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二・五話 其の一

こんにちは、谷崎です。先日、一話分の話が長くて読みにくいとのご指摘があったので、今回は二つに分割してみました。それでも長いと思いますが…気長にお付き合いくださいましたら、嬉しいです。

      《 第二・五話 其の一 》



 ほの暗い闇をくり貫くようにして、淡く輝く白い光の道が伸びている。

 固い岩に囲まれた通路は、大人一人が肩を狭めて通れるほどの広さしかなく、震えがくるほどに寒い。手を伸ばすと、冷気を纏った岩肌が触れる指先をチリリと刺激する。

「…っ」

「だいじょーぶ?」

 前を行くおかっぱ頭の少女が、心配そうに振り返る。その小さな唇から、寒々しい白い息が漏れた。

「…うん、へいき」

 短めの髪を二つに結った少女が、強がって答える。しかし、その顔色は悪い。

 それもそのはずだ。彼女たち、火竜一族にとって冷気は天敵の一つ。そんな場所に一時間以上もいれば、弱って当然だ。しかし、どんなに辛くても、二人は弱音なんか吐かない。それが暗黙の了解であるかのように、ただ、ひたすら前を向いて歩いていく。

「…たぶん、もうすこしでつくよ! がんばろーね、サーシャ!」

 おかっぱの少女・ライナの励ます声に、サーシャは小さく頷いた。

「う、うん。がんばる」

 しかし、励まし合う少女たちの足取りは重く、鈍い。強く手を繋ぎ、互いの体温に縋ることで、どうにか気力を保っている。まさに、そんなギリギリの極限状態だった。

 本来ならば、ごく平和に、光に満ちた温かな場所で過ごしているはずの二人がいるのは、火竜一族の住処すみかから少し離れた場所にある『冷窟れいくつ』と呼ばれる氷の洞窟だった。

 火竜一族は、火の精霊が多く存在する土地、ほむらの地を住処としている。そこは小国といっていいほどの規模があり、その環境は極めて特殊で過酷だった。火竜一族のように熱に強い種族にとっては何でもないが、それ以外の者、特に熱に弱い種族は、三日と生きられない。そんな灼熱の土地だというのに、何故、氷でできた『冷窟』が存在するのかというと――答えは簡単。それが人工的につくられたものだからだ。

 火竜一族にとって、熱はいわば友達のようなものだが、一部の者にとってはそれが弊害となる場合がある。

 成長不全症。二十パーセントの確率で火竜族の子供たちを襲う、不治の病。その病の発症条件は未だに不明だが、生まれたときに浴びる熱の温度が関係するといわれている。その病にかかると、幼い容姿と思考能力のまま成長が停止、もしくは異常に遅くなり、大人になれないまま生涯を終えることになる。ライナとサーシャもその病に罹患しており、成長が完全に停止しているわけではないものの、生まれて百年以上が経過しているのに、ようやく羽が動くようになったばかりの幼子と変わらない。本来ならば、思春期の少女らしい姿になっていてもおかしくない年頃だというのに、二人の時間だけがゆっくりと、流れているのかどうかわからないほど静かに流れていき――いずれ、大人になれないまま死を迎えることになるだろう。大空を舞うための羽を与えられながら、自由に飛ぶこともできないままで…。

 もちろん、先人ならぬ先竜たちもただ手をこまねいていたわけではない。不治の病を治すべく、長い年月をかけ、ありとあらゆる対処法を試みてきた。秘薬を煎じてみたり、他種族から得た薬学や魔術を試してみたり。しかし、望むような結果は得られなかった。それどころか、年月を重ねれば重ねるほど、病はゆっくりと竜族を蝕み続けた。子供が大人になれない。それ自体は、生命維持という観点からは、さほど大きな問題にはならない。病が原因で早死にするわけではないからだ。問題は、大人が減り続けるということ。それは即ち、種族の衰退を意味する。そして、それは、火竜一族だけの問題ではなかった。その他の竜族もまた、原因はそれぞれ違いながらも、同じく成長不全症の子供が増え続けていたのだ。事態を重く見た各竜族の長たちは、互いに情報を出し合い、病の対処法を調べ続けた。数千年、いや、それ以上の歳月をかけて研究した結果得られた結論は一つ。それは、荒療治とも言える代物だった。

