《 第五・五話・其の三 》
《 第五・五話・其の三 》
(…仕掛けは、上々です)
ララリックは、にこりと微笑んだ。
大きな姿見に映る、新しく手に入れた自分の姿を見つめながら。
美しい銀色の髪に、白い耳と尻尾。顔立ちも、なかなか愛らしくて気に入っている。何より、この身体とは相性がいいらしく、とても動きやすい。
娘の名は、ミルバ・ソリティア。
それが、これから名乗ることになる新しい名前だ。
『ララリック様!』
ふと、背後から名前を呼ばれて、ララリックが振り返る。
そこには、きらきら輝く白い精霊の姿があった。
確か、名はキラ。水の精霊の子供で、氷を操ることができる。小さな彼も、今回の仕掛けの一人である。
彼には、竜族同士を争わせるために一役買ってもらった。無論、使い捨ての駒として。
『ララリック様! もう一度、偉大なる知恵をお貸しください! ライナとサーシャを助けたいのです! ボクは、一体、どうしたらいいですか?』
唐突な精霊の問いに、銀の髪に紛れた白い獣耳が揺れる。
どうやら、イレギュラーな事態が起きたらしい。
長い髪を手の甲で払い、ララリックは厳かに告げた。
「…竜族による抗争は、もはや、彼らだけの問題として片付けることはできないでしょう。何より、今回の件で、国も、いえ、世界中が気づいたはずです。この世から理なんてものは、とっくに消え失せているという事実に」
世界が壊れる、それはつまり、世界の常識が常識でなくなるということだ。
属性だの耐性だのといった優劣の基準は失われ、純粋に、魔力の高い者だけが勝者となれる世界に変化しつつある。それを証明したのが、竜族間での抗争だ。
闇の娘であり、破壊の申し子であるララリックは、誰よりも早く世界の理が壊れていることに気づいた。そして、それを利用して戦争を起こすことを思いついたのだ。
(――この精霊の子供に出会えたのは、幸運でした)
肉体を失い、深い眠りにつき――再び、目覚めたとき、ララリックの意識は、半分どこか遠くを彷徨っていて……そこで、キラに出会った。
精霊は、本来ならば悪鬼のように穢れた存在を拒む習性がある。しかし、世界の理が崩れてしまった今、それすらも正常に働かなくなっているようだった。
キラは、初めこそ警戒したが、優しく声をかけてやると、すぐに心を開いて悩みを打ち明けてきた。その話を聞いているうちに、ララリックの頭のなかに、ある計画が思い浮かんだ。
そして――迷うことなく、それを実行に移した。
まず、火精一族の子供を拐かして、水竜の住処――水の精霊の守護する地・雫の郷へと侵入させる。当然、火の精霊は冷気に耐えきれずに死んだが、次に別の火の精霊に近づき、水精一族が拐かして殺したのだと密告した。その際、キラの手を借りて、ちょっとばかり火の精霊たちを攻撃させて、話に信ぴょう性をもたせることも忘れなかった。
水精一族が、火精一族を淘汰しようとしている。
その噂は瞬く間に広がり、元来、喧嘩っ早い質の火の精霊たちは、疑いもせずに雫の郷を襲った。無論、水精一族の結界があることを前提に、威嚇程度の火炎を放ったつもりだったのだろう。しかし、それは、思わぬ大火となり、水竜一族の怒りを買うことになった。そして、報復を誓った水竜一族は、一丸となって焔の地を襲撃した。
表向きは、キラの望みに応え、ライナとサーシャを助けるためにそれ以外の火竜を殺すための作戦だったが、ララリックの狙いは別にあった。竜族は、他のどの種族よりも魔力も戦闘能力もずば抜けて高い。敵に回すと面倒な存在だから、今のうちに数を減らしておくに越したことはないと、そう判断したのだ。
(…メアの傍にいる四枚羽を始末できれば僥倖なのですが…)
ララリックの調査によれば、竜族のなかで一番厄介なのが、あの火竜の騎士だ。
潜在力を引き出す盟約の力を得つつあり、なおかつ、それを制御する術を持っている。万が一、本来の竜族の力を自在に引き出せるようになったら、面倒なことになる。
たとえば、メアともどもあの平和主義者な魔王と従者に合流し、これから起きるであろう世界戦争を鎮圧するようなことになれば――悪鬼たちは力を失い、ララリックは再びメアに封印されかねない事態に陥る。
そうなる前に、あの火竜の騎士には死んでもらわなければ困る。世界を巻き込んだ大戦争を起こす前に先手を打たれたら、たまったものではない。
幸い、ララリックには、あの男に関する情報があった。
憑依したこの娘の記憶によれば、あの男は、病的なまでに義理堅く真面目な男のようだ。
きっと、竜族の一件を聞きつけ、単身、駆けつけるに違いない。そうなったら、身体を奪い、殺してしまえばいい。いや、取り憑いて戦争に加担させるのも一興かもしれない。だが――あの聡明なメアのことだ。警戒して、一緒に来る可能性も捨てきれない。そうなったら、厄介だ。下手をすれば、こちらの企みに気づきかねない。
ならば、メアと竜族の男を引き離してしまえばいいのではないか。
そこで思いついたのは、国家権力を利用する案だった。無論、彼女が権力に屈することなどないが、あの律儀な男ならば、国からの呼び出しに応えないということは、まずあるまい。
