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第五話・其の二

      《 第五話・其の二 》



「…え、まだ、例の魔法具をナイト様に渡してないんですか? 完成から一週間も経ってるのに?」

 リシリーの呆れ声に、ラビィは吐息した。

「……し、仕方がないだろう。誕生日や何かの記念日でもないのに、モノを贈るなど、初めてなのだからな。その、タイミングというか、いろいろと問題があるというか」

 七糸を女扱いする気はないのだが、普通、女性に贈り物をするという行為は、貴族としては仕事の一環というか、社交の場ではよくあることだ。しかし――まったくのプライベート、それも、想い人にプレゼントを贈るだなんて、下心があるみたいで、どうにも気が進まない。

(…純粋に、ナイト殿の身を案じてのことなのに、何故、ここまで悩まねばならないのか、自分でも謎なのだが……)

 箱に入れて大事に保管している、リシリー作のマント。軽くて丈夫で、魔力の蓄積が可能な特殊な生地には、しっかりとラビィの魔力を込めているので、火炎属性の魔法攻撃なら、ほぼ百パーセント防いでくれる。ただ、水属性に対しては防御力が低いが、そこは、リシリーが気を利かせてくれた。

 リシリーが所持していた、風属性の精霊石を細工して、マントに施してくれたのだ。よって、他属性の攻撃を受けたとしても、風属性の防御結界が働いて、ダメージを和らげてくれるはずだ。

 とにかく、高性能で、かつ、小柄で可愛い七糸に合わせたデザインもいい感じに仕上がっている。それを受け取ったのは、一週間前のこと。すぐにでも渡そうと思っていたのだが、いざ、そのときになると心が怯んでしまい、今に至るというわけだ。

「……たかだか、プレゼント一つ、まともに渡せないだなんて。ラヴィアス様、ここまでくるとチキンどころの騒ぎではありませんよ。とんだ腑抜け野郎じゃないですか」

「…うっ」

 ぐさりと耳に痛い言葉が容赦なく飛んでくる。

 しかし、辛辣なリシリーの発言に対して、返す言葉がない。

 もともと、色恋沙汰には縁がないし、不向きな性格だと自覚しているが――自分でも、さすがに情けないと思う。

 七糸の身を守るうえでも、すぐに渡すべきだとは思うのに、どうしても一歩踏み出す勇気が出ない。かといって、このままだと埒が明かないのも確かだ。

「そ、その、リシリー。一つ、頼まれてくれないだろうか」

 自分で渡せないのなら、リシリーに渡してもらおう。そう企んだのだが、察しのいい彼女は、ぴしゃりと先手を打ってきた。

「言っておきますけど、私からナイト様にお渡しすることはできませんよ。何故なら、私はマント製作を頼まれた仕事人にすぎませんので、依頼人に商品を渡すまでが仕事。それ以上のことはできませんし、する気もありません」

「…そ、そこを何とか、頼まれてはくれないだろうか」

「嫌です、却下です、断固拒否します。何が悲しくて、ラヴィアス様の恋の手助けをしなきゃいけないんですか。株を上げたければ、ご自分でどうぞ。私には私の仕事がありますので、あとは自力で何とかなさってください」

 言うなり、リシリーは颯爽と廊下を歩いていく。無情にも、その背中は、一度も振り返ることはなかった。

 颯爽としたメイド姿が廊下を曲がって見えなくなるのを、ラビィは絶望的な気持ちで見送った。

「……はあっ」

 重い溜息をついて、力なく廊下を歩き始める。

 思えば、七糸と出会ってからというもの、心が落ち込むことが多い。そのせいか、自然と視線も下に向きがちになり、窓の外に広がる空が以前よりも遠くなったように感じる。

 思えば、最後に笑ったのは、一体、いつのことだったか……考えるだけで切なくなる。

「…うう、胃が痛くなってきた…」

 多少なりとも心労の絶えない日々に慣れてきたはずだが、いまだに心休まるときがない。特に、七糸が絡むと、余計に心の負担が倍増するので困る。

(……ここ数日は、リシリーとの噂について触れなくなったのはいいが…)

