第五話・其の三
《 第五話・其の三 》
新たに与えられた自室に入って、静かにドアを閉める。その瞬間、しんとした空気に包まれ、不思議と心が安らいでいくのがわかった。
「はーっ」
ラビィは、胸に溜まっていた鬱屈した気持ちを一気に吐き出して、ある異変に気づいた。
「……?」
何者かの気配がする。この部屋のなか……ではない。窓の外からだ。
ここは一階なので、外に人や動物がいてもおかしくはないが――その気配は、あまりにも弱々しくて、しかも、その波動には覚えがあった。
ラビィは、ゆっくり近づいて、窓を開けた。そして、気配の主を確認する。
「――こんなところで何をしているのだ、ナイト殿?」
彼は、膝を抱えて、ちょこんと窓の下に座っていた。
そして、ラビィに気づくと、ぎこちない笑みを浮かべて手招きした。
どうやら、隣に座れということらしい。
何があったかは知らないが、指示に従い、窓枠を飛び越える。そして、ちょっとどぎまぎしながらも、少し離れた場所に腰を下ろした。
「…それで、こんなところで一体、何をしているのだ?」
改めて話を切り出すと、彼はうつむいて、元気のない声で言った。
「うん…それが、メアが急に結婚するとか言い出しちゃって。今度は本気っぽくて、慌てて逃げてきちゃったんです。でも、よく考えたら、僕、魔界って詳しくないし、どこにも逃げ場がなくて…」
そこで言葉を切って、ちらりと上目遣いでこちらを見つめる。
「あの、ラビィさん――メアの頭が冷えるまで、ちょっとの間、匿ってくれませんか?」
「か、匿えだと? お前は、メア様との結婚を承諾したのではないのか? 何故、逃げ隠れする必要がある?」
七糸との婚約を宣言するのは、メアの勝手だが、結婚となると話は別だ。七糸は異世界人で、こちらの事情はまるで通じない。いくら魔王候補とはいえ、異世界人に結婚を命じたり強要したりする権利はないのだ。拒否権のなかったラビィのときとは、まるで違う。だからこそ、七糸も同意したのだと思っていたが――どうやら、そうではなかったらしい。
(…そうか、ナイト殿にその気はないのか…)
内心、ほっとしながら、七糸の話に耳を傾ける。
「…僕、メアのことは友達としては好きですけど、結婚とか、そういうことを意識したことはないんです。っていうか、僕の年齢じゃ、結婚なんてまだできないですし。それに、いずれ元の世界に帰るんですから、どんなに好きな人がいても、結婚なんて無責任なことは絶対しませんよ。男として、そこはきちんとしておかないと、あとあと面倒ですからね」
「…ま、まあ、そうだな。だが、メア様はその気なのだろう? ちょっとやそっと時間を置いたくらいで、結婚を諦めるとは思えんが…」
メアは、かなり執念深い女なのだ。拒めば拒むほど、意地になって地の果てまでも追いかけてくるに違いない。
七糸も、その点を危惧しているらしい。憂鬱そうに眉を曇らせ、
「――そうなんですよね。メアの性格からして、よほどのことがない限り、諦めそうにないし…」
「おそらく、どこへ逃げても、全力で追いかけてくるだろうな。それこそ、お前が観念しない限り」
「……観念、かあ。それは無理だよね、どう考えても」
ぽつりと呟き、息を吐く。
「はあっ。隠れるにしても、すぐに見つかっちゃいそうだし――ラビィさんみたく羽でもあったら、飛んで逃げられるのになあ」
「いや、羽があっても、結界に阻まれて遠くには行けない。ここから逃げるとなると、それこそ、結界を破壊するか、もしくは次元の穴にでも潜るしかないだろうな」
そう言ったものの、どちらも非現実的な話だ。
