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第四話・其の五

      《 第四話・其の五 》



「精霊? って、そんなのがいるの?」

 メルヘンな響きに思わず興奮してしまう。

「どこ? どこにいるの??」

 目を凝らして捜してみるが、それらしきものは見えない。

 それでも、必死で目を凝らして森や湖を眺めていると、メアがくすりと笑った。

「――ナイト様、それでは見ることはできませんわ。ナイト様には魔力がありませんから、精霊を見ることは不可能ですのよ。もっとも、私にかかれば、魔力の有無など関係ありませんけれど。ぴとっ」

 言うや否や、メアがぎゅっと腕に抱きついてきた。

「え、ちょっ、何なの、急に?」

 猫のようにくっついてくるメアから距離をとろうとしたら、何故か、怒られた。

「いけません、ナイト様。私から離れてしまうと、せっかくの魔法が解けてしまいますわ!」

「え、魔法?」

 くっついてくるのが魔法って――それで、一体、どんな効果があるのだろうか。そう思っていると、メアが囁くように告げた。

「はい。私の魔力の一部を、今、ナイト様に差し上げていますの。といっても、一時的なものですけれど――…これで、精霊の姿が見えるはずですわ」

「…魔力ってそういうものなの?」

 そもそも、他人に分けてあげられるようなものなのか、疑問だ。

 まあ、とりあえず、メアの言葉を信じることにして、湖に目を向けてみる。すると――。

「…え、あ、あれ?」

 湖の上に、クローラインが咲いている。そして、その地面――いや、湖面にぽつんと浮かんでいる小人みたいな水色の物体が目に飛び込んできた。

 つぶらな丸い瞳に、魚のヒレみたいな髪飾りをつけたその物体は、どこか怯えた様子でじっとこちらを――メアを見つめていた。

「…メア、あれが精霊? 何か、すごい可愛いんだけど」

 マスコットみたいな愛らしい物体を指差して訊ねると、彼女はそっと頷き、精霊に声をかけた。

「……久しぶりね、ナナシ。ところで、誰の許可を得て、湖の底から出てきたのかしら? 私は、貴女を呼んだつもりはないのだけれど」

 やや低めの声に、精霊が震えあがる。

『!! ごごごごめんなさいぃ! け、けどぉ、話が聞こえてきてぇ、クローラインがぁ欲しいならぁ、お手伝いしたいなあってぇ思ってぇ』

「その喋りかたは、やめなさいと言ったはずよ。癇に障って仕方がないわ」

 嫌な緊張感が、メアの周囲を漂い始めた。本気で苛立っているのがわかる。

(……これは、ラビィさんと話してるときのテンションと同じ…いや、それ以上かも)

 仲良くしようという気は皆無で、それどころか、相手の話に耳を傾けることすら苦痛と言いたげな、嫌悪感に満ちた表情ときたら――ナナシと呼ばれた精霊に同情してしまいたくなる。

 しかし、メアは、冷やかどころか永久凍土を思わせるほどの頑固な冷徹さをもって、精霊に対峙している。

 細い指先を腰に当てたと思うと、蔑むような視線を相手に投げかける。

「――禁じておいたにもかかわらず、よくも私の前に出てこられたものね。この前のおしおきでは足りなかったのかしら?」

 メアの不機嫌な視線を受け、精霊の輪郭がぶれ始めた。メアを恐れるあまり、震えがとまらないといった感じだ。

『そ、そそそそんなことぉあるわけないしぃ。っていうかぁ、クローライン取ってくるからぁお願いをぉ一つだけぇ叶えてほしいっていうかぁ』

 ぶるぶると震えながらも哀願するようにこちらを窺う様が何とも愛くるしくて、七糸は、ついつい、二人の話に割って入った。

「ねえ、メア。よくわかんないけど、あの花が精霊にしか取って来られないんなら、この子に頼もうよ。他に手段はないわけだし」

 その言葉に、精霊の瞳にきらきらとした光が宿る。

 しかし、メアは譲らない。

「あら、ナイト様。何ごとにも用心を怠ってはいけませんわ。相手の提示する交換条件を聞かずして迂闊なことをおっしゃると、痛い目を見ますわよ」

「…うーん、それもそうか。叶えられるかどうかもわからないのに、無責任なことは言えないよね。えっと、ナナシだっけ? 君の願いって、一体、何なの?」

 訊いてみると、ナナシはもじもじしながらメアを見つめた。

『…あのぅそのぅ――メア様がぁ昔に奪ったぁ、あたしの名前をぉ返してほしいっていうかぁ』

「…名前? 君の名前は、ナナシって言うんじゃないの?」

 ついさっきメアがそう呼んでいたし、本人もそれを受け入れているようだったのに、名前を返せとはどういうことなのだろうか。

 首を傾げる七糸に、メアが説明してくれる。

「精霊には、本来、特定の個体を識別するための名称は存在しないのですわ。ただ、精霊界を飛び出した一部の精霊には、契約によって、もしくは、当人の思い込みによって名前を獲得することがありますの」