 たとえば、火竜一族の場合、天敵であるはずの冷気。それを、病を発症した子供に定期的に与えることによって、完治には至らないものの、症状が和らぐことがわかった。ゆっくりとではあるが、成長することができるようになったのだ。それが判明してからは、病の改善及び根本的な治療法を探すために、水竜一族の長に頼み込み、比較的涼しい地下に氷の洞窟をつくってもらった。それからは、氷が融けないように厳重に、幾重にも結界を重ねて保存・管理し、守り続けている。つまり、『冷窟』は、子供たちを救うため、そして、種族の繁栄のために必要不可欠な、一族の宝と呼んでもいいほど貴重なものなのである。

 しかし、いくら病改善のためとはいえ、ライナとサーシャは、深く、長く潜りすぎた。

 いつもなら、こんな深いところまでは来ない。いや、寒すぎて行くことはできない。

 少女たちは、防寒着を何枚も重ね着しているのに、カタカタと小刻みに身体を震わせている。吐く息は白々と凍え、靴底から忍び寄る冷気は否応なく体温を奪う。

 本当ならば、すぐにここから出るべきだった。生命の危機を訴える本能に従い、引き返すべきだった。しかし、彼女たちは迷うことなく前に進む。何かに背中を押されるようにして。

「……ねー、ライナ。まだ、とおいの?」

 息だけでなく、声まで寒さで震えている。

 ライナは振り返ることなく、小さく歯を震わせながら、

「…あのね、せいれいさんが、もうすぐだって」

 そう言って、目の前をちらちら横切る氷の欠片を見つめた。

 五つほどの氷の破片は、淡く発光しながら、二人の周囲を飛び回る。

「サーシャ、ほら、あるこ!」

 誘導するように先を行く氷の欠片たち――氷の精霊を追いかけるようにして、ライナが歩を進める。その小さな背中を不安げに見つめ、サーシャもそれに続く。

 本来、火竜の血を引く者は、水属性の精霊と会話することはできない。魔王が世界中に施したとされる、あらゆる種族との会話を可能にする万能言語の魔法も、超自然的存在である精霊には効き目が弱いのだ。それに加えて相性が悪いとなると、更に会話の難易度が増し、互いの声すら聞こえないのが常だ。しかし、何故か、ライナにだけはその声が聞こえているらしい。

 サーシャがそのことを知ったのは、ほんの一週間前のことだった。



 二十日に一度、ライナとサーシャは『冷窟』に入ることになっている。発病してからずっと続けているにも関わらず、どういうわけか、二人にだけは、ほとんど効果がなかった。他の子供たちがどんどん大きくなっていくのに、自分たちは何も変わらない。しかし、そのことを憂うこともなければ、悲しいと思ったこともなかった。何故ならば、大人はみんな子供に優しいからだ。怖い近所のおばさんも、両親も、厳しい学校の先生も。みんなみんな、二人には甘い。何をしても、どんな我儘を言っても、許してくれる。だから、大人になりたいなんて微塵も思わなかった。

 それなのに――ライナは、唐突に、何の前置きもなく、こう言った。

 早く大人になりたい、と。

 これまでそんな話を聞いたことがないサーシャは、驚いて理由を訊いた。すると、彼女はうつむきがちにぽつりと答えた。

「…あのね、ライナね、こおりのせいれいさんとおはなししたの」

「――え?」

 思いがけない話に、サーシャは、ぽかんとした。

「…ライナ、こおりのせいれいさんとおはなしできるの? どうして? サーシャにはできないのに…」

 これまで、ライナにできることは自分にもできると思っていただけに、サーシャはちょっとだけ驚き、ちょっとだけ寂しさを感じた。

 ただ、サーシャにも、氷の精霊の姿を見ることはできる。きらきらと発光しながら空中浮遊している小さな物体。それが氷の精霊だ。残念ながら、その声までは聞こえないが――。

