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第三話・其の二

        《 第三話・其の二 》



「ラヴィアス様〜っ!」

 振り返ると、一人の少女が青い三つ編みを揺らしながらやってくるのが見えた。メイドのリシリーだ。

『! ありゃ、メア様の手先じゃねーッスか! それじゃ、ラビィの兄貴。おいらは、行くッスよ!』

 コルカは、慌てたように早口で言って、文字通り、姿を消した。とはいえ、気配は感じられるので、視認できないだけで傍にいることがわかる。

 一方、リシリーは、ラビィの前に辿り着くなり、ふくよかな胸を上下させながら呼吸を整えた。よほど急いで走ってきたらしい。白い頬はピンク色に火照り、額にはきらきらと爽やかな汗が滲んでいた。

「はあ、はあ。久しぶりに全力疾走すると、本当に疲れますね。ふう、ふう。はあ、ちょっと落ち着きました」

「それはよかった、が…何なのだ、そんなに急いで。私に急用でもあるのか?」

 その問いに、リシリーはにんまりと微笑んだ。

「うふふ、そうですわ。ラヴィアス様にしかお願いできない、とーんでもなく大事な用件がありまして」

 言ってから、きょろりと周囲を見渡す。

「それにしても、こんな寂しいところで、お一人で何をなさって――はっ! ま、まさか、ナイト様への叶わぬ恋に絶望して湖に身投げを!?」

 さっと青ざめるリシリーの瞳に、濃い同情の色が浮かんだ。哀れな家畜でも見るような眼差しで、こちらを見つめ、

「ラヴィアス様っ! 早まる前に、何故、相談してくださらなかったのですか!? しかも、よりによって水死だなんて! ぶくぶくのぐちょぐちょに膨れ上がって死んだ男の後始末をする私たちがどれだけ大変か、考えて死んでくださいっ!」

「勝手に私を殺すなっ! というか、それ以前に、リシリー。叶わぬ恋だの何だのと――何度も言うようだが、私は、ナイト殿のことをそういう意味で慕っているわけではないのだ。単に、ナイト殿にお仕えする一騎士として付き従っているというだけで」

 呆れるラビィを無視して、恋バナ命のメイド娘は、うっとりと夢見る乙女の顔になった。スミレ色の瞳を不自然なほどきらめかせながら、

「わかります、わかりますわ、ラヴィアス様! いくら叶わないとはいえ、一度始まった恋の旅路を自ら妨げるなんて、愚の骨頂! 死ぬ気になれば、どんなことも可能になるに違いありませんものっ! ひょっとすると、天地が引っ繰り返ってナイト様のお気持ちが変わるということもありますしね。その起こるかどうかわからない、いいえ、むしろ起こらないであろう奇跡を信じて健気に生きるラヴィアス様のお姿は、まさに、我々メイドの日々の心の支えです!」

「? 心の支えとは、どういうことだ?」

 口内に苦いものを感じつつ訊くと、リシリーは極上の笑みを浮かべ、悪意の欠片もなく告げた。

「どうもこうもありませんわ。恋愛は女の嗜みと言いますでしょう? それに加え、我々メイドは、人をお助けするのが仕事。たとえ、それが他人の恋路であっても変わりません。私たちは、いつだってラヴィアス様にエールを送ってますよ。その無駄な足掻きも無様な御姿も、恋愛が絡めば何だって素敵に見えるものです」

「――無駄で無様って…いや、だから、私は別にナイト殿とは何もないと言っているだろうが。少しは冷静になって、人の話を聞けないのか?」

 疲れたように訴えるが、やはり、脳ミソ花畑の彼女は何も聞いちゃいない。

「ああ、恋って何て素敵なのでしょう! 見ているだけで、こちらまで心が熱くなりますっ! 私もこんなふうに、恋い焦がれ、愛し愛されたうえに、玉の輿に乗って幸せになりたいものですわ!」

 玉の輿、という部分を強調し、艶やかな流し目を仕掛けてくるリシリーは、どこまでも貪欲で率直だった。ここまで明け透けだと清々しくすらある。

「……せめて、本音を隠す努力をしたらどうだ、リシリー?」

 もしも、玉の輿が素敵な恋愛の末に訪れる幸せに必要なのだとしたら、何ともせちがらい世の中だ。

 苦い表情になるラビィに気づかず、彼女はうっとりとした瞳で言う。

「というわけで、ラヴィアス様。ご傷心の際は、いつでも私をご指名くださいね? 誠心誠意、ありとあらゆる手段をもって尽くして差し上げますから」

 甘い声で囁くリシリーの瞳には、打算と欲望が渦巻いている。

「――根本的に思い違いをしているようだが、私は一族から離反した身。玉の輿を期待したところで無駄だと思うぞ?」

 確かに、実家は貴族で、それなりに権威も地位もあるほうだが、それは今の自分とは関係ない。むしろ、それらすべてを手放した状態なので、身一つでこの屋敷に雇われている、使用人と何ら変わらない。