「…契約はともかく、思い込みで名前がつくって――つまり、自分の好きな名前を勝手に名乗ってるってこと?」

 自分好みの響きと意味合いを持った言葉を選んで、自分の名前にする――なんて、人間界ではまずあり得ないことだ。いや、ペンネームみたいに本名でなければ可能は可能だが、メルヘン代表みたいな精霊がそんなことをするとは思えない。

 すると、メアが、理解しやすいように話を噛み砕いて教えてくれる。

「いいえ、そうではありませんわ。精霊に名を与えられるのは、あくまでも魂と肉体のある存在に限られていますの。ですから、契約以外で名前を獲得するには、どこかの誰かが名づけた土地ないしは河川等の場所に棲みつき、その名称を得る必要がありますの。ナナシの場合は、この湖ですわね。本名は、湖と同じ名なのですが、少々事情がありまして、本来の名を奪い、仮の名を与えているのですわ」

「――ふうん。それで、名前を返してほしいって言ってるのか」

 精霊といえど、自分の名前に愛着があるのだろう。

 そう思っていたら、メアがそれを否定した。

「別に、ナナシは、自らの名前が恋しいというわけではありませんのよ。精霊は、一度獲得した名称を奪われると魔力が半減、もしくは大幅に封じられてしまうのですわ。つまり、ナナシは、クローラインを取ってくる代わりに魔力を返せと要求しているのです」

「あー、なるほど。そういうことか」

 精霊にとっての魔力は、七糸にとっては手や足みたいなものに違いない。自由に動かないと不便だし、ストレスがたまる。

「けど、何でメアはナナシの名前を取ったりしたの?」

 素朴な疑問に動揺したのは、ナナシだった。

 ちゃぷんちゃぷん、と。

 やけに大きな水音が聞こえると思ったら、ナナシの髪やスカートらしきものの先から大粒の水滴が滴り落ちていた。まるで、大量の汗みたいに。

 それを一瞥し、メアは嘲るように鼻を鳴らした。

「――そうですわね、一言で言うなら……ムカつきましたの。喋りかたはもちろん、ポタポタピチャピチャうるさい水音で私の神経を逆なでしておいて謝罪の一つもなく、それどころか、この私を友達だの親友だのと言い触らしていましたのよ? ハッ、冗談ではありませんわ! 何故、私がこんな精霊如きとありもしない友情とやらを育まなくてはなりませんの? そもそも、私の血筋では精霊契約は不可能ですのよ? 契約もできないのに、精霊と会話するなんて、それこそ、時間と労力の無駄ですわ!」

「……理不尽すぎない、それ?」

 つまりは、メアは精霊とは契約できないのに懐かれたことが気に入らないらしい。彼女にとって重要なのは、友達や仲間なんかではない。自分を苛立たせない存在、それに尽きる。

(…でも、確かに、ナナシの話しかたは、僕でもちょっと疲れるかも)

 癖が強すぎるというか、妙にのんびりしすぎていて、会話の内容がちっとも頭に入ってこない。だから、会話をしようとすると余計な集中力が必要になる。メアにしてみれば、そんな苦労をしてまで話したい相手ではないのだろう。

「け、けど、そんな理由で名前を奪うのはどうかと思うよ?」

 名前は、個人を特定するためのものであると同時に、名付け親との絆そのものでもある。もっとも、ナナシの場合は、湖の名前をそのまま自分のものにしているので、そこまで固執する必要はないのだろうが――精霊として、魔力を封じられていることを思えば、こだわりたくもなる。

『あたしぃ、メア様を怒らせないようにぃ頑張るからぁ、名前返してほしいのぉ』

 ナナシが泣きそうな眼差しで要求するが、肝心のメアはまったく聞く耳を持たない。

「嫌よ。私が決めた名が不服だというのなら、その名すら名乗ることを禁じるわよ? そうなったら、貴女、さらに魔力を失い、そのまま消えてしまうかもしれないわねえ。精霊は、魔力そのものだもの。さあ、どうするのかしら? これでも、まだ、私の説得を続けるつもり?」

