デート
4月の半ば、匠達は二年生ということもあり、昨年よりは落ち着いて過ごすことが出来た。
その理由の大半は、部活の勧誘をされないということが締めている。
一年生では、司が何度か騒ぎを起こしているが、本人の実力と性格のお陰で、大きな問題にはなっていない。
だが、匠は土御門に何度か愚痴をこぼされていた。
「真木、お前の妹はどうにかならないのか?」
「ほっとくのが一番安全だぞ」
事実、騒ぎにはなるが、風紀委員が出てくることはまずない。
始めのうちは、加減のわからない新入生という可能性も考え、風紀委員が顔を見せていたが、騒がしているのが司だとわかると、風紀委員も放っておくようになっていた。
それはそれで問題だが、気にする生徒は、土御門くらいだ。
「彼女が天才だということは、俺も認める。だが、それを理由に特別扱いすることはできない」
土御門の言葉に匠は驚きを隠せなかった。
今まで司は、常に新しいものを作り続けていたため、その後の利益を考えた結果、黙認されつづけていた。
けれど、土御門は天才という評価を理由に自由を許す気はない。
それは、才能ではなく、人を見ているからだ。
「なら、同じ生徒会のメンバーとして、指導してやってくれ。俺に司を指導することはできない」
「お前の妹だろ」
「俺には無理だよ」
その言葉を最後に、匠は会話を打ち切った。
「何を言っても無駄そうだな。なら、最後に一つ。小川に伝えておいてくれ。京都の他家の様子がおかしい。詳しいことはわからないが、用心しろ」
「わかった、伝えておく」
今度こそ、二人の会話が終わる。
週末の早朝、匠の家のインターホンがなり、来客を知らせる。
誰かと約束したわけでもないため、来客に心当たりはないが、出ないわけにもいかない、
「はい、真木です」
「お、たっくんだ。それじゃあこれからデートだよ」
匠はそのままインターホンを切ると、頭を抱え、記憶をたどる。
だが、いくら記憶をたどっても、木葉と約束したことを思い出せずにいる。
そして、しばらくすると、匠の携帯電話が鳴った。
「もしもし」
「たっくん、ひどいよー。早く開けてよ」
「ああ、悪い」
匠はとりあえず家へ招き入れる。
お茶を用意していると、いつの間にか司が現れていたため、三人分用意することになった。
「それで、約束したか?」
「ショックだよ。約束を覚えてないなんて……」
「デートって言われても、約束なら予定として入れてるはずなんだが」
「お祓いいけないから、気分だけでもって言ったのに……」
お祓い。その言葉に匠は昨年四月の出来事を思い出した。
「待て、あれ本気だったのか」
「流石にコスプレはしないよ。たっくんと出かけて気分だけ浸るんだよ」
「そうか。じゃあ神社仏閣付近でも巡るか?」
内容はどうあれ、約束した以上、反故にする気はない。
概要しか決まっていないことは不本意だが、匠は約束を守ることにした。
「おにー達はデートか。私はチームのみんなと勉強会だから、夕飯ないなら連絡してね」
「それじゃあたっくん、神社仏閣付近の美味しいものめぐりだよ」
「司、チームメイトと何か食べてこい」
匠は、財布の中身を思い起こしながら木葉と出かける。
しばらくは節約しないとな。
頭の片隅でそう考えていた。
「なぁ木葉、まだ食べるのか?」
二人は電車で目的地へ向かうと、浅草寺の仲見世通りを素通りし、付近にある飲食店を巡っていた。
仲見世通りでは不調を訴えた木葉だが、そこを通り過ぎるだけで、普段通りに振舞っている。
「まだって、メロンパンで有名なところのアップルパイとか、メンチカツの隣のアイスとか、ラーメン屋の焼売くらいしか食べてないよ。食べ歩きはこれからだよ」
「とりあえず前の時に食べなかった物を食べたいのはわかった。ところで、もう少し離れなくて大丈夫か?」
二人がいる場所は、寺の敷地ではないが、かなり近い位置だ。
そのため、木葉は普段通りに見えているが、匠の目には、何処か無理しているように見えた。
