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第五話・其の六

      《 第五話・其の六 》



「――というわけで、これはもう必要ないわね」

 言うなり、メアは、ラビィが手にしていた火竜の長からの手紙を抜き取ると、びりびりと破り捨てた。

「……なっ! 何をするっ!?」

 ラビィが青ざめ、ひらひらと絨毯の上に散った小さな紙片を拾い集める。

 その様子を冷たく見下ろし、彼女は細い腰に手を当てた。

「――言ったでしょう? ナイト様をお守りしつつ、竜族の呪いを解くこと。それこそが、貴方に与えられた役目なのだと。そこに、竜族同士の抗争などというものは存在しないのよ」

「そ、それとこれとは話が別だろう!」

 確かに、七糸を守るには、彼の傍から離れるわけにはいかない。しかし、だからといって、かつての仲間を、友人を見捨てろというのは、道理に外れている。

「今となっては、私は一族と距離を置く身ではあるが、同胞を見捨てられるはずがないではないか!」

「だからといって、この場から離れられない貴方に、何ができるというのかしら? それとも、ナイト様を置いて、単身、救助に向かうとでも言うつもり?」

 小馬鹿にしたような口調で言われて、ラビィは唇を噛んだ。

 確かに、今の自分にできることは限られている。

 七糸から離れられない以上、気を揉みながらみんなの無事を祈ることくらいしかできない。

 しかし、このまま、何もしないでいるとそれだけで精神を病みそうだ。

 悶々と考え込むラビィに、メアは悪戯っぽい視線を投げた。

「――そうね、私は構わなくてよ。貴方がどこへ行って何をしようと。ただし、その浅はかな行動がもたらす結末に責任が持てるというのなら、だけれど」

「……せ、責任…」

 ずしりと重い言葉がのしかかる。

 火竜一族としての責任と、七糸を守る騎士としての責任。それらは、両立できそうに見えて、実際には、不可能なのだ。

 七糸を守りつつ、同時に、ピンチに陥った火竜一族を救うなんて理想論は、ただの夢物語でしかない。

(……唯一、それが叶うとすれば…)

 七糸を連れて、仲間を救いに行く。それ以外に方法がないが――わざわざ、七糸を危険にさらすわけにはいかない。よって、諦めるという結論しかラビィにはなかった。

(……だからといって、すんなり諦めるのか?)

 あの手紙からだけでは、詳しいことはわからない。

(…だが、焔の地には、ライナやサーシャがいる)

 他にも、多くの子供たちや友人たちがいる。

(……確か、キールケもいたな)

 手紙によれば、郷の警備兵たちのなかにも相当数の死者が出たという。あのしぶとい男がやすやすと殺されるなんてことは考えたくないが――。

(……ん?)

 懐かしい友人の顔を思い浮かべて、首を傾げる。

「…確か、焔の地を襲ったのは、水竜一族と書いてあったな…」

 よく考えると、それはあり得ない。

 水竜一族の血を引く者が、焔の地に――あの灼熱の大地に、長居できるはずがないのだ。

(……どんなに強力な防護魔法を展開していたとしても、焔の地には、多くの火の精霊たちが棲んでいるからな)

 コルカ達、火精一族は、本能的に水精一族を嫌悪している。

 つまりは、水精一族と縁の深い水竜一族が自分たちの縄張りに入った瞬間に、総攻撃をしかけるのが普通なのだ。実際、冷窟をつくる際にも、冷窟に棲む氷の精霊の存在を火精一族に気取られないように幾重にも特殊な結界を張り重ねたくらいだ。

 それなのに、手紙には、水竜一族により一方的に焔の地が蹂躙されたという内容が書かれてあった。

(……まさか、同胞の誰かが何らかの形で手引きをした、ということか?)

 しかし、そんなことをしても、火竜一族の血を引く者にとっては、何の得にもならない。それどころか、竜族としての誇りを捨てるだけでなく、帰るべき故郷や家族、友人のすべてを失うことになる。よって、それは考えにくい。

(…だとすれば、一体、どうやって焔の地を侵略したというのだ?)

