新学年
春休みの終わり、真木家では去年と違い家族が全員揃っていた。
真木匠と司の兄妹、そして、その両親。
本人達は仲の良い家族だと思っているが、この日に交わされている会話を聞くと、とてもそうとは思えなかった。
「それで父さん、本気か?」
「もちろんだ。母さんと長旅をしたせいで、新婚当時を思い出してな。またしばらく旅行……旅に行ってくるぞ。なに、心配するな。どこでも翻訳の仕事は出来る。生活費で苦労させてないだろう」
確かに、この一年間、匠は一人暮らしも同然だった。
けれど、それで困ったことはない。
匠は、一人であれば、何の文句もなく送り出すつもりだった。
だが、昨年と違い、両親が旅に出ると、家に残るのは二人だ。
「つまり、司の制服姿を十分堪能したから、また旅行に行くってことか?」
「旅行ではない。旅だ」
「同じだ!」
匠は、つい言葉を荒らげてしまった。
理由は明白。匠が告げた二つのこと、そのどうでもいい方を訂正し、重要な方を否定しなかったからだ。
匠の父親もそれを察したようで、気まずそうな顔をしている。
「いや、待て、確かに司には連日制服を着てもらったし、写真もいっぱい取った。だが、それは大事な娘の成長を確認するためであって、他意はない」
「他意があったらここにいられないよな」
父親は匠に冷ややかな視線を向けられ、たじろんでいる。
匠は、何を言っても両親共に旅行に行くのはわかりきっていたため、言うだけ言って席を立った。
だが、その背中に声をかけられた。
「匠、お前の制服姿もたんの――」
「しなくていい。今度はちゃんと土産も買ってこい」
多くの土産話は聞いた。
それは、翻訳者として勉強になることばかりだ。
けれど、それ以外のものは一切なく、匠はそのことに対して怒っていた。
両親が長期の旅行に行ってるため、一人暮らしをしていた匠を気にかけてくれた近所の住人へ、お土産のおすそ分けをしようと考えていたが、それが出来ず、頭を抱えている。
「ああ、そうする」
「じゃあ、気を付けてな」
翌日の朝、真木夫妻は二人の子供に見送られ、再び旅立った。
その様子は、仲の良い家族を連想させるものだった。
その後の匠の苦労を、両親は知らない。
4月になり、匠は普段よりも早い時間に朝食の用意をしている。
昨年と違い、用意している朝食は二人分だが、その手際に淀みはない。
実に手慣れた様子だ。
「おにー、ほらほら見てよ」
「制服汚すなよ」
司は春休み中に何度も袖を通した制服を着たままクルクル回り、匠に見せようとする。
だが、匠はそんな司に対し、目を向けることはなかった。
その様子に気付き、司は怒っているように見せかける。
「おにー、何で見てくれないの」
「いや、何度も見たし」
「む、制服姿の妹だよ。普通なら、愛で過ぎて捕まるくらいなのにー」
「あー、そうだな。じゃあ早く食べて学校行くぞ」
時間には余裕があるが、二人は席に着き朝食を食べ始めた。
二人は兄妹だが、日本人の基本から外れていない匠に対し、白髪に赤い目という時代が違えば白神子として祀られる外見をしている司が、兄妹に思われることは少ない。
共通点を見つけようとして輪郭などは似ているという人もいるが、大抵の人はそこまで見ず、それが当たり前であるため、二人もそれが当たり前のように過ごしている。
「おにー、やっぱり腕上げたね」
「腕の違いが出るような物は作ってねーよ」
他愛のない話を挟みながらの朝食を終え、登校の準備を始める。
だが、匠には気がかりなことがあった。
「司、日傘か?」
「あー、問題ないよ。ほらほら、これを見てよ」
司は小型のてるてる坊主の様な物を取り出し、匠に見せる。
だが、それだけでは反応のしようがない。
そのことに気付いたのか、司は実際に使って見せることにした。
「『スタート:雨雲』」
てるてる坊主の形をしたデバイスが魔法の起動処理を完了し、魔法が発動する。
けれど、匠が見る限り、何か変化があったようには見えない。
だが、確実に変化は起きていた。
「凄いんだよー。紫外線とかいろいろと害のあるものを遮断してくれるの。だから、私は安心して太陽の下を歩けるんだー」
匠は、司の才能に呆れるしかなかった。
白神子という外見を除いても、魔法使いと技術者という両方の面から見て、常人をはるかに超える実力を持っている。
そのため、匠は常日頃から、天才とは司のためにある言葉だと考えていた。
「司が作ったのか? それなら問題ないな」
司の自作であるからこそ、匠はその効果を信用することが出来る。
「両方自作だよ。おにーにも上げるね」
そう言うと、司は同じデバイスを取り出し、匠へと押し付ける。