「じゃあ、少し離れたところでも、何か食べようね」
「それじゃあ行くか」
二人はそのまま寺とは別の方へと歩く。ただ、そんな二人を眺める視線があった。
「それにしても、どこ行っても人だかりだな」
「日曜だもん。そして、他の人から見れば、私達も人だかりの一部だよ」
「それもそうか」
二人は遠回りして近くにある隅田川へとむかった。
その目的は、クルーズではなく、そこにある売店だった。
「ここのアイスもいいよねー」
「流石に何個も食べると寒いな」
「川の向こうは人減るよね」
「ビルばっかりだから、オフィス街じゃねーのか?」
「そっか。じゃあ行ってみよー」
「はいはい、どこへでも。だけど、土御門からの伝言忘れんなよ」
二人はそのまま人通りの少ない方へと歩き出す。
実際、川を一本越え、町並みが変わるだけですれ違う人の数が格段に少なくなり、しまいには目に見える範囲に人が居なくなっていた。
さらに、二人の目的である食べ物屋の数も激減した。
「失敗だった……」
「オフィス街なら、あるのはチェーン店か。まぁ、人通りもないから、ゆっくりするぶんには問題ないだろ」
「それも、そうだね」
木葉は匠の腕に抱き付く。
出かける際の口実がデートである以上、何かをする必要はなく、ただ歩くだけで十分だった。
そんな時、木葉の視界が変化したため、普段と違うことに気付く。
「そのてるてる坊主って、つっちーが持ってたやつ?」
「ああ、司の入学式の日に渡されたんだ。これ、デバイスだぜ」
「え?」
木葉は、ただのアクセサリーだと判断し気軽に話題にしたことを後悔した。
司が技術者としても優秀だということは、理解している。そんな司が作った以上、ただのアクセサリーであるはずがなかった。
「『スタート:雨雲』これで、紫外線とか防いでくれるらしいぞ」
「そ、そうなんだ。確かに発動してるみたいだけど、本人じゃないとよくわからなそう」
「まぁ、司は常時使う必要があるから、その辺りには気を使ったんだろ」
木葉は他愛無い話に移れたため、安堵している。
二人は気を取り直し、そのまま歩いているが、だんだん木葉が不機嫌になっていった。
「あーもう、さっきから誰だー」
木葉は我慢の限界に達したのか、後ろを振り返りながら大声で叫ぶ。
気付いてからは無視していたものの、いつまでも向けられる見知らぬ視線に我慢できなくなっていた。
「確かに、失礼だな」
「そこ、出てこい」
二人が声をかけた位置から動揺が伝わってくる。
隠れている人物は、見つかるとは思っていなかったようで、焦っていた。
「それなら、実力行使で」
「わかった。出て行く」
デバイスを閉まってある場所へ手を伸ばした木葉に対し、慌てた声が聞こえた。
そうして出てきたのは一人の男。
どこにでもいそうな格好をしている。
けれど、その男が纏う気配は、古流の魔法使い特有のものだ。
「出歯亀ー」
「違う。お前は小川木葉だな」
「人に名を尋ねるなら、まず自分から名乗れ、出歯亀」
木葉の言い分は、昔から使われているが、相手を煽る効果は抜群だ。
さらに、間違っているわけでもないので、相手の男は反論できずにいる。
「古流の伝統を守るものとしか言えん。それで、小川木葉で間違いないな?」
「名乗ってないし、名乗られたら名乗り返す挟持なんて持ってないよ。その理屈で言えば、ストーカーが名乗ってきたら、こっちも名乗らなきゃいけないじゃん」
木葉の理屈は、決して間違っていない。
そのため、術者は苛立ちを隠せずにいる。
「そうか。だが、横の男が木葉と呼んでいた。それで十分確認は取れた。お前は存在するだけで、禁忌に触れる。この場で術者としての力を封じさせてもらう」
術者が呪符をばらまき、詠唱を始めた。
それは、明確に敵対する行為だ。
「気付かなかったが、人払いの結界ってやつか?」
「そうみたいだね。そんで、あの出歯亀が土御門君の言ってた様子のおかしい他家か」