 水竜一族が焔の地を襲撃した理由も方法も不明だが、水精一族にしろ水竜一族にしろ、灼熱の大地へ攻め入ること自体、かなりのリスクを伴う。それこそ、玉砕覚悟で挑むことになる。そんな危険を冒さずとも、火竜一族を追いつめる方法は、いくらでもあったはずだというのに、あえて、焔の地を攻めたとなると――。

(…水竜一族以外の別の勢力が関与している、と考えるべきか?)

 しかし、それは、一体何者で、何の利益があってそんなことをしたのか…。

 考えれば考えるほど、謎ばかり浮かんでくる。

 だんだんと気難しい表情になるラビィを楽しげに鑑賞していたメアが、不意に口を開いた。

「…そうそう、たった今、思い出したのだけれど――焔の地が襲撃される一ヶ月ほど前に、雫のさとが何者かに襲撃されたのだそうよ。何でも、寝静まった頃を見計らっての焼き討ちだったとか。怖いわよねえ?」

「…雫の郷が焼き討ちに…?」

 雫の郷とは、水竜一族の住まう地だ。火竜一族にとって焔の地がそうであるように、水竜一族にとっては、大事な故郷なのだ。そこを襲撃されたとなると、激怒して敵を屠らんと奮起してもおかしくない。しかし――。

(……一体、どういうことだ?)

 雫の郷には、火精一族の力が及ばない。どれだけ強力な火炎魔法を仕掛けたとしても、すぐに水精一族の総攻撃によって消されてしまう。それなのに、焼き討ちされたとなると――…彼の地を支配している水属性を打ち消す何かしらの方法があり、それによって敵の襲撃に遭ったということだろうか。

 そして、それは、焔の地にも同じことがいえる。大地に住まう精霊たちを無力化できれば、相容れない属性の者でも容易に侵入することができるようになる。それどころか、相性を考えずに属性魔法を使い放題に扱えるわけで――。

(…だが、本当にそんなことが可能なのか?)

 属性を消す方法なんて、噂ですら耳にしたことがない。

 念のため、その辺りをメアに訊いてみるが、彼女もそんな方法は知らないと言う。

「属性を打ち消すこと自体は、理論としては可能でしょう。ただ、それは、相殺するということであって、属性そのものをなかったものにするという意味ではないわ」

「だが、実際、焔の地と雫の郷は襲撃されたのだ。それも、相反する属性魔法でだ。いくら相殺が可能だとしても、精霊の守護する地を、それも相反する属性魔法で蹂躙するなど、どう考えても不可能だ。それこそ、魔王クラスの実力者でなければ」

 そう言って、思わず、息を呑む。

 そうだ。魔王ならば、どんな不可能も可能にしてしまえるだけの実力があるではないか。

 しかし、そんなことをして何になるというのか。だいたいにして、今期の魔王は、平和を愛し、他種族関の諍いを無くすために万能言語の魔法を編み出したくらいの逸材なのだ。とても、こんな凶悪な真似をするとは思えない。だが、万が一ということもあるかもしれない。

 メアは、思案顔になるラビィを見つめながら、自らの細い顎に指先を当てた。

「…魔王は、この件に関しては、絶対に無関係よ」

「――何故、そう言い切れる? 何か、知っているのか?」

 妙に確信した口調で言われて、思わず訊く。

 すると、彼女は小さく笑い、愛らしく首を傾げてみせた。

「…ふふ、女の秘密を暴きたいのなら、もう少し、その場の空気と女心を読んだ発言を心がけるべきなのではなくて? 貴方は、どうにも愚直すぎるのよ」

 小馬鹿にしたような口調で言われて、ラビィは眉を寄せた。

「――…要するに、私には話したくないということか。ならば、質問を変えよう。焔の地襲撃の件、貴女はどう見ているのだ?」

「…そうねえ」

 潔いほどあっさりと話題を変えたラビィをつまらなそうに睨んでから、メアが答える。

「……挑発、もしくは、扇動かしら。火竜一族と水竜一族を争わせることだけが目的なら、わざわざ相反する属性の魔法を使役して襲撃する、なんて面倒なことをしなくても、他にいくらでも方法があったはずよ。それなのに、あえて、そんな大がかりで面倒な手段を取ったとすると――…襲撃や侵略以外の目的が他にあった、と見るべきでしょうね」