メアの結界は幾重にも張り巡らされているうえに、複雑な仕組みになっている。だからこそ、魔力が高く、戦闘にも慣れたラビィにも迂闊に破れない。失敗すれば、手ひどい報復を受けかねないのだ。もう一つの次元の穴に至っては、現実にあるかどうかも怪しいもので、いわゆる都市伝説的な扱いの代物だ。本気にするだけアホらしい。
しかし、七糸は何やら興味をそそられたらしく、目をきらめかせた。
「え、次元の穴って何ですか? もしかして、異世界に行けるとか、過去とか未来を覗けちゃうとか、そういう不思議なゲート的なものですか? もしかして、僕がこっちに来たのって、そこを通って来たんですかね? うわ、だとしたら、すごいなあ。見てみたいかも!」
わくわくがとまらない七糸の言葉に、ラビィは目をしばたたかせた。
(…そういえば、ナイト殿は異世界の民だったな)
その彼がここにいるということは、どこかに次元の穴か、それに近い何かがあってもおかしくはない。もし、メアがそれを発見して、七糸の世界に行ったのだとすれば――。
(……その場所さえわかれば、ナイト殿は元の世界に帰れるということになるが…)
しかし、帰ったからといって、事態は何も変わらない。また、メアが七糸を追いかけて人間界に突入するだけの話だ。根本的な解決になっていない。
「…次元の穴はともかく、メア様を説得しなければどうにもならないだろう。せめて、延期するという方向で話を進めるというのはどうだろうか?」
ラビィの提案に、七糸は不満げに唇を尖らせた。
「一日や二日延びたくらいじゃ、たいして変わんないですよ。それなら、いっそ、僕が元の世界に帰ってみるっていう方法を試したほうがいいですよ。次元の穴なんて、うわー、わくわくしちゃうなあ!」
七糸の心は、すっかり次元の穴に向けられている。
眼前に迫った危機より、好奇心のほうが優先順位が上らしい。
「ラビィさん、次元の穴ってどの辺りにあるものなんですか? 巨大樹のうろとかですか? それとも、机の引き出しとか?」
「…は? 机の引き出しだと? そんなところにあるわけがないだろう」
そんなところにあったら、引き出しを開けた者すべてが異次元へ飛ばされてしまうではないか。
真面目に答えるラビィに、七糸がにこにこ笑いかける。
「もちろん、冗談ですよ! 未来からやってきたネコ型ロボットとか信じるほど、子供じゃないですし。でもでも、あるんですよね、次元の穴! 僕は寝てるときに運ばれてきたから、全然記憶にないですけど――二人で探せば、きっと見つかりますよね!」
「――は? 探すって、何をだ?」
いつになく押しの強い七糸にたじろぎながら問うと、彼は鼻息荒く握りこぶしをつくった。
「もちろん、次元の穴ですよ! 時空移動とか、超カッコイイじゃないですか! 男のロマンですよ、ロマン!」
「ロ、ロマン、なのか??」
異世界人の感覚は、よくわからない。
次元の穴といえば、こちらの世界では、ホラーのようなものだ。関わると不幸になる…というか、傍に近づくだけで異世界に飛ばされ消息不明になり、帰還することは叶わないと言われている。本当に実在するのならば、絶対に関わりたくない代物だ。
しかし、七糸は何を夢見ているのか、きらきらとした目でこちらを見つめてくる。その表情は期待に満ちていて、ラビィが断るということを想像もしていない様子。
そして、困ったことに、そんな七糸の無鉄砲な期待をラビィは裏切れない。
「…わ、わかった。探すだけなら、手伝ってもいいが――メア様の結界内にそんな危険なものがあるとは思えないからな。あまり期待はしないほうがいいぞ」
「わかってますって! じゃあ、まずは、森のなかを探索しましょうか」
「……ああ、そうだな。それでは、外出の準備をして――」
そこで、はたと気づく。
七糸のためにつくってもらった、魔法具。護身用の、魔法のマント。