匠は、そのデバイスを受け取ると、カバンへと仕舞いこんだ。
その時、ふと夏のことを思い出す。
「これって、去年の夏に作ったのか? 一夏の王国とか言ってたけど」
「んー、そうだよ。みんな協力的だからねー、楽しかったよ。同じのあげて、設定のしかたも教えたら、喜んでたねー。夏の紫外線はお肌の大敵だから。私の手作りの分には魔法の使用料かからないけど、普通のデバイスで発動すると、私には、魔法の著作権料でお金がはいるよ。にっしっし」
「それじゃあそろそろ行くか。学校側から早くこいって言われてるんだろ」
「あー、そうだった」
「待ちくたびれたよ」
二人が扉を開け、外へ出ると、すぐさま木葉の声が聞こえた。
その声に顔を向けると、いかにも待っていたと言わんばかりの姿勢で木葉が立ち塞がっている。
「このねー、おはよー」
「つっちー、おはよー。ほら、たっくん、大事な妹が私を義姉と呼んでるんだよ。これはもう責任を取るしかないよね」
仲良く抱きあう二人を見て、匠は頬を緩ませながらも、心を鬼にした。
「遅刻するぞ」
そう一方的に告げ、匠は先に歩き出す。
一緒に歩く二人は目立つ容姿をしているため、周囲の視線を集めることは容易だ。
そして、その視線が匠への妬みに変わると想像することも容易だ。
だからこそ、その針のむしろの様な時間を早く終わらせたかった。
「あとひと押しなのに」
「このねー、おにーは最後のふんばりが凄いんだから、トドメは一気に行かないと」
「確かに。ってたっくん、先行きすぎだよ」
二人は慌てて匠の後を追いかける。
この後、匠の想像通り、針のむしろの様な視線を浴び続けた。
匠達が登校した後、司を生徒会へと引き渡し、木葉と時間を潰していると、慌ただしい足音が聞こえた。
「真木、どういうことだ」
「土御門か、どうした?」
匠も、木葉も土御門が慌てている理由に心当たりがあるが、二人は敢えて土御門の言葉を待った。
「今年の新入生代表のことだ。あれはお前の妹だろ」
「まったく、人の妹をあれ呼ばわりか」
「酷いね、私の未来の妹なのに」
二人は楽しそうに批難の言葉を投げつける。
土御門は、一瞬たじろぐが、前会長である玉梓に鍛えられたこともあり、受け流せるようになっていた。
「それはわるかったな。それでだ。あのデタラメな妹は何なんだ。好き勝手しすぎだろ」
「まぁ、司だからな。力抜いとけ。基本は外さないから、任せといて問題ないぞ」
「しかし……」
土御門は、司の行動を思い返す。
確かに、好き放題しているように見えるが、決められたことはこなしており、表面上の問題以外は何も起こしていない。
その行動に眉を顰める教師もいるが、玉梓と比べれば、大人しいものだ。
「司のせいで式典の準備が進まないなら、他のやつに変えればいいさ。本人も絶対にやりたいわけじゃなさそうだし」
「わかった。チームメイトの妹だ。もう少し信じよう」
匠は土御門の言葉を聞きながらも、本当に問題が起きているのであれば、土御門ではなく、現生徒会長である松尾詩歌か、教師の誰かが本人に注意するはずだと考えており、土御門が匠に告げるのは無意味だと考えている。
「ま、土御門君も驚いたんだろうね。古流では、白神子っていうのは特殊な意味合いを持ってるから」
「それもそうだろうけど、玉姉に鍛えられたのに、自由奔放な人間に慣れてないってまずいだろ」
「土御門君だから、しょうがないよ」
「そうか、土御門だもんな」
二人はこの後、特に用事もなく、入学式が始まるまで時間を潰すことになっている。
入学式は、保護者が見に来ることは出来るが、普通の在校生が見ることは出来ない。だが、例外として、風紀委員の関係者や家族が入学する生徒、教師からの特例を得た生徒は、入学式を見ることが出来る。
木葉は、風紀委員の外部協力者であり、匠は司の兄であるため、堂々と立ち入ることが出来た。
他にも、数人の生徒が見学しているが、ここにいる面々の誰もが、昨年の土御門の挨拶を覚えていない。
それはしかたないことだ。
「それでは、次は新入生代表の挨拶です。魔法科の入試成績1位の真木司さん、檀上へ来てください」
松尾詩歌が生徒会長として司を檀上へ呼ぶ。
そして、司が姿を表すと、入学式がざわめきに包まれる。
けれど、そのざわめきは、すぐに静まった。
檀上に上がる司、動く度に上から照りつけるライトが白い髪に反射し、光り輝く。
多くの生徒が、その光景に、ただただ見惚れていた。
その結果、大半の生徒が、昨年の土御門とは違った理由で、挨拶の内容を覚えることが出来なかった。
関東魔法高等学校では、進級時のクラス替えは行われない。