そして、メアを別の場所へ誘い出し、戦争が終わるまで、安全な場所に幽閉する。それには、メアと親しい火竜の少女たちを利用するのが得策だろう。彼女の性格上、弱り切った竜族の娘たちを見殺しにするようなことはまずしない。そうなれば、メア一人をおびき出し、あの竜族の男を殺すことは難しくない。あの男がいなくなれば、異世界の娘の警備は手薄になり、身体を奪いやすくなる。それから、メアと合流し、あとは世界が滅ぶのを待てばいい。
(…けれど、それだけでは不十分です)
敵は、味方であるはずの悪鬼たちのなかにも存在している。ララリックの記憶がない間、彼らは自我を持ち、個人の考えを獲得していたのだ。基本的には王であるララリックに従うが、すべてがそうではない。なかには、自分が生き抜くために、世界を滅ぼされたら困ると考え、意図的に虚偽報告をする者もいる。もちろん、そんな偽りは王であるララリックには通用しない。しかし、そうとわかっていても、抗おうとする者は少なくないのだ。そんな裏切り者を始末しつつ、胸に秘めた企みを成功させるためには、慎重な下準備を行わなくてはいけない。
そうなると、優先順位が大事になってくる。一つずつ、やるべきことを確実にこなしていかなければ、足元をすくわれかねない事態に陥る。
そして、今は、竜族をターゲットとした作戦を実行している最中だ。ならば、あの四枚羽の男を始末することを目的に行動するのがいいだろう。
何とかして、戦争を苛烈に、かつ大規模なものに発展させるにはどうすればいいか。やりかたを間違えば、せっかくの作戦が台無しになる。
何か、使える要素はないか――…。
あの娘とメアを巻き込まないで大規模な戦争を起こす引き金となるものはないか。しばらく考えたララリックの脳裏に、パッと閃くものがあった。
盟約。
竜族のみに与えられた、狂気。暴力的なまでに凶悪な殺意に取り憑かれているとすればどうだろうか?
それならば、誰もが彼を敵だと見なす。どんな言葉にも誰も耳を貸さず、問答無用で殺すことを最優先にするはずだ。そして、当然ながら、竜族の男も抵抗するに違いない。四枚羽の力をもってすれば、かなりの被害が見込めるだろう。うまくすれば、竜族だけでなく国そのものを巻き込むことができるかもしれない。そうなれば、万々歳だ。
そうと決まれば、行動あるのみ。今、身体を借りているこの娘は、国王の腹心である高官の娘なのだ。そして、その父親は娘を盲目的に愛しているため、話を有利に進めやすい。
愛。
それは、尊く、愚かな感情。真実なんて簡単に目隠しできてしまう、ただの遮蔽物。
ミルバの姿を借りたララリックは、酷薄な笑みを浮かべて、キラに命じた。
「…キラ。貴方は、皆の前で、証言をするのです。今回の竜族の一件は、すべて、火竜一族の騎士・ラヴィアスにより水竜の郷が襲撃されたことに端を発する惨事なのだと。彼は、盟約により正気を失い、暴走している。このままでは、世界を焦土と化しかねない。早く討つべきだ、と。そう訴えるのです」
『……証言? それで、ライナとサーシャは救われるのですか?』
キラの問いに、ララリックは力強く頷いた。
「もちろんです。犯人が火竜の血を引く者である以上、火竜一族に責があります。たとえ、一族を離反した者であっても、何らかの形で責任を取ることになるでしょう。そうなれば、火竜一族は別の地に移り住まなくてはいけませんが――この世界に、彼らを受け入れる国など、もはや、存在しないでしょう。問答無用で相手を焼き払うような危険な血を引いた種族を、誰も歓迎しませんからね」
『…けど、それじゃあ、ライナたちが生きていけません』
心配げなキラの様子に、ララリックは優しい声音で囁いた。
「心配いりません。彼女たちの身は、私が責任をもって保護してあげましょう。これからは、何の苦労もなく、楽しい日々を過ごせるのです。貴方は、その手で、二人の友を救うのですよ。何と誇らしいことなのでしょう。彼女たちもきっと、心から貴方に感謝するに違いありません」
その甘い言葉に、キラは喜んだ。精霊であるキラは、基本的に純粋で、一度信じた相手には、猜疑心を持たない。だからこそ、自分が利用されていることに気づきもせずに、従うことを約束した。
これで、ライナとサーシャは幸せになれるのだと、そう信じて。
『わかりました、ララリック様。ボク、証言します。だから、ライナとサーシャを、あの意地悪な火竜たちから守ってください!』
「もちろんです。約束しましょう。この名にかけて」
ララリックは、祈るように静かに――しかし、どこか不穏な匂いを漂わせつつ、妖艶に微笑んだ。
(…誓いましょう、ララリックの名にかけて)
世界を破滅させ、親友のメアを不幸な運命から救い出すことを。
再び、二人で笑い合える日々を取り戻すことを。
ララリックは、自らの掲げる理想に酔い痴れたまま、二度と引き返すことのできない旅路へと足を踏み出したのだった。
《 第五・五話 完 》




