表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/37

第三話・其の四

      《 第三話・其の四 》



「……僕、何か、悪いことしちゃったかなあ?」

 七糸の呟きに、メアが愛らしく首を傾げてみせる。

「――さあ、どうでしょう?」

 傾ける頭の角度といい、表情といい、最も可愛らしく見えるように計算されている。

 それだけではない。窓から入る光加減や、シックな壁の色、家具などの配置。ドレスの膨らみ具合や、艶やかな髪の流れに至るまで、こだわり抜いている。熟れたサクランボみたいに愛らしい唇も、美味しそうな桃色の頬も、彼女を構成する何もかもが男を魅了してやまない――はずなのだが、何故か、七糸には通じない。

 肝心の想い人は、憂鬱そうに頬杖をついてクッキーをかじっているばかりで、メアの渾身のアピールに気づいてくれない。

「よくわかんないけど、ラビィさんってば、また部屋に引きこもっちゃって――もう、二週間だよ、二週間! 完全に避けられてるし、ドア越しに話しかけてみても声一つ返ってこないし。僕、何か嫌われるようなことしたかなあ?」

 二週間前、例のドレス事件のあと、七糸は数々の災難に遭った。

(……森に置き去りにされるわ、道に迷うわ)

 話の途中でラビィが急に一人で飛んで行ってしまったので、しばらくの間は、仕方なく岩の上で待機していた。しかし、一向に帰ってくる気配がなかったため、やむなく、方角に気をつけながら森のなかを歩いていたのだが、方位磁石もなければ地図もない状態で未知の場所を迷わず歩ける道理もなく――疲れきって、樹木の下にしゃがみこんで休んでいると、主人思いの愛犬が迎えにきてくれて、どうにかこうにか、帰ってくることができた。

 そこで事態は無事収拾するかと思いきや、リシリーが過剰に施した魔法刺繍の効果がなかなか切れず、目の色を変えた屋敷の連中に追い回された。

 結局、再び森に身を潜めることで難を逃れることができたが――それから数日間、ストーカー化した熱烈なファンに追いかけ回される芸能人になった悪夢に苛まれることになった。

(――っていうか、ラビィさんもひどいよね。一人で帰っちゃうなんて)

 さすがにちょっと怒っていた七糸だったが、引きこもり期間が一日、また一日と延びるのを見て、さすがに心配になってきた。一応、食事はとっているようなので、栄養面は心配なさそうだが――。

「…はあっ。本当に、ラビィさんってばどうしちゃったんだろう?」

 きっかけは、あのドレス事件にあるのだろうが、ラビィが引きこもる原因にはなりえない、と七糸は思う。

「唯一、魔法刺繍が効いてない感じだったのに…」

 さすがは、騎士を名乗るだけの者はある。そう感心したのも束の間、再び、情けなくも部屋に閉じこもって出てこないとは。情緒不安定にも程がある。思春期の子供じゃあるまいし、あまりにもおとなげない。

(…逆に言えば、それくらいの大事件が起きたともいえるけど…)

 それらしき原因を考えてみるものの、何一つ思い当たる節がない。

 うんうん唸りつつ、本日、二十二枚目のクッキーを口に運んだところで、拗ねたようにメアがそっぽを向いた。ふわりとしたドレスと髪が揺れ、ほのかに甘い花の香りが鼻先を掠めた。

「……もう! ナイト様ってば、来る日も来る日も、あの駄竜の心配ばかりなさって。少しは、メアのことも考えてくださってもよろしいのではありませんこと?」

「あ、ごめんごめん。けど、メアだって心配じゃないの? ラビィさんの引きこもり」

 その言葉に、彼女は露骨に顔を歪めて吐き捨てた。

「別に、あの駄竜の行く末になんて微塵も興味がありませんわ。たとえ、このまま引きこもり続けて、人形だの壁のシミだのに話しかけるようになったところで、私には何の影響もありませんもの」

「いやいや、大問題だよ! 完全に、心の病気だよ、それ!」

「あら、そうですの? あの駄竜なら、日常的にやっていてもおかしくはないと思いますけれど。でも、そうですわね。働かざるもの、食うべからず。使えない駒を手元に置いておくほど、私は酔狂な女ではありませんもの。何かしらの役に立ってもらわないと、割に合いませんわね」

「いや、そういう問題でもないし!」

 七糸のツッコミを放置して、彼女は真剣そのものの顔つきで考える。そして、さも名案が浮かんだとばかりに、パンッと両手を打ち鳴らした。

「…そうですわ! 毎日、炊事場に引きこもってもらって、来る日も来る日も火の番をしてもらうというのはどうでしょう? 火に関しては、誰よりもプロフェッショナルですもの。きっと、絶妙な火加減が可能になり、より風味豊かな食事が実現するに違いありませんわ! これで、万事、問題は解決ですわね!」