「…つまり、竜族が争っている隙に、何かしら別の目的を達成しようとしている者がいる、ということか?」

「まあ、普通に考えればそうなるでしょうね。けれど、駄竜。貴方が不審に思ったように、属性を無効化して襲撃する方法なんて、誰も知らないわ。何せ、この私ですら、耳にしたことがないのだもの。秘匿されている技術、もしくは魔法があったとしても、本当に存在するのなら、その噂の片鱗くらいは、誰かの耳に入り流布されるものよ。それがないということは、私たちにとって、そんなものは存在しないということに他ならないわ。ただ――存在しないはずのものが、唐突に生まれてくる可能性があるというのも、また事実なのではなくて?」

 鋭く見つめられて、はっとする。

「――…そうだな、そういうこともあるかもしれないな」

 現に、伝承でしか知らないような悪鬼らしき存在が、何の前触れもなく、この屋敷に出現したではないか。そうなると、すでに、何が起きてもおかしくない状況に陥っているのかもしれない。

「…そう考えると、納得がいくことがあるわ」

 メアが、いつになく神妙な面持ちでこちらを見つめてきたので、反射的にラビィが身構える。

「な、何なのだ、急に」

「――駄竜。貴方が瀕死の重傷を負った件を覚えていて? 貴方ほどの防御力と耐性を兼ね備えた相手に、たった一撃で致命傷を与えられるほどの実力者なんて、世界的に見ても、そう多くはないわ。少なくとも、この結界のなかには、そんな人物は存在しないでしょう。けれど、あのとき、もし、貴方の火炎属性が打ち消されていたとしたら――いいえ、魔法や物理攻撃に対する耐性――つまりは、自動防御能力そのものが無効化された状態だったとしたら、事情が変わってくるのではないかしら?」

「なっっ!」

 彼女の鋭い指摘に、愕然とする。

(…確かに、私の獲得している属性や耐性が無効化されていたとしたら、致命傷を負うことは考えられる。だが……)

 属性にしろ耐性にしろ、それは、個人の生まれ持った体質のようなもので、今さらどうこうできるものではない。そういう効果のある魔法具もあるにはあるが、その威力は、微々たるものだ。

 もっとも、相当数の魔法具をうまく使えば、無効化までは無理でもゼロに近づけることはできるかもしれない。しかし、それは、あくまでも常人相手の場合だ。メアやラビィのように魔力の高い者に対して使用するとなると、千や二千では足りないだろう。よって、その案は非現実的といえる。

 ただ、世界は、広い。どこかにラビィたちの知らない魔法や魔法具が人知れず眠っていたとしてもおかしくはないが――それが、魔王候補に選ばれるほどの実力者・メアの支配下にある屋敷内に何の前触れもなく現れ、しかも、その存在を知られることなく発動してラビィを殺しかけたというのは、あまりにも不自然な話だ。

(……悪鬼の出現といい、突発的な竜族の抗争といい。この世界は、一体、どうなっているのだろうか?)