「――メア、完全に悪者だよ、それじゃ」

 蔑むような眼差しも口調も態度も、何もかもが様になりすぎている。せっかくの愛らしい容姿もドレスも台無しだ。

 呆れたようにメアを見つめていると、意外にもナナシが反撃に出た。

『で、でもぉ、あたしがいないとぉ、クローラインはぁ取ってこられないしぃ。いくらメア様でもぉ、あっちの世界にはぁ行けないんじゃないかなぁって思うんだけどぉ』

 ちらちらと様子を窺ってくるナナシだったが、そんなことではメアは動揺しない。それどころか、にやりと意味ありげに微笑み、

「あら、そうでもなくてよ? ここにいる精霊は、貴女だけではないもの。そうよね、先ほどからナイト様をストーキングしている変態精霊さん?」

「…え、変態精霊??」

 変態の精霊なんて聞いたことがない。というか、ファンタジー好きとしては、そんな奇妙な精霊には即座に退場願いたいところだ。

 メアの視線は、正面の湖ではなく、背後に広がる森へと向けられている。

 七糸がそちらへ目をやると、空中であぐらをかいている小さくて赤い精霊の姿が見えた。

「わっ、今度は赤い子かあ」

 ナナシが全体的に水色をしているのに対し、今度のは、赤やオレンジといった暖色系をしている。印象的なのは、尻尾と髪が炎のようにゆらゆらと燃えていることで、一目で火の精霊だとわかった。

「うわー、ナナシはナナシで可愛いけど、この子も可愛いなあ」

 精霊は、基本的に手のひらサイズなのだろうか。どちらも目がパッチリしていて、頭の大きさに比べて手足が短くて小さい。

 すると、七糸の褒め言葉に不満があるらしい火の精霊がぶわっと尻尾の炎を大きくした。

『誰が可愛いんスか、誰が! 言っとくッスけど、おいらは、誇り高き火精一族のコルカッスよ? 舐めた真似したら、灰にしてやるッスからね?』

「あら、面白いことを言うのね。精霊如きが、私のナイト様を灰にしようだなんて――飼い主の顔が見てみたいものだわ」

 コルカの暴言に、メアが戦慄の笑みを浮かべる。

 それを見るや否や、誇り高き火精一族は震えあがった。高速で小刻みに動いているせいか、尻尾と頭の炎が今にも消えそうになる。

『!!! い、いや、違うッスよ? さっきのは、ちょっと口が滑っただけっつーか、脅しとか宣戦布告とかじゃないッスからね?』

「――あら、口が滑ったということは、常日頃からナイト様を灰にしたい願望があるということかしら? 思いもしないことが咄嗟に口から飛び出す、なんてことはないはずですものねえ?」

『! そ、そそそ、そんなこと思ってねーッスよ? 傷つけるつもりは、全然、これっぽっちもねーッスからね!?』

「どうかしら。けれど、精霊のしつけは、飼い主の役目。それがなってないということは、飼い主のほうのしつけが先ということになるわよねえ?」

 薄く笑うメアは、どこからどう見ても悪の親玉にしか見えなかった。

「ね、ねえ、メア。精霊を怖がらせるのはそのくらいにして、とりあえず、クローラインを取ってきてもらおうよ」

 なるべく穏便に話が進むように、七糸が気を利かせる。

 すると、それを聞いたナナシが元気を取り戻して、水滴を周囲にばら撒きながらアピールしてきた。

『あ、あたしがぁ、行くったらぁ行くのぉ! 早いモノ勝ちなんだからぁ!』

『なっ、何を言うッスか! 水精一族に遅れをとったとあっちゃ、火精一族の名折れッス! そこをどくがいいッスよ! おいらが摘んでくるッスから!』

 火の精霊が威嚇するように尻尾の炎を盛んに燃やす。

 それを見たナナシも、大粒の水滴を周囲に浮かばせて戦闘モードに入る。

『燃やすしかぁ能がないくせにぃ、生意気すぎぃ。あたしがぁ、綺麗さっぱりぃ消火してあげるからぁ、さっさとぉ消えなさいよぉ』

『燃やすしか能がねーとは、よく言ったッスね! けど、減らず口もそこまでッス。おいらが本気になりゃ、この湖の水をすべて蒸発させることだって容易いんスからね。後悔したって遅いッスよ?』