 ラビィが冷静にリシリーの思い込みを正してやると、彼女は、にっこりと微笑んだ。何となく、背筋の寒くなるような笑みだった。

「あら、たとえ実家の権力がなくとも、ラヴィアス様が騎士であることは事実。騎士として存在している以上、貴族という地位は付きまといますもの。よって、ラヴィアス様は、好みの女を好きなだけ娶り、酒池肉林を楽しめるわけです。よかったですね、男のロマンを恥じることなく貫けるお立場で」

「――…それは騎士というより、下劣な成金のやることだろう」

 彼女は、おっとりとした容姿に似合わぬ直接的な物言いをするので反応に困る。ただ、玉の輿を狙うメイドのなかでもサバサバした性格なので、多少大胆な発言をしても受け流せるぶん、まだマシなのかもしれないが。

「あら、成金だろうが何だろうが、権力と経済力は男には必要だと思いますよ? ほら、考えてもみてください。男なんて、女を満足させるだけの甲斐性がなければ無価値な生物じゃないですか。つまり、金と権力。それこそが、男の価値を計る一番わかりやすい物差しなんです。口先だけで幸せにするだなんて妄言を吐かれても、何の保証もない言葉を鵜呑みにする馬鹿な女はいません。その点、ラヴィアス様は、せっかく高い身分と能力をお持ちなんですから、それらを最大限に活用しないと、人生、損しますよ?」

「……損って」

 騎士になったのは、別に女遊びをしたいわけでもなければ、モテたいわけでもない。むしろ、崇高な使命を与えられた職業のはずなのに、メイドたちにとっては、ただの貴族の嗜み、もしくは好き放題に女を囲うため、くらいにしか思われていないようだ。

「――お前たちの思い描く騎士像はよくわかった。よくわかったから、とりあえず、私への急用とやらを教えてくれないか?」

 これ以上、騎士イコール玉の輿説を展開されても面倒なだけなので、話を元に戻すことにする。

 リシリーは、ああそうでしたと手を打ち、再び、にんまりと笑った。

「実はですね。来月、私の妹が結婚することになりまして」

「ほう、それはめでたい話だな」

「はい。それで、我が一族の風習にのっとり、花嫁の身内が花嫁衣装をつくることになりまして、なんと、私がその重大な役を受け持つことになったんです。ふふ、こう見えても、私、裁縫に関しては、プロの仕立て屋並みの腕前だと自負しているくらいですからね。もちろん、その出来映えには自信があるんですけど――ただ、男性から見てどう思うかという点に関しては、よくわからなくて」

「ふむ。つまり、男の目から見て、そのドレスをどう思うか知りたいということか?」

「はい。一応、ナイト様のお墨付きは得たんですが、新郎と年齢の近いラヴィアス様のご意見もお聞きしてみたらどうかという話になりまして、お捜ししていたんですよ」

「――まあ、用件は理解したが……何故、そんなににやついているのだ? 何か、よからぬことを企んでいるのではないだろうな?」

 さっきから、彼女の顔は不自然なほどにやついている。妹の結婚が嬉しいのはわかるが、それにしては、何かを企んでいるようにも思える。

 訝しむラビィの視線に、リシリーは慌てて表情を引き締めた。

「べ、別に、にやついてなんていませんよ。というか、ラヴィアス様。女性の事情を詮索するような発言は、騎士としてどうかと思います。品格が問われますよ?」

「! そ、それもそうだな。すまない」

 確かに、女性の笑顔を汚すような発言は、よくない。男としての器の小ささを自らさらすようなものだ。反省しなくては。

 即座に謝るラビィの素直すぎる反応に、ちょっとばかり後ろめたいような目つきになったリシリーは、そっと背を向けた。

「…それでは、参りましょうか、ラヴィアス様。是非とも、忌憚のないご意見を聞かせてくださいましね?」

「あ、ああ、わかった」

 そう答えたものの、女性のドレス、しかも、婚儀用という特殊な衣装に対して、的確なアドバイスや評価ができるかどうか自信はない。

 しかし、頼られた以上、その期待に応えるのが騎士の務めだ。自信がないから、なんてくだらない理由で断れるわけがない。

(…ドレスの批評などしたことはないが、社交の場には出たことがあるからな)

 貴族の集まりの場で、幾度となく令嬢のドレス自慢に付き合わされた経験から、ちょっとした知識くらいならある。ただ、ひたすら煌びやかさと派手さを追求したものがほとんどで、正直、ラビィの好みとは程遠かったため、褒め言葉を考えるのに必死になった記憶しかないのだが。

「…ん?」

 リシリーに導かれて屋敷内へ戻り、広い廊下を歩いていると、七糸の部屋の前――元・大広間へと続く両開きの扉の前で、複数の男たちが具合悪そうに座り込んでいるのが見えた。

「ん? 一体、どうしたというのだ?」

「ああ、あれですか? あれは――…空気を読めない、哀れな男たちの末路ですわ。メア様のお仕置きを受けて、少々、グロッキーになっているようですけれど、生命に別条はありませんから、心配は無用です」

