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第五話・其の五

     《 第五話・其の五 》



「……何だと?」

 およそ、一時間後。メアの私室に呼び出されたラビィは、予想だにしなかった恐ろしい事実を知らされた。

 メアに緊急の書状を送った主は、ラビィもよく知る、火竜一族の長。

 書かれていたのは、ラビィたち、火竜一族の故郷である焔の地が敵の襲撃を受けて壊滅状態にあるということ。しかも、その敵は、同盟関係にあった水竜一族であり、彼らは、何を思ってか、突然、焔の地を襲って氷漬けにしたのだという。

「――…まさか、何故、こんなことに…」

 ラビィの知る限り、水竜一族とはうまくやっていたはずだ。百パーセント味方とまでは言わないが、侵略を想像させるような危うい関係ではなかった。

 半信半疑のラビィを一瞥し、メアは冷淡な口調で告げた。

「…さほど驚くようなことではないでしょう。この世界は、平和なようでいて、その実、歪み、腐り果てているのだから。予想外の出来事だなんて思うのは、貴方の想像力が貧弱すぎただけ。いつだって、世界は残酷で容赦がないものよ。それは、貴方もよく知っているのではなくて?」

 確かに、戦争なんて珍しいことではない。国同士、いや、国内ですら常にどこかで争いは起きている。大小関わらず、何かしらの事件は毎日起きているのだ。

 しかし、だからといって、この手紙の内容は、あまりにも唐突で性急すぎた。

「…メア様、まさかとは思うが――これまでにも何かしらの書状が、私宛に届いていたのではないだろうな?」

 火竜一族の長からの書状の宛名は、ラビィになっている。しかし、ラビィは、今やメアに隷属しているといってもいい状況。よって、ラビィに届けられた手紙などは、まず、雇用主であるメアが確認してから、ラビィのところへと運ばれるのだ。

 書状を読む限り、危機的状況どころか、絶望的な事態にまでことが及んでいる。ここまで、何の連絡もなかったとは思えない。

(――とすれば、メア様が私宛の手紙を握り潰していたことになるが……)

 そこまでメアが非道だとは思いたくない。しかし、彼女はいつも通りの愛らしくも冷ややかな笑みを浮かべて言う。

「そうね、そういうこともあったかもしれないわ。けれど、それは、当然なのではなくて? 貴方は、火竜一族から縁を切られたも同然の身。さんざん、裏切り者だの何だのと蔑み拒んでおいて、困ったことが起きたから助けに来いだなんて、随分と都合がよすぎやしないかしら? 彼らは、今頃、死ぬほど後悔しているでしょうね。四枚羽である貴方がいれば、状況が覆ったかもしれないのだから」

 楽しい世間話でもしているかのような口調に、カッと頭に血がのぼる。他者に対し、強い口調で怒鳴ったり怒りをぶつけたりすることのないラビィでも、ことがことだけに声を荒げずにはいられない。

「あ、貴女という人は! たとえ、縁を切られようが、恨まれようが、私は同胞を見捨てたりはしない! 長い付き合いなのだから、それくらいわかっているはずではないか!」

 ラビィが必死に訴えるが、彼女はあくまでも冷静な態度を崩さない。

「落ち着きなさい。別に、私は貴方の一族を滅ぼしたいわけではないのよ。まあ、正確には、竜族がどうなろうとあまり興味がないというのが本音なのだけれど。ただ――貴方に言い分があるように、私にもそれがあるということを理解してほしいものね。本物のお馬鹿さんでないのなら、貴方が、ここにいる意味を考えてみたらどうかしら?」

「――私が、ここにいる意味…?」

「ええ、そうよ。私が、何故、貴方をこの場に留めているのか。その理由を、ない知恵を絞って一度でも思案したことがあって?」

 真っすぐな瞳で語りかけられて、少し頭が冷え、ゆっくりと思考が巡り始める。

「…それは、無論、ナイト殿のことがあるからだろう? 貴女では、物理的にナイト殿を守ることはできないからな」

 そう答えたラビィに、メアは穏やかに目を閉じた。

「――半分、正解。けれど、ただ単に、物理的に守るというだけならば、他の者でも手は足りていてよ。それ以上に、貴方を必要とすることがあるとは思わなくて?」

「…他に、何があるというのだ?」

 彼女の真意が見えない。

 すると、メアはそっと目を開き、いつになく優しい声で告げた。

「……ねえ、ラヴィアス。竜族は、神に祝福された一族だということを知っているかしら? 他種族の誰よりも強靭な肉体を持ち、魔力も並ではないわ。知能も高く、すべてにおいて秀でた存在。本来ならば、この世界を統べているのは、貴方たち竜族だったかもしれないわね。けれど、世界はそれをよしとしなかった。どうしてだと思う?」

