第四・五話・其の六
《 第四・五話・其の六 》
「――…リ、リッシュ!」
思わず駆け出して、ぐったりとした妹を奪うようにして抱き寄せた。
大量の返り血を浴びた白い肌は、髪に溶かされ、あちこち痛ましいくらいに腫れあがっている。怪我の状況は思った以上にひどく、呼吸も少し荒かったが、致命傷というわけではなさそうだ。
「…とりあえず、応急処置程度ですが」
青年は、さっと自らの上着をリッシュに被せると、その手をリッシュの胸元にかざした。その手から、ぽうっと乳白色の光が溢れる。
「……これってもしかして、回復魔法…?」
暖かな光が、リッシュの身体を包み込み、癒していくのがわかる。
「貴方、こんな魔法も使えるのね」
思わず感動していると、彼は申し訳なさそうに目を伏せた。
「…もともと、私たち竜族は、回復魔法は不得手なのです。故に、気休め程度のものしか扱えませんが」
その言葉に、ちょっと驚く。
「竜族? 貴方、竜族だったの?」
竜族について詳しくは知らないが、昔読んだことのある本のなかでも、その扱いはかなり特別だった。創世の物語では、神の使いだったり、世界を滅ぼす絶対悪だったり。とにかく、戦闘種族のなかでも最強クラスといわれている、いわばエリートだ。
「すごいのね。私、初めて見たわ!」
騎士の青年は、目をきらめかせるリシリーを穏やかに見つめて言う。
「…竜族など、さほど珍しくはありませんよ。王都へ行けば、いくらでも見られます。むしろ、貴女がたのほうがよほど希少でしょう。初めてですよ、髪喰い一族のかたと出会ったのは」
他意のないセリフに、無意識に身体が強張る。
「――…そりゃそうでしょうね。私たちは、忌み族だもの」
高名な竜族と違って、胸を張って自慢できるような血筋ではない。
しょんぼりとうつむくリシリーに、彼は不思議そうな視線を向けた。
「…何故、落ち込む必要があるのですか? 忌み族というのは、当時の国の権力者たちが自らの治世において邪魔な種族をそう呼んだだけにすぎません。むしろ、そんな過去の遺物のような呼び名に執着すること自体、間違っているのです。貴女が気に病むようなことではないでしょう?」
「……そうかしら」
そんなことは、当事者でないから言えるのだ。
閉鎖的な環境で暮らしたこともなければ、厄介な掟に縛られることなく、自由に生きてきた者の無責任な言葉にすぎない。
そう思うのに――…。
(……どうしてかしら…?)
何故か、不意に涙が滲んだ。
忌み族なんて呼び名を気にするな、なんて。そんな無責任に放たれたセリフに、感動したわけではない。それどころか、第三者のくせに、知ったような口を叩くなと怒鳴りたいくらいだ。
(…それなのに、どうして、涙が出るのよ?)
反発する心とは裏腹に、じわじわと胸が熱くなるのを感じる。その熱に混じって、ちくりと小さな痛みを感じるのは、何故だろうか。
(――…血筋なんて、関係ない。私は、ずっとそう思い続けてきたわ。でも…)
リシリーが彼の言葉で感じたもの、それは、思いがけない真実。第三者の、目線。
(…忌み族という言葉に捉われていたのは、他でもない私自身だったのかもしれないわね)
他人だけではなく、自らも傷つけてしまう、忌まわしい一族の血筋。呪うことはあっても、誇ることなど何もないこの身で求めるものは、ただ一つ。
幸せになりたい。
掟や血筋に縛られることなく、毎日、笑って過ごしたい。
たった、それだけなのだ。自分が望むのは。
だから、村を出た。村を出さえすれば、忌み族という呪いから解き放たれるような気がして。しかし、外に出てからというもの、リシリーは、髪喰い一族であるということを伏せ続けていた。さすがにメイドの面接では事前に説明はしたが、道中、宿に泊まるときの宿帳にも種族名は書かなかった。追い出されるのを警戒していたというのもあるが――追い出されなかったとしても、きっと黙っていたと思う。そうしなければ、ひどい目に遭うのではないかという本能的な恐怖が、頭にこびりついていたから。
(……リッシュに、ひどいことをしてしまったわ)
外の世界が、こんなにも危険だと知っていれば、連れてこなかった。こんなに傷つくとわかっていれば、絶対に、村から出さなかった。
(…私は、ただ単に悲劇のヒロインを気取っていただけ)
村を出ることで、髪喰い一族としての自分を消してしまいたかった。血筋にとらわれず、普通の女として生きたかった。
素敵な物語のヒロインになりたくて、幸せな夢を思い描いていた。
(…でも、そんなこと、できるはずがなかったのよね)
リシリーのなかに流れる血は、髪喰いの血。それを捨てられない以上、受け入れるしかない。
(――結局、私は、他の誰にもなれないんだから)
自分を拒絶しても何も始まらないし、変わらない。それよりも、自分を好きになる努力をすべきだったのだ。自分自身に誇れるような女になれるように。
今さら、そんな当たり前のことに気づくなんて馬鹿みたいだ。
(…しかも、他種族に指摘されるとか、ありえないわよね)
でも、そんなありえないことが起きるのが、外の世界なのだろう。
(――…だとしたら、このまま外の世界にいれば、私も変われるってことかしら?)