「――いや、そういうことを訊きたいわけではないのだが」

 問題は、廊下にいる連中が、七糸付きの侍従連中だということだ。

「…そういえば、キルトバの姿が見えないな」

 見たところ、侍従たちの姿は見えるが、侍従長であるキルトバがどこにもいない。きょろきょろ周囲を見回していると、リシリーを取り巻く空気が一瞬、温度を失った。

「…ああ、キルトバ様ですか。キルトバ様は――ふう、ちょっと別の場所で頭を冷やしておいでですわ」

「頭を冷やす?」

 一体、七糸の私室で何があったのか。何とも嫌な予感がする。

「さ、ラヴィアス様、どうぞこちらへ」

 リシリーに促され、心なしかズシリと重くなった足を前に出そうとするラビィに、侍従の一人が気づいた。

「! た、隊長っっ! ここは危険です! どうかお逃げになってくださいっっ!!」

 悲痛な声に、リシリーがきょとんとする。

「…隊長? ラヴィアス様、いつの間に彼らの隊長になられたんですか?」

「いや、なった覚えはないのだがな」

 侍従連中は、何をどう勘違いしたのか、ある日を境にラビィのことを隊長と呼ぶようになった。理由を聞くと、彼らは口を揃えてこう言った。

『――我らが慈愛の女神・ナイト様を愛で、慕う者として、尊敬しています!』

 どうやら、侍従連中は、侍従長であるキルトバも含めて、みんなして七糸を気に入っているらしかった。使用人にとって、主は絶対的な支配者ではあるが、七糸のように気さくで優しい主は稀有といえる。そのうえ、あのメアを懐柔し、なおかつ、見るものをほんわかとした気分にさせる無邪気な笑顔ときたら。邪心渦巻くこの世界においては、まさに、一筋の希望の光、女神の如き後光を感じてもおかしくはない。

 そんな七糸を見守りつつ愛でることが、彼らの唯一の楽しみであり、誇りだった。そんなところへ、例の根も葉もないラビィの噂が広まり、彼らはとんでもないことを言い始めたのだ。

『メア様の報復を恐れず、死をも覚悟して、主であるナイト様に愛を打ち明けるとは、何と勇気がいることでしょう! その男気に、我々は敬服を禁じ得ません! よって、我ら、ナイト様を想う会を統べる隊長として、我々を導いて頂きたいのです!!』

 もちろん、当然ながら、丁重に断った。しかし、それ以後も執拗に求められ、今度は、多少厳しい口調で拒絶すると、彼らは何を思ったのか、こちらの承認を得ないまま、勝手にラビィを隊長に祭り上げてしまった。それ以来、何を言おうが、どう拒もうが、彼らはラビィを隊長と呼び慕うようになった。

 その辺りの事情をリシリーに説明してやると、彼女は、心底同情するように眉を寄せ、

「あら、それは面白…じゃなくて、災難でしたね」

「……今、面白いと言いかけなかったか?」

「いえ、言ってませんよ、単なる聞き違いでしょう。さ、ラヴィアス様。とりあえず、お部屋に」

 リシリーがノックをしようと扉に近づくと、その細い足首を侍従の一人がつかんだ。というよりは、しがみついたと言ったほうが正しいだろうか。

「隊長! 今のうちです、早くお逃げください! ここから先は、戦場ですっ!! いいえ、むしろ、死地です!! いくら隊長とはいえ、生きて帰れる保証はありません!! 隊長だけでも、どうか無事に逃げのびて我らの無念を晴らしてくださいっっ!!」

「……死地って…ただのナイト殿の部屋じゃないのか、ここは?」

 確かに、扉の向こうにはメアの気配があるので、どうせろくな展開が待っていないであろうことは容易に想像がつくが――七糸の気配もあるので、さすがに殺されるような目には遭わないだろう。何より、呼ばれている以上、騎士としてその命令に背くわけにはいかない。もっとも、それが七糸のお願いなのか、メアの指示なのかはわからないが。

「隊長っっ! 早く、ここから避難をっ!」

「迷っている暇はありません!」

「急いでください、隊長っっ!」

「隊長っっ!!」

 周囲から湧き上がる不安を煽るような言葉の嵐に揉まれ、ラビィの心が怯む。

「い、一体、この扉の先で何が行われているというのだ!?」

 びくびくし始めるラビィの様子に、リシリーが微笑む。

「大丈夫ですわ。ラヴィアス様ならば、きっとやり遂げられると信じています」

「! や、やり遂げる、だと? わ、私に何をさせるつもりだ!?」

「うふふ、そんなに怖がらないでくださいな。何も、取って食おうなんて思ってませんから。ただ、そうですね…」

 彼女は、足にしがみつく侍従に凍りつきそうな視線を送り、

「――…無遠慮に、何の許可もなく女の脚に抱きつくような無礼極まりない男には、それなりの罰が下されるべきだと思いますけど、ラヴィアス様が紳士ならば、何も恐れることはございませんわ」

 言うなり、冷徹な笑顔で足元の侍従に吐き捨てる。

「それにしても、いきなり女性に触れるだなんて礼儀がなってませんね。躾のなっていないクズ男に生きる価値は皆無と知りなさい」

 メイドの笑顔が消え、スミレ色の瞳がきゅっと細くなる。その全身から、静かな殺気が立ちのぼり、どこからともなくシュルシュルと小さな音が聞こえてきた。何の音かと思い彼女のほうを窺うと、青い三つ編みが解けていくのが見えた。それも、自動的に。そして、解けた髪が恐るべき速さで足首をつかんでいる侍従目がけて伸びていったかと思うと、あっという間に全身を覆い尽くした。その様は、巨大な青い繭みたいで美しく見えるが――実際には、呑気に鑑賞しているような場合ではないことをラビィは知っていた。