このタイミングならば、自然に渡せそうだ。
「じゃあ、僕、コート取ってきますね」
言って立ち上がる七糸につられて、ラビィも腰を上げる。
そして、小走りに屋敷に戻ろうとする七糸を呼びとめた。
「ナ、ナイト殿。そ、その――お前に渡したいものがあるのだが」
「え? 僕に、ですか?」
首を傾げて立ちどまる七糸が、じっとこちらを見上げてくる。
ラビィは、純粋無垢な瞳に見つめられて、一瞬、言いかけた言葉を忘れてしまった。
これまで、幾度となくこういうことがあった。
彼と目が合うだけで思考回路がショートしてしまう。ただ話しているだけなのに、とんでもない激戦区へ迷い込んだような緊張感にとらわれる。
どっと汗が出て、心臓が痛いくらいに激しく動いて――たぶん…いや、絶対に、今の自分は不自然なくらい赤い顔をしている。
「? ラビィさん、どうしたんですか? 顔が真っ赤ですけど…もしかして、熱でもあるんじゃ」
心配した七糸が手を伸ばしてきて、ようやく声が出た。
「な、何でもない!」
自分でも笑えるくらい狼狽した声で言って、後ずさる。
七糸はきょとんとして、
「…そうですか? なら、いいですけど。それで、僕に渡したいものって何ですか?」
「! そ、そうだ、お前に渡したいものがあったのだったな。ち、ちょっと待っていろ」
「…はあ」
七糸が手持無沙汰な様子で、落ち着きのないラビィの行動を見守る。
その視線を浴びつつ、ラビィは再び窓枠を越えて部屋へと戻り、マントを持って外へ出た。一応、プレゼントということもあってか、リシリーが気を遣って、綺麗な包装紙で包んでくれている。
「…これなのだが、その――貰ってくれるだろうか?」
断られる、ということはないだろうが、何ともどきどきしながら七糸に手渡すと、彼は不思議そうに紙包みを見つめ、
「あの、これ、何ですか?」
「あ、ああ。お前の護身用にと思ってつくらせた魔法具のマントだ。これがあれば、ちょっとした魔法ならば無効化してくれる」
「――ま、魔法を無効化…? マントが、魔法を消しちゃうの?」
七糸は驚きつつ、包みを解いた。そして、紅いマントを手に取り、まじまじと観察する。
「…普通のマントにしか見えないけどなあ。っていうか、縫い目がすごく綺麗ですね。細工も見事だし――うわ、裏地も凝ってる! まさに職人芸だね! 僕も頑張ればこういうの、つくれるようになるかなあ?」
まったく別の視点からの感想に、ラビィは思わず頬を掻いた。
「…と、とりあえず、それを身につけておけば、簡単な魔法くらいなら使えるようになる。もちろん、多少の訓練は必要になるが」
その言葉に、七糸の目がさらにきらきらと輝き出す。
「!! ほ、本当っ!? 僕でも、練習すれば魔法が使えるようになるんですか?」
「ああ。とはいっても、一時しのぎの護身術程度のものだが」
「それで充分ですよっ! うわーうわー、魔法かあ! いいなあ、夢みたいだよーっ!」
嬉しそうにマントを抱き締めてはしゃいでいる姿は、玩具をもらった子供のそれと変わらない。
(――…気に入ってくれたようで、よかった…)
こんなに喜ぶのなら、さっさと渡せばよかった。あれこれ考えすぎて身動きがとれなくなるのは、ラビィの悪い癖だ。優柔不断な者は、戦場では必ず死ぬ。だから、迷わないように心がけているし、たとえ、下した判断が間違っていたとしても後悔はしない。しかし、戦場から離れると、そんな緊張感も潔さも忘れてしまったかのように、容易く心が挫けてしまうのは何故だろう。
(……ナイト殿と出会ってから、さらにひどくなったような気がするな…)
元来、積極的に意思表示したり意見を述べたりするようなタイプではなかったが、七糸への気持ちを自覚してからは、五割増しくらいで内気な性格に拍車がかかったと思う。
