうことだろう。それで、報告だが、奴らは賀茂の中でもとある秘術の開発を行っていた家ということだ」
「秘術?」
木葉は疑問を口にした。
だが、誰もが同じ推測をしている。
「神降しだ。古流の名家の中で、その中心となる家を作る計画、そして、失敗した結果、その候補者を殺してしまった。賀茂の中でも中心に近いにも関わらず、冷や飯を食い続けている家だ」
かつて神降しという古流魔法を開発し、失敗した。
そんな家が再び返り咲くために木葉の持つ神降しを狙っている。
「そう、それで、いつ向かうの?」
「そう急ぐな。古式先輩にも連絡する必要があるから、早くても明日だ」
「そう、まぁ、少しくらいなら待ってあげる」
「なぁ、土御門、とりあえず主犯についてはわかった。だが、賀茂の本家はどうなんだ?」
突然の質問に、春清は気まずそな顔をする。
それには理由があった。
「……黒だ。名家の一つとしては不干渉を貫こうとしていた。だが、裏では分家を動かし、神降しを狙っていた」
「つまり、その分家を叩くだけじゃ、終わらないってことだな?」
「ああ」
敵が分家だけであれば、そこを叩けば終わる。
だが、敵が賀茂の本家だということは、賀茂全体と戦う必要が出てくる。
つまり、相手は一つの家だけではない。
「今は、賀茂の分家がどれくらい関わっているのかを確認している。場合によっては戦力を分ける必要があるからな」
「そう。なら、中心になってる分家には私が行くよ。そこだけは譲らないから」
神降しを狙い襲ってきた分家との決着は自らの手でつけようと考えていた。
そして、その表情からは一切の容赦をしないと感じ取ることが出来た。
「わかった。とりあえず俺達が残っていることを知られるとまずいから、しばらくはここで大人しくしていてくれ」
現段階で土御門家を賀茂の関係者が監視していないことはわかっている。
だが、次の瞬間にはどうなるかわからない。
さらに、どこから伝わるかもわからないため、匠達は土御門家に缶詰になっている。
この日、春清は古式や刀治といった今回の件に関わっている名家の面々と入ってきた情報を整理し、作戦を立てている。
その作業は、翌日まで続き、行動の開始は連休最終日の一日前に決まった。
それに対し、匠達はレポートを終わらせ、その内容を元に実験を繰り返した。
連休最終日の一日前、つまり、翌日には帰らなければいけない。
そんな日の早朝、匠達は古式家へと呼ばれていた。
「皆さん、まず最初に、賀茂家の暴走を止められず、多大な迷惑をかけたこと、ここに謝罪します」
そう言って古式は匠達に頭を下げる。
「調査の結果、賀茂家の大半が関わっていたようです。そこで、一般人を襲った家とそれに与した家を取り潰すことにしました。名家としての処理はこちらで行います。ですが、ここに来て皆さんを締め出すつもりはありません。今回の中心となった家と、賀茂の本家、この二つを取り潰すのに、協力してください」
「他の分家は安倍家と四季兄貴が担当する。そのため、刀治も向こうだ。分家と本家の割り振りだが、古式先輩は本家へ、小川、お前は分家だ。他は、どうする?」
木葉は希望通り分家を担当する。
けれど、他の面々については決まっていない。
というより、古式や春清には、決めるほどの情報がなかった。
「私は隣にたっくんがいれば十分だよ」
「……正直終わるまで待っていたいが、何も出来なくても木葉に来いって言われれば、行くしかないな」
そんな匠の言葉に他の面々は驚きを隠せずにいる。
匠の魔法使いとしての力量は誰もが知っている。
そのため、誰がなんと言おうと居残ると思っていた。
「さっすがたっくん、よくわかってる」
「匠が動くなら、俺も行くべきなのか?」
「あの……私もですか?」
鉄也と静江は、荒事には向いていない。
昨年にボーダレスを襲撃した時は、鉄也もいたが、成り行き以上の理由はなく、本人も戦いたいとは思っていなかった。
「本家と、分家、戦力、どう?」
「ああ、本家には優秀な術者が多い。それに対して分家には市井の術者が集まっている。予想がつかないという意味では、分家が厄介だ」
「みんな本家に行っていいよ。というか、私の近くにいると、何も出来なくなるから、本家に行ったほうがいいよ」
木葉の言葉にボーダレスを襲撃した面々は気付いた。
神降しと比べれば、使用者が多く、研究も進んでいる秘術が木葉にはある。
