第四・五話・其の二
《 第四・五話・其の二 》
髪喰い族は、忌み族の一つである。
忌み族とは、文字通り、近づいてはいけない、禁忌の一族のことだ。
ただ、それは、関われば呪われるとか不幸になるといった、その程度の思い込みと決めつけの果てに与えられた風評にすぎず、本当の意味で禁忌であるかどうかは、また別問題である。
しかし、世のなかというものは、存外適当にできていて、そんなくだらない噂を信じる輩は意外と多い。
種族がバレると同時に、誰もが手のひらを返したかのように態度を変える。親切だったおばさんは顔を歪めて遠ざかり、近くにいた人々は遠巻きにこちらを観察してきたりする。
まるで、檻から放たれた猛獣扱い。
しかし、まあ、それは正直どうでもいい。自分に流れる一族の血がそうさせるのであって、リシリー自身に罪はないのだから。
「…お姉ちゃん」
不意に、服の袖を引っ張られて、リシリーは腰までの高さしかない歳の離れた妹を見やった。
青くてさらさらした髪が風に靡く。色白の肌は、透き通るほどに清らかで、こちらを見上げるスミレ色の瞳は、不安そうに揺れている。
「どうしたの? そんな顔して。せっかくの美人が台無しよ?」
姉の声に、内気な妹は顔を曇らせて、身体を寄せてきた。
「……お姉ちゃん、本当に、行っちゃうの?」
その大きな瞳にはじんわりと涙が滲んでいる。
「…ええ、そうよ。私は決めたんだもの。この村を出て、外の世界で暮らすんだって」
髪喰い一族の掟では、一族の者は、原則として村から出てはならないとある。そうしなければ、忌み族であるリシリーも妹も、それ以外の人々も、忌み族を恐れる人々の手で殺されてしまうのだと、幼い頃から言い聞かされてきた。
しかし、リシリーにしてみれば、そんなものは子供騙しの嘘っぱちでしかなかった。
(…だって、実際に、村から出て、幸せに暮らしてる人もいるんだもの)
以前、リシリーが姉と慕っていた女性は、村から出て、それきり帰らなかった。最近になって、貴族の屋敷で働いているのだと手紙が届いたときは、本当に驚いた。しかも、給金がよく、仕事内容もやりがいがあって毎日が楽しいのだと、そんな幸せな言葉ばかりが並んでいた。
そんな夢のような手紙を何通も受けたリシリーが、外の世界で暮らしたがるようになったのは、自然の流れといえるだろう。
何せ、髪喰い一族の村は、閉鎖的で、陰気で窮屈で――息がつまりそうだったから。
(…そもそも、私たちが忌み族だなんて、誰が決めたのかしら?)
確かに、感情のコントロールができないと、他者を危険にさらしてしまう可能性は否めない。しかし、忌み嫌われるほどの欠点ではないはずだ。
(…だいたいにして、一族の血筋そのものがおかしいのよね)
髪喰い一族は、どういうわけか生まれる子供の九十九パーセントは女だ。よって、男は皆無に近い。そんな事情を持つ一族の血筋を後世に残すために女たちが出した結論というのが、一族の掟の一つ、成人の儀を利用した犯罪行為。
村に男がいないのならば、どこかから攫ってくればいい。
そう考えた一族の女たちは、馬鹿な男たちを誘惑すべく、特殊な魔法を編み出した。心どころか、魂さえも取り込むほどに強力な媚薬効果を付与した、髪喰い一族特有の魔法。大人たちは、年頃になった娘にその魔法を教え込み、成人の儀と称して、一時的に村を離れることを許すのだ。そして、出かけた娘は、出会った男たちを魔法で骨抜きにして、村に連れ帰る。囚われた男たちは、当然ながら、村から生きて出ることは叶わない。子孫を残すための道具として、一生、家畜のように飼い馴らされる運命だ。
その忌むべき風習の結果、リシリーも妹のリッシュもこの世に生を受けたわけだが――リシリーにしてみれば、その生きかた自体、納得がいかなかった。
(……子孫繁栄のために、好きでもない男と結ばれなきゃいけないだなんて、地獄だわ!)