「――…メアって、本当にラビィさんのこと、何とも思ってないんだね…」

 一応、元婚約者なので、少しは友情なり愛情なりあるのかと思いきや、メアの扱いは使用人と変わらない。いや、それよりもひどいかもしれない。

(――…でも、メアだって鬼じゃないんだから)

 口では悪く言いながらも、内心ではきっと心配しているに違いない。是非とも、そうあってほしい。そうでなければ、ラビィがあまりにも可哀想すぎる。

「と、とにかく、このままラビィさんが出てこないっていうのは、問題だよ。あんなに責任感が強くて、ウザいくらい仕事熱心だったのに、急にやる気をなくしちゃうなんて。それって、僕たちの世界じゃ社会問題になってるくらい大変な状態なんだよ。早く何とかしないと、取り返しのつかないことになっちゃうかも」

「とはいえ、ナイト様。引きこもって聞く耳を持たない相手に、何をどうすればよろしいのでしょうね? こう言っては何ですけれど、今回の件に関して言えば、時間が解決してくれると思いますわ。何なら、私の魔法で、記憶の改竄・消去という方法もありますし、ナイト様がお悩みになるほどの問題ではないのではありませんこと?」

「――記憶の改竄とか消去とか…何気に、サラッと怖いこと言わないでくれるかな」

 確かに、メアの魔法にかかれば、心の病は一瞬で消えるに違いない。しかし、それはあまりにも非人道的すぎる手法だ。

「ですが、他に有効な手段がありまして?」

 メアが悪戯な眼差しで訊き、七糸は唸った。

「――うーん、でも、それはそれで罪悪感が半端ないっていうか、根本的な解決になってないっていうか。せめて、引きこもりの原因がわかれば、何とかなると思うんだけどな」

 その呟きに、メアがきょとんとする。

「あら、原因をお知りになりたいんですの?」

 長い睫毛を揺らしながらパチパチとまばたきをして、じっと見つめてくる。

「な、何でこっち見るの? 僕、やっぱり、何かしちゃった?」

 食い入るような視線に焦って訊くと、彼女はポッと頬を赤らめて、身をよじらせた。

「ああん! 何度見ても、ナイト様は素敵すぎますわ! 憂いに満ちた表情も、思い悩むお姿も、キラキラときらめいて! ああ、これが私のためなら、どんなに嬉しいか! 今だけ、あのヘタレ駄竜になり代わりたいですわっっ!」

「――…いや、そういうのはいいから。メアは、何か原因に心当たりとかない?」

 基本的に、ラビィの悩みの根底にはメアが絡んでいることが多いので、一応、身に覚えがないか訊いてみる。しかし、彼女は頭を横に振って、何故かくるくると回り始めた。

「いいえ、私の心は、常にナイト様のことで一杯ですもの! それ以外のことなんて、はっきり言って、世界滅亡並みにどうでもいいことですわ! それよりも、ナイト様! 私と一曲、踊りませんこと? 憂いに満ちたそのお顔を、もっと間近で見つめ、慰めて差し上げたいですわ! さあ、レッツダンシング!」

 そう言いながら、くるりと華麗なターンを決めて、こちらに手を差し出してくる。

 お姫様というよりは、むしろ、彼女のほうが王子様然としているのは、気のせいだろうか。

「いや、ダンスはいいよ。それより、ラビィさんのことだけど」

 再び、話題を元に戻そうとすると、彼女はご機嫌な笑顔から一転、明らかに不満顔になって、ぷうっと頬を膨らませた。本気で怒っているのではなく、怒ったフリをしているだけなのだろう。綺麗な瞳に、憤怒の色はない。

「――本当に、何てお人好しなのでしょう。下僕の心配などしたところで、何の利もないというのに。ですが、そのお優しいところも、ナイト様の魅力の一つなのも確か――。はあっ、わかりましたわ。このメア、ナイト様のお悩み解決に向け、全力で協力して差し上げますわ。実際のところ、あの駄竜がどうなろうと知ったことではないのですけれど……」

 渋々どころか、目に見えて嫌そうに言う彼女の姿に、七糸は微笑を浮かべた。彼女の協力があれば、何か事態が動く気がする。良くも悪くも、という注意書きは必要だが。

「ありがとう、メア。助かるよ。それで、引きこもりの原因についてなんだけど、メアは何か知らない? こっちの世界の住人じゃない僕にはわからない理由があるのかもって思うんだけど」