「! やめろ、リシリー! やりすぎだ!」

 ラビィの放った制止の声に、彼女の髪がぴくりと動いた。そして、シュルシュルと糸を巻き戻すように動いて元の三つ編みに戻る。

「あら、私としたことが、ちょっとやりすぎちゃいましたね。てへっ」

 リシリーは、可愛く微笑み、足元に転がる侍従を見やった。リシリーの髪に襲われた侍従は気絶しており、恐ろしいことに、その髪や服の一部が微妙に溶けていた。

「……笑ってすませていいことと悪いことがあると思うぞ…」

 彼女は、髪喰い族といういわくつきの一族の血を引いている。美しく艶やかな青い髪は、標的と判断した者を捕まえると、繭状になって目標物を包み込み、内部のモノを数十秒で溶かし尽くす。つまり、髪は、彼女の第二の口であり、胃でもあるわけだ。

 その異様な食事方法を目撃した侍従たちは、すっかり怯えきり、口を閉ざしてしまった。

「とりあえず、静かになったようですし、結果オーライですね。さあ、参りましょうか」

 物騒な笑顔を浮かべて、リシリーが促す。ノックをしようとドアに手を伸ばした細い背中に、ラビィが小さく声を投げた。

「――そ、その前に確認しておきたいのだが……本当に、ドレスの批評をすればいいだけなのだろうな?」

 侍従たちの尋常ではない様子に、リシリーの意味ありげな笑顔。ドア越しからでもひしひしと感じる、メアのよからぬ気配。そのどれもが、不幸の前兆としか思えない。もしかすると、予想以上の災難が待っているのではなかろうか。それこそ、生命の危機に繋がるような事態が。

 逃げ腰になりかけているラビィの様子に、リシリーは薄く微笑んだまま頷いた。

「はい、もちろん、ドレスの批評だけですよ? 最初から、そうお願いしてるじゃありませんか」

「――とか言いつつ、何故、私の腕をつかむのだ?」

 彼女の右手は、ノックのためにドアに向けられ、残る左手は、がっしりとラビィの腕をつかんでいる。逃がさないぞと言いたげに。

「あら、深い意味はありませんよ。ただ、メア様に絶対連れて来いと申しつけられているもので――…逃げられたら、本当に困りますし」

「に、逃げたくなるようなことをするつもりなのかっ!?」

 びくりとするラビィを無視して、彼女は上品にノックをした。

 コン、コン――。

「失礼致します、メア様。ラヴィアス様をお連れ致しました」

 リシリーの畏まった声に応じ、メアの声が響く。

「お入りなさい」

 思ったよりも落ち着いた口調に、ちょっとだけ警戒心が解ける。これまでの付き合いから、メアが悪巧みをしているときは、たいてい、いつもよりも声が高くなっているか、低くなっているからだ。今の声は、七糸と一緒にいるときの声音――つまりは、これといって悪事を働かないときの声だ。もっとも、七糸に気づかれない範囲で何か仕掛けてくる可能性もあるわけだが――…。

 ドアが開放され、半ば、リシリーに押されるようにして室内へと入る。いつもと変わらない、圧倒的に広すぎる七糸の私室。その奥に広がるバルコニーから流れ込んだ柔らかな風が、カーテンやテーブルクロス、服の裾をかすかに靡かせる。

「随分と時間がかかったこと」

 メアの声は、そう遠くないところから聞こえた。

 見やれば、ドアのすぐ傍に立っている。もしかすると、かなり前から待っていたのかもしれない。コツコツと、紅い靴のつま先で床を叩いている。

「メア様、大変申し訳ありません」

 リシリーがメイドらしい畏まった声でいい、頭を垂れる。メアは、それを一瞥して小さく吐息したものの、さほど怒っている気配はない。

「本当に遅かったわね。まあ、いいわ。一応、言いつけは守ったようだし」

 そう言いながら、青紫色の髪を揺らしてバルコニーへと向かう。

(……? いつもと様子が違うな)

 いつもの彼女なら、気に入らないことがあれば、ネチネチとイジメ倒すのだが、今日はやけにあっさりしている。

(……おとなしすぎて、不気味だな…)

 メアが温厚そうに見えるときは、決まって、七糸が傍にいる。さりげなく広い室内を目で探ってみたが、どういうわけか七糸の姿は見えない。気配を感じるので、近くにいることは確かなのだが――一体、どこにいるのだろうか?