「なんとでもいえ、炎舞」
術者の撒いた呪符が炎を纏い、舞い踊る。
それは、予測不能な動きをし、木葉鉢へと迫った。
「様子より、頭のおかしい他家だね。『スタート:金侮火』」
「確かに、人払いしたとはいえ、町中で魔法を使うとはな」
木葉は術者の古流魔法を慌てることなく無効化した。そのおかげで、周囲に被害が出なかった。
魔法は、陰陽庁の存在が公になっておらず、ワイズマンカンパニーが出来る前の、科学でその存在が立証されていない時代であれば、罪に問うことは出来ない。
だが、今の時代は、陰陽庁がその存在を公にし、ワイズマンカンパニーによって魔法の存在が立証されている。
さらに、法整備も進んでいるため、古流現代問わず、発動させた魔法によっては凶器として扱われる。
町中での現代魔法の行使は、ワイズマンカンパニーのサーバーに全て記録される。そのため、専門家が調査をしなければいけない古流魔法とは違い、現代魔法であれば、使用者のデバイスを調べるだけで済む。
そのため、町中で攻撃性の高い魔法を使う人は少ない。
「うるさい、それに、お前の存在は許されない。貫け」
「別に誰かに許してもらう必要はないよね『スタート:障壁』」
術者が呪符を弾丸のように撃ち出す。
それに対し、木葉は冷静に対処しきった。
「木葉、とりあえず人通りの多いところまで逃げるぞ」
匠は、自信が足手まといにしかならないことを理解している。
そのため、アリシアとニアに連絡しながら人がいるはずの場所へと向かう。
その際に、木葉の手を掴もうとしたが、この状況でまともに戦えるのは木葉だけであるため、その手を塞ぐのは悪手と考え、手を引っ込めた。
二人は適当に歩き回っていたが、目印となるものがある。
「あの金のうん――」
「はいはい、わかってるからその単語を出すな」
「お前達、逃げるな」
術者の呪符が飛び回り、二人へと襲いかかる。
動き回っているせいで、狙いが雑になっているようだが、それでも何割かの呪符は二人へと直撃する軌道を取っていた。
「『スタート:障壁』多重展開だよ」
木葉が呪符の軌道上に障壁を展開し、腕の周囲にも小さい状態で待機させる。
普段であれば、魔力を注ぎ込み、障壁を修復して使うが、移動しながら使い捨てにするため、この方法を選んだ。
「たっくん、手繋いで引っ張ってくれると嬉しいよ」
「邪魔にならないならな」
そう言って二人は手を繋ぎ、見かけ上は匠が手を引いているように見える。
木葉は右手にデバイスを持ち、障壁も右腕の周囲に待機させていた。
そのため、木葉の左手は完全に空いていた。
それは、最初から匠と手を繋ぐためだった。
「アリシアとニアを通じてマホラックとワイズマンカンパニーに連絡してもらったから、反撃しても多少ならやりすぎても何とかなるぞ」
「そっか、じゃあ……」
「く、こっちだ」
木葉が反撃しようとし、周囲への注意が疎かになった瞬間、木葉達を追いかけている術者とは別の方向から鋭い一撃が舞い込んだ。
匠はその一撃に反応し、木葉を抱きかかえるようにして、着弾点から逃れる。
その一撃に、三人がそれぞれの理由で驚いていた。
木葉の隙を正確に突いてきた。
匠は驚きを隠そうとせず、その労力を周囲への探索に割く。
「『スタート:風調』」
「今の一撃、隠密性が高かったよ、気付けなかったから。それと、その魔法何?」
「土御門からの報酬だ」
匠は、土御門から依頼された古流魔法の翻訳の対価として、いくつかの魔法の一代限りの使用権を受け取っていた。
そのため、今までになかった風の魔法を自由に使えるようになっている。
「とりあえず逃げるけど、何か向こうも驚いてるよ」
「古流が一枚岩じゃないってのは聞いてたけど、敵対する連中も一枚岩じゃないのか?」
再び走り始めるが、匠の技量では、隠れている術者を見つけることは出来ない。
そのため、逃げる速度が目に見えて遅くなる。