 ラビィの大怪我も、クロノアの影の暴走も、七糸襲撃事件も、竜族の一件も。通常では考えられないことばかりが、こうも連続して起きるとなると――不運な偶然が重なっただけとは思えない。

(…万が一、本当に、耐性や属性が無効化されているとすれば……)

 そんなことになれば、世界のパワーバランスが崩れ、不安定ながらも維持できていた平和や秩序が根底から崩壊しかねない。世界の常識が常識ではなくなったとき――それを知った人々が何を思い、どんな行動を起こすか。容易に想像できてしまう。

 耐性の有無や属性の相性に左右されなくなれば、これまで抑制できていた抗争が頻発し、治安は悪化の一途を辿ることになるだろう。そして、あっという間に世界規模の戦争が起きて、誰も収拾のつけられない事態に陥り、あっという間に終焉のときを迎えるに違いない。

「……そんな事態に陥るなど、到底、考えられんが――耐性・属性無効化の件は、何かしらの確証を得られているのか?」

 半信半疑のラビィの問いに、メアは妖艶に微笑んだ。

 少女の瞳が、ゆっくりと色を変える。紅から、深い闇の色へと。その奥で、ちらちらとホタルのように小さな輝きがまたたくのが見えた。

「――…確証はまだ得ていないけれど、一つだけ、確かめる術があるのではなくて?」

 少女の髪が青紫から黒へと染まったかと思うと、じわじわと毛先が朱色を帯び始めた。

「…な、何をするつもりなのだ?」

 彼女がどんな魔法を使おうとしているかは不明だが、本能的に警戒するラビィを尻目に、彼女の容姿はみるみるうちに姿を変えていく。

 髪は、黒からさらに変化して、燃えるような深紅へ。柔らかそうな白い肌は、黒い木炭のような質感へと変化し、二つの冷たい黒曜石の瞳のなかで、パチパチと小さな火花が散り始める。長い髪は、雄々しくも美しいたてがみへと姿を変え、全身は馬を模した形へと――優美な炎馬へと変貌を遂げた。

 呆気にとられてその変化を見届けたラビィの脳に、直接、メアの声が響く。

『――確証を得るには、実践してみるのが一番でしょう。貴方のその身をもって』

「! ち、ちょっと待て! まさかとは思うが、今から私に戦えというつもりではないだろうな?」

 現状をいえば、今現在、自分はメアの使う幻術の支配下にある。

 目の前にいるメアは、異形の姿をしている。それは、ラビィがメアという少女の姿に怯み、攻撃の手を緩めることを防ぐための対処のつもりなのだろう。

 紅蓮のたてがみを持つ黒い馬が、メアの声で言う。

『ここは、私のつくりあげた幻想空間。現実世界において、精霊魔法や物理攻撃とは無縁の私が、貴方と対等に渡り合えるはずがないものね。けれど、ここでは、私と貴方は互角に戦える。ああ、安心なさいな。この世界は、忠実に現実を反映させてはいるけれど、あくまでも虚構。たとえ死亡したとしても、現実世界では、せいぜい、数日寝込む程度の怪我ですむでしょうから』

 あっさりと告げる彼女に、ラビィが慌てて意見する。

「ち、違う、そういう心配をしているのではない! 何故、わざわざ戦わなくてはならないのかということを訊いているのだ! 属性や耐性が正常に働いているかどうかを調べるためだけなら、こんな手荒な真似をせずともいいだろうに」

『……あら、それもそうね』

 メアは、今気づいたとばかりに首を傾げ、

『でも、せっかくだから戦えばいいのではなくて? 貴方は最近、平和ボケしているようだから、いい鍛練になるでしょうし、何より――私が、スッキリするもの』

「! それが、本音か!」

 要するに、たまには、人目を気にすることなく暴れたいということなのだろう。というより、単に、ラビィをボコりたいだけなのかもしれないが――不本意ながらも、わからないでもない。

 何せ、七糸が来てからというもの、彼の目の届く範囲においては、思いきり猫を被りまくっているのだ。これまで、やりたい放題しまくっていた彼女からしてみれば、溜まりに溜まった鬱憤の吐き口を探していたのだろう。

 そして、当然ながら、その役目はラビィに押し付けられることになった、と。

 つまりは、そういうことなのだろう。

(…無論、先ほどの弁すべてが嘘や妄想というわけではないだろうが…)