 会うたびに見当違いな恋の応援をし続けてきた七糸だが、最近は、その話題には触れなくなった。しかし、その代わりとばかりに、意味ありげに見つめてくることが多くなった。

(…あれなら、質問攻めにされたほうがまだマシだ)

 ぱっちりとした黒い瞳でこちらを見上げ、いろいろ言いたいけど我慢していますとばかりにもじもじされたら、もう、どうしていいのかわからない。

 正直な話、これから先、七糸にどう接すればいいのか迷っている。

 無論、仕えている者としての礼儀や立場は理解しているが、いざ、彼を前にすると、すべてふっとんでしまうのだ。騎士道だの建前だの体裁だの。そんなものは彼の前では無意味で無価値なのだと、嫌というほど思い知らされる。

「……さすがは、あのメア様を懐柔しているだけのことはあるな」

 今なら、彼女の状態を実感できる。

 魔力だの戦闘力だのでは測れない何かを、七糸は持っている。

 それは、魅力であったり、包容力であったり、いじらしさであったり。

 とにかく、これまでにはない攻撃力を秘めていて、それは、騎士であっても魔王候補であっても、防御不可能な代物なのである。これを最強といわずして、何と評すればいいのか。

(………あそこまでいくと、逆に怖いくらいだな)

 可愛さを武器にできるのは、せいぜい、赤ん坊や子供くらいのものだと思っていたが――七糸だけは、別らしい。

(…それとも、異世界の民は、みんなああなのだろうか?)

 だとすれば、随分と平和な世界に違いない。戦いを好まず、相手を思いやり、すべてを平等に愛することができれば、戦争なんて起きないだろう。

 そんなことを考えていたら、ふと視界の隅に人影が割り込んできた。

「…クロノアか」

「――はい。お久しぶりです、ラヴィアス様」

 声に応えて、メイド長が慇懃な礼を返した。頭を下げる角度といい、控えめな物腰といい、いかにも上級メイドらしい洗練された所作だ。上品で、優雅。それでいて、華美な印象は受けない。性格を別にすれば、まさに理想的なメイドといえるだろう。

 ちなみに、彼女は、ラビィが大怪我を負った事件以降、情報収集のため、屋敷内外をあちこち奔走している。こうして会うのは、ラビィの怪我が完治して以来になるだろうか。

「それで、何か新たな情報はつかめたのか?」

 ラビィの率直な問いかけに、彼女はやや声をひそめ、

「はい。ご報告したい件がございますので、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わない」

 ラビィが頷くと、クロノアは近くにあったドアを見やった。

「…では、あちらへ」

 二人で入ったのは、客間の一つだった。クロノアは、すっと窓辺へ近づいて外を確認してから、こちらを振り返った。

「それでは――いくつか新情報を得ましたので、ご報告します。まずは、ラヴィアス様が重傷を負った事件について、お話ししましょう。どうやら、あの騒動についても、例の悪鬼らしき存在が関わっていたようです。現場を詳細に調査し直してみたところ、ほんのわずかですが、私どもの知らない類の邪気が残っていました。その手の専門家に調べさせたのですが、やはりというべきか、詳しいことは何もわからないそうです。前例がないうえに、情報そのものが少なすぎますから、それは仕方ないかもしれません。ただ、メア様が結界を強化して以降、悪鬼らしき邪悪な気配は確認できませんから、ひとまずは、安全といったところですが――彼らが、いつ、どうやってこの屋敷に紛れ込んだのか、そして、どのような手段を使ってラヴィアス様を殺しかけたかについてなど、未だに不明な点がありますので、警戒は怠らぬほうがよいと思います。それと」

 彼女は、珍しく憂鬱そうに息を吐き、こちらを見つめた。

「…ナイト様を狙った謎の襲撃者についてですが――どうやら、私の影の一つが関わっていたようです」

「影? 確か、お前の特殊技能だったな」

 リシリーが細工師であるように、クロノアも習得困難なスキルを持っている。

 術者である彼女が『影写かげうつし』と命名しているそれは、自分や他者の姿を複製して使役する能力である。複製された存在は、クロノア同様に影のなかを自由に移動できるため、結界の外にも出入り可能であり、情報を集めるだけでなく、外から物資や手紙などを運ぶ際なんかにも役立っているそうだ。さすがに遥か遠方までは能力が及ばないらしいが、ちょっとした小国程度の範囲ならば、彼女の術の範囲内だというから、恐ろしい。