「そう、ですね……。対抗策のない私達では邪魔になりますね」
「同意。私も、本家」
「邪魔じゃないけど、たっくんがいてくれれば、十分だよ」
「それじゃあ、俺達も参加するか。さすがに待ってるだけってのは辛いからな」
「わかりました。私も諦めます」
一人の例外を除き、本家へと向かうことにした。
その一人は――。
「小川と真木だけじゃ、他のことで不都合が出る。俺も同行するからな」
「土御門君か、まぁ、古流の関係者がいた方がいいかもね」
こうして、それぞれの担当が決まる。
最後に木葉が古式へと近付いた。
「古式先輩、これ貸してあげます。説明はしませんけど、きっと使えますよ」
そう言って木葉は二つの呪符を渡した。
それは、赤い文字の書かれたものと、青い文字の書かれたもの。
それを受け取った古式は、それが何であるかを理解した。
「出来ればこのまま欲しいくらいです」
「貸すだけですよ、また使うんですから。それで、玉姉から聞いてますけど、それ一枚で、先輩達の儀式を超える量が出てきますから」
「そうですか。こちらの呪符を使わなくて済むのは幸いです」
古式家の呪符は、儀式によって生み出した神気を封印したもの。そのため数に限りがあり、使おうとしても許可が下りない。
それに引き換え、木葉が貸した呪符は、古流魔法により魔力を神気に変換するため、繰り返し使える。
だが、古式はこの呪符を使うことで、何かを理解出来ると考え、譲り受けるための交渉をしなかった。
そもそも、これを譲り受けるための対価がない。
「それではみなさん、準備は出来てますね?」
古式の言葉で場の雰囲気が変わる。
匠達はこの日、賀茂へ向かうためにやって来た。
そのための準備は出来ている。
匠と木葉、そして春清は今回の件を引き起こした賀茂の分家へとやって来た。
そこは、周囲の民家からは離れており、人知れず何かを行うには適した場所だった。
「僕は、古式の名代としてやって来た土御門春清だ。門を開けてくれ」
土御門が開門を求める。
だが、それに対して返事がなく、中から人の気配も感じられなかった。
「土御門君、この門壊していい?」
「やめろ。俺達にとって家の門は結界の基点だ。無理に壊せば、何が起きるかわからない」
デバイスを構え、魔力を流し込もうとしていた木葉を春清が止める。
けれど、反対に春清が服の中に隠した呪符に魔力を流し込み、その余波で膨大な魔力を纏う。
「壊してくれるならそう言ってよ」
「これは用心のためだ」
そう言うと、春清は帯びている魔力を隠す。
けれど、魔力を帯びていることに変わりはない。
そして、もう一度門を叩く。
「この門を開けろ。でなければ、実力行使をする」
「……土御門が何のようだ」
しばらくして門が少し開くと中から男が顔を出した。
その様子からは不機嫌さがにじみ出ている。
「古式の名代としてやって来たと言ったはずだ。中へ入れてもらう」
「ちょっと待て」
春清が無理やり入ろうとするのを男が静止するが、外から見る限り、本当に止めようとはしておらず、中への合図を送りながら、男が春清達から離れる。
「急々如律令」
中から何人もの声が聞こえ、膨大な魔力が吹き荒れる。
「予想通りだな」
春清は襲い来る魔法に対し、隠していた魔法を開放し、全てを防ぎきった。
「僕は古式の名代としてやって来た。結論だけ言おう。この家を取り潰す」
「土御門が安倍の傀儡の名代か、笑い種だな」
「何とでも言え。それよりも、奇襲が失敗に終わったが、抵抗するのか?」
春清は呪符に魔力を流し、いつでも魔法を発動できるようにした。
さらに、デバイスにも魔力を流し込む。
だが。
「『スタート:火仙龍』さーて、私は勝手に動くよ」
開いたままの門を炎の竜が焼き尽くす。
それと同時に、竜の頭が8つに増える。
「小川、ここは俺に任せろ」
「え? 何で?」
8つの頭が周囲にいる術者を威嚇し、恐怖心を煽る。
賀茂の門は木で出来ているが、古流魔法を施し、簡単に壊すことは出来ない。
けれど、それを簡単に破壊した木葉の実力に、恐怖に震える術者が立ち向かう気には慣れなかった。
「古流には古流の手順がある」
「手順か。じゃが、安倍の傀儡の命令を聞く必要はないのう」
家から杖をついた老人が現れた。
その体に染みついた魔力を見るに、翁と呼ぶにふさわしい術者だ。
それを理解した春清に緊張が走る。