「お前達、諦めろ。周囲には俺の考えに賛同する同志がいる。逃げ道はない」
匠と木葉の視界には、二人が渡ってきた橋が見えている。
いざとなれば、派手に魔法を使い、注目させるという手も使える。
だが、それを行えば、余計なトラブルに巻き込まれる可能性があるため、最後の手段と考えていた。
「たっくん、やる?」
「やるしかねーか。余計な被害はだすなよ」
「わかってるよ。スター――」
「待て、我らに敵対の意思はない」
襲ってきた術者とは別の声が聞こえた。
けれど、その声がどこからかはわからない。
匠も、発動したままにしている魔法で探ろうとするが、やはり、その正体を感じ取ることは出来なかった。
「どういうこ――」
言葉を発した術者への返答は、魔法による攻撃だった。
木葉達を襲ったものと同じ魔法が飛来し、その一撃が術者の胸を貫く。
それは、あまりにもあっけない光景で、術者が倒れ、流れ出る血が広がっていく。
匠は、木葉の手を握りしめ、状況を整理する。
アリシアとニアへは連絡した。
ワイズマンカンパニーはわからないが、マホラックは必ず動く。
なら、あの術者を殺したのが、自分達ではないと証明する必要がある。
匠はそう考え、相手を確認するために動いた。
「なぁ、どこにいるかも何人いるかも知らねーが、敵じゃないなら、出てきたらどうだ?」
「そうだな。何人いるかは言えない。だが、相手の姿が見えなければ、話しづらいだろう」
隠れていた術者は、簡単に姿を現した。
その姿は、匠の魔法でも、本物だと知らせてくる。
「それで、人払いの結界を張ってたのは、そっち?」
「正確には、あの術者が張った結界を利用させてもらった」
人の魔法を利用する。
古流魔法では、技術として確立しているが、簡単に出来ることではない。
そのため、目の前にいる術者は、先ほどの術者とは比べ物にならないほどの力を持っていると容易に想像出来る。
「じゃあ、私達もう行くから、じゃあね」
木葉が自然なそぶりでこの場を離れようとする。
匠は木葉と手を繋いでいたため、そのまま立ち去るが、離れきる前に術者が我に返る。
「待て、小川木葉、君に用がある」
術者が気が付いた。
その時点で、不用意に背中を晒すわけにはいかない。
そのため、二人は足を止めることになった。
「それで、何の用?」
「簡単なことだ、君の力を貸して欲しい。君が協力してくれれば、君の中にあるその神の依代としての力を取り除けるはずだ」
「それで、抜け殻になった私をぽいって捨てるのかな? それとも、その過程で殺すのかな? どっちにしろ、そう簡単なものじゃないよ」
小川家には、神降しについて知識が伝わっている。だからこそ、術者の言うことが、的外れで不可能なことだと理解していた。
「木葉、あんまり挑発するなよ。あいつ一人とは限らないんだ」
「たっくん、私があいつらに滅茶苦茶にされてもいいっていうの?」
「そうじゃない。もうちょっと情報を引き出してから断れって言ってんだ」
匠も木葉ほどではないが、神降しについては理解している。
だからこそ、断ることを前提にしていた。
「つまり、どうあっても我らに協力する気はないと?」
術者が一段と声を低くし、二人に確認した。
言葉上では友好的な態度を見せてはいたが、その実態は、先ほどの術者と何も変わず、過程と目的程度の違いだ。
匠と木葉は目を合わせ、小さく頷く。
「『スタート:火炎球」
「『スタート:音鳴』」
木葉がいくつもの炎の塊を出現させ、術者目掛けて撃ち出す。
それと同時に、耳障りな音が響き渡る。
その音は、微かにだが人の感覚を狂わせる。
使用頻度の高い『炎夢』では、魔法から逃れる方法を知られている可能性が高い。
そのため、匠は翻訳してから使用回数の少ない魔法を選んだ。
木葉に対して解除方法を伝える余裕はないが、匠は木葉の手を強く握りしめ、その存在を確かめさせた。
「ちゃんと引っ張ってね」
二人は炎の塊を目眩ましにし、一心不乱に駆ける。