『むむぅ。そんなことぉ絶対にさせないしぃ、後悔だってぇ絶対にぃしないもんねぇ』

『なら、試してみるッスか? もっとも、おいらに勝てるはずねーんスけど』

『やれるもんならぁやってみろっていうかぁ――マジでぇ消しちゃうしぃ』

 ばちばちと、目に見えない火花が散る。

 これから、精霊同士の決闘。魔法の応酬が見られると思うと、不謹慎にもちょっとわくわくしてしまう。

 ハラハラしながらも目を輝かせている七糸を尻目に、メアが口を開く。

「――あら、それは楽しそうだこと。ただ、私は、目障りな害虫を見つけたら駆除したくてたまらなくなる性分なの。そういうわけだから――殺しても文句ないわよね?」

 ストレートな死の宣告に、精霊たちが震えあがる。

『こ、ここ殺すとか、マジ勘弁してほしいッス! っていうか、おいらは何も悪くねーんスよ! あっちが喧嘩吹っ掛けてきたのが悪いんス!』

 ぶるぶると震えながらコルカが言うと、それを聞いたナナシが反論する。

『ち、ちち違うしぃ! 悪いのはぁあっちなのぉ! あたしはぁメア様を怒らせるようなことはぁ絶対にしないしぃ』

『よく言うッスよ。わからねーんスか? その存在自体がウザいんスよ。話してると、マジでイライラするんスよ』

『イライラなんかぁしないしぃ』

『するんスよ! 自覚がないなんて、さすがは水精一族。低能すぎて学習能力が欠如しちまってるんスね、可哀想に』

『! 低能なのはぁ、そっちだしぃ!』

『いいや、そっちッス!』

『違いますぅ、そっちだしぃ』

 ムムムと睨み合う、精霊たち。

 その低レベルな言い争いに、メアの苛立ちが頂点に達した。

「ナイト様、喧嘩両成敗という言葉がありますわよね?」

 いきなり笑顔で話しかけられて、七糸がビビる。

「う、うん、あるね」

「ということは、この場合、私が何をしようと許されるということですわよね?」

「えっ? そ、それはどうかな…」

 メアの微笑みが怖い。

 その全身から立ちのぼる殺気は、まさに、死神そのもの。

「あ、あの、メア? 何ごとも、やりすぎたらアウトだからね?」

 肌に突き刺さるほどの恐怖と戦いながらも、七糸が釘をさす。

 彼女は、にっこりと微笑んで、深紅の瞳をきらめかせた。

「…ふふ、もちろんですわ。ちょっと、無知な精霊をしつけるだけですもの。ただ、ナイト様を巻き込むわけには参りませんから、離れたところで目を閉じて三十ばかり数を数えていただけませんこと?」

「――…な、何をするつもりなの」

 本能的に身震いする七糸の背中を軽く押して、メアが笑みを深くする。

「何も怖いことはありませんわ。目を閉じているうちに、すぐ終わりますから」

「いやいや、その言いかた自体が怖いんだって!」

「あら、レディの秘密を知りたがるなんて――ナイト様らしくありませんわね。けれど…」

 ひっそりとメアの瞳が妖しく輝く。

「そんなにも私のことを密にお知りになりたいとおっしゃるのならば、無論、いつだって教えて差し上げますわよ? ただし、そのときは、もちろん、二人きりでなくては、ね?」

 言いながら、腕に絡みつくようにして抱きついてくる。その顔が頬のすぐ傍まで迫ってきて、温かな吐息が肌の表面をふわりと撫でる。

「ちょっ、近い! 近いから!」

「…ふふっ、ナイト様ってば、お顔を真っ赤にして――そういうシャイなところも素敵ですわ」

「も、もう、からかわないでよ!」

「からかってなどいませんわ。むしろ、褒めていますのよ」

「どこがだよ」

 言ってから、七糸は息を吐いた。メアの瞳には、ねっとりとした熱が生まれつつある。これ以上、余計なことを言うとこちらの貞操まで危うくなりそうだ。ナナシたちには悪いが、ここは引き下がるしかなさそうで。

「…はあっ、わかったよ。ちょっと離れたところで三十数えればいいんだよね?」

「ええ、それで万事、解決ですわ」

「っていうか、殺したりしたら、絶対に駄目だからね?」

 そう言う七糸に、彼女はにこやかに応じた。

「もちろんですわ。私がそのような野蛮な真似をするわけがありませんでしょう?」

 胡散くさいほど優しい声で言ったメアが、七糸から離れて、精霊たちの元へ向かう。

 その背を心配そうに見送ってから、七糸は、ちょっと離れた場所で目を閉じ、ゆっくり三十数えた。

 その際、悲鳴っぽい声とか激しい水音とか熱風が吹きつけた気がするが――あまり詮索しないほうが身のためだろう。

 目を開いたとき、精霊たちはみるからに生気を失っているように見えた。

 ナナシは、干からびた植物みたいに水面に寝転び、コルカは、枯れ葉のように近くの樹木の枝に引っかかっている。

「……メア、やりすぎたんじゃないの?」

 何が行われたかは知らないが、並大抵の精神攻撃ではなかったのだろう。

 精霊たちは力なく横たわり、虚ろな瞳で手足をぴくぴくさせている。

 メアはというと、しれっとした顔で腰に手を当てて言う。

「しつけに関して、やりすぎなどという言葉は存在しませんのよ。いくら頭の悪い家畜や精霊でも、心に刻み込むようにして教えれば、自然と覚えるものですわ」

「…精霊と家畜が同レベルなの?」

 知能指数でいえば、精霊のほうが圧倒的に高いと思うのだが。

 しかし、メアにとっては違うようだ。

「いえ、むしろ、家畜のほうが格上かもしれませんわね。いざ、食糧難に陥った際、その身を捧げて主人を空腹から救ってくれますもの。そうなると、精霊のほうが価値が低いということになりますわね。精霊は、煮ても焼いても食べられませんもの」