そのため、匠達は2年A組になった。
教室の階は一つ下になったため、ほとんどの生徒は喜んでいるが、窓際の席を使っていた生徒は、その眺めが悪くなると不満を漏らしている。
そして、授業が始まる時間になり、担任である蘆屋道欠が入ってきた。
「さて、今年も僕が担任だから、聞きたいことがあったら聞きに来てね」
クラスのメンバーが変わらないため、そのまま授業へと移行する。
2年次からは、専門的な科目に割かれる時間が増えるため、クラス単位で授業を受ける時間は短くなる。
けれど、自分とは違う分野に強いクラスメイトがいた方が、お互いに刺激を与え合うことが出来るという考えの元、今の形態になっている。
鉄也はハード系の授業をメインにしているため、授業の大半で別行動となる。
だが、黒田は、どちらかといえばソフト系の授業が多いため、匠と行動する時間が多い。
匠にとって問題なのは、ソフト系の授業が、スペルマスターを目指す生徒向けになっており、翻訳者としての技能を磨く授業が、少ないということだ。
初日の授業が終わり、生徒会で忙しい土御門を除いたチームのメンバーが、新入生の少なくなった食堂で話をしている。
ただ、黒田がいるため、ニアについての話は避けていた。
「木葉とアリシア、二人は今年も風紀委員の外部協力者になるのか?」
「もちろんだよ。近衛君が反乱したけど、ちゃんと鎮圧したし」
「何があった……」
匠は、木葉の言い方に不穏なものを感じ取り、アリシアの方を見ながら確認した。
アリシアも、木葉の言い種に苦笑いを浮かべている。
「私達のクラスの風紀委員が、私達に風紀委員をやるべきだって言ったんです。風紀委員は、力を示さなきゃいけないからって」
「私だと、軽い怪我じゃすまない可能性もあるし、上級生からいろいろ学べるんだから、近衛君に続けなって言ったの」
言葉の端々に、自らの力に対する過信と傲慢さが見えるが、木葉の実力は誰もが知っており、あの玉梓の妹だということも合わさって、誰もそのことに対して口を開かなかった。
「そっちの風紀委員は大変そうだな」
匠は、見たこと無い同学年の生徒に対し、心の中で同情した。
それに合わせ会話が途切れると、アリシアが何かを思い出す。
「そういえば、匠さんの妹さんってどんな人なんですか? 新入生の代表で挨拶したって聞いたんですけど」
「あれ? アリっちは入学式見なかったの? 風紀委員の外部協力者だから見学出来たはずだよ」
「……そんな決まりあったんですか」
そうでなくても、アリシアには匠同様に入学式を見ることが出来た。
だが、基本的には生徒が見ることは出来ないため、その制度を知らなかった。
「それはさておき、探せばその辺にいるんじゃないか? 学校の決まりは知ってるんだから、チームメイト探しくらいするだろ」
匠は、そう言いながら周囲を見渡す。
司は目立つ。それをわかっていての行動だが、見える範囲にはいなかった。
「いないみたいだな」
「真木君の妹さんは、魔法科なんですね。てっきり技術科だと思ってました」
「ああ、あいつならどっちでも1位になれたと思うぞ」
「真木君に似て、凄い妹さんなんですね」
木葉と鉄也以外、匠の表情の変化に気付くことはなかった。
だが、言葉には、この話を長く続けたくないという想いが込められていた。
「そういえば、木葉ちゃん、今年の種目決めたのか?」
「あー、新人戦優勝チームのリーダーが決めるんだってね。面倒だから、松尾会長に丸投げしたよ」
二人がすぐに話を変えるが、選択を間違えたのか、すぐに終わってしまった。
その直後、食堂に大きな声が響き渡る。
「おにー、ちょうどいいところにー」
食堂にいた誰もが声のする方を向くと、司が大きく手を振りながら、一人の女子生徒の手を引き、匠達の方へ向かってくる。
司へと向けられる視線には、様々な種類があるが、何一つ司が気にすることはない。
「おにー、やっと見つけたよ。聞きたいことあったんだよねー」
「前もって家で聞けばよかったろ」
「いやいや、学校が始まってからじゃないと駄目だよ。ところで、このねーと鉄也にい以外の人達は、おにーのチームメイト?」
司が首を傾げながら問いかける。
けれど、司の外見を知らない面々は、驚きのせいで声を失っていた。
匠は、それがいつものことであるため、慣れた対応をする。
「まず、魔法科の方から、アリシア・ジーニアとニア・マギリ。そんで、技術科の黒田静江だ」
「よろしく」
匠による紹介をきっかけに我に返ったアリシア達が一先ずの挨拶をするが、驚きが上回っているため、言葉が続かなかった。
ただ、ニアだけはすぐに平静を取り戻す。