その考え通り、術者は手持ちの呪符を使い、炎の塊を撃ち落とすための魔法を使う。
だが、感覚を狂わされているため、狙いを定めることが出来ず、ただ闇雲に呪符をばらまいているようにしか見えなかった。
「もう少しだ」
「あっちは苦労してるよ」
二人は、大事な前提を間違えていた。
そもそも、新しい敵が一人とは決まっていない。
匠が術者の様子を確認するために振り向こうとした時、視界の隅に魔力の塊をとらえ、そこから敵意を感じ取った。
それは、高速で迫り、微かにだが感覚を狂わされている木葉では気付くことが出来ない。
声を出す時間さえ惜しんだ匠は、木葉を抱き締めるようにし、自らの身体でその塊を受けた。
「――――!」
その瞬間、燃えるような感覚に襲われ、匠は声にならない悲鳴を上げる。
それと同時に地面に倒れ込むが、匠は無理やり体を捻り、自らを下にした。
「たっくん」
痛みを訴える匠の力のこもらない拘束から抜けだした木葉は、匠の名を呼ぶ。だが、飛んできた魔力は、匠の左腕を覆うように広がり、燃えるような痛みを与え続ける。
「たっくん……、たっくん」
痛みを訴え続ける匠に対し、木葉はただ声をかけることしか出来なかった。
「こ……のは、にげ、ろ」
「たっくん、すぐに何とかするから」
匠は逃げるよう言うが、木葉は自らの魔力を放出し、匠の腕を覆っている魔力を押し流そうとする。
だが、木葉の知らない魔法であるため、その正確な対処法を知らず、ただ時間だけが過ぎ、木葉の表情から感情が消えていく。
「小川木葉、我らと来るなら、その男を助けよう」
「……した」
「何だ?」
「匠君に、何をした」
声からも感情が消え、淡々と告げる。
その様子に、術者は恐怖を覚えた。
「わ、我らに従えば、その、男は助かる」
木葉はゆっくりと右腕を術者へと伸ばす。
その手にはデバイスが握られており、最後にボタンを押し込むと同時に、魔法の処理が開始される。
現代魔法は音声操作を基本としているが、そもそも自らが著作権を持つ魔法であれば、ポイントの消費を気にする必要がない。
つまり、音声操作に拘る必要がないということ。
魔法が起動し、木葉達を包み込むように炎の龍が姿を現す。
「答えろ。匠君に、何をした」
「我らには目的がある。従え。」
二頭目の龍が姿を表し、体を一つにする。
それが何度も繰り返され、やがて8つの頭を持つ炎の龍となった。
「答えろ」
頭の一つが目の前にいる術者を睨みつける。だが、他の頭は、隠れているもう一人へと視線を向けている。
目の前にいる術者の仲間は、遠くのビルの上にいる男、ただ一人だった。
「古流魔法を解く方法。一つ、正式な手順を踏む。一つ、魔力で無理やり打ち破る。そして、最後の一つ、術者を殺す」
感情のない声で告げられた台詞を合図に、炎の龍がその頭一つを残し、もう一人の術者へと迫る。
術者が気付いた時には、既に目の前に来ており、その7つの顎が同時に襲いかかろうとしていた。
けれど、その瞬間、魔力を帯びた声が響き渡る。
「『スタート:パーマフロスト』」
本来、僅かな時間では起動処理が完了しない魔法。
だが、この声の主は、炎の龍が術者に襲いかかる前に、魔法を発動させた。
その結果、7つの頭を持つ炎の竜とその竜に襲われている術者が同時に凍りつく。
木葉はその結果を眺めていたが、理解出来なかった。
そもそも、炎がそのまま凍る。
それは、本来ありえないことだ。
「どうやら、まだ同志がい――」
「ちげーよ。敵だ」
木葉と対峙していた術者は、仲間の命を助けたのがまだ見ぬ同志だと考えた。だが、その希望はすぐに打ち砕かれ、敵を認識する前に意識を奪われた。
術者に背後から一瞬で近付き、殴りつけるだけで完全に意識を刈り取った大柄の男は、そのまま木葉へと話しかける。
「俺は、ニア・マギリからの要請で来た捜査官だ。嬢ちゃん、その殺気はしまってくれるか?」
「証拠」
木葉は警戒を解かず、静かに告げた。