「ラビィさん、ラビィさん! 見てください、どうですか? 似合ってますか? 魔法のマント!」
すっかり浮かれている七糸は、早速、マントを身につけ、くるりと回転してみせた。
深紅のマントが、楽しそうにひらひらと揺れる。短い黒髪がサテンのようにきらめいて、無邪気な瞳が上目遣いでこちらを窺ってくる。魔法具の影響というわけではないだろうが、その姿が神々しいほどに輝いて見えた。
それこそ、伝説にあるような女神とか、天使とか。
(――いや、そんなレベルではないな)
七糸にしてみれば、普通に笑いかけているだけなのだろうが、その笑顔は、いつだって心臓に悪い。恋愛経験のないラビィにしてみれば、劇物の類と何ら変わらない。通常ですらまともに顔を見られないというのに、さらに上機嫌で、頬を高揚させて満面の笑顔を見せられたりしたら――正直、気絶しなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。
ご機嫌な七糸の様子は、殺人的に愛らしすぎる。あと二秒ほど視線を逸らせるのが遅かったなら、心臓がとまっていたかもしれない。いや、冗談ではなく、本気で。
そんな微妙な男心を微塵も察することのできない七糸は、無言で視線を外したラビィを訝しげに見つめている。
「…ラビィさん? やっぱり、具合悪いんじゃないですか? 顔が真っ赤で、尋常じゃないくらい汗が出てますよ?」
言って、ハーフパンツのポケットからハンカチを取り出して汗を拭おうとしてきたので、反射的にその手を阻んだ。
「い、いや、何でもない! その、ちょっと暑いというか…とにかく、お前が気にするほどのことではないからな!」
明らかに狼狽して二歩下がったラビィだったが、七糸は引き下がるどころか、いつになく強引に押してきた。
「えー、そんなこと言わないでくださいよ。ラビィさんがどう思おうと、僕、ラビィさんのことは大親友だと思ってるんですからね。心配くらい、させてくださいよ」
言って、頬の辺りに無理矢理ハンカチを押しつけてくる。そのとき、ハンカチに香でも含ませていたのだろう、爽やかなミントに似た匂いが鼻を掠めた。
「! い、いらん心配だと言っているだろうが!」
咄嗟に逃げようとしたら、行く手を阻むように、眼前に、ぽんっと見慣れた精霊が現れた。ラビィの契約精霊・コルカだ。
「っ! コ、コルカ!」
傍にいるのはわかっていたが、急に眼前に飛び出してこられると、さすがに驚いてしまう。思わず転びそうになったが、どうにかバランスをとることに成功した。そんな契約主の様子を見ていたコルカは、どこで仕入れたのか、ハードボイルドっぽい口調で、
『兄貴、落ち着くッスよ。男たるもの、いかなるときも余裕が大事ッスからね』
そう言って、ちょこんとラビィの肩に腰かけた。それを見た七糸が、嬉しそうに微笑む。
「わあ、コルカだ! コルカの姿がちゃんと見えるよ! すごい、これ、本当に魔法のマントなんだね! うわー、久しぶりだねー。元気してた?」
まるで、久しぶりに友達に会ったような口調の七糸を面倒くさそうに見やり、コルカは短い足を組んだ。
『久しぶりも何も、おいらは、ずっと傍でおたくの警護してたッスからね。兄貴の頼みじゃなきゃ、好き好んで子供のお守なんかしねーっつーの。ってか、前から、一つ言いたいことがあったんスけど』
「えっ、何々? 何でも言って?」
楽しげな七糸にびしっと人差し指を向け、コルカが言い放つ。
『おたく、長風呂しすぎッスよ! おいらたち、火精一族は水が苦手なんスよ? なのに、ああも延々と水浴びされちゃ、たまんねーッスよ! 風呂の度にふらふらになるおいらの身にもなってほしいッス!』