「引きこもりの原因、ですの? それなら――…」

 改めて問い直した七糸に、何故かメアが白い頬をふわりと赤らめ、急にモジモジし始めた。

「…え、何で急に恥じらいだしたの? 僕、何か変なこと、言った?」

 いつにない様子が気になって訊ねると、彼女は身体をくねらせながら、小声で答えた。

「――そうではありませんわ。ただ、その……原因の解明のためには、こちらにも心の準備が必要でしょう? ええ、そうですとも。乙女たるもの、喜びの余り羞恥心を忘れては興ざめというもの。いつ、いかなる事態に陥ろうとも、ナイト様のご満足のいく対応ができるようにしなくては――」

「…? えーと、心の準備って何? ラビィさんの引きこもりについての話じゃないの?」

 どうにも彼女の反応が理解不能すぎる。

 ラビィとは旧知の仲であり、他者の心理状態を敏感に把握できる彼女ならば、何かしらの突破口を見つけ出すことができるのではないかと思っただけなのだが、メアのなかでは別の物語が展開しているようだ。

 彼女は、もじもじとしながら上気した頬に手を当て、腰をくねらせる。

「ええ、そうですわ。ナイト様は、ラヴィアスが引きこもった理由をお知りになりたいのでしょう? ですから、同じ状況を体験なされば、お気づきになれるのではないかと思い、こうして、心の準備をしているのですわ」

「……いや、だから、何でそれでメアが心の準備をする必要があるわけ?」

 意味がわからない。

 ひたすら首を傾げ続ける七糸をちらりと色っぽい眼差しで見やり、メアは勿体ぶるように自らの指先を舐めた。

「それは、当然――ナイト様と初めての夜を過ごすことになるかもしれませんもの。失敗は許されませんでしょう?」

「…え? 何、それ?」

 ますます、意味不明。

 初めての夜って、何?

 これから、何が始まろうとしているの?

 七糸の脳裏に、疑問符ばかりが溢れていく。

 一方、すっかり自身の妄想に取りつかれたメアは、やや興奮した様子で鼻息荒く主張してくる。いきなり、七糸の手をぎゅっと握ったかと思うと、今にも唇と鼻先がくっつきそうな位置まで顔を近づけ、

「大丈夫ですわ、ナイト様! 幸い、今日の私は、最高級の勝負下着を着用していますの! 肌の手入れも欠かしたことはありませんし、香水もナイト様好みのほのかに香るフローラル系に変えましたもの! ええ、そう、まさに準備万端! 優しくするのも、乱暴にするのも、ナイト様次第! どんなマニアックな要求にもお応えしてみせますわ!」

「…いや、下着がどうとかって――そういうことは、あまり口に出さないほうがいいんじゃないかな。一応、僕だって男なんだから」

 七糸の言葉に、メアは、先ほどまでの恥じらいはどこへやら、何やら覚悟を決めるように深刻そうな顔つきになった。そして、何故か、ぐっと握りこぶしをつくり、

「そ、そうでしたのね!? ナイト様は、下着に興味がない――つまりは、何も着けない女がお好みということですのねっ!! さすがに、それは盲点でしたわ! 女は素材で勝負しろ、下着で着飾って誤魔化すな、と。そう仰りたいのですわね? 何て、奥が深いっっ! そんなマニアックなところも、男らしくて素敵ですわっっ!!」

「え? いやいやいや、ちょっと待って! 違うから! そんな話はしてないから!」

「いいえ、ナイト様! ナイト様の趣味の把握を怠った私が悪いのです! わかりましたわ、今からでも、下着を外して――」

 言ったかと思うと、いきなりドレスの裾を持ち上げようとしたので、七糸は顔色を変えた。

「って、何やってんの!? 女の子が、人前でそういうことしちゃ駄目だってっっ!」

 慌てて、ドレスを持ち上げようとした手をつかんで、七糸が訴える。

「メ、メアは今でも十分魅力的だからさ! その、下着はちゃんと着けててほしいっていうか、逆に着けてないと嫌だっていうか――ああ、もう、何でこんな変態っぽいこと言わなきゃいけないんだろう、僕」

 言っていて、自分がとてつもない変質者のような気がしてきた。何だか、情けなくて泣きたくなってくる。

「…ですが、ナイト様は下着を着けない女がお好みだと、今」

「言ってないから! っていうか、何でいきなりそんな話になったのさっ!?」

 お色気とは皆無の話をしていたつもりなのに、メアの思考は完全にそちらに向いている様子。疑問たっぷりの声音で訊ねた七糸に、メアは乱れたドレスの裾を軽く撫でつけた。

「ですから、あの駄竜の引きこもりの理由をお知りになりたいとナイト様が仰ったからですわ。聞くよりも、実践したほうがわかり易いかと思ったのですけれど――おわかりになりまして?」