目の前に倒れている術者は、決して弱くはない。
そんな相手を気付かれる前に近付き、一撃で倒す男。
油断できないと、木葉の中で警鐘がなっている。
「ほれ、これだ」
そういって大柄の男が見せた物は、アリシアやニアが持っている物と同じ、マホラックの捜査官としての身分を表す手帳だ。
「そう……。それで?」
「嬢ちゃん、そいつ、ちゃんと見てみろ」
木葉が匠へと視線を向けると、左腕を覆っていた魔力が消えていた。
意識は失っているが、異常らしきものは見当たらない。
それを理解したのか、木葉の表情に感情が戻る。
「たっくん……」
「とりあえず、病院はこっちで手配するぞ」
「お願いします。でも、そいつは」
「こいつも、あっちも、死んでる奴も、こっちで処理する。嬢ちゃんには渡せないな」
「何でですか?」
「わかりきったこと聞くなよ」
大柄の男は、木葉について詳しく知っているわけではない。だが、木葉の雰囲気と変貌ぶりをみただけで、二人を襲った術者達をどうするつもりか理解出来た。
木葉は、匠のことを優先するため、あっさりと引き下がる。
木葉にとって許せない相手ではあるが、優先順位は匠の方が圧倒的に上だった。
気絶した匠が手当を受けている最中、木葉は、アリシア達に連絡をし、病院の待合室で静かに待っていた。
そこへ、声がかかる。
「木葉、匠さんは大丈夫ですか?」
「アリっち、それにニアっちも」
「それで、匠さんは?」
二人はそれぞれの所属部署に掛け合い、木葉達を助けるために動いていた。
そのため現場に駆けつけることは出来なかったが、匠のことを聞き、到着したばかりだった。
「術者を氷漬けにして魔法を無理やり中断させたから、相手の魔力の残滓を取り除くのと、細かい検査をするって聞いたけど、今日中に帰れるはずだって」
古流魔法では、発動中の魔法を術者が監視し、常に調整を加える必要がある。
そのため、解き方が悪いと、呪いとして残ったり、魔法が再び発動したりするということがある。そのため、術者の生死を問わず、影響がなくなったことを確認する必要があった。
「木葉さん、司さんに、連絡」
「もうしてあるよ。入院の可能性も考えて、準備してくるってさ」
司はチームメイトと勉強会をしていたが、家族の一大事ということもあり、チームメイトとは別行動すると連絡が来ていた。
「でも、入院の可能性は低いようでよかったです」
「ねぇ、二人共、氷漬けにされた古流魔法使い、どこにいるの?」
木葉は笑顔で二人に聞いている。
だが、二人はその笑顔に言い知れぬ恐怖を感じ取った。
「お、お知られません。何をする気ですか」
「決まってるよ。たっくんに酷いことしたんだからね」
木葉は具体的には語らず、ただ笑ってごまかす。
けれど、二人は最悪の想像をした。
そのため、木葉に声をかけることが出来ず、ただ時間だけが過ぎていく。
そこへ病院にはふさわしくない大きな声が響く。
「このねー、持ってきたよー」
「司、そんな大声出さないで」
司が大きめのバッグを持ち、フィーネと共に歩いてきた。
この病院がワイズマンカンパニーの病院だということもあり、あまり人はいなが、大声を出して許される場所ではなく、周囲にいるワイズマンカンパニーの関係者に怒られていた。
「このねー、おにーの様子はどう?」
「運ばれてからは目で見てないけど、問題ないって聞いてるよ」
「やっぱ荷物は無駄だったかな」
司は念のために匠の着替えなどを用意したが、言葉とは裏腹に、必要ないことに安堵していた。
「ねぇ、ニアっち、あの術者の正体がわかったら、教えてくれる?」
「部外者、無理」
「私は被害者だよ」
「担当者じゃ、ない」
「そう、わかった……」
木葉はそう言って口を噤む。
納得はしていないが、理解した。そういう姿をしている。
そのまま時間だけが過ぎ、日も暮れようとしている。
「おー、待たせた。心配かけたみたいですまないな」