「この分家の長だな」
「如何にも、ワシがこの賀茂を束ねておる。それがどうした」
「この家は一般人を襲った。それは、古流全体の名誉を傷付ける行為だ。故に、この家を取り潰す」
「小僧めが、調子に乗るな」
翁が杖で床を突く。それだけで魔力が広がり、魑魅魍魎が魔力の体を持って春清達へ襲いかかった。
「『スタート:障壁』」
それに対し、木葉が障壁を展開し、全ての攻撃を防ぐ。
けれど、その結果はお互いに予想した通りの出来事だ。
「急々如律令」
翁を中心とし、周囲にいる術者が呪符を撒き、様々な古流魔法を発動させた。
炎が、雷撃が、風の刃が木葉達を襲う。
それに対し、木葉は腰の辺りに手をやり、そこにつけた入れ物から大量の呪符を放つ。
「手加減しないし、容赦しない。それに、命乞いも聞かないよ」
術者達の古流魔法は木葉の張った障壁を破ることが出来ず、傷付けたとしても、すぐに修復された。
「小川、待て、早い」
春清は相手を説き伏せるための作戦があった。
だが、木葉の行動により、その全てが水泡に帰す。
「土御門、諦めろ」
突然始まった魔法の応酬に匠は手を出せずにいるが、木葉がこの場にいる以上、他の誰かが主導権を握ることは不可能だと理解している。
木葉が放った呪符が赤と青、二つの魔法陣を形作る。
そして、二つの魔法陣が光ると共に、大量の神気が溢れだした。
それを待っていたかのように、翁の声が響く。
「不用心じゃのう。ここは、かつて神降しを開発していた場所じゃ」
そう言ってもう一度杖で床を突く。
そうして放出された魔力が神気を絡めとり、奪おうとした。
けれど――。
「あー、馬鹿がいる。これ、魔力を神気にするんだよ。変換の際に、私の魔力の影響を受けるから、全部私の支配下にあるんだよ」
翁の魔力に絡め取られた魔力が意思を持つかのように木葉の元へ戻る。
そして、改めて火と水の神気が周囲へと広がった。
「『スタート:神降し』」
木葉は手にしたデバイスに魔力を注ぎ込み、一つの魔法を起動させる。
デバイスは大規模な魔法でも、短時間で発動させる。
そんなデバイスが、処理を完了するまで、一般的な魔法の数倍の時間を必要とした。
その結果、木葉の足元に、一つの魔法陣が生まれた。
「さーて、たっくんが味わった熱さも、私の冷たい怒りも、全部味わえ」
二つの神気が足元の魔法陣へと注ぎ込まれ、その存在を主張する。
それは、今までと違い、手心を加える気がないということを思い知らせた。
その様子に誰もが息を呑む。
「『神降し:木花咲耶姫』」
そして、魔法陣が一際強く輝き、一柱の神を木葉に降ろす。
だが、それだけにとどまらず、木葉が操る神気が、神の姿をかたどる。
それに対し、翁を中心とした術者達は、自分達が目指す到達点の一つを目の当たりにし、その目を輝かせた。
それと同時に、その秘術を手に入れようと、目に見える範囲、感じ取れる範囲の情報を記憶する。
中には、外部からの魔法による影響を観測するため、その秘術を手に入れるため、古流魔法による攻撃を加えた。
「急々如律令。舞え、式符」
小型の式神が舞い、全方向から木葉を襲う。
「無駄だよ」
舞い踊る式神に対し、木葉は魔法を使わない。
ただ、溢れ出る神気の奔流で核となる呪符を焼き尽くし、水圧で潰す。
その余波が周囲の術者へと襲いかかり、炎の痛みと水の衝撃で意識を奪う。
「『ファインド:ネット:ダウンロード』」
匠は、倒れていく術者を拘束するために魔力の網を生み出す魔法を起動しようとした。
だが、異変に気付く。
魔法の起動処理が始まらなかった。
神気に満たされ、神降しの間近であれば、魔法の発動が阻害されることはある。
だが、起動処理が始まらないということはありえなかった。
そのため、デバイスを確認した匠は、あることに気が付く。
「ネットワークに繋がってない……」
デバイスは常時ワイズマンカンパニーのネットワークに繋がっており、魔法の使用記録が残る。
そのため、ネットワークに繋がらなければ、自身が著作権か使用権を持つ魔法しか起動することが出来ない。
「たっくん、どうしたの?」
「いや、何でもない」
匠はこの状況を整理しようとするが、そもそもワイズマンカンパニーのネットワークに繋がらないという前例がなく、何の手がかりもない。
そのため、ネットワークに繋ぐ必要のある魔法をインストールしていない木葉に伝える必要はないと考えた。