「いや、わかるも何も――逆セクハラを受けただけっていうか」

 女の子は好きだが、あそこまで強引に迫られると、困るというか怖いというか。

 困惑顔の七糸の様子に、メアはふうっと息をついた。

「…それと同じですわ。あの駄竜は、不可抗力とはいえ、ナイト様の神聖な胸を触ってしまった。そのことが、お堅い騎士道だのプライドだのを打ち崩してしまったのでしょう。下僕の身でありながら御主人様に不貞を働き、その罪悪感のあまり、ナイト様に合わせる顔がない。それが、引きこもりの理由ですわ」

「……え? でも、僕は男なんだし、胸を触ったくらいで、そんな大げさな」

 軽く笑い飛ばそうとしたが、メアが呆れたような目で見てくるので、笑いが引っ込んだ。

「ナイト様はそうでも、あちらはそうではなかったということですわね。考えてもみてくださいな。あのとき、ラヴィアスは媚薬効果のある魔法をかけられている状態でしたわ。しかも、ナイト様は普通の女性らしいドレス姿で、どこからどう見ても、愛らしい花嫁そのもの。もっとも、私くらいになれば、ナイト様がどんな格好をしていらっしゃっても、全身から溢れる男気を見逃したりはしませんけれど――残念ながら、あの駄竜には、そこまでの能力はなかったのでしょう。本当に、救いようのない愚鈍っぷりですわね」

「…で、でも、ラビィさんは魔法にかかったようには見えなかったし」

「目に見えるものすべてが真実だとは限りませんわ。ましてや、私のように他者の心を覗くことができないナイト様がどうお感じになろうと、それは想像の域を脱しませんのよ。長年の付き合いというのならともかく、出会って、たかが数ケ月のラヴィアスの本心を知ることなんて、できやしないのですわ」

「――…そ、それはそうだけど……」

 確かに、あのとき、自分は女の子みたいな格好をしていたし、媚薬効果のある魔法も発動していた。だからといって、女扱いされた事実を認めるのは、何だか悔しい。

「けどさ、ラビィさんは騎士なんだから、それくらいで引きこもったりするはずがなくない?」

 騎士を名乗ることに誇りを持っている男が、たかだか、一回の過ち――いや、この場合は事故と呼ぶべきか――そのせいで容易く仕事を放棄するとは思えない。

「あら、もうお忘れになったのですか、ナイト様? あの腐れ騎士は、自分が騙されたと知っただけで、容易に引きこもった準ニート火竜ではありませんか。元より精神が軟弱すぎるのです。むしろ、これを機にヘタレた根性を叩き直してやるのが、主としての優しさではありませんこと? ナイト様がお望みならば、あの駄竜には、今回の件が天国に思えるような真の地獄を味わわせて差しあげますけれど――どうなさいます?」

 そう提案した彼女の表情は、まさに底意地の悪い魔女そのもの。咄嗟に、壺いっぱいに満たした怪しげな薬を長い棒でかき混ぜながら不気味な笑みを浮かべているメアの姿がダブって見えた。

 底知れぬ恐怖を感じながらも、七糸は、全力で悪魔の提案を突っぱねた。

「どうもこうも、駄目に決まってるよね、それ! ぱっくり開いた傷口に塩を塗りたくるような行為だよ! 今以上に気まずくなってどうするのさ!?」

 七糸の拒絶に、彼女は面倒くさそうに吐き捨てた。

「…本当に、どこまでも手のかかる駄竜ですこと。もはや、私の手には負えませんわ。いっそのこと、腐り切るまで放置しておいたほうがよろしいのではなくて? ああ、でも、私の屋敷に腐敗臭が漂うなんて耐えられませんわ。となれば、部屋ごと切り取って湖に沈めるしか…そうね、それしかないわ。早速、あの駄竜ごと、部屋を処分しましょう!」

「ちょっ、何、物騒な計画立ててんのっ!? そ、そういう解決法じゃなくて、もっと平和的に話し合おうよ!」

 メアなら本気でやりかねないので、慌ててとめに入ると、彼女は愛らしい笑顔で――しかし、内心に渦巻いているであろう殺意を満面に浮かべて否定した。

「あら、嫌ですわ、冗談に決まっているではありませんか。ふふふ、まさか、私がそんな野蛮なことをするはずがありませんでしょう? 本当に、ナイト様ってば、何を仰るやら。うふふふふふふふ」