だから、決めていた。
成人の儀を利用して、この村を出ようと。
「…リッシュ、貴女はどうする? この村に残る? それとも、私と一緒に来る?」
最愛の妹に、訊ねてみる。
父は最初から誰なのかわからないし、母も、すでにこの世にいない。
今は、姉妹二人で親戚の家で暮らしている。
(……家が嫌いというわけではないけど…)
おばさんは優しいし、姉代わりの女性もまた、優しい。
きっと、彼女たちは、リシリーが村から逃げ出そうとしているだなんて、思いもしていないだろう。
(…もし、私が帰ってこなかったとしても、逃げたとは思わないだろうけど)
外に出たまま、帰らない娘も実際にいる。
忌み族として葬られたのではないか、という話もある。
しかし、外に出た娘が帰らなかったからといって、残された家族がひどい目に遭ったという話は聞かない。
だから、リシリーが帰らなくても、誰かが罰を受けることはない。おばさんも、お姉さんも、リッシュも、この村で平穏に過ごすのだろう。
(……でも、リッシュもいずれ村を出ることになるわ…)
妹は、大人になるにはもう少し時間が必要だ。
しかし、大人になれば、リシリーのように成人の儀を強要されることになるだろう。それを考えると、自分一人が村から出られることを呑気に喜んではいられない。
「ねえ、リッシュ。私と一緒に行かない? もちろん、女が二人で生きていくのは大変だと思うわ。でも、私は、一族の掟になんか従いたくない。好きでもない人と一族のためだけに結婚するだなんて、馬鹿げてるもの」
飽きるほど読み込んだ恋愛小説の主人公みたいに、素敵な人と焦がれるような恋をして、幸せな家庭を築きたい。そう望まない女の子はいないはずだ。
リッシュは、姉の決意に満ちた瞳をじっと見つめ、不安で凝り固まった表情を少しだけ和らげた。
「……うん、お姉ちゃん、ずっと前から言ってたもんね。恋愛結婚がしたいんだって」
「そうよ、そうじゃなきゃ、絶対に幸せにはなれないわ! もちろん、この私が好きになる人だもの、条件は厳しいわよ?」
まず、第一に、見た目がよくなければ駄目だ。
リシリーより身長が高いのはもちろん、無駄な贅肉のついたデブ男は眼中にない。顔立ちは美形とまではいかなくても、それなりに端正でなくてはいけない。生まれてくる子供は、不細工よりも美人がいいに決まっているからだ。
そして、次に重要なのは、経済力だ。
充分に家族を養えてこそ、男としての価値があるというもの。妻子を養えないような甲斐性ナシは、そこらの魔獣にでも、惨めに咬み殺されればいい。
そして、一番大事なのは、性格だ。
偉ぶらず、女を卑下しないのは当然だが、かといって気弱で頼りないような者は、男ではない。勇猛果敢でありながらも、紳士である、というのが理想的だが、さすがにそこまでは高望みしすぎというものだろう。
「…まあ、そうね。最低限、顔がよくて背が高くて高給取りの紳士でないと駄目よね。それ以外は妥協の余地ありよ」
姉の発言に、妹は呆れたような顔になった。
「……うーん、そんな人、本当にいるのかなあ? 物語のなかだけじゃないの?」
この村の男は、基本的にろくな者がいない。魅惑魔法を常時かけ続けているせいで、少々、おつむが弱いのだ。
そんな男しか見たことがないから、リッシュの言い分を笑って受け流すことは、正直難しかった。
しかし、そこは年頃の娘にありがちな夢見る心と乙女な妄想で乗り切るしかない。
「大丈夫よ、外の世界は広いんだもの! きっと、私だけの王子様がいるはずだわ! もちろん、リッシュの王子様もね!」
力強く断言する姉に、リッシュは少し寂しそうに微笑んだ。
「…あたしの王子様、かあ。もし本当にいたら、会ってみたいなあ」
言いながら、つかんでいた服の裾を離して、そっと手を握ってくる。その手を握り返し、リシリーは笑う。
「いるに決まってるじゃない。それで、リッシュは、どんな人が好きなの?」
その問いに、リッシュは恥ずかしそうにうつむいた。
「えっとね……あたしは、優しかったら、他はどうでもいいよ。一緒にご飯食べて、いっぱいお話できたら、それだけで幸せだもん」
「ふふ、リッシュは子供ねえ。でも、それはそれで楽しそうね」
女が支配している村で、男の価値はかなり低い。攫ってきたその日から、村の中央に集められ、そこで食事と寝床を与えられて、用事があるときだけ、外に出ることを許される。まるで家畜のような生活だが、不満など言わない。むしろ、喜々として命令に従う。それほど、一族の編み出した魔法は強力で悪質なのだ。
だから、リッシュやリシリーを含め、一族の娘たちは、みんな、自分の父親の顔も名前も知らない。知りたいとも思わない。よって、両親と一緒に家族団欒なんて、想像したこともない。
しかし、リッシュは、それが寂しいのだと言う。
「…本を読んでるとね、お父さんの話がたくさん出てくるの。一緒に遊んでくれたとか、怒られたとか。そういう思い出があるっていいなあって思うんだ。あたし、お母さんもお姉ちゃんも、おばさんも、みんな好きだけど――でも、ときどき、寂しいなって思うときがあって。何でかなって、ずっと考えてたの。それでね――きっと、お父さんがいないからだって気がついたの。だから、あたしの子供は寂しくなければいいなって思うの」
「ふうん。リッシュは、いいお母さんになれそうね」
子供の頃からそんなことを考えるなんて、随分と、早熟だ。
リッシュは、不安よりも希望に満ちた眼差しでこちらを見つめ、
「……でも、そのためには、お姉ちゃんと行かなきゃ駄目なんだよね」
確認というよりは、自分に言い聞かせるように呟いて、きゅっと唇を結んだ。その決意の表情を見たリシリーは、確認するように訊いた。
「――じゃあ、いいのね? 私と一緒に外の世界に出るってことで」
その問いかけに、リッシュは一度だけ迷うようにうつむき、
「……うん。お姉ちゃんと一緒に行く。行って、あたしだけの王子様を見つけたい」
顎を上げてこちらを見上げた瞳には、しっかりとした意志の光が宿っていた。
それを満足そうに見つめ、リシリーは頷いた。
「さすが、私の妹だわ」
「うん。でも、お姉ちゃん。あたしも一緒に行って、大丈夫かな? まだ、大人じゃないのに外に出たら――…殺されちゃうって、みんな言ってるよ?」
「平気だって。私が一緒なんだから、大船に乗った気でついてくればいいわ。外に出て、どこに行くか、とっくに決めてあるんだから」
ここからそう遠くない町の、とある貴族の屋敷で働いている友人の手紙に、こう書いてあった。
人手不足で常時メイドを募集しているから、いつでも訪ねてくればいい、と。見目がよければ種族は問わないという、かなり適当な――いや、寛容な募集内容だったから、容姿の優れたリシリーは必ず採用されるだろう。
(…仕事さえあれば、リッシュと二人で暮らせるわよね)
世間知らずのリシリーは、そう単純に考えていたが――後々、思い知ることになる。
世のなかは、そんなに甘くない。
そのことを身をもって知るのに、そう時間はかからなかった。