 ラビィの怪我が、属性や耐性を無視して負ってしまったものかどうか。それが、ラビィだけでなくメアの身にまで及んでいるとなれば、個人的な問題ではなく、世界そのものがそう変化した可能性もある。

 だからこそ、彼女は言ったのだ。

 犠牲者の出ない方法で、戦おうと。

 七糸に知られることなく、真偽を問いたいのだと。

 つまり、これは、秘匿されるべき実験なのだ。

「――…確かに、これで事件の一端が判明するのならば、それに越したことはない。だが、もし貴女の考えが真実だったとした場合、どうするつもりなのだ?」

 原因を追及するのは、おそらく無駄だ。

 世界規模で起きている異変だとすれば、いくらメアでも解明しようがない。

 彼女は、大きくぱっちりとした馬の目を細め、短く告げた。

『……私は、私の役目を遂げる。それだけよ』

 彼女の役目。

 それは、七糸を魔王にすべく、本格的に行動を開始するということか。

 それとも、もっと別の何かをやらかす気なのか…。

 何となく、うすら寒い不安を感じたラビィは、心を落ち着かせるべく、深呼吸をした。そして、黒と赤に彩られた美しい馬へと姿を変えた彼女を見つめながら、一番重要な質問を投げかけた。

「………その役目とやらは、ナイト殿を守ることに繋がるのか?」

 ラビィの真剣な視線と言葉に、彼女は小さく笑ったようだった。

『…愚問ね――けれど、いいわ、答えてあげましょう。もちろん、答えはイエスよ。ただし、それは、あくまでも私や貴方から見ての話なのだけれど』

「??」

 何とも、歯切れの悪い言いかたをする。

 七糸を守るということは、メアやラビィにとっては一番重要な使命だ。それが七糸の望む平和であり幸福に繋がるはずだというのに――メアの言いかたでは、七糸自身は守ってほしくないと思っているように聞こえる。

(…おそらく、ナイト殿のことだから、自分を守って誰かが傷つくのが嫌だとか、そういう意味なのだとは思うが……)

 しかし、気になる。

 メアの放った言葉には、いつもの皮肉っぽい棘はなく、むしろ、どこか寂しげに思えた。そこに、七糸の抱える事情や秘密に通じるヒントがある気がするが――はっきりとしたことはわからない。

『――さあ、お喋りはここまでよ。今、この世界に起きている出来事の真偽を見極めること、それが今、私たちのなすべきことだもの』

「…あ、ああ、わかっている…わかってはいるが……やはり、もう少し穏便な手段で確認してもいいのではないか?」

 どう考えても、メアを相手に本気で戦うなんてできるわけがない。彼女が怖いからというのももちろんあるが、何よりも、実戦経験のない女性に剣を向けるという行為は、騎士道精神に反するからだ。

 戦意の欠片もないラビィの様子に、メアは苛立ったように息を吐き――ふと、意地悪く瞳を細めた。

『…そうだわ。戦う以上、勝者にはそれなりの賞品がなくては、盛り上がりに欠けるわね。報酬は、何がいいかしら…? ああ、そうだわ。もし、貴方が私に勝つことができたなら、先ほどの件、考え直してあげるというのはどうかしら?』

「…先ほどの件?」

『ええ、そう。貴方の元同胞の火竜たち。彼らを救う手助けをしてあげても構わないと言っているの。どうかしら、少しはやる気が出たかしら?』

 メアらしくない譲歩に、喜ぶより先に戸惑ってしまう。

「…だ、だが、竜族同士の争いに首を突っ込むとなると、ナイト殿まで危険に巻き込みかねないぞ」

 顔色を窺うようにして言うと、彼女はしれっと告げた。

『もちろん、ナイト様には安全な場所で魔界観光を楽しんでもらうに決まっているでしょう。今回の件は、ナイト様に気づかれずに早急に事態を収めればいいだけの話だもの。違うかしら?』