「……何というか、メアの基準っておかしくない?」

 この場合、食べられるかどうかという問題ではない。そもそも、家畜にしたって、好き好んで食べてほしいだなんて思っていないはずだ。

 メアは冗談っぽく笑って、ぐったりしている精霊たちを一瞥した。

「――それで、どちらが無償で花を取ってきてくれるのかしら?」

「…うわ。今、この状況で、それを聞いちゃうんだね。しかも、無償って…ちゃっかりしてるなあ」

 疲労しきって立つ気力すらない状態で、さらにグラウンド三十周追加されたようなものだ。

 しかし、精霊は健気にもひょろりとした手をあげて、

『お、おいらが行くッスよ』

『あ、あたしが行くしぃ』

 同時に口を開いて、互いに顔を見つめ合う。その目には、すでに好戦的な色はない。むしろ、敵同士でありながらも互いに苦難を乗り越えたという一体感めいた空気があった。

「あら、感心だこと。そんなになってまでナイト様のために働きたいだなんて。よかったですわね、ナイト様。ナイト様が溢れんばかりのカリスマ性を発揮なさったことで、下僕になりたいという精霊が二体も現れましたわ! さすがは、私の未来の夫! その魅力は、実体のない精霊にまで及ぶということが証明されましたわね!」

 メアがうっとりとした声で放った言葉に、嫌な予感がした。

「えっ? ち、ちょっと待って。もしかして、僕がやったことになってるの、コレ?」

 ぎょっとして精霊たちの様子を窺うと、ぐったりしていたのが嘘のように俊敏な動作で飛び起きて、びしっと背筋を伸ばして正座した。まるで、軍人みたいな動きだ。

「え、えーと。あの、二人とも、大丈夫なの?」

 おずおずと声をかけると、精霊たちはびしっと右手をコメカミに押し当て、

『問題ないでありますッス、サー!』

『ないですぅ、サーぁ』

 と答えた。

「……っていうか、何で正座で敬礼?」

 これも、ある意味、和洋折衷というべきか。いや、そもそも、何故、いきなりここまで態度が急変したのかというほうが重要だ。

「あ、あのさ、メア。あの子たちにどんな魔法をかけたの?」

 どうせろくでもない回答が返ってくるだろうということは想像がついたが、気になったので、一応訊いてみる。

 すると、メアはにっこりと微笑み、

「もちろん、ナイト様のために奉仕することがどれほど名誉なことなのか、むしろ、それなくしては生きる価値などお前たちにはない、みたいなことを少々厳しく教えたにすぎませんわ。何か問題がありまして?」

「大ありだよ! それって、洗脳じゃないか!」

 よく見れば、精霊たちの瞳はどんよりと曇っていて、そこに自我というものは存在していない。

「駄目だよ、メア! こんな非人道的な真似しちゃ」

「あら、お言葉ですけれど、ナイト様。この者たちは、人ではなく精霊ですわ。よって、人権だの倫理感だのという言葉は当て嵌まらないのではありませんこと?」

「いや、確かに人じゃないけど! どう見ても、目がおかしいじゃんか! 完全に、ヤバい感じだよ!」

 最初はくりくりしていて可愛かった目が、あらぬ方向を見つめている。これは、どう見ても、まともではない。

 しかし、七糸以外に興味のない彼女は、

「そうでしたかしら? 最初から、こんな感じだったように思いますけれど」

 と、真面目な顔つきで返してきた。七糸は、困ったように吐息して、

「…はあっ。とにかく、魔法を解いてあげてよ。可哀想じゃないか」

「? ナイト様のためにその身を削り奉仕することの何が可哀想なのか、よくわかりませんけれど――そこまでおっしゃるのなら、仕方ありませんわね」

 メアが、ふわりと髪を掻き上げる。

「……いい加減、目を覚ましなさい、愚精霊ども」

 その声に、精霊たちがびくりと身体を震わせる。そして、我に返ったらしい精霊たちは、何を思い出したのか、ぶるぶる震え出した。

『ううう、メ、メア様ぁ、怖すぎぃ。ぶるぶるぅ』

 ナナシは恐怖を顔面に張りつかせて、胸に生まれた逃走願望に抗うことなく、ゆっくりと水中に姿を消した。メアを刺激しないようにしたのか、水しぶきどころか水紋すら描くことはなかった。