 クロノアは、憂鬱そうに睫毛を伏せて、話を続けた。

「森のほうへ放っていた影の一つなのですが、いつの間にか、術者である私が察知できないほど巧妙に乗っ取られていたらしく、あのような事態に……。愚かにも、私がその事実に気づいたのは、貴方様の精霊の力により、影が処分されたときなのです。本当に、情けない話です。ほとほと、無能な自分に嫌気が差しました。メア様専属のメイド長である私が、こうもあっさり敵に利用されるなど、あってはならないことです。ラヴィアス様の機転のおかげで、ナイト様の御身に危険が及ぶ前に処分できたことだけが、唯一の救いかもしれません。その節は、ありがとうございました、ラヴィアス様」

 彼女が深々と頭を下げたので、ラビィは驚いた。

 どんな事情があったとしても、男に頭を下げるなんて行為は、彼女らしくない。感謝していても、せいぜい口頭で礼を述べるに留めるはずだ。それなのに、ここまでするなんて、ちょっと考えられない。何か裏でもあるのではないかと疑ってしまいたくなるような珍事だ。

 ラビィが反射的に顔を引き攣らせると、クロノアは頭を上げて、溜息をついた。

「…はあっ。男に頭を下げるだなんて、それだけで寿命が削り取られます。ラヴィアス様のせいで、私の寿命が百年ばかり縮んでしまいました」

「………だったら、最初からしなければいいだろう」

 ラビィのもっともな意見に、彼女は露骨に顔をしかめた。

「…礼儀を尽くすのは、メイドである者の務め。それと私的なプライドは関係ありません。私は、どこかの騎士様と違って、公私混同はしない主義ですので」

「――…何が言いたい」

 チクチクと攻撃してくる言葉に苦い表情になるラビィに、彼女は蔑むような冷たい笑みを寄こした。

「いえ、私の知り合いの騎士様の話なのですが、こともあろうにお仕えしている主人に懸想しただけでなく、騎士としての役割を放棄して引きこもったりなどの問題行動を連発してまして。本当に、騎士としての誇りはどこに捨て去ってしまったのかと不思議でなりません。いえ、そもそも、最初からそんなものは持ち合わせていなかったのかもしれませんが……ラヴィアス様、同じ騎士という職に就く者として、どう思われますか?」

 婉曲に言いながらも、蔑みの眼差しを惜しげなく注ぐ彼女に、メアの姿がダブる。さすがは、メアに仕えるメイドたちのトップを張る女だ。性格の悪さは、メアに次ぐ。

「――…お前は、どこまでもメア様に相応しいメイドだな」

 皮肉を言ったつもりなのに、何を思ったのか、彼女は満足げに胸を張った。

「ふふ、そうでしょうとも。お嬢様にお仕えするのに最も相応しいのは、この私! 私以上にお嬢様を敬愛し、お仕えしたいと願う者はいないでしょう! さすがは、竜族。腐っても見る目はあるようですね」

「……いや、褒めたつもりはないのだが」

 珍しく上機嫌なクロノアの様子に戸惑いつつ、ラビィは話を戻した。

「…それで、今回の敵に関して、他に情報はあるのか?」

 敵は、憑依能力を持つ存在。伝承や伝説にある悪鬼に似た、何か。それは、警戒心が強く監視能力の高いクロノアやルーベクの目を欺いて、次々と事件を起こしている。結界の施術者であるメアですら気づかなかったくらいだから、相当、隠れるのがうまい。ただ、その攻撃方法は不明のまま。せめて、その方法だけでもわかれば、それなりに対策を練ることもできるのだが――。