「真木、司さん、生徒会に、任命、されたんじゃ?」
ニアは、匠の発言から、魔法科の入試成績1位ではなく、魔法科志望の生徒にとってはクラス分けと習熟度の確認でしかない技術科用の試験においても、高い順位をとっていると判断した。
魔法高等学校への入試は、魔法科と技術科の併願が可能であるため、全ての試験を一度で済ませたいという学校側の考えのもと、どちらか一方だけを志望していても、全科目を受ける必要がある。
一部では、学校側の怠慢とも言われているが、地元の魔法高等学校以外を受けたいという受験生には、一度で済むため、好評だった。
「マギリ先輩、どことなく私と似てますね。生徒会は、引き受けましたけど、チームメイト探しを優先する許可を貰いました。そして、この娘が、私のチームメイトの記念すべき一人目だー」
ニアは、銀髪に赤い瞳。それに対し、司は白髪に赤い瞳。
色合いの違いはあれど、似ているといえる。
そのことについて深く考える前に、司が掴む腕をずっと振りほどこうとしていた一人の女子生徒に、意識を奪われた。
その理由は、簡単だ。
「フィーネ?」
アリシアにとっては驚きの連続だった。
アリシアの妹の一人で、外見がよく似ているフィーネ・ジーニアが司に捕まっていたからだ。
「だ・か・ら、何で私が貴女と組まなきゃいけないの」
「そういえば、ジーニア先輩と同じ名字だ」
「アリっちにも妹がいたとは……。知らなかった」
司と木葉は、思い思いの言葉を口にし、収集をつけようとはしない。そのため、誰もフィーネの言葉に反応しなかった。
「そんでおにー、技術科の目ぼしい一年生教えて」
司は、技術科の生徒を捕まえるための情報を欲している。
そのために匠を探していた。
だが、一つ問題がある。
「いや、一年知らねーから」
匠のもっともな言葉に時が止まる。
少し考えればわかりそうなことだが、司は部活の関係で、そう言った情報が流れているはずと考えていた。
そして、フィーネが時を動かす。
「もう誰でもいい、彼女を早く説得……、貴方、あの時の」
「ん? ああ、懐かし――」
「たっくん、私は知らないけど、どこで知り合ったの? ねぇ、どこで?」
木葉が会話に割り込み、見るものに恐怖を与える笑顔を向けた。
その笑顔に慣れているはずの匠ですら、恐怖に支配される。
「えっと、木葉、落ち着け。話せば……話せば、わかる」
「じゃあ、早く話してよ」
だが、木葉に説明し始めたのは、匠ではない。
「その人が私の顔を思いっきり殴ったんですよ」
フィーネがそう告げると、口元を小さく緩ませる。
匠に対して恨みがあるわけではないが、今フィーネを連れ回している司の兄だと知り、仕返しをしようと考えていた。
「たっくん、そんなことしたんだ」
「木葉、詳しいことは話せませんが、それはフィーネを助けるための行動です。匠さんは悪くありません」
「アリシア、助かる」
「まぁ、アリっちがそう言うなら、信じるよ」
フィーネの企みはアリシアによって阻まれ、木葉も殴ったという事実は横に置くことにした。
「さて、フィーネ、おにーをはめようとしたんだから、責任とって私のチームメイトね」
「何で!」
「フィーネ、司さんは魔法使いとしても技術者としても優秀らしいので、いろいろと学ぶことがあるはずです」
フィーネがうなだれ、諦めたようにつぶやく。
「アリシアお姉様まで……、わかりました。組みます」
「よーし、可愛い実力者ゲットー。じゃあ、チームの証にこれあげるね。にっしっし」
司はそう言いながらてるてる坊主型のデバイスをフィーネに押し付けた。
貰ったフィーネをはじめ、この場にいるほとんどが、それがデバイスだと気付いていない。
司も、特に説明する気がなく、意識は次へと移っている。
「それで、おにー――」
「知らねーよ。まぁ、成績上位者くらいは調べとくから、条件決めとけ」
「そんじゃ、ありがとねー。さぁ、フィーネ、行くよ」
司はそう言うと、フィーネの腕を掴んだままどこかへ去っていった。
そのせいか、辺りが静けさに支配される。
「真木君の妹さん、すごい人でしたね」
「相変わらず過ぎて、口を挟めなかったぜ」
「えっと、フィーネについて、後で詳しく話しますね。今同居してるので、会う機会も多そうですし」
アリシアは、これからのことを考え、秘密にすることをやめた。
姉妹そろって真木兄妹のチームメイトになるという偶然に運命的なものを感じ取っていた。
こんにちは
時間がなく、かなり間があいてしまいました。
それでは、今回もお付き合いいただき、ありがとうございました。
これからもお付き合いいただけると、幸いです。