 残されたもう一体の精霊・コルカはというと、メアとは真逆の方向を向き、

『お、おいら、こ、こ、怖くなんかねーッスよ? ぶるぶる。こ、これは、ちょっと武者震いっつーか、そういうモンッスからね? ぶるぶるぶる』

 などと、強がっている。しかし、尻尾の炎は激しい全身の震えで今にも消えそうだった。

「……あーあ、可哀想に。すっかり怯えちゃって…」

 同情たっぷりの視線を送る七糸に気づいたのか、コルカは、震えの残る声を絞り出した。

『べ、別に、おいらは全然平気ッスよ。ぶるぶる。臆病な水精一族とは違うッスからね。ぶるぶる。メア様がどんなに非道でも、おいら、負けねーッス! そうでなきゃ、ラビィの兄貴の面目を潰すことになるッスからね!』

「え、ラビィさん? 君、ラビィさんと知り合いなの?」

 いきなり飛び出した身近な名前に驚いて訊ねる。

 コルカは、ちらっとこちらを不機嫌な顔で窺い、

『――そうッスよ。ラビィの兄貴は、おいらの唯一無二の契約主ッス』

 文句あるかとばかりにこちらを見据えてくる。

(? 何か、刺があるような感じだなあ…)

 敵意とまではいかないが、強い反発を感じる。

(…僕、何か嫌われることしたっけ?)

 初対面のはずだし、これまでまともに言葉を交わしたこともないはずだが――…そう思って、はっとする。

 ラビィの様子から推察するに、この世界において交わされる契約というものは、とても大事なものらしい。だからこそ、契約のきっかけはどうあれ、ラビィにとって七糸の存在は他の誰よりも特別で大切なのだ。

 それと同じで、この精霊にとって、契約主のラビィは特別大事な人だということになるわけで…。

「……あの、もしかして、ラビィさんが危険な目に遭ったこと、怒ってる?」

 単刀直入な質問に、コルカは一瞬、怯んだように口をつぐんだ。そして、きゅっと目つきを鋭くして、

『…当然、怒ってるッスよ。兄貴は、おいらの大事な家族なんス。それを殺されかけたんスから、機嫌いいはずがねーじゃねーッスか』

「……そう、だよね。僕のせいでラビィさんが死にかけたんだもんね。ごめんね…」

 この精霊に嫌われても当然だ。

 実行したのがメアだとしても、彼女をそこまで追い詰めたのは、七糸だ。幸い、生命は助かったが、一歩間違えば死んでいたのだ。そう考えると、見舞いに行くのも、軽い気持ちではいけない気がしてきた。

(……な、何か、心配になってきたかも…)

 七糸の知るラビィはどこまでも善人なので、今回の件も謝罪すれば大丈夫だと思っていたが――普通、謝罪されたからといって、殺されかけた人間がすんなりと笑って許してくれるはずがない。もし、そんなことができる者がいるとすれば、神仏レベルの悟りを開いた偉人くらいのものだろう。

(…ということは、ラビィさん、ものすごく怒ってるんじゃ)

 目が覚めたからお見舞いに行こうだなんて、能天気なことを言っている場合ではないのかもしれない。

「…ね、ねえ、メア。ラビィさんのお見舞いだけど、花だけで大丈夫かな? 何か、他にもお詫びの品とか持って行ったほうがいいかな?」

 こういう場合の対処法がわからずに訊くと、彼女はくすりと笑った。

「あら、何もそんなに気を遣わなくてもよろしいのではなくて?」

「いや、そういうわけにもいかないよ。だって、ラビィさん、死にかけたんだよ? ちょっとやそっと謝ったくらいじゃ、許してくれないよ、きっと」

「ふふ、そうとも言い切れませんわ。あの駄竜のことですもの。ナイト様が見舞いに来てくださっただけで、喜びの余り昇天するに違いありませんわ」

「昇天って――僕がお見舞いに行ったくらいで、そんなに喜ぶはずないじゃないか。っていうか、その前に、まだ、仲直りもできてないし…」

 ラビィが引きこもる原因をつくり、メアを凶行に駆り立てた元凶が自分なのだと思うと、心ごと全身がずしりと重くなる。

「……僕、どうやって謝ればいいんだろ…」

 頭を下げるくらいでは、全然足りない。

 一度や二度、花を持って見舞いに行ったところで、許される罪ではない。

 七糸がしょんぼりしていると、メアが殺意を込めた鋭い視線をコルカに送り、それに怯えきったコルカが、尻尾の炎をゆらゆらと揺らめかせた。

『! い、言っとくッスけど、おいら、何も悪くねーッスからねっっ!?』

 その声に、七糸がしんみりと反応する。

「…うん、わかってるよ。悪いのは、全部僕だもん。本当、ラビィさんに合わせる顔がないよ。きっと、ラビィさんだって僕の顔なんかもう見たくないとか思ってるよね…」

『!! そ、そんなこと、ねーッスよ! おいらは、おたくのことが嫌いッスけど、ラビィの兄貴は違うっていうか』

「そうだよね、嫌われて当然だよね…」

 コルカの発した『嫌い』という言葉がやけに大きく響いて、七糸がさらに落ち込む。

「僕が来たせいで、ラビィさん、散々な目に遭ってるもんね。家族を敵に回したり、仲間の竜族から裏切り者扱いされたり、屋敷でもいっつも心労が絶えないって感じだし――…よく考えたら、ラビィさんが楽しそうにしてるところって一度も見たことないもん」