 その点を訊くと、クロノアは、思案顔で口を開いた。

「敵の攻撃手段について、ですか? そうですね……私の考えでは、憑依した相手を乗っ取る行為そのものが攻撃なのではないかと思います。取り憑いた相手の能力を自在に操ることができるとすれば、これは大いなる脅威といえるでしょう。万が一――ええ、こんなことは絶対にありえないことですが、お嬢様の意識が乗っ取られたとしたら……それこそ、この世界を破滅させる事態に繋がりかねません」

「――だが、実際に狙われたのは、私とナイト殿だぞ」

 ラビィの指摘に、クロノアが深刻そうに頷く。

「…はい。その点が、どうにも解せないのです。強大な魔力保持者であると同時に魔王候補であらせられるお嬢様のお身体を狙っていると仮定すれば、唯一心を許していらっしゃるナイト様が狙われた件は理解できるのですが――…どうにも、そういう感じではありません」

 彼女は、一呼吸置いて、目つきを鋭くした。

「ラヴィアス様を殺そうとした一件に、悪鬼が絡んでいるとなれば、敵の第一目標は、貴方様だったはずなのです。ですが、あのときは、憑依ではなく、殺害そのものが目的でした。敵が、お嬢様への憑依を最終目標にしているのならば、ラヴィアス様を殺すことにさほどの意味はありません。ナイト様経由で近づこうとしていたのなら、なおのこと、余計な寄り道に他ならないからです。そこに、何かしらの意図があるように感じます。あと、見逃せないのは、何故、ナイト様が憑依対象で、ラヴィアス様が殺害対象になったのか、という点です。それについては、一つ、気になることがあるのです。あのとき――操られたリシリーが口走った言葉を、覚えていらっしゃいますか?」

「…ああ。確か、ナイト殿は危険だとか、そういう話をしていたな」

 そういえば、ラビィの契約精霊・コルカも言っていた。七糸には近づきたくない、あれは危険なのだ、と。

「そうです。私たちにとって、ナイト様は天使の如き清らかで愛らしい御方。間違っても、この世界に仇なすような脅威になるとは思えません。第一、ナイト様が危険な存在であるとするならば、何故、敵はナイト様の殺害ではなく、憑依を目的とし、世界的脅威とはほど遠いヘタレ騎士であるラヴィアス様を殺そうと目論んだのか。一体、彼らは何を恐れ、危惧しているというのでしょうか?」

 何だかツッコみたい発言が聞こえたが、あえてスルーして話を続ける。

「――…おそらく、私を殺すことで得られる何かがあり、ナイト殿を操ることで得をすることがある、ということだろう。何か、思い当たることはないか?」

「いいえ、私には何も。ですが」

 クロノアは、まばたきもせずにじっとこちらを見つめて言う。

「……彼らは、彼らなりの正義に従い、世界の変革を防ぐべく動いているのではないでしょうか」

「世界の変革…?」

「はい。異世界人であるナイト様がいらっしゃってから、世界は大きく変わりました。あれほど魔王討伐に興味のなかったメア様が行動を起こしたことで、魔界の住人たち、いえ、この世界そのものが変化してしまったのです。ラヴィアス様は、ナイト様と契約して以降、外の世界に出ていらっしゃらないので知らないことと存じますが――…外は、この屋敷と違い、大いなる変革のときを迎えているのです」

「…変革? まさか、大きな戦争でも起きようとしているというのか?」

「……それも、なきにしもあらずといったところでしょう。魔王の代替わりの際、破滅と再生が同時に起こると言われています。無論、多くの犠牲者が出るのは、歴史の流れからいってもさほど珍しいことではありません。ですが、今回の魔王の代替わりは、これまでの魔界の歴史とはまったく違う展開で進んでいるのです。その原因が何なのか、思い当たる節があるのではありませんか?」

 その静かな瞳に、ラビィは吐息した。

「……異世界の民である、ナイト殿とアルト殿の存在が大きく関わっているということか」

「はい。魔界の歴史は、魔界だけのもの。本来は、それ以外の世界の干渉を受けてはならないのです。ですが、メア様はナイト様に御心を奪われ、四枚羽であるラヴィアス様もナイト様に懸想している。この状況は、世界にとって、とても危ういのではないかと私は思うのです」