匠が一人予想外の事態に焦りながらも、事態は刻一刻と変化していく。
「あ、あっちもやってる」
匠は焦りを抱えていても木葉の言葉を聞き逃すことはしない。
そのため、木葉が降ろしている力がほんの少し減り、それと同時にワイズマンカンパニーのネットワークの状態がやや回復したことに気付く。
だが、それでも不安定なことに変わりはない。
「神降し、やはり素晴らしい術じゃ。お前達、理解したことを反映せい」
翁は懐から呪符を取り出し、魔力を込めて周囲にばら撒く。
術者達もそれにならい、見様見真似で呪符を撒き、古流魔法に変化を加える。
「何するのかな?」
「聞いておるはずじゃ。ここは、古式を作るための家じゃと」
翁が三度杖で床を突いた。
それがきっかけとなり、術者達の撒いた呪符が陣を描く。
木葉は賀茂が作り出した神気を生み出す方法を知らないが、翁が描く魔法陣には、木葉が描いた陣を思わせる箇所があり、その魔法陣の意味を理解するには十分だった。
「ふーん、まぁ神降しには必要だからね。でも構築が遅いなー。『スタート:神域』」
木葉はデバイスに魔力を注ぎ込み、魔法の処理を開始する。
それに対し、翁は余裕の笑みを浮かべた。
木葉が結界の基点となっている門を破壊したとはいえ、古流の名家の家は、それ自体が結界を作るための形をしている。
そのため、大規模な魔法であればあるほど、その結界と干渉を起こす。
けれど、翁は忘れていた。
神域よりも遥かに大規模な魔法を木葉は既に発動させている。
デバイスの処理が完了し、木葉の足元に魔法陣を描く。
そして、火の神気を媒体にすると同時に、魔法陣に神気を取り込む。
「周囲には私がつけた炎、何人が無事に残れるかな? 『神域:火中出産』」
神気が炎となり、周囲へと広がる。
その結果、木葉は炎に包まれた範囲の魔力を支配した。
それは、翁達の魔法陣を形勢する魔力さえも支配する。
その結果、全ての呪符が、力なく地面へと落ちた。
「何故じゃ。大規模な術がここで成立するなど……」
「何言ってんの? 規模なら神降しの方が大きいよ。まぁ、もういいか」
木葉はそう言うと手を大きく払う。
すると、その動きを模倣するように神気が動き、術者達を薙ぎ払う。
その動きは緩やかだが、灼熱の炎に焼かれる痛みを感じ、術者達はなすすべもなく意識を手放した。
「さーて――」
「小川、あいつは俺がやる。手を出すな」
春清は古式の名代としてこの場に来ている。
そのため、この分家の当主である翁だけは、自らの手で捕まえようと考えていた。
そして、デバイスと呪符にそれぞれ必要な魔力を注ぎ込む。
「でも、私の神域の中だから、何も出来ないよ」
「……とりあえず待機させている家の者に任せよう」
翁に抵抗する術は残されていない。
それを理解したからこそ、杖を突いている老人に手荒な真似は出来ないと考えた。
「土御門、古式先輩達の方と連絡は取れるのか?」
「緊急用の連絡網はあるが、向こうが出るかどうかはわからない。それに、取り込み中なら、邪魔になる」
「なら、ここを片付けてすぐに向かうか」
匠は、一つ気がかりなことがあり、本家へ向かった面々を心配していた。
「おやおや、ワシという敵がいながら他の心配かのう。じゃが――」
「うっさいよ、私とたっくんのデートを邪魔したやつの雇い主のくせに」
木葉の意思によって神気が吹き荒れる。
ただそれだけのことで翁は吹き飛ばされ意識を失う。
だが、それと同時に翁の体から大量の呪符が現れた。
それは、翁の魔力を吸い、式神としての形を得る。
けれど、木葉の神域の中であるため、その姿はひどく不安定で、向こう側が透けて見えた。
「干支を模した12体の式神か。ある意味、術者としては正当な後継者ということか」
「土御門君、どうするの? あの式神も、すぐに形を失うよ。もし、残っても、脅威にはならないかな」
事実、翁の式神は木葉達に対して戦う姿勢を見せているが、その姿からは凄みを感じることはなく、最後の力を振り絞っているかのようだった。
「小川、あの式神を全力で倒してくれ。それが、手向けだ」
高みを望む術者として、春清は翁に対し敬意を払おうとしている。
木葉はその意を汲んだのか、12体の式神に対し、神気を使った魔法陣を展開し、その核となっている呪符を全て破壊し尽くした。