 メアは、怖いほど穏やかな瞳でこちらを見つめる。

「理由は、単純明快。この世界そのものが、矛盾と混沌を好み、それらを求めるようにつくられているから――つまり、それらなくしては、世界が成り立たないようにできているからよ。けれど、貴方を見てわかるように、竜族は、戦闘種族である一方で、平和を望む一族でもあるわ。そんなものに支配されれば、この世は安穏とした退屈なものになってしまうでしょう。そうならないために、貴方たちは力の大半を奪われることになったのよ」

「? 待て、何の話をしている? 竜族が、神に祝福された一族だと? むしろ、逆だろう」

 竜族は、確かに他種族よりも戦闘能力が高いが、契約という形で力が制限されている。しかも、下手すれば、盟約により生命と正気を奪われる。これは、神の祝福というよりは呪いに近い。

 しかし、メアは言う。事実はそうではないのだ、と。

「呪いは、解いてしまえば呪いではなくなるのよ。たとえば、貴方は、先ほど、私を本気で殺そうとしたけれど、できなかった。それは、何故かしら?」

「――…あ、あれは、貴女が干渉してきたからだろう」

 メアを殺そうとした実感はない。しかし、あのとき、メアの声が聞こえなかったら、確実に剣は振るわれていた。万が一、そうなっていたら、たぶん、一生後悔し続けて部屋に引きこもる。いや、それどころか自害しかねない事態になっていただろう。

 思わず眉を曇らせるラビィを見据え、彼女は言う。

「――私がとめたわけではないわ。ただ、心の奥底で、貴方は理解していたのよ。私を殺すことは不可能ではない。けれど、それを実行した場合、貴方にとって最も恐ろしいことが起きる。だから、貴方は私を害さなかった。その証拠に、あのとき、私は何の魔法も使っていなかったわ。貴方が、本能的に自身の行動を制限した、それは即ち、呪いよりも恐ろしいものがあったということよ。それがある以上、貴方は呪いなどに屈することはないでしょう」

「…呪いよりも恐ろしいことなんて、あるものか」

 七糸に助けを求められたとき、心のなかに冷たく残忍な言葉が響いた。

 メアを殺し、七糸を救わねばならないと。

 そうする以外に、自分にできることなど何もないのだ、と。

 そして、その言葉に応じるようにして、ラビィの身体が自動的に動いた。メアを排し、七糸を救おうとした。

 戦場では、敵の生命など野に咲く草花よりも価値がない。ラビィ自身、多くの敵を屠ってきた。そこに、罪悪感がないかと問われれば、ちょっと迷うところだ。

(……生き延びるため、誰かを守るために他者を殺すことは、必ずしも悪とは言えないからな)

 しかし、殺された側の家族にとっては、それは極悪非道な行為でしかない。だからといって、敵を見逃せば、仲間や家族、友人たちが殺されてしまう。だからこそ、そうなる前に敵を消さなくてはならない。その過程で生まれる、やりきれない虚しさや葛藤は、常に心のどこかにあった。

 しかし、今回は事情が違う。

 ラビィは、無意識に、メアを殺そうとした。そこに、自分の意思があったかどうか、甚だ怪しいところだ。

(……もし、これが竜族にかけられた呪いのせいだというのなら、私は…)

 契約主に恋愛感情を抱けば、呪いが発動して自我が失われていく。その代わり強大な力を得ることが可能になるが、力の使い道を誤れば、世界を破滅に導く悪魔となる。

 盟約――それが、竜族にかけられた呪いの名。

 もし、その影響が出始めているのだとすれば――…ことは、重大だ。自分一人の問題ではなくなる。下手をすれば、自我を失って屋敷の者を皆殺しにしかねない。

 メアは、顔を強張らせるラビィを見つめ、口を開いた。

「――…駄竜。竜族の呪いは、呪いではないのよ。本来ならば、その力も狂気も、すべてが竜族に備わっているはずの代物。大事な人を奪われ、害されれば、誰だって激昂するわ。全力で報復だの復讐だのを誓うこともあるでしょう。けれど、それは呪いでも何でもないのよ。我を忘れるほどの激情も力の暴走も、制御できれば、何の問題もないのだから」