「ち、違わないが――…」

 とはいえ、どんなに頑張っても、一日や二日で解決する問題ではない。

 ましてや、相手は、生粋の戦闘種族。普段は温厚な人柄だったとしても、一度、その身に流れる熱い血潮に身を委ねてしまえば、敵を一掃するまで戦い続ける。それが、戦闘種族の性というものだ。

 ラビィ自身、誰かを守るために戦うことに関して、意義ややりがいを感じている。特に、守るべきモノが大事であればあるほど、心が燃えるものだ。だからこそ、今回の事案は厄介だと思う。

 水竜一族は、自らの郷を襲った犯人は火竜一族に間違いないと判断して、倒そうと攻撃してきた。そして、火竜一族も同様に、水竜一族を敵だと認識している。双方に犠牲者が出ている以上、話し合いで決着がつくとも思えない。それこそ、血で血を洗う展開は避けようがない状況といえるだろう。

 そんな危険な戦場に七糸を連れていくのは、死地に追いやるにも等しい行為だ。かといって、どうやってもすぐに収拾のつかないような状況を、七糸に気づかれる前に決着させるだなんて、神様でもなければ無理な芸当だろう。

 しかし――もし、メアの助力があればそれも不可能ではなくなる。

 彼女の魔法を使い、一時的にでも、双方の心から戦意を喪失させることができれば、これ以上の被害は防げるからだ。これまで通りとまではいかなくとも、竜族同士で殺し合うような最悪の展開にはならないはずだ。

(…あまり人道的とはいえないが、それで傷つけ合わずにすむのなら、それも仕方ないのかもしれない)

 大事なのは、これ以上、死人や怪我人を出さないこと。ついでに竜族間の誤解を解ければ、それに越したことはないが――今は、お互いに頭を冷やす時間が必要だ。怒り狂った状態では、ろくなことを思いつかないし、考えられない。冷静になれば、和解の道も見いだせるはずだ。

 ラビィは、メアの本音を探るように、真っすぐな視線を向けた。

「……本当に、力を貸してくれるのだろうな?」

 確認する気真面目な声音に、メアがひっそりと微笑む。

 嘘とも冗談とも、真実ともとれる目つきで、

『ええ、貴方の望む形で解決してあげると約束しましょう。さあ、私から言質を取ったのだから、これで満足なのではなくて?』

 言って、メアは大きな馬の身体をブルリと震わせる。それだけで、ぶわっと焼けつくような熱風が頬を叩いた。

『――戦いましょう、ラヴィアス。貴方が、真にナイト様をお守りするに相応しい騎士かどうか、この私が、直々に見極めてあげるわ』

 ごうっと、目に見えない殺気が強烈な圧迫感となって襲ってくる。

 戦場で感じるのと同じ――いや、それ以上の戦意、殺意。思わず、無意識に全身に力が入る。

 反射的に魔法剣を召還したラビィの前で、彼女は尖った牙を見せて邪悪に笑んだ。

『――あら、そういえば、一つ、言い忘れていたことがあったわね。貴方が負けた場合、その左眼をいただくつもりだから、覚悟しておきなさい』

「…は?」

 一瞬、耳を疑った。

「眼、だと?」

『ええ、そうよ。健常な四枚羽の竜から左眼をえぐり取れば、その魔力が眼の所有者に移譲されるという噂があるでしょう? けれど、誰も成功した者がいないから、真実かどうかわからなくてずっと気になっていたの。ちょうどいい機会だから、この際、試してみようと思って』

「!!! そ、そんな凶悪な真似、誰が許すというのだ!? だいたい、それは、ただの噂だろうが!」

『…そう、ただの噂話。けれど、それが真実だったとして、誰が、そんなことを公表するかしら? 私だったら、一人で秘密を守って、ひたすら四枚羽の竜を狩るわ。左眼を奪うだけで、莫大な魔力が手に入るとなれば、これ以上、楽な話はないもの。たとえば、貴方の眼一つで、この屋敷の複雑な結界が数百年は軽くもつのよ? そんな便利なものを独占したがらない無欲な者は、この魔界にはいないでしょうね』