 すると、ライナはサーシャが信じていないと思ったのか、真面目な顔つきで訴えた。

「ほ、ほんとだよっ? ライナ、せいれいさんのこえ、ちゃんときこえるんだよ? ほんとのほんとだよ?」

「うん、わかってる。ライナはうそつきじゃないもん。それで、せいれいさんとどんなおはなしをしたの?」

 サーシャの興味津々な声に、ライナがまばたきをして答える。

「…うん、あのね、せいれいさんがライナにいったの。このまま、おとなになれないと、みんなにおいてかれちゃうね、さびしいねって」

 そう言われたとき、サーシャの背筋を、ぞわりと悪寒が撫でた。ライナの言葉が、ひどく恐ろしいもののように感じられたからだ。


 ――みんなに、置いて行かれる。


 それは、これまで二人が見過ごしてきた辛い現実そのものだったが、思考回路が幼いままのサーシャには、漠然とした恐怖としか認識できなかった。

 だから、訊いた。どうして、寂しいのか。何故、みんなに置いていかれることになるのか。

 少し考えるような間を置いて、ライナが口を開いた。

「…あのね、ライナたちがラビィにーさまにおいてかれちゃったの、こどもだったからじゃないかって、せいれいさんがいうの。ほかのこたちも、みんな、どっかにいっちゃったでしょ? きっと、こどもは、おとなにおいてかれちゃうんだよ」

 確かに、みんないなくなった。大人になって、町から出て行ってしまって、それからこの地に帰ってくる者は一握りしかいない。たとえ帰ってきたとしても、誰一人として昔のように無邪気に遊んだり笑い合うことはなかった。子供のままではいられないのだと何度も言われたが、二人には大人の事情など理解できるはずがなかった。

 だからといって、別に、寂しいとか悲しいとかは一度も感じたことはない。つまらないと思うことはあっても、傷つくことはなかった。

 サーシャにはライナがいて、ライナにはサーシャがいて。

 それだけで、孤独感を埋めるには充分すぎると思っていたのに――たった一人だけ、例外がいた。

「……ラビィにーさま…」

 優しい面影を思い浮かべて、ぽつりとサーシャが呟く。すると、ライナが泣きそうな顔できゅっと下唇を噛んだ。その様子につられて、サーシャまで泣きそうになる。

「…ねー、ライナ。にーさま、サーシャたちのこと、きらいになっちゃったのかな?」

 どうして急にいなくなったのか、なんて詳しい事情は、幼い二人にはわからない。ただ、大好きなラビィにーさまが一族を裏切ったという話だけを聞かされた。もう、会ってはいけない。もちろん、メアや七糸ナイトにも。

 そう言われても、二人には何がどうなっているのか、全然わからなかった。

 ただ、置いていかれたと思った。繋いでいた手を急に払われたような、そんな寂しさと悲しみを覚えた。

「…ちがうよ、サーシャ。にーさまがライナたちをきらいになるわけないもん。きっと、こどもだから、おいてかれたんだよ。おとなは、いつもやさしいけど、ずっといっしょにあそんでくれないでしょ? いそがしいから、おしごとがあるからって。だからね、ライナたちはおとなにならなきゃいけないんだよ。そしたら、また、にーさまとあそべるから」

「――ほ、ほんと? また、いっしょにあそべる?」

「うん! だって、おとなは、おそらとべるんだよー? びゅーんって」

 ライナが明るい声で言い、それに誘われるようにサーシャも笑顔になる。

「そっか。にーさまがとおくにいっちゃっても、おとなになって、びゅーんってとんでったらいいんだもんね! そしたら、ラビィにーさまと、メアさまとナイトさまと、またいっぱいあそべるね。サーシャ、いっしょにピクニックいきたいなー」