 思い出すのは、しかめ面とか思い悩んでいる横顔とか、そういうものばかりだ。

「……僕がラビィさんを不幸にしちゃったんだ…」

 一瞬、脳裏に死んだ祖母の姿がよぎる。今回はどうにか助かったラビィも、これから先、平穏無事に暮らせるとは到底思えない。一族のしがらみだの、メアの押しつける無理難題だの、魔王との戦いだの、いろいろと悩みの種は多いのだ。

 どんよりと暗くなる七糸の背を、メアが優しく撫でる。

「ナイト様は、お優しすぎるのですわ。けれど――…そうですわね。そこまでナイト様を悩ませるのならば、あの駄竜をこれ以上屋敷に留めておくわけには参りませんわね。早々に追い出してしまいましょう」

 メアの言葉に、コルカが慌てる。

『だ、だから、そうじゃねーッスよ! 別に、ラビィの兄貴がツイてねーのは今に始まったことじゃねーし、おたくが思い悩むことはねーッスよ! あれで、通常運行なんスから!』

「……でも、死にかけたし」

『そ、それは――まあ、今回のは仕方ねーっつーか、どうしようもなかったっつーか』

「――やっぱり、僕のせいで、ただでさえツイてないラビィさんが、さらに不幸なことになっちゃったんだ…」

 その呟きに、コルカは、言葉を返し損ねた。

 確かに、七糸のせいでしなくてもいい苦労を背負い込み、ろくでもない展開になっていることは事実だったからだ。

 精霊は、嘘をつけない。世辞も、その場しのぎの言葉も言えない。真実に忠実で、虚飾とは無縁の存在だと位置づけられているからだ。

 それ故に、コルカは黙るしかできなかった。

 そんな精霊を見つめ、七糸はきゅっと唇を噛みしめた。

「…僕、ラビィさんとなら、いい友達になれるんじゃないかって思ってたんだ。種族も年齢も全然違うけど、ラビィさんはいい人だし、僕を見た目で判断しないし、初めてちゃんとした男友達ができるかもって」

 その言葉に、メアが楽しげに唇の端を持ち上げる。

「――友達、だなんて。ふふっ、これ以上、残酷な響きはありませんわね。まあ、あの駄竜には相応しいのだけれど」

 その小さな呟きに気づかず、七糸は続ける。ちょっと涙目で。

「…けど、ラビィさんにだって友達を選ぶ権利はあるもんね。何も、僕みたいな面倒くさくて厄介な奴と仲良くなりたいなんて思わないよね、普通…」

 親友とまではいかなくても、楽しくお喋りできる友達くらいにはなりたかった。一応、メアやリシリーも友達なのだが、女の子とは根本的なところで感覚が合わない。男にしかわからない感性や話というものがあるのだ。

 これまで、見た目が問題で男友達ができないのだと思っていたが、容姿に左右されないラビィにまで嫌われたとなると――これはもう、見た目云々ではなく、中身に問題があるとしか思えない。

「……嫌われたり気持ち悪がられたりするのは慣れてるけど、でも…」

 女のくせに、とか。

 男の真似して気持ち悪い、変な奴だ、とか。

 そういう差別には慣れているし、それを辛いなんて思ったことはないはずなのに――異世界でまで存在否定されると、もう、どうしていいのかわからなくなる。

「――あの、馬鹿みたいにお人好しなラビィさんにまで嫌われるなんて、僕って、よほど嫌な奴だったんだね。引きこもったのも、胸を触らせたからじゃなくて、きっと、僕のことが嫌いで顔も見たくなかったからなんだよね。なのに、僕ときたら、何も知らずに手紙なんか出しちゃって、しかも、そのせいで大怪我させるなんてさ。本当、救いようがないよね…」

 話しているうちに、じわりと目の周囲が熱くなり始めた。

(……うう、何か、泣きたくなってきた…)

 ラビィに対して、あまりにも申し訳なさすぎて――自分の存在が迷惑すぎて、どう償えばいいのか、見当もつかない。

『だ、だから、何でそうなるんスか!? そうじゃねーッスよ!』

 コルカは、うつむいて泣きそうになっている七糸の顔の近くに移動して、慌ただしく言葉をかける。

『別に、ラビィの兄貴は不幸でも何でもないッスよ! 第一、おたくを嫌ってるとか、とんでもねー思い違いッスよ! むしろ、兄貴は、好きッスよ! それこそ、好きすぎてどうすりゃいいのかわからねーくらい、おたくに惚れ込んでるんスからね!』