「……笑顔が何か怖いけど…ま、いいや。とにかく、僕が原因で引きこもってるのなら、元凶である僕が何とかしなくちゃ駄目だよね」

 自覚はないが、どうやらラビィに対してセクハラめいたことをしてしまったようなので、それを謝罪するにはどうすればいいのか――あいにく、見当もつかない。

「……胸を触らせてごめんなさいとか言うのも、何かセクハラっぽいしなあ。どうすればいいんだろう? ねえ、メア、何かいい方法ないかな?」

「方法なら、ありますわ。もっとも手軽で、もっとも最短の方法が」

 言うや否や、彼女の瞳に鋭い光が宿る。

「――言っとくけど、殺したり記憶を弄ったりするのはナシだよ?」

 七糸が素早く釘を刺すと、彼女は小さく――本当に小さく舌打ちをして、にっこりと微笑んだ。そして、愛らしさと不穏さを振りまく微妙な声音で新たな提案をしてきた。

「要するに、今回の件は、ラヴィアスが女慣れしていないという点に問題があるのではありませんこと? 実際、正統な騎士の家系でありながら、あれほど女の気配の感じられない男というのは珍しいのですわ。騎士ならば、むしろ、その肩書きを利用して複数の女を侍るくらいのことは、して当たり前なのですけれど――あの堅苦しい性格が、それを許さないのでしょうね」

「あー、確かに、ラビィさんって女の人苦手っぽいよねえ。メイドさんに迫られてるトコ何度か見たことあるけど、完全に逃げ腰だったもんね。実は、男のほうが好きなのかと疑っちゃったくらいだよ」

 脳裏に思い浮かんだのは、これまで幾度となく見かけたシーン。

 メイドの間ではラビィ人気が高いらしく、ときに露骨に、ときにさりげなく女を売り込もうとするメイドたちを見かけるのだが、ラビィはたいてい、逃げるか青ざめて壁に張りついているかのどちらかだ。

「…っていうか、ラビィさんって、あんな調子で大丈夫なのかなあ? 竜の適齢期とかわからないけど、そういう年齢なんでしょ? メアと婚約してたくらいだし」

「ああ、そういう忌まわしい過去もありましたわね。まあ、あれは親が勝手に決めたものですし、互いに不本意でしたけれど――」

「…親かあ。それって、メアとラビィさんのご両親ってことだよね? 仲よしなの?」

 まだメアの両親の姿を見たことがないので想像するしかないが、この娘の親なのだ。さぞかし、立派で、傲慢で、狡猾なのだろう。一方、ラビィの両親を想像すると、温和で優しげなイメージしか湧いてこない。まさに、人徳の差というヤツだ。

 七糸の質問に、彼女はぱたぱたと手を振ってみせた。

「いいえ、そうではありませんわ。この場合、最初からラヴィアス側に選択権はありませんのよ。忍耐力があり、魔力が高くて従順。そして、高貴な血を引く若者、という条件を満たした者を、私の親が適当に選出しただけですわ」

「――え? 忍耐力とか従順さが条件って、おかしくない? しかも、ラビィさんに選択権がないって、何で? いわば、お見合いだよね、それって」

「あら、こちらの世界では、よくあることですわ」

 彼女の説明によれば、つまりはこういうことらしい。

 この世界で一番偉いのは、当然、魔王だ。そして、その魔王の次に偉いのは、次期魔王候補と呼ばれる存在――つまりは、メアということになる。よって、彼女の横暴も我儘も、基本的にはまかり通ってしまう風潮があった。当然、それはメアの生みの親にも偉ぶる権利があるわけで、それ以外の者には婚約を断るだけの権利が与えられていないらしい。

「本当に、『ウザい』の一言ですわ。大貴族の娘で、魔王候補として絶対的ともいえる魔力を保有する私に、早く後継者をつくれと親がせっついてきますの」

 しかし、肝心のメアは、性格上、誰ともそりが合わず、百回以上婚約と解消を繰り返してきたのだという。しかも、厄介なことに、相手にやつ当たりまがいの嫌がらせの数々を仕掛けて。

「あまりに腹が立ちすぎて、片っ端から破談にしてやりましたのよ。それなのに、最終的には、不仲なはずの竜族に目をつけて、知らないうちに婚約させるなんて、ひどいと思いませんこと? しかも、あの駄竜ときたら、どんなに嫌がらせをしても、思いきり泣かしてやっても、婚約解消する気がないんですのよ? いい加減、本気の殺意が芽生えかけましたわよ、ええ、本当に。我ながら、よく我慢したものだと感心しますわ!」

「――よっぽど相性が悪かったんだね…」

 メアのこめかみには青筋が立ち、本気で苛立っているのがわかる。心なしか、殺意めいた緊張感が漂い始め、部屋の空気が急速に冷え込んだ。

「と、とりあえず、ラビィさんに関しては、メアのほうがよく知ってるわけだし――胸を触るくらい何でもないよね、ハハハ。みたいな方向に話に持っていくには、どうしたらいいかな?」