「っっ! か、仮にそれが真実だったとして――もし、そうなった場合、私はどうなるのだ?」

 左眼を――魔力を奪われた竜族の行く末なんて、聞いたことがない。

 すると、彼女は実に楽しそうな声音と表情で、残酷な未来を突きつけてきた。

『それは、当然、魔力を失って、空が飛べるだけの無能になり下がるのではないかしら? ああ、でも、安心してちょうだい。私が、貴方の魔力を使ってナイト様をお守りしてあげるから、心配はいらないわ。貴方はおとなしく、屋敷の奥に引っ込んで、隠居生活でも始めればよろしいのではなくて?』

「じ、冗談ではないっ! ナイト殿をお守りするのは、騎士である私の役目ではないか! 他人になど任せられるものか!」

『あらあら、これまで、散々、騎士らしからぬ言動を繰り返してきたとは思えない立派な主張だこと』

 ころころと、わざとらしく鈴の音が鳴るような愛らしい笑い声をあげるメア。

 どう考えても挑発しているとしか思えないが――…ここで引き下がっては、いろいろと大事なモノを失いそうだ。たとえば、男のプライドとか、騎士としての責任感や使命感。あとは――同じ相手を想う者としての立場、などなど。

 メアは、声高に告げる。

『…言い返したいことがあるのなら、その身に宿るすべての力をもって示すことね! それができないのであれば、ナイト様の騎士としての資格はないと知りなさい! さあ、殺し合いましょう! 貴方と私、どちらがよりナイト様をお守りするに相応しい存在なのかを証明するためにっ!!』

 その言葉に、ラビィの表情が引き締まる。

 状況はどうあれ、七糸の騎士として、ここで引き下がるわけにはいかない。メアの挑発に乗るわけではないが、これはもはや、騎士としての誇りの問題なのだ。

 この戦いは、七糸を守るという意志の強いほうが勝つ。

 だからこそ、負けられない。負けるわけにはいかない。

 ラビィは、きゅっと唇を結び、召喚した魔法剣の柄を握り締めた。

 もしも、魔法に対する耐性が消えているのなら、この魔力でつくられた剣でも、メアを傷つけられる。同時に、属性が無効化されていた場合、メアの纏う炎がラビィを焼く。ここは、現実であって、現実ではない世界。メアの魔法は、本来ならば精神にしか働かないが、今回は違う。この、剣を握った感じ、身体の神経に張り巡らされた緊張感は、現実で戦うときと何一つ変わらない。

(……まさか、ここまでリアルな感覚を再現できるとはな)

 もしかすると、メアの能力は、ラビィが思っていたよりもずっとレベルが高いのかもしれない。普段の言動からは想像もつかないが、彼女は、魔王となるべき選ばれた存在なのだ。本当は、ラビィなんかの手に負える相手ではないのではないか。そんな気がしたが――それでも、今は、この剣を引くつもりはない。

 ラビィは、今度こそ自らの意思で目の前に立ち塞がる障害メアに剣の切っ先を向けて、告げた。

「…証明しようではないか。ナイト様をお守りするのに相応しいのは、この私だと」

『ふふふ、それは楽しみだこと』

 刹那、二つの視線がバチリと火花を散らす。

 そして、味方であるはずの魔王候補の少女と四枚羽の火竜騎士の一騎打ちという、奇妙な死闘の幕が切って落とされたのだった。


                            《 第五話・完 》

読んで頂き、ありがとうございました! 次回は、苦難にさらされているライナとサーシャの話にしようかなーと思います。焔の地で何が起きたのか、その辺りを書いていく予定です。本心としては、魔王サイドの話も書きたいのですが…それはまた、別の機会になりそうです。ではでは、今回はこの辺にて失礼します。また、お会いできることを祈って……。    谷崎春賀

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