「…確かに、今回の魔王様討伐については、ナイト殿も無関係ではないが――だからといって、何故、私が殺されかけ、ナイト殿が狙われることになるのだ?」

「さあ。それは、あちらの事情であって、私などには想像することすらできませんが――異様な事件が立て続けに起きるということは、何者かの意図が絡んでいると見て、まず間違いないでしょう。敵がナイト様を脅威と感じているのだとすれば、私たちの知らない何かがあの方にあると見るべきです。もちろん、ナイト様が私たちを害するとは微塵も思っていませんが……何ごとも、用心するに越したことはないでしょう」

「…しかし、ナイト殿の何が危険だというのだろうか? 魔法も使えず、武芸の才もないというのに」

 思い当たることがなさすぎて、七糸を警戒しようということすら思いつかない。

 そんなラビィに、彼女はちょっと眉を寄せた。

「――…その件についてなのですが、一つだけ、気になることがあるのです。正確には、ナイト様に、ではなく、アルト様に関してなのですが」

「アルト殿? どういうことだ?」

 思いがけない名前に驚いていると、クロノアがやや声を低くした。

「――ラヴィアス様は、あの方を拝見して、どうお感じになられましたか? 竜族の目は、真実を見抜く力があるそうではありませんか。ですから、正直なところをお教えいただきたいのです」

「ど、どうといわれても――どうにも、得体が知れないというか…畏怖の対象といってもいい気もするが、単に私との相性が悪いという可能性もあるしな」

 種族によっては、相性の良し悪しで、無条件に恐怖や敵意を感じたりすることがある。おそらく、アルトに対して苦手意識を感じるのは、そういうところに問題があるのだろう。そう思っていたが――クロノアは気真面目な顔つきでうつむいた。

「……あの方に関しては、どうにも謎が多いのです。この世界に来てすぐ、お嬢様が施そうとなさった万能言語の魔法を無効化したことがありました。あのときから、何となく、おかしな感じはしていたのですが……あの方だけなのです。お嬢様の張った結界のなかにいるにもかかわらず、私や祖父が行動を把握できないのは」

「…行動を把握できない? だが、お前とルーベクの能力をもってすれば、この屋敷周辺の気配を探るくらいは可能ではないのか?」

「はい、そのはずなのですが――どうやら、完全に気配を断つ術を心得ているようで」

「……しかし、だからといって危険だとは限らないのではないのか? 現に、ナイト殿はアルト殿を信頼しているし、アルト殿もナイト殿を守ろうとしているように思える」

「それが、フリでないとどうして言えましょう? 貴方様が殺されかけた一件――私は、悪鬼だけでなく、あの方も何かしらの形で一枚噛んでいるような気がしてならないのです」

「…ま、まさか、そんなことがあるはずないだろう…?」

 かつて、一度、アルトに咬みつかれたことがあったが、そのとき、彼はわずかな傷すらつけられなかったのだ。竜族の硬い皮膚を切り裂く力があるとは思えない。

 しかし、彼女は言う。鋭い視線を向けて。

「…知者は水を楽しむ、という言葉をご存じですか? 賢い者は、臨機応変に状況を判断し、対処することに長けているのです。弱者を演じることで何かしらの益があるとすれば、そうします。強者が常に強面の顔を見せるとは限りません。戦場に出た経験のあるラヴィアス様ならば、身をもって知っている事実ではありませんか」

 確かに、小さな子供だと思って油断していたら、急にナイフを手に切りかかってきたり、一見、華奢な女性に思えても剛腕の持ち主もいる。見た目に騙されるな、情に流されるな。それは、戦場で戦う者が身につけるべき教訓の一つだ。