「――胸を触るくらい、何でもない? ふふふ、そうですわね。何でも……そう、何でも…ふふふふふ、うふふふふ、あははははははっ」

 空気が冷えてきたので、あえて冗談めかした口調で訊いた七糸へ、メアは感情のこもっていない空虚な笑い声をあげた。そして、冷ややかな目つきで恐ろしい言葉を放った。

「――滅しましょう、あの駄竜野郎を!」

「…えっ?」

 メアは、何を思い出したのか、ビシバシと殺気を放ちながら言う。

「…よく考えましたら、ナイト様の神聖な胸を汚すなんて、まさに死罪に値するほどの重罪! 私ですら、まだ触ったことがないというのに! あまつさえ、こんなことやあんなことまでっ」

「いやいや、こんなことやあんなことはしてないから。っていうか、何で今さら怒るの? ついさっきまでは、許してなかった?」

 ドレス事件が終結してすぐ、ラビィが引きこもってしまったので、とりあえずメアに相談してみた。その際、胸を触ったという話をしたのだが、そのときはこれほど怒ってはいなかったように思う。むしろ、森に置き去りにされて少々ナイーブになっていた七糸を気遣っていたくらいだというのに――今のメアは、どこぞやの戦国武将のように猛々しい面構えをしている。

「許す? 許すはずがありませんわ、ただ、深く考えないようにしていただけ! そうでなければ、ナイト様に不埒な言動をした者すべてを排さなくてはならなくなりますもの! そう、この屋敷の者、ほぼすべてを処刑しなくてはならなかったでしょう! ですが、あの騒動のあとで、ナイト様はこう仰りましたわ。みんなは悪くない。怒らないであげて、と。ですから、私は、自らの心に幾重にも暗示をかけることにしたのです。それなのに、それなのにっっ!」

 メアの握りこぶしが思いきり振り上げられ、力任せにテーブルに叩きつけられた。直後、バギンとあり得ないほど大きな音が響いたかと思うと、あろうことか、ゆっくりと――スローモーションになりながら、分厚いテーブルが真っ二つに割れていく様を、七糸は目撃した。

「!!!!!」

 恐るべき怪力。まるで、コメディ映画のワンシーンのような、目を疑うような状況。

 さしもの七糸も身の危険を感じて、思わず椅子の上に正座した。気分は、鬼教官に説教される少年兵そのものだ。

「――ナイト様!」

 きっと細く鋭い視線が突き刺さる。

「は、はいっっ!」

 反射的に返事をして背筋を伸ばす七糸へ、メアは通行人に絡む一昔前の不良みたいなポーズでズカズカと迫ってきた。

「ナイト様が謝る必要はありませんわ! 悪いのは、すべて、一切合切、あの自称騎士のヘタレ火竜ではありませんこと? 理由はどうあれ、ナイト様に取り返しのつかないことをしたのですから! ああ、ナイト様の初めては、全部、このメアが貰い受けるはずだったのに! 唇も、胸も、その他も全部っ! それなのに、あの男ときたら! ああ、恨めしい! 恨めしいですわ、最高に苦しみながら死ねばいいのに!! いいえ、いっそ、この忌まわしき世界ごと滅亡させてやりたい気分ですわ!!」

「…え、僕の胸が原因で世界が滅んじゃうの!?」

 だんだんと、スケールの大きな話になってきた。

 今にも口から火でも噴きそうなメアの様子に、さっきから嫌な汗がとまらない。全身の血の気が引く思いがする。

「ほ、本気じゃないよね? じょ、冗談だよね??」

 訊く声が心なしか小さく震えているのは、彼女の答えがわかっているからだ。

 案の定、メアは憤怒の表情で、

「本気も本気、大っ本気ですわっ!! この私がやるといったら、何が起ころうとも絶対にやりきってみせますのよっ!! あんのヘタレ騎士に目にものを見せてやりますわっっ!!」

 メラメラと瞳の奥で冷酷な青白い炎を燃やすメアの姿に、七糸は頭を抱えた。

 メアは、本当に世界を崩壊させかねないだけの実力の持ち主らしいので、ここは何としてもとめなくてはならない。

(――で、でも、とめるといってもどうしたら…?)