 さりげなく七糸の居場所を探っていると、急にメアが振り返った。

「ところで、そこの駄竜。呼ばれた理由は聞いているわね?」

「! あ、ああ。リシリーのつくった婚儀用のドレスについて感想を述べればいいのだろう?」

 いい加減、駄竜呼ばわりも慣れてきて、反射的に普通に返事をしてしまう。

 何となく気圧されながら答えるラビィに、メアは、何故かにっこりと微笑みかけてきた。リシリー同様、胡散くさくて背筋が寒くなるような、何とも嫌な微笑みだった。

「ええ、そうね。ドレスの批評。それだけよ」

「………その割には、裏がありそうな言いかただな」

 警戒心に満ちた声で訊くと、彼女は、わざとらしく悲しげな表情を浮かべた。

「あら、随分な物言いだこと。女の言葉を疑うのも事情を探るのも、騎士のやることではないのではなくて? ――まあ、侍従どもの体たらくを思えば、それも無理はないけれど」

 言って、視線を閉じたドアに向ける。

「あの者たちには、再教育が必要ね。あれ如きで取り乱されては、ナイト様をお守りする者としては不十分すぎるもの。まあ、今回は、それがわかっただけよかった、というべきかしら?」

 再教育、という不穏な響きに悪寒が走る。

「――一体、連中に何をした? あれは、ただごとではなかったぞ?」

 怖々訊ねるラビィに、メアが物憂げに睫毛を揺らした。

「あら、私は何もしていないわ。ただ、的確にドレスの批評をしなさいと言っただけ。それなのに、あのクズどもときたら、聞いてもいないことをペラペラと――…おかげで、ナイト様がすっかり落ち込んでしまわれて……だから、ちょっと、懲らしめてあげただけ。いわば、再教育前のちょっとした訓練といったところかしら?」

「……く、訓練だと?」

 他者の心をポッキリと折り、精神的にいたぶることは、訓練と呼んでいいのだろうか。否、駄目だろう、どう考えても。教育にしろ訓練にしろ、人道的にいかなくては…。

 しかし、今は、それ以上に気になることが一つ。

「…そういえば、ナイト殿はどこにいるのだ? 姿が見えないようだが…」

 ラビィの問いに、メアは勝ち気な瞳をわずかに曇らせた。

「――ナイト様は、バルコニーの隅ですっかり塞ぎ込んでいらっしゃるわ。私やメイドたちがどんなに慰めても、落ち込まれたままで――ああ、なんて、お可哀想なナイト様! 信頼していた侍従たちからの侮辱の数々に耐えきれず、いじけてしまわれて! でも、そんな丸まった背中すら愛らしくかつ凛々しいなんて、どこまでも罪な御方!」

「……ま、待て。侍従たちがナイト殿を侮辱するだなんて、万が一にも考えられない。とりあえず、何があったのか、最初から説明してくれないか?」

 彼らは、心の底から七糸を崇拝しているので、悪口に繋がるようなことは絶対に言わないはずだ。ということは、そんな誤解を生むような事態が起きた、と見るべきだろう。

 しかし、たかがドレスの批評くらいで、何故、そんな事態になったのか。

 疑惑と不安を抱えたラビィを一瞥したメアは、バルコニーと部屋を区切る位置に立ち、ちょいちょいと手招きした。

「?」

 ラビィが近づくと、彼女はバルコニーの端っこにうずくまる白い物体を指差した。

「…ナイト様は、一時間ほど前からシーツに包まり、ああして引きこもっていらっしゃるの。白饅頭みたいなお姿も、何て微笑ましい……じゃないわ、痛ましいのかしら!」

「――…失礼だが、メア様は本気で心配しているのか?」

 何となく、現状を楽しんでいるような発言が気になる。

 メアは、ラビィのうろんな眼差しに咳払いをして、やや浮かれた口調を真面目なものに切り替えた。

「当然でしょう? 私の心は、常にナイト様のことで満たされているのよ。そんな私が考え抜いた結果、女には到底理解不能な男心を把握できるのは、同じ男しかいないという結論に達したの。というわけで、ラヴィアス。貴方が、この状況を何とかなさい。失敗したら――背中の鱗を残らず剥ぎ取って売り飛ばしてあげるから、安心して逝くがいいわ」

「ま、待て待て! おかしいだろう、それは! 何故、事情も何も知らない私がそんな痛ましい目に遭わされなければならんのだ!? そもそも、ドレスの批評をすればいいという話で、何故、ナイト殿があんな姿になっているのかを詳しく説明するのが先だろうが!」

 白い布を身に纏い、ちょこんと頭の一部が見えているだけの小さな背中を見つめながら訊く。そんなラビィの疑問に応えたのは、いつの間にかラビィの隣から七糸の様子を窺っていたリシリーだった。

「…それがですね、話は、結婚が決まった私の妹の身長と体型がナイト様にドンピシャだったため、無礼を承知でウエディングドレスの試着をお願いしたところから始まります。もちろん、最初は断られちゃいましたけど、他の人が無理なら仕方ないねって了承してくださって。それで、とりあえず、デザイン等の修正をしつつ、侍従連中に意見を求めたところ――彼らは、口を揃えて、称賛したわけです。それはもう、大絶賛の嵐でしたわ! ナイト様の愛らしさ、美しさを口々に言い募り、それはもう、大合唱のようでした!」