「うん、ライナもピクニックだーいすきっ!」

「あ、ねー、リシリーにまたおかしつくってもらおーよ。ふわふわであまあまでおいしーの」

「うんうん。リシリー、おかしつくるてんさいだもんねー」

 すっかり盛り上がった二人だったが、ふと、現実の壁にぶち当たる。

「……でも、どうやっておとなになる? さむいトコにずっといれば、おとなになれる?」

 不安げに、サーシャが訊くと、ライナがえっへんと胸を張ってみせた。

「…こおりのせいれいさんがね、おとなになるほうほう、しってるっていってた! 『れーくつ』のいちばんおくにある、こおりのたまをこわせばいいって」

「こおりのたま? それをこわしたら、おとなになれる?」

 そんなことで、本当に願いが叶うのか。判断力の鈍いサーシャにも、にわかには信じられない話に思えた。

 これまで、大人たちがあれこれ考えてくれたのに、二人の病気は少しもよくならなかったのだ。それを、急に治るとか言われても、困惑するばかりで信じることなどできない。

 しかし、ライナは言う。ぎゅっとサーシャの手を握りしめて。

「うん、こわせばいいだけだもん。こどもにだってできるよ。よかったね、サーシャ。これで、ライナたち、おとなになれるよ。もう、おいてかれないよ」

「……そっか、うん。おとなになったら、もう、にーさまにおいてかれないね」

「うん。ずっと、いっしょだよ」

 ずっと、一緒。

 その言葉は、サーシャにとっては甘い誘惑だった。

 信じられないと思っていたことが、急に信じられるようになる。

「…がんばろーね、ライナ」

 ギュッと手を握り返し、誓いを立てるような気持ちで言う。

 ライナも力強く頷き、それに応えた。

「うん、ぜったい、ふたりでおとなになろーね!」



 そして、その約束通り、今、二人は『冷窟』の奥を目指して歩いていた。

 氷の精霊がきらめきながら、周囲を飛び回る。辺りを照らしながら――まるで、引き返さないように見張るみたいに――…。

 やがて、二人は、やや広めの空間へと出た。休憩するにはちょうどいい広さ。十畳の小部屋くらいの大きさがあるだろうか。そこは行き止まりというわけではなく、奥には、まだ細い道が続いていたが、道と呼ぶにはあまりにも狭すぎて、大きなひび割れのようにも見えた。

「あっ!」

 二人が足をとめたのは、あるものが視界に飛び込んできたからだ。

「ね、こおりのたまって、あれ?」

 サーシャが前方を指差しながら訊く。

 部屋の中央には、祭壇のように床から突き出した氷柱が伸び、その上には見慣れないものが載っている。滑らかな円を描く、無色透明の玉。それは、見る角度によって、青や黄、赤や白に変わる。

「あ! あれだよ、サーシャ!」

 歓喜の声をあげたライナが、勢いよく駆け出した。笑顔の彼女に手を引かれて、サーシャも走り出す。そのあとをきらきらと輝く氷の欠片が追いかけていく。

「わあーっ! きれいだねーっ」

 光の雫を集めたような子供の頭ほどの大きさの氷の玉は、見るたびに色を変えて、怪しくも神秘的な光を放つ。そのあまりの美しさに、子供たちは、凍えそうな寒さを忘れて見入ってしまった。

「………きれい」

「…………うん、きらきらしてるね」

 ほうっと溜息が漏れる。

 見れば見るほど、心が奪われる。目が離せなくなる。

 湖面が光を反射するように――いや、その何倍も眩しく輝いて、神聖な空気を醸し出している。近寄りがたく、侵しがたい。子供心に、畏怖にも似た敬虔な感情を抱かせるそれは、もの言わぬ聖女のように、ただ静かに、台座の上に鎮座していた。