その意見に、七糸はきょとんとして、ラビィは呆気にとられた。
「――ふ、風呂?」
思いがけない――というか、意外すぎる文句に、絶句する。
(……ふ、風呂、とは、即ち、入浴ということで――)
確かに、コルカには、可能な限り七糸の傍にいるように頼んだ。さすがに、四六時中ラビィが付きまとうわけにもいかないし、精霊のコルカならば、いろんな面で適任だと思ったのだが――精霊故に、常識外れのことをする可能性を忘れていた。
「………コ、コルカ。まさかとは思うが、その――ナイト殿と一緒に入浴を…?」
ラビィの震える声に、コルカは悪びれたふうもなく頷いた。
「もちろん、一緒に入ってるッスよ? 兄貴に頼まれてるッスからね! 毎日、一生懸命、警護してるッスよ!」
胸を張って言われて、ラビィは沈黙した。
これは、注意すべきか、それとも、褒めるべきか。激しく迷うところだ。コルカに他意も悪意もないことはわかっている。それどころか、苦手な水にも近づいて七糸を守ってくれていたのだ。感謝してもいいくらいだが、しかし――。
(…ナイト殿は、半分は女性なのだから、それなりに気を遣うべきというか、配慮があってしかるべきというか…)
コルカは精霊で、ヒトに対して好悪の情はあっても、それ以上の感情は持ち合わせていない。入浴シーンを目にしたとしても、やましい気持ちなどないのだし、七糸もおそらく気にしないに違いないが……それでも、やはり、申し訳ないような罪悪感が胸を占めてしまう。
もの言いたげなラビィと胸を張るコルカを見やり、七糸はにこりと微笑んだ。
「そっか、ずっと僕を守ってくれてたんだね。ありがとう、コルカ。あと、ごめんね。僕、昔から、お風呂入るのが好きなんだ。でも、これからは気をつけるようにするよ。僕のせいでコルカが倒れたら大変だし」
『そうしてくれると助かるッスよ』
満足げにコルカが頷き、ぴょこっと立ち上がる。
『…ところで、兄貴。次元の穴を探すって話、本気ッスか?』
「え、あ、ああ、まあ、そうだな。ナイト殿が見たがっているからな」
七糸のほうをちらりと見ると、彼は両手を握りしめてウンウンと頷いた。
「そうだよ、次元の穴を探しに行くんだ! すごいよね、これこそ、ファンタジーの醍醐味だよね。ああ、わくわくするなあ」
頬を紅潮させて期待する七糸に、コルカが小馬鹿にしたような声を投げる。
『先に言っとくッスけど、そんなのは、この世界のどこにもないッスからね? 第一、そんなものがあったとしても、おそらく、普通のイキモノは通れねーッスよ。おいらたち精霊ならともかく、生身の人間が次元の壁を超えられるはずがねーッスからね』
「お、おい、コルカ。そんなにはっきりと言わなくてもいいのではないか?」
思わず、口を挟んでしまう。
その話が真実かどうかはともかく、こんなにズバリと言われたら、七糸が落ち込んでしまうではないか。たとえ、存在していないとしても、あるかもしれないと思って探す楽しみまで奪う権利は、誰にもないのだ。
注意するラビィに、コルカはやや不満げに唇を尖らせた。
『探すだけ時間の無駄ッスよ。だいたい、んなことしてる場合じゃねーッスよ。こうしている間にも、メア様が着々と結婚式の準備をしてるはずッスからね』
「!! そ、そうだった!」
一気に七糸の心が落ち込み、ラビィも軽い頭痛を覚えた。
「そういえば、そんな話をしていたな…」
「――わ、忘れてたよ。あの、ラビィさん、何かいい案ありませんか? 婚約してたんだから、僕よりはメアのことを知ってるはずですよね? うまく断る方法とか、知りませんか?」
「…知っていたら、とっくに縁を切っている。それができていないということは――…どういうことか、わかるだろう?」