「――まあ、そうだろうな。彼らは、ナイト殿親衛隊を名乗ってるくらいだからな」

「いえ、それだけではありませんわ、ラヴィアス様!」

 リシリーが、ひどく真剣な顔つきで、鼻息荒く訴える。

「本気で! 冗談抜きで! 滅茶苦茶、似合ってたんです!! そりゃもう、女神かってくらい、抜群に可愛くて、綺麗で、他に褒めようがないくらいだったんです! 正直、このまま、私がお嫁に貰いたいくらいの出来映えで――…」

 言いながら、何を思い出したのか、リシリーの口元がだらしなくにやける。当然ながら、それを聞いたメアがイラッとして牽制した。

「…リシリー。いくらナイト様が魅力的すぎるとはいえ、身分をわきまえることね」

「! も、申し訳ありません、メア様!」

 リシリーが恐縮して、慌てて口をつぐむ。

 それを確認して、黙ったメイドの代わりにメアが話を続ける。

「――そういうわけで、男としてのナイト様はすっかり自信をなくしてしまわれたのよ。同じ男同士、仲間だと思っていた相手に女扱いされて、よほどショックだったのでしょうね。ああ、何て、お可哀想なのかしら!」

「…ま、まあ、それはそうだろうな」

 何故か、罪悪感に似た感情が胸の奥でじりじりと疼き出す。

 正直なところ、侍従たちの気持ちもわからないではない。

 七糸は、メアに比べれば地味で目立たないが、ごく普通に可愛らしい顔立ちをしている。身長もメアよりも低いくらいで、全体的に小柄で小動物めいた印象があるのだ。誰しも、自分よりも無力で小さく、愛らしい生き物を前にしたら、本能的に守ってあげたくなるものだ。その理屈でいけば、この魔界において、七糸は、まさに最上級の庇護対象といえる。

(…しかし、ナイト殿の気持ちもわかるといえばわかる…)

 ラビィ自身、男のくせに頼りないとかメンタルが弱いとか指摘されるたびに、心を傷つけられてきたのだ。自分の思い描く理想の男性像と、現実の自分との違いを突きつけられたとき、男というイキモノは最も傷つくのかもしれない。

 ましてや、七糸の場合、問題発言をしたのは、侍従たち。自分の傍にいて、仲の良かった男連中に負わされた心の傷は、かなり深いと思われる。

(…かといって、慰めろと言われても、何をどう言えばいいのか)

 こういうとき、口がうまければどんなにいいか。嘘も方便、本音と違うことをさも真実のように語れたら、もっと上手に世渡りできるに違いない。

 だが、残念ながら、ラビィには、その手の才能は皆無だった。

 七糸に対して、男というよりも女性的要素の強い人間だと認識してしまっている以上、傷心の彼を癒すだけの言葉を持ち合わせていない。

 そんなラビィの心を読んだらしいメアが、横から思考に割って入る。

「ちょっと、そこの自称騎士のヘタレ駄竜」

「……じ、自称騎士…」

 新たな侮蔑用語が追加された。

 メアは、何が気に入らないのか、愛らしい顔に満面の笑顔と悪意を乗せて囁く。

「…忠告しておくけれど、ナイト様に邪な感情を抱いたが最後、その軽い頭を操作して、史上最悪のオカマ騎士に変身させてあげるから覚悟しておくことね」

「! だ、断じて、天地神明に誓って、邪な感情など持っていないからな!?」

 唐突に、脳裏にオカマ言葉で喋る自分の悲壮な姿が思い浮かんだ。それは、死ぬよりも辛い光景だった。

 慌てて頭を振って嫌な映像を振り払ったラビィは、改めて七糸の様子を窺った。

「――しかし、それにしても……何故、あんな隅っこで縮こまっているのだ?」

 女の格好が嫌なら、さっさと着替えてしまえばすむ話ではないか。

 そう考えて、ふと、あることに思い至る。

 もしかすると、一人では着脱の難しいデザインなのではないだろうか、と。だとすれば、脱ぐためには人の手を借りなければならないが、落ち込んでいる今の心理状況では誰かに着替えを手伝ってもらう気分になれず、ああやって塞ぎ込んでいるのかもしれない。

 一応、念のため、その辺りの事情を探ってみることにした。

「…リシリー。ちなみに、そのドレスとやらは、どんな代物なのだ?」

「え? そうですね、ごく普通のウエディングドレスなんですが、ただ、婚儀用に、私たちの一族に伝わる伝統の細工を施して――あっ!」

 何を思い出したのか、リシリーが言葉を失う。

「どうかしたの、リシリー?」

 メアの問いに、彼女は青ざめた顔でメアに近づき、何やら耳打ちした。それを聞いたメアが、妙に納得のいった顔つきで頷く。

「…そう、そういうことね。わかったわ」

「? 何がわかったというのだ?」

 一人、蚊帳の外のラビィが訊くと、メアが気難しく眉を寄せた。

「――たった今、とてつもなく重大な問題が発覚したわ。リシリー、説明を」

「はい」

 リシリーは、何故か、その場に正座して、項垂れながら話し始めた。

「…私たち、髪喰い一族の女は、その――先ほど、ラヴィアス様がご覧になった通り、あるレベルまで感情が高ぶると、髪が伸び、目標物を捕食する習性があるのです。ですから、結婚自体、したがる相手がいません。だってほら、考えてもみてください。最悪、夫婦喧嘩が死の宣告になっちゃうかもしれないですからね。そこで、結婚を望む一族の女たちは、知恵を働かせ、とある特殊魔法を編み出したのです」