「…こわすの、もったいないね」

「うん。こんなにきれいなんだもん」

 不思議な輝きを放つ玉は、まさに至高の逸品に思えた。できるなら、壊してしまいたくない。このまま綺麗な形のまま残しておきたい。

 二人は、迷うように顔を見合わせた。

「…でも、こわさなきゃ、おとなになれないんだよね?」

「うん。でも、こわしちゃかわいそうだよね。こんなにきらきらしてるのに…」

「ね、かわいそうだよね。すっごくきれいだもん」

 まるで、宝物を壊すような気持ちになってきて、ライナとサーシャが一歩、氷の玉から離れた。その瞬間、

「…っ!?」

 ぶわっと、視界に白い光が押し寄せてきた。

「!!!」

 ライナとサーシャが、思わず息を呑む。

 何が起きたのか、すぐにはわからない。

 理解できたのは、ライナたちを覆い隠すようにして、氷の精霊たちが発光しながら乱れ飛び始めたということ。玉の破壊を躊躇う二人を急かすように、脅すように。その数は、いつしか、数十、いや、数百、数千にも膨れ上がり、洞窟内を満たしていく。

「っっっ」

 あまりにも突然の出来事に、パニックになる。恐怖と不安に胸が押し潰されて、悲鳴さえ出てこない。

 ぎゅっと強く握っていたはずの互いの手が、いつの間にか離れている。それに気づく余裕すらなく、キンと張り詰めた空気が凍えていく。しかし、少女たちにとっては、肌を刺す冷気よりも目から入ってくる光刺激のほうがよっぽどこたえた。

 氷の精霊たちの発する冷たい光は、痛みを伴うほどに眩しい。光と冷気の洪水に呑まれ、とてもではないが、まともに目を開けていられない。

「っっ!」

 耐えきれなくなったライナが両目を手で覆い、サーシャもその場にうずくまる。

 目を閉じてしまえば、視界は暗く染まり、眩しさからは逃げられる。しかし、その代わりに、皮膚を刺激する寒さを思い出してしまう。

 これまで感じたことのない、恐ろしいほどの冷気。それは、思考能力を著しく低下させる。

(さむいさむいさむいさむいさむいさむいさむいさむい!)

 肌どころか骨を貫くような冷たさ以外、何も考えられなくなる。ここへ来た理由も、逃げることさえも思いつかない。

 ただ、ひたすら、寒すぎて、痛すぎる。それこそ、正気を奪うほどに。

「…さむいよう! いたいよう! ライナ、ライナぁ!」

 サーシャの泣き声に、ライナが震える声を絞り出した。

「サーシャ、どこぉっ!?」

「っ!」

 すぐ傍にいるはずなのに、声は何故か遠い。しかし、その聞き慣れた声に、サーシャの心にわずかな希望が生まれた。一人ではないという、希望。だが、それは、必ずしも救いにはならない。子供の彼女たちには、二人で凍え死ぬのを待つという選択肢しか残されていないからだ。

 せめて、年相応の姿だったならば。

 年齢に応じた知能があれば、魔力があれば。

 ここから逃げることもできたかもしれないのに。

「サーシャ、どこっ!?」

「こっちだよ、ライナ!」

 大声で呼ぶものの、目を塞いだままでは、相手の位置がよくわからない。しかし、目を開けても、溢れる冷たい光に視界を奪われて何も見えない。何とか気力を振り絞り、声を頼りに這うようにして動こうとするが、凍えた身体が言うことをきかない。

「……さむいよう」

 喉が凍えて、声にならない。

「………」

 ライナが何か言ったような気がするが――聴力さえも冷気に負けて、うまく機能してくれない。

(………)

 全身が凍りついていくのを感じる。寒さが痛みに変わり、痛みが冷たさに変わる。

「………」

 まぶたが凍りついて、開かない。震える身体から力が抜けて、みるみるうちに熱が奪われていく。眠気にも似た、脱力感。何とかしなければと訴える本能を打ち消すようにして、冷気が容赦なく、体温を、思考を奪っていく。

(……ライナ……)

 吐く息の音すら、聞こえない。視界はどこまでも暗く、指の感覚どころか、自分の肉体がどこにあるのかすらわからない。いや、そもそも、自分は本当に生きているのか。もしかすると、とっくに死んでしまっているのではないだろうか。そんな気さえしてくる。

(………にーさま……たす、けて…)

 声にならない声をあげて――サーシャの意識は、そこでぷつりと途切れた。





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