「そ、そうは言うが――…制御などできるはずがないではないか」

 どうやっても制御できないからこそ、呪いと呼ばれて恐れられているのだ。

 弱気になるラビィを尻目に、メアはあっけらかんと笑って見せた。

「制御なんて、簡単なのではなくて? 呪いよりも強い力で貴方を縛るものがあるのだから、そちらを優先させればいいだけの話だもの」

「呪いよりも強い力って――そんなもの、あるわけないだろう」

 力なくうなだれるラビィの耳元へ、メアがそっと顔を寄せる。

「…想像してごらんなさいな。貴方が暴走して、無闇やたらに他者を傷つけたら――ナイト様は、どう思うかしら?」

「!」

 一瞬にして、ざっと全身から血の気が引いた。

 青ざめるラビィの耳元で、追い打ちをかけるように少女の声が響く。

「きっと、恐怖の入り混じった目で貴方を見るんでしょうねえ。いいえ、それどころか、あまりに恐ろしくて泣き出してしまうかもしれないわ。ああ、何て可哀想なナイト様。いえ、この場合、可哀想なのは、貴方のほうかもしれないわね。呪いのせいとはいえ、ナイト様の御心を傷つけてしまったのだもの。もし、そんなことになったら、ナイト様は一生、貴方を許さないでしょうね。それどころか、二度と会いたくないと去って行ってしまうかもしれないわ。ねえ、駄竜。貴方は、そんな未来に耐えられて?」

 いつも愛らしくも穏やかな微笑みを向けてくる七糸が、嫌悪と恐怖の入り混じった表情で自分を見てきたら――あまつさえ、二度と顔も見たくないと言って去ってしまったら――……もし、それが現実になってしまったとしたら…。

「……い、生きていけない…っっ」

 想像するだけで、全身の震えがとまらない。

 七糸に必要とされることが、今の自分の生きがいなのだ。彼のいない世界なんて、もはや、想像ができない。

 頭のなかで思い浮かべることすら、耐えがたいのだ。

 あの、優しい七糸から背を向けられること。

 あの、愛らしい笑顔が凍りつく様。

 あの、微笑みの似合う唇が、冷たく離別の言葉を紡ぐこと。

(――それこそ、世界の終わりではないか!)

 これ以上に怖いことなど、どこにもない。

 呪いだの何だの、そんなものよりも数千倍、恐ろしい。

 七糸に拒絶されること。それだけは、何があっても防がなければならない。

「――つまりは、そういうことよ」

 ラビィの不安げな表情を満足げに見つめ、メアが言う。

「呪いよりも怖いものが、貴方を縛っている。どんなに我を失うことがあったとしても、ナイト様がいる限り、貴方は呪いなどに屈しない。いいえ、屈するわけにはいかないのよ。現に、貴方は、あのとき、自分の意思で剣を引いたのよ。私が声をかけたのは、そのあと」

「――…私が、自分で?」

 まったく、覚えていない。しかし、メアが嘘をつく理由もないから、真実なのだろう。

「ええ。あのとき、私は理解したわ。貴方は、私と同じで、ナイト様とどこまでも共にあろうとしているのだと。呪いを無意識に制御するほどに、貴方の心の奥深くにナイト様がいる。その点に関しては、少し驚いているのよ。貴方のことだから、もっと、安っぽい正義感と感情で動いているのだと思っていたから」

「――…それは、褒めているのか、貶しているのか。どちらなのだ?」

 ラビィの問いには答えず、彼女は続けた。

「…覚えておきなさい。貴方は、ナイト様の騎士であって、竜族を守るための盾ではないのよ。何よりもナイト様の身の安全を最優先に考え、行動すること。そして、同時に、貴方には竜族としての使命を全うしてもらわなくてはいけないわ。それが、私が貴方をこの屋敷に留めている理由なのだから」

「…ナイト殿を守るのは当然だが――竜族の使命とは、何だ?」

「それは――…」

 メアは、言葉を切って、ふと上を見上げた。

 そこに見えるのは、ただの天井だ。

 しかし、彼女は何かを警戒するように強い眼差しを頭上に向け――そっと呟いた。

「…私には、野望があるの。それを叶えるためにも、駄竜。貴方には、何としても竜族の呪いを解いてもらうわ。呪いの解除は、竜族の悲願の一つでしょう?」

「そ、それはそうだが…」

 答えながら、妙な居心地の悪さを覚えた。

 一瞬、何か別のことを言おうとしてはぐらかされたような、そんな気がしたのだ。


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