「――特殊魔法?」

「はい。いわゆる、その――媚薬効果のあるもので、その魔法陣を服や髪飾りの刺繍の一部として編み込み、発動させるのです。つまり、今回のケースでいうと、装着者であるナイト様を見た者すべてが、強制的に恋の虜にされてしまうのですわ」

「…び、媚薬、だと?」

 一気に、嫌な気配が周囲に漂い始める。

「うっかりしていましたわ。本来ならば、特定の相手だけに発動するように制限するのですけれど、誤って見た者すべてを魅了する仕様にしてしまったようなんです。このままですと、ナイト様が、手の届かないみんなのアイドルとして降臨! そして、魔界一の魔性の花嫁として、未来永劫語り継がれることになってしまいますわ!」

「――いや、問題はそこじゃないだろう」

 すっかり興奮しているリシリーを一瞥して、ラビィは思案顔のメアに話しかけた。

「…つまり、侍従たちの行きすぎた発言は、ドレスに施された魔法刺繍のせいということだな? それならば、早くナイト殿に事情を話して着替えてもらえばいいだけではないのか?」

「――ラヴィアス。ことはそう、簡単ではないのよ」

 彼女は言う。いつになく、深刻そうな声で。

「…今のナイト様を前にして平常心でいられる者は、そうそういないわ。この私ですら、あの神々しくも麗しく、なおかつ雄々しい姿に、惚れ惚れするばかりなのよ。心が奪われるとは、まさにこのことね!」

「メ、メア様ですら抗えないほどの魔法なのかっ!?」

 だったら、ラビィなんてひとたまりもない。一撃必殺! それこそ、確実に悩殺されてしまうに違いない。そんなことになったら――。

(……いくら、魔法のせいとはいっても、処刑対象になりかねない!)

 竜族の掟には、仕えるべき主に恋愛感情を抱いてはいけないというものがある。たとえ、魔法のせいとはいえ、破ってしまえば、即、断罪者に目をつけられてしまう。それは、一族を敵に回している今も例外ではない。ラビィが竜族である限り、不変のルールなのだ。何より恐ろしいのは、契約主への恋愛感情が竜の生命力と正気を奪うということ。もっとも、それは最悪の事態であって、魔法が原因ならば、そこまで重症化はしないだろうが――…。

(…いや、待て。コルカの言う通り、ナイト殿との契約が切れていた場合は、どうなるのだろうか?)

 主従契約が切れていた場合、万が一、相手に惚れてしまったとしても、これといった問題にはならない。しかし、それでも、七糸に惹かれること自体が、ラビィにとっては禁忌に等しい事柄だ。

 つまりは、契約していようがいまいが、七糸は誰よりも敬うべき相手だという認識は変わらないわけで、それはすなわち、媚薬魔法にかかった段階でラビィは騎士失格ということになる。

(――な、何てことだ!)

 傍若無人なメアに振り回され、七糸が来てからは人生を狂わされ、今度はメイドのせいで唯一の生き甲斐を奪われようとしているなんて――ついてないにも程がある!

 ややこしい事態に頭を悩ませていると、リシリーが憤然と立ち上がった。その勢いで、青い三つ編みが大きく揺れる。

「わ、私が行きます! これ以上、私のせいでナイト様を苦しめるわけにはいきません! ご安心ください! 何が何でも、問答無用でドレスを剥ぎ取ってみせますから!!」

「――は?」

 リシリーの過激な発言に、ぽかんとする。

 わざわざ剥ぎ取らずとも、事情を話して着替えてもらえばいいだけの話ではないのだろうか。いや、リシリーの施した媚薬効果のある魔法刺繍が思考能力を奪うほど強力だった場合のことを考えると、無理矢理剥ぎ取るくらいの意気込みがあったほうがいいのかもしれない。

 しかし、そうなったらなったで、七糸の心の傷が新たに一つ増えることになる。

 それも、メイド娘に服を剥ぎ取られるという、かなりひどいものが。

(…何て悲惨な――)

 もっと冷静になって考えれば、他の平和的な方法を思いつきそうなものだが…。

 そんなことを考えている間にも、リシリーは白饅頭のようにシーツに包まっている七糸を追いつめるようにして立ちはだかった。

 メイド服で仁王立ち、というのは、奇妙な迫力を生むものらしい。

 こっそりと様子を窺っているラビィにまで、ピリピリした緊張感が伝わってくる。

「さあ、ナイト様! そろそろ、お召替えのお時間です! さあ、お覚悟をっっ!」

 唐突に、声高らかに宣言したかと思うと、リシリーが組み手を始めるようなポーズでにじり寄る。とてもメイドには似つかわしくない格好だ。

 その喧嘩腰ともいえる姿に、七糸が悲鳴に似た声を上げる。

「えっ、ちょっ、リシリー!? な、何をする気っっ!?」

 ラビィたちからは見えないが、リシリーはよほど恐ろしい形相をしているのだろう。七糸がさらに隅っこに逃げるのが見えた。

 それを見やったリシリーは、じりじりとすり足で近づく。

「うふふ、大丈夫ですわ、そう恐れずとも、悪いようにはしませんから! さあ、ナイト様! こちらへいらしてください! はあはあ。な、何て強烈な、愛らしさなのっ? 急がなくては、こちらの正気がもたないわっっ! はあはあ」