 しかし――それは、あくまでも戦場での話。何より、七糸の供であるアルトを疑うということは、主人である七糸を疑うことに等しい。

 だからこそ、ラビィはクロノアの意見に素直に賛同することはできない。

「だ、だが、アルト殿はナイト殿の御友人ではないか。敵であるはずがない」

「善人の友人が、すべて善人で味方であるとは限りません。もしかすると、ナイト様ご自身も騙されている可能性もあるのではありませんか?」

「――そ、それは…そうかもしれないが……」

 しかし、ラビィの見たところ、アルトは七糸に対しては友好と信頼の情をもって行動しているように思えてならない。

「……確かに、何故か、私に対してのみ攻撃的ではあるが――…それでも、アルト殿はナイト殿の味方だと思う。そうでなければ、ナイト殿もあそこまで心を許したりはしないだろう」

 七糸はお人好しで誰に対しても優しいが、アルトに向ける感情は家族へ注ぐ愛情そのものだ。誰よりも親しくて、近しい相手。だからこそ、いくら鈍感な七糸でも、アルトが牙を剥こうとしていれば気づくはずだ。傍にいるから――ずっと一緒にいるからこそ、相手の変化には敏感になるものだから。

 ラビィの出した結論に、クロノアは小さく肩をすくめた。

「…はあっ。ラヴィアス様は、考えが甘すぎて苛々します。だからなのでしょうね。出世するどころか、想い人にも相手にされず、一人寂しく死んでいくという悲壮な未来しか想像できないのは」

「…勝手に人の未来を決めつけないでくれないか」

 反論しつつも、ありえないことではないと思ってしまうあたり、どうにも恐ろしい。

「と、とにかく。これからも警戒をするに越したことはないということだな。メア様の結界があるからといって、油断しないほうがいい。何かあってからでは、遅いからな」

 特に、七糸の場合、ちょっと転んだくらいで怪我をするような柔な人間なのだ。魔界の住民にとっては掠り傷でも、彼にとっては致命傷になりかねない。

 そう危惧したからこそ、リシリーに頼んで魔法具をつくってもらったのだ。

(……早く、渡さなくては…)

 そう思うものの、どうにもタイミングというか、気持ちが邪魔して行動に移せない。しかし、本気で七糸の安全を願うのならば、さっさと渡すべきだ。

(…これは、仕事の一環なのであって、変に意識するほうがおかしいのだから)

 主の心配をするのは騎士として当然のことだし、そのために、羞恥心の一つや二つ、捨て去ることも辞さない。それこそが、正しい臣下のなすべきことだ。

「…そうです。何かあってからでは、遅いのです」

 クロノアは、思い詰めたような面持ちで呟き、そっと背を向けた。

「…だからこそ、今、私の情報収集能力が必要とされているのです。一刻も早く、真実を突きとめ、メア様にお伝えしなくてはなりません――それでは、私は仕事に戻ります。ラヴィアス様、どうか、お嬢様とナイト様を守って差し上げてください」

 言うなり、彼女は、すうっと近くにあったテーブルの影に吸い込まれるようにして姿を消した。その直後、室内の張り詰めた空気が解れていくのがわかった。どうやら、思った以上に緊張していたらしい。

「……しかし、守れ、とは」

 無論、そのつもりだが、実行するのは、存外難しい。別に、自分の腕に自信がないという意味ではなく、今回の場合、敵が敵だけに、戦術が立てにくいのだ。

「…明らかに、私とは相性が悪すぎる相手だしな」

 自分に可能なのは、せいぜい、後手に回らないようにひたすら警戒し、対処することだけだ。その点で言えば、メアのほうが適任だろう。

 憑依は、洗脳と同じだ。相手の心――魂を支配し、操る。手段や仕組みが違っても、メアならば、犯人について何かしらの糸口をつかめるのではないだろうか。それどころか、追い詰め、滅ぼすことも可能かもしれない。もっとも、メアのことだから、すでに七糸のために何かしら行動を開始しているに違いないが――。

「――とにかく、私は私のなすべきことをしなくては」

 敵の目的が何であれ、七糸に魔法具を渡すことで彼の身を守る。まずは、そこからだ。

(……そうだ、ここで迷っていても仕方がない)

 ここは一つ、勇気を振り絞って行動しなくては――。

 そう自分に強く言い聞かせつつ、客間を出た。

 すると、何故か、いつも静かなはずの廊下が少し賑やかに思えた。何かよからぬ事件が起きた、というよりは、ちょっとしたお祭り感覚というか――やけに、屋敷内の空気が浮ついている気がする。

 一体、何があったのだろうか?