今度こそ、血筋に捉われず、自分らしく生きていけるのだろうか。もしそうなら――外の世界も、ただ怖いだけではないのかもしれない。
少なくとも、ここに一人、リシリーの血筋を知りながらも恐れないで接してくれる人がいるのだ。探せば、もっとたくさんの人と知り合えるかもしれない。
騎士の青年の言葉に思わず涙が出てしまったのは、きっと、心から安心できたからだ。
村を出てからというもの、他者の迫害を恐れて気を張り続けていたから――…彼のような人がいるとわかって、ふと肩の力が抜けてしまったのだろう。
(……ほっとして涙が出るなんて、何だか子供みたいだわ)
村では、大人として扱われるような年齢だというのに、少し恥ずかしい。
リシリーが涙を拭って、騎士の青年を見やると、何故か、彼は少し青ざめていた。
「…そ、その、申し訳ありません。私は、以前から、気が利かないとか空気が読めないとか、よくミルバ様にお叱りを受けていまして。女性を泣かせるつもりはなかったのですが、失礼なことを言ってしまったのだとしたら、どうお詫びすればいいのか…」
明らかに狼狽している様子に、リシリーが苦笑する。
「……何でもないの。貴方の言葉は正しいわ。忌み族なんて言葉は、ただの偏見だもの。時代錯誤も甚だしいわよね」
血筋に誰よりもこだわっていたのは、リシリー自身。
自分が何者であろうとも、胸を張って生きていれば、いつか誰かが認めてくれるはずだ。
(……そう、いつか誰かが本当の私を見つけてくれるはずよ)
忌み族という言葉も、血筋という呪いも。
そんなものは関係ないと言ってくれる人が、きっといるはずだ。
そして、その人こそ、リシリーの求める王子様に違いない。
(――…って、あれ? ちょっと待って?)
心に引っかかるものを感じて、改めて、目の前の人物をまじまじと観察してみる。
(……確か、私の探してた王子様って…)
リッシュに語った、理想像を思い描いてみる。
ますは、背が高くて見た目もよくて、紳士的。経済的に余裕があって、女を蔑むことのない人物。それが、最低ライン。一番大事なのは、髪喰い一族としてのリシリーを恐れず嫌わず接してくれること。
以上の点を踏まえて考えると――目の前の人物は、まさにドンピシャではないだろうか。
(…しかも、竜族で騎士だなんて、すごくない?)
何より、リシリーと妹を救ってくれた。このポイントは、かなり高い。
(…明らかに女慣れしてない言動と雰囲気からして、妻帯者って感じじゃないし)
万が一、既婚者だったとしても、さほど問題ではない。騎士は、貴族階級にあたり、貴族の男が複数の妻を持つのは、別に珍しいことではないからだ。
(――…でも、ここまで出来すぎた人物ってのも、逆に怪しい気もするのよね…)
髪喰いの女を恐れないのは、騎士としての建前かもしれない。万が一、外面がいいだけの男だとしたら、それはリシリーの想い人としては相応しくない。
その辺りを見極めようと、リシリーは、試すように訊いてみた。
「…ねえ、騎士さん? 知ってるかしら。髪喰いの女は、不幸を呼ぶ、なんて言われてるのよ。私が怖くないの?」
その問いに、彼はまばたきをして、
「不幸を呼ぶだなんて――それは、ただの迷信でしょう? そんなものをいちいち真に受けていては、騎士の仕事は務まりません」
あまりにもあっさりと言うもので、リシリーは思わず吹き出した。
「ふふっ、そうね。貴方の言う通り、ただの迷信だわ。無責任な、嘘っぱち」
「…は、はあ、そうですね。とりあえず、応急処置は終わりましたので、あとは、救護班に任せましょう。さあ、そろそろ、上に戻りましょうか」
泣いたと思ったら、急に笑いだしたリシリーの様子を訝しみつつ、リッシュを抱き上げた青年が促す。
「ええ、行きましょうか」
リシリーは笑顔のまま頷き、彼と共に歩き出した。
その後、妹を連れて地上へと戻ったリシリーは、リッシュの回復を待ってから、二人で村へと帰った。
当然ながら、村長に絞られ、家族に叱られ、散々な目に遭ったが――心に傷を負ったリッシュにとっては、村での生活こそが癒しとなった。
それから、一年ほど村に滞在して、リッシュが落ち着いたのを見てから、リシリーは、再び外の世界で生きることを考え始めた。
今回の件は、恐ろしくも辛い事件だったが――それでも、思いがけない出会いのおかげで、心が折れずにすんだ。いや、折れるどころか、リシリーには、生きる目的ができてしまった。
血筋を恨まず、逆に、誇れるような人生を手に入れる。
もう、他者からの目を恐れたりはしない。どんな偏見にも、屈しない。
そんなふうに生きられるようになれば、誰もが気にかけずにいられない魅力的な女になっているに違いない。
それこそ、あのときの騎士の青年の隣に並んでも引けをとらないくらいに。
(…そうよ、今の時代、お姫様を夢見るだけなんて古いわよね)
欲しいモノは、積極的に追い求め、手に入れなくては駄目だ。待つだけ、望むだけでは、何も手に入らない。
ただでさえ、リシリーは忌み族という枷があるのだ。並みの努力では、叶わない夢かもしれない。それでも、やってみなくては何もつかめない。
(――だって、私は、見つけたんだもの!)
自分だけの王子様。
思い描く、理想の人を。
(…だから、私は、外の世界で生きていくわ。たった一人でも――たとえ、一族のみんなに馬鹿だと言われても)
今度こそ、くじけない。何ものにも負けはしない。
絶対に、自力で幸せになってみせる。
そう強く心に決めたリシリーは、新たな人生を得るべく、外の世界へと飛び出したのだった。