「いやいや、全然大丈夫じゃないよねっ!? 呼吸とか目つきとかがヤバいんだけど!」

「そ、そんなことはありませんわ! はあはあ。さあ、ナイト様! 早くお着替えをして、この悪い夢から覚めましょう! はあはあ」

「ちょっ、な、何言ってんの? って、うわっ、涎! 涎出てるから!」

「あ、あら、申し訳ございません! じゅるり。あ、あまりにも、ナイト様がお可愛らしく、美味しそうで、つい――」

「!! こ、怖いこと言わないでくれるかなっ!? っていうか、落ち着いてっっ!」

 落ち着いてますわ、と答えるリシリーの声は上擦っていて、どう考えても興奮状態としか思えない。七糸が本気で怯えているのがビシバシ伝わってくる。

「……どう見ても、異常性癖のある変態親父が、いたいけな少女を追いつめているようにしか見えないな…」

 素直に見たままの感想を漏らすと、メアが珍しく同意してきた。

「…ええ。リシリー、あの子があそこまで質が悪いとは思わなかったわ。あとでお仕置きしなくてはね」

 物騒なことを呟きつつも、何故か、メアは七糸を助けに行こうとはしない。この状況なら、リシリーを刺し殺す勢いで飛んでいくはずなのに。

「――メア様は、助けに行かないのか?」

 訊いてみると、意外な反応が返ってきた。じっとりと白い肌に汗を滲ませ、

「…本当に厄介だわ、あの魔法刺繍! 正直、私ほどの精神力をもってしても、抗い難いものがあるものね」

「そ、そうなのか?」

「ええ。うっかり近づこうものなら、あれやこれや、十八禁どころか熟年マニア向けレベルのとんでもないことをしでかしてしまいそうだもの! ああ、でも、駄目っ! 駄目よ、メア! 今は、妄想だけに留めておくのよっっ!!」

「――…いや、妄想だけでも十分迷惑だろう」

 ラビィの見たところ、メアは七糸に夢中なようだが、七糸はそうでもない。むしろ、ただの女友達ぐらいにしか感じていないのではないかとすら思えてしまう。

 そんな相手に、妄想とはいえ、あれこれされるというのは、考えただけでも恐ろしい。

 しかし、すっかり妄想に取り憑かれているらしいメアの様子からして、まともな反応は期待できない。媚薬に頼らずとも骨抜き状態だったところへ、新たな惚れ効果が加わり、さすがのメアもどうしようもなくなったのだろう。

(……何か、いろいろとマズくはないか?)

 メアもリシリーも、じわじわと媚薬効果のせいで危険思想気味になってきている。リシリーに至っては、着替え云々よりも、むしろ、取って食いそうな勢いだ。

「! そ、そういえば、リシリーは」

 恐ろしいことを思い出した。

 彼女は、感情が高ぶりすぎると、相手を捕食する危険な種族の血を引いている。このままでは、七糸の生命にまで危険が及ぶのではないか。ラビィがその事実に気づいたとき、リシリーの三つ編みがゆっくりと解けていくのが見えた。その瞬間、

「危ないっ!」

 咄嗟に、身体が動いた。

 床を蹴る足に、さほど力は加わっていない――のに、まるで風に舞う羽根のように全身が軽い。ラビィは、突風の如き勢いのまま、リシリーの脇を抜けて、シーツごと七糸の身体を掻っ攫って空へ飛んだ。

 重力に逆らっているせいか、心なしか羽に感じる風が重い。

「――え、わ、わっ!?」

 突然の出来事に驚きつつも、七糸は、落ちないように慌ててラビィの首にしがみついた。

「! ラヴィアス様、邪魔をなさらないでください!」

 すっかり媚薬の虜になっているのか、上気した顔で怒鳴ったリシリーの髪が、猛烈な速さでラビィ目がけて伸びてきた。シュルシュルと風を切るようにして迫るそれは、もはや、女の髪などではない。硬質で獰猛な、生きた凶器だ。

 しかし、ラビィは慌てない。

「コルカ!」

『ったく、しゃーねーッスね!』

 相棒の名を呼ぶと、ぼやき声と共に小さな火の精霊が現れ、リシリーに向かってふうっと息を吹きかけた。すると、それは炎の息吹となって、猛烈な勢いで迫りくる髪を焼いた。

「っっ!」

 リシリーが忌々しげにこちらを見上げるのが見えた。しゅるしゅると、焦げて焼け落ちた毛先から強烈な臭いを放ちながらも元の長さまで髪が戻る。

 どうやら、リシリーを怪我させないようにコルカが火力調整してくれたらしい。それを視認してから、ラビィは羽を動かせて、とりあえずこの危険区域から離脱することに決めた。




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