「……そうだよね、あのメアを出し抜くとか、最初から無理っぽいし。だったら、発想の転換で、正面から立ち向かって撃破するというのはどうですか?」
「…撃破する前に撃沈されること必至だな」
「――…で、ですよねー。他に案といえば…」
ない。何一つとして、思い浮かばない。
あの計算高くてクソ意地の悪いメアをどうにかしようと思う段階で、すでに無理なのだ。まさに、腹を括るしかない状況といってもいい。
こうなると、ただ、溜息しか出てこない。
二人して暗い顔つきで沈黙していると、不意にコルカが思いがけない提案を寄こした。
『…何をそんなに悩んでるか知らねーッスけど、簡単じゃねーッスか、破談の方法なんて。誰か、他の相手とくっつけばいいんスよ。女ってのは、既成事実ってのに弱いらしいッスからね。だったら、メア様以外の相手と恋人になっちまうのが一番手っとり早いと思うッスよ? ただし、メア様のことッスから、生半可な相手だと殺されちまうから、相手は慎重に選ばなきゃいけねーッスけど』
言いながら、何故か、ちらちらとこちらを見てくるコルカ。
「???」
精霊がしきりに目配せしてくるが、何を意図してそんなことを言い出したのか、ラビィにはわからない。首を傾げている隣で、七糸が小さく唸った。
「うーん、確かによくドラマなんかで見かけるよね。婚約者に他の相手がいて、修羅場になって破談、みたいな話。けど、僕は嫌だな、そういうの。メアに嘘つくのもそうだけど、相手の女の子に迷惑がかかるし…そもそも、メアを敵に回してもいいなんて言う子はいないだろうし」
七糸の呟きに、ラビィも同意する。
「そうだな。その場しのぎの嘘にしても、質が悪い。第一、メア様にバレたら、それこそ取り返しのつかないことになる」
「ですよねー。僕としても、メアを怒らせたり泣かせたりするのは本意じゃないし。第一、女の子を泣かせるなんて、男として最低の行為ですもんね」
「ふむ、確かに、誠意なくしては、男としても騎士としても失格だ。いかなる状況であっても、他者を謀ることはよくない」
「うんうん、嘘つきは泥棒の始まりって言いますもんね」
二人してすっかり意気投合しているところへ、コルカがうんざりした様子で口を挟む。
『だったら、どうするんスか? このまま、メア様と結婚するんスか、おたくは? ラビィの兄貴も、本当に、それでいいんスか? 納得できるんスか?』
「…そ、それは――」
ラビィが押し黙り、七糸がしょんぼりとうつむく。
「……そりゃ、このままじゃ駄目だとは思うけど。どうすればいいのか、全然、思いつかないんだもん」
そう言って、長い溜息を一つ。
ラビィも、どう慰めればいいのかわからずに、おろおろするばかり。
そんな二人を見兼ねて、コルカが尻尾の炎をボボッと大きくした。
『あーもー、面倒ッスねーっ! ウダウダしてねーで、いっそのこと、式そのものを灰にしちまえばいいじゃねーッスか! 案ずるより産むが易しッス! おいらに任せてもらえりゃ、メア様に気づかれねーように、うまくやってやるッスよ?』
ギラリと物騒な光を灯すつぶらな瞳を、二人が息を呑んで見つめる。
「…た、確かに、事故でも起きて式どころじゃなくなったら、この話も自然消滅する可能性もあるよね…」
「……そ、そうだな。事故ならば仕方がないかもしれんな…」
七糸とラビィが思案顔で呟き、コルカがにやりと笑う。
『――そんなら、いっちょ、やってやるッスか?』
思いきり悪人顔で囁いた精霊だったが、急にぶるるんと大きく身震いした。
すぐ背後に凶悪な気配を感じたからだ。そして、そのよからぬ気配は、愛らしくも恐ろしい実体となってラビィたちの前に現れた。