その声に木葉はとびっきりの笑顔を向けた。
「たっくん、もう帰れるの?」
「念のため何か書き込んだ呪符の包帯を巻いとけって言われたけど、ちょっと神経が過敏になってるくらいで、問題ねーよ」
木葉は匠の隣へと移動すると、そっと包帯を撒いた左腕に触れる。
神経が過敏になっているため、その刺激が痛みとなって伝わるが、匠は木葉がしたいようにさせている。
匠が我慢しているのは、誰の目から見ても明白だが、匠は木葉の頭にそっと手を乗せ、穏やかに告げる。
「心配ないんだからそんな顔すんなよ」
「それは自信ない」
「ここは嘘でもいいから、うん、って言うところだろ。それで、大体の話は聞いたから、礼を行っておきたいんだけど、助けてくれた捜査官ってまだいるのか?」
「私が頼んだ方は、既に別件でいません」
「私の、方は、そこ」
ニアが匠の背後を指さす。
そこには、2メートルは優に超える大柄の男が静かに立っていた。
「うわ、驚いた。あー、助けてくれた捜査官さんで?」
「まぁ、そうだ。俺はワイズマンカンパニー側だから、礼がしたいなら、俺の後輩になってからにしてくれ」
「いやいや、俺は捜査官になる技能なんてないですよ。気失ってたんで、実感ないんですが、ありがとうございました」
「ねぇ、捜査官なら、たっくんを攻撃した古流魔法使いがどこにいるか知ってるよね」
木葉の決意は固く、是が非でも術者を自らの手にかけることを決めていた。
そんな木葉に対し、大柄の男は何か納得した表情を浮かべている。
「マギリんとこの嬢ちゃん、この嬢ちゃん、真っ直ぐすぎるだろ。報告書を見る限り、理解してたが、それ以上だ」
「それが、木葉さん」
「いいか、嬢ちゃん、復讐はやめとけ。そっちの坊主も生きてんだ。なら、それを喜んで終わりだ」
大柄の男は、大きな手で木葉の頭を力強く撫でる。
体格差があるので、木葉はされるがままだが、今は匠の無事を喜ぶことにした。
「ああ、忘れるところだった。このデバイス、返しとくぞ」
「あ、ありがとうございます」
「すげーな、そのデバイス。そんな小さいのに魔力変換器入ってるし、担当者もその魔法が発動してなければ、どうなってたかわからないって言ってたぞ」
匠は、そういいながらてるてる坊主型のデバイスを受け取る。
魔力変換器とは、主に設置式の共用デバイスなどに使われており、人によって異なる魔力の波長を特定の波長に合わせるために使われている。
このデバイスの場合、司用に作られてはいるが、兄妹ということもあり、元々の波長が似ているため、小型の魔力変換器で使うことが出来ていた。
「おにー、それ使ってたんだ」
「これって、紫外線を防ぐ日焼け止めじゃないのか?」
匠は、そう認識していたため、『雨雲』が何の役に立ったのか理解していない。
大柄の男もそんな反応をされるとは思っていなかったようで、匠に渡した姿勢のまま固まっている。
「おにー、さては、どうせ使わないからって、中見なかったでしょ。『雨雲』は、使用者が害だと認識したものを弾く魔法だよ。基本的に紫外線とか強い光を防ぐから、その延長線上ってことで、火属性の魔法も、少しなら防ぐよ」
司以外は唖然としている。
それは、簡単に説明しているが、簡単に作れる魔法ではない。
使用者が害と認識する、つまり、極端な話、空気中の酸素すら害と認識できる。
そのため、細かい調整が難しく、多くの魔法が研究されているが、実用化はほとんどされていない。
そんなものを作り上げた司の天才性を改めて実感していた。
「そうか、これのおかげでもあったのか」
「妹としては、それでおにーが助かったんなら、鼻が高いから、今度美味しい物作ってね」
「わかったよ。ただ、今日はこの手で何も作れないから、お礼も兼ねてどっか安いこと奢るぞ」
「じゃあ、たっくんの手が自由になるまで、私がいろいろ手伝ってあげる。どんなことでもやるからね」
「いや、いい」
匠達は、他愛のない話をしながら病院を後にした。