 不思議に思いながら、ラビィは、近くにいたメイドを呼びとめた。

「…すまない。やけに忙しそうだが、何かあったのか?」

 すると、メイドはラビィを見るなり複雑な表情になった。

「は、はい。それが、メア様のお言いつけで、急きょ、催しが行われることになったそうで。そのう――ラヴィアス様にとっては、喜ばしいかどうか微妙なのですが」

「?」

 ラビィが喜ぶかどうか微妙な催しとは、何なのか…。

 想像もできずに首を傾げていると、メイドが気遣うように優しく言った。

「あ、あのですね…実は、とうとう、メア様とナイト様の正式なご結婚が決まったそうで。今夜は、その前祝いのため、みんなてんやわんやの状態でして…」

「――…は?」

 あまりにも唐突で衝撃的な発言に、ぽかんとする。

「け、結婚? だ、誰と誰のだ??」

 思わず、素っ頓狂な声で訊くラビィを見つめ、メイド娘が控えめに告げる。

「で、ですから、その――メア様とナイト様の挙式が、つい先ほど決まったのです」

「き、挙式だと? な、何だ、それは? また、いつものメア様の暴走ではないのか? ナイト殿は了承したのか? 一体、いつの間にそんな話になった?」

 血相を変えて矢継ぎ早に問うラビィの様子に、メイド娘が気まずそうに視線を外した。

「それは、お二人の事情あってのことですから、よく存じ上げませんが……ですが、もともと婚約していたのですから、いつ結婚してもおかしくはない状況ではありましたし」

「そ、それはそうだが――し、しかし、何故、今なのだ? あまりにも急すぎるだろう!」

 ラビィ襲撃の件も、七糸が襲われかけた件も、まだ何も解決していないというのに、能天気に結婚式なんて挙げている場合ではないだろう。

 しかし、メイド娘はやや強い口調で言う。

「何をおっしゃるのですか。愛を誓う儀式に、期限やルールなんて無粋なモノは存在しません。今だと思った瞬間が、そのときなんです。女には、そういったものごとのタイミングを見計らう能力があるんですよ。だから、今、結婚なんです。メア様の心がそうお決めになったのです。その選択に、間違いなどありません」

「――そ、そういうものなのか?」

 はっきりいって、男には理解不能な感覚だ。

 しかし、メイド娘は、気遣うような淡い笑顔を浮かべた。

「はい、そういうものです。ですが、ラヴィアス様も諦めるにはまだ早いですよ。ナイト様がご結婚なさっても、まだ、愛人になれる可能性が残ってますから。ああ、でも、リシリー様との件もありますし、いろいろ大変でしょうけれど――それでも、きっと、大丈夫です。リシリー様は寛容な方なので、浮気の一つや二つ、笑顔で許してくださると思います。ですから、これからもくじけずに頑張ってくださいね!」

「……が、頑張れって、一体、何をだ…?」

 別に、七糸の愛人になりたいわけではないし、そもそも、彼に気持ちを打ち明ける気すらないのだから、想いが叶うこと自体が現実的ではない。というか、今の時点で、リシリーとの仲に関する噂は一体、どうなっているのだろうか。まさかとは思うが、話が捩れに捩じれて、ラビィはリシリーと七糸の両方を好きな軽薄な男だと思われているのだろうか。だとすれば、一大事だ。今すぐにでも、その誤解を解くべきだが――…。

(…今、重要なのは、ナイト殿とメア様の結婚話のほうだ)

 式の準備をしているということは、両者の間で話がついたということなのだろう。

(……ナイト殿が結婚を認めたのならば、仕方ないが…しかし……)

 自分にあれこれ意見する権利はないと思うが、二人の結婚に関しては、絶対に、認めたくない。何かの間違いだと思いたい。

 もやもやしたものを抱えつつ、廊下を歩いていく。本来ならば、七糸の様子を窺いに行くところだが、足は自然と自室のある方向へと動いていた。


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