 方法は、まあ、なくはない。とにかく、話を逸らせればいいのだ。

(……メアの気を逸らす話といえば…)

 思いつくのは、一つだけ。女の子にありがちな、恋バナだ。七糸が、嘘でもその場限りの戯言でもいいから、甘い言葉の一つでも囁けばいい。

 ただ、それを行うには、あまりにも精神的負担が大きすぎる。もっといえば、ある意味において、余計に事態が混迷していく気がする。

 しかし――…今は、我が身可愛さに世界とラビィを見捨てるわけにはいかない。あとのことは、あとで考えればいい。とりあえず、今の自分にできる最善を尽くさなければ。

「あ、あの、メア? 息巻いてるところ、悪いんだけど」

 ごくり、と唾を飲み込む。心なしか、喉が渇いて痛い。

「はい、どうかなされましたか、ナイト様?」

 メアが表面上だけは怒気を押し殺し、にこやかに愛らしく微笑んだ。しかし、殺気までは消しきれず、ピリピリと空気が引き攣っている。生半可なことでは、彼女の気を逸らすことはできそうになさそうだ。

(……これは、覚悟を決めないと…)

 七糸は、すうっと息を吸い込み、視線を落とし気味にして言った。

「――ええと、その…世界を滅ぼすだの、ラビィさんにお仕置きするだの。そういう物騒なことを言う女の子って、嫌いなんだよね、僕…」

「!!!」

 目に見えて、メアの顔色が変わる。はっと息を呑み、

「まあ、ナイト様! 誤解ですわ、私は物騒なことなど、何一つ口にしてはおりませんのよ? ただ、何事も秩序が大事、それを守るには、それなりの代償が必要なだけなのですから!」

「…けど、ラビィさんの件は僕が原因だし、むしゃくしゃしたからって理由で世界を壊されちゃたまんないよ。だいたい、メアは、僕のお嫁さんになりたいんでしょ? けど、今のままじゃ、ちょっと無理だよね…」

 はっきり言って、メアに対して恋愛感情なんて微塵も持ち合わせていないし、これからもそのつもりはないのだが――…場合が場合だ。こういうときは、彼女には心底悪いが、嘘も方便。最悪の事態を避けるためならば、良心の呵責にも耐えよう。

 ちなみに、咄嗟に脳裏に思い浮かんだメアの反応は、三つ。

 一つ目は、ショックを受けつつも、自らの行動が正当なものであると主張し続けるパターン。

 二つ目は、素直に謝罪して、おとなしく引き下がるパターン。

 三つ目は――…これは、あまり考えたくないのだが、引き下がることを条件に今まで以上の関係強化を図ろうとするもの。つまり、友達以上恋人未満な、これまでよりも一歩踏み込んだ関係になるということ。

(……嫌だけど、一番ありえそうなのは三番だよね…)

 彼女の性格からして、そう来るに違いない。

 迫られるかもしれないことを警戒しつつ、七糸が見守るなか、彼女は思わぬ反応を見せた。

「――わかりましたわ、ナイト様っ!」

 メアは、控えめすぎる胸を突き出して、ミュージカルの役者並みによく通る高声を放った。

「つまり、今の私では、ナイト様の妻として、まだまだ実力不足ということですのね!?」

「え? いや、何で、そういう話になるのかな?」

 彼女の飛躍した考えについていけずに訊ねると、メアは先ほどとは別の意味で燃えながら、ぐっとこぶしを握りしめた。

「――情けないですわ! 私ともあろうものが、こんなにも大切なことを見誤るだなんて! そうですわよね、ナイト様ほどの実力があれば、ちっぽけな世界一つを破滅させただけで満足できるはずがありませんもの! ナイト様の野心の大きさに比べれば、ラヴィアスの件も瑣末な問題。虫ケラに心を砕くなど、時間の無駄ですものね!」

「…え? えーと、ごめん、何言ってるのか、さっぱりなんだけど」

 困惑気味の七糸を置き去りに、メアの歪みきった妄想が、はっきりとした輪郭を持ち始めた。

「あら、嫌ですわ。そうやって私をお試しにならずとも、すでにわかっておりますのよ? ナイト様の真の野望――つまりは、人間界に魔界、それらを含めたこの世に現存するありとあらゆる世界すべてを、くまなく手中に収め支配しようという壮大な夢を抱いていらっしゃるのでしょう? そうですわよね、こんなちっぽけな世界一つを滅ぼしたところで満足していては、男が廃るというもの! そんな真の覇者たる勇猛果敢な男心を察することができないなんて、妻として失格ですわっっ!! ああ、何ということでしょう! ナイト様の器の大きさを見誤るだなんて、悔やんでも悔やみきれません! 目先のウザい羽虫にかまけて、真の目的に気づかなかった愚かな女をどうかお許しくださいませ、ナイト様っ!」

「――…ええと、まずはどこから訂正すればいいのかな…?」

 潤んだ目でしなをつくりながら訴えられても、こちらは戸惑うしかない。

(…まあ、僕を魔王にするとか言ってた時点から、すでにおかしいんだけど)

 まさか、人間界を含む異世界すべてを支配しようと企んでいるなんて濡れ衣を着せられるとは思いもしなかった。というか、一体、どこでそういう話になったのか、皆目見当もつかない。

(……と、とりあえず、ラビィさんのことはもう怒ってないっぽいから、その点はいいのかな?)

 ただ、魔界制圧にとどまらず、人間界にまで乗り込んできそうなこの勢いは問題だ。メアの性格からして、本気でいろいろとやらかしそうなだけに、恐ろしい。

(…でも、魔王を倒すとか言ってるわりに、あんまりそれっぽいことしてないから、言ってるだけなのかも)

 妄想少女にありがちな、空想だけで満足するタイプなのかもしれない。もっとも、ラビィを始めとした、彼女をよく知る人々の反応からすると、有言実行型なのは明白だが――七糸がやめてほしいといえば、すんなり従ってくれそうな気もする。

「あー、その、メア。怒ってないから、とりあえず、ラビィさんへのお仕置きはやめてくれるよね?」

 七糸が確認すると、彼女はにっこりと貴族令嬢らしい上品な笑顔で頷いた。

「ええ、もちろんですわ。今や、私にとってのラヴィアスは、虫ケラ同然の存在。虫如きがどこをどう飛び回ろうと知ったことではありませんわ」

「――その解釈もどうかと思うけど…今のところは、それでいいや」

 ラビィに危害が及ばないのならば、とりあえずは平和だからよしとしよう。

「それで、話は戻るんだけど、引きこもってるラビィさんを外に出すには、どうすればいいと思う?」

 なるべく穏やかな声音で話題を振ると、彼女はにっこりと微笑んだまま、形のいい唇を動かせた。

「あら、虫を追い出す方法なんて、簡単ですわ。殺虫用の毒でも振りまけばよろしいのではなくて?」

「……いや、そういう過激なのじゃなくて。もっとこう、穏便にいきたいんだけど」

「穏便に、ですの? そうですわね。ならば――手紙などはどうでしょう?」

「え、手紙?」

 メアの発案にしては、不自然なほど穏便な手段に、七糸が素直に感心する。

「そっか! 声をかけても駄目だけど、文章でなら、返事くれるかもしれないもんね。すごいよ、メア。そんな手段を思いつくなんて、さすが、女の子だよね! 僕なんか、最悪、拳で語り合わなくちゃいけないかと思ったよ」

「? 拳で語り合う、とはどういうことですの?」

 どうやら、こちらの世界では通用しない話らしい。

 七糸は、なるべくメアにわかりやすいように噛み砕いて説明した。

「僕の世界じゃ、男同士で話し合うとき、言葉じゃなくて拳で語り合うっていうのがあってね。一見すると喧嘩っぽく見えるかもしれないけど、分かり合えない二人が死力を尽くして戦った末に突如、友情が芽生えるんだ。『お前、なかなかやるじゃねえか!』『ふっ、お前こそ、いい根性してやがるぜ。俺相手にここまでやるなんてな。見直したぜ!』ってな感じで、仲良くなっちゃったりするんだよ! 実は、憧れてたんだよね、そういうの」

「…随分と陳腐な話に聞こえますけれど、ナイト様が素晴らしいと仰るのならば、そうなのでしょうね」

 どうも、女の子にはわかりにくかったらしい。

 ちょっとテンションの上がりかけていた自分を恥じつつ、七糸は咳払いをした。

「こほん。まあ、それは最終手段――っていうか、竜のラビィさん相手にそんなのは無理なわけだから、置いといて。手紙を書くのはいいけど、僕、まだ、こっちの世界の文字に詳しくないんだよね。簡単な文章なら、メアに教えてもらったおかげで、読むことはできるんだけど――書くとなると、かなり大変かも」

 メアがこちらの世界の本を教科書代わりにいろいろと教えてくれるので、子供――幼児が読むレベルの本なら、何とか読めるようにはなった。しかし、書くとなると、読むことよりも難易度が高く、今の自分にはどう考えても無理そうだ。

 すると、そんな七糸の様子を見たメアがさりげなく気を利かせた。

「大丈夫ですわ、ナイト様。私が手取り足取り教えて差し上げますから、お悩みになる必要なんてありませんわ」

「え、いいの? じゃあ、お願いしようかな」

 ほっとしてメアを見つめると、彼女は実にいい笑顔を浮かべた。

「ええ、快く承りましたわ。ナイト様。うふふ」

 そう言ったメアは無邪気そのもので――だからこそ、七糸は失念していた。彼女が何の企みもなく、善意で動くようなタイプではないということを。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