 そう言い切ってしまってから、コルカがしまったという顔になる。メアが忌々しげに舌打ちするが、七糸の耳には届かない。

「…え、好きって、ラビィさんが僕を? しかも惚れ込んでるって、僕に?」

 七糸の瞳に、ぱあっと希望の光が灯る。

「それがもし本当なら――どうしよう、すごい嬉しいんだけど」

『…え、マジッスか!?』

 意外にも好意的な反応に、コルカが驚く。

 七糸は、かなり嬉しそうに頬を赤らめ、

「当たり前だよ! 僕もラビィさんのことは好きだし、ラビィさんも僕を好きだってことは、つまり、僕らは友達だってことでしょ? しかも、大好きってことは、親友どころか、大親友だって言ってもおかしくないくらい仲良しだってことだもんね。いやー、僕らの間にそんなにも熱い友情が育まれてたなんて、全然、気づかなかったよ!」

『――し、親友? しかも、大親友って…』

 完全に、七糸のなかでラビィは大親友の座を不動のものにしまったようだ。その目は、感動のあまり、直視できないくらい眩しく輝いている。

 もともと、望みのない恋路だったとはいえ、ここまで見事に未来を閉ざされると、さすがのコルカも涙を禁じえない。

『…うう、ラビィの兄貴、すまねーッス。おいらが余計なことを言っちまったばかりに、おかしなことになっちまったみたいッス…』

 メアは、七糸の思いがけない反応に、こらえきれないとばかりに背を向けて、ぷるぷると肩を震わせながら笑っている。

「メア、どうしたの、急に笑い出して?」

 七糸の質問に、彼女は大貴族のご令嬢らしい上品な笑みを浮かべて振り返った。

「な、何でもありませんわ。よかったですわね、ナイト様。知らず知らずのうちに、大親友を得られたそうで」

 言いながら、彼女の細い肩がぷるぷる揺れている。何かを耐えるように、もにょもにょと唇が動いている。彼女にしては珍しく、頬の筋肉が緩みまくっている。

「…う、うん。でも、はっきりと確認したわけじゃないし、お見舞いに言ったときにちゃんと確認しておいたほうがいいかなあ?」

 ちょっと不安を感じながら問うと、コルカが全力で阻止してきた。

『か、確認なんかしなくっても、おいらには兄貴の気持ちが、ちゃんとわかってるッスよ! 紛れもなく、兄貴はおたくのことを好きッスから!』

「え、でも――勘違いとかだったら、恥ずかしいし、厚かましいかなって」

『そ、そんなことねーッスよ! おいらを信用してほしいッス! 何なら、生命を賭けてもいいッスよ!?』

「え、いや、別に生命を賭けてもらわなくてもいいけど」

 コルカのあまりの必死さに、七糸が困惑する。

(…何かよくわかんないけど、確かに、確認するほどのことでもないかも…)

 いきなり、貴方は僕の大親友ですか、なんて聞けないし、友達はなるものではない、気づけばなっているものだ、なんて話をどこかで聞いたことがあるくらいだ。ここで確認するというのも、野暮な話なのかもしれない。

「そうだね、さすがに、それはやりすぎだよね。とりあえず、まずは、お見舞いに行って仲直りしなくちゃだよね」

 七糸の言葉に、コルカが目に見えてほっとした。

『そ、そうッスよ! そうと決まれば、おいらがクローラインを取ってくるッス! ちょっと待つがいいッスよ』

 言うや否や、ぽんっと空中を蹴る仕草をしてみせて、湖のほうへ近づく。そして、何かを警戒するように一度、空中で一時停止してから、クローラインの咲く別空間へと飛び込む。

「…っ、うわっ」

 コルカが幻の花畑へと通じる壁に触れた瞬間、視界一面が燃えるように赤く染まり、ぶわっと熱風が吹きつけた。髪が激しく後方へとなびいたと思ったら、クローラインの咲く空間にコルカがいるのが見えた。

「…すごいなあ、本当に向こうにいる」

 コルカの輪郭がかすかにぼやけているのは、結界内での行動制限があるせいだとメアが説明してくれる。

「クローライン自身の放つ、防御結界のようなものなのでしょうね。花に近づけるのは、精神体である精霊だけ。ただし、並みの精霊では摘んで帰ることは不可能なのですわ」

「え、何で? そういえば、散りやすいとか言ってたけど」

「ええ、クローラインの花を散らさずに摘むためには、魔力でつくった薄い膜で花を覆い、外部からのありとあらゆる刺激から守らなくてはいけませんの。そうしなければ、すぐに朽ち果ててしまうのですわ」

「…ふうん、扱いが難しいんだね」

「そうですわね。けれど、言い換えれば、それほど神経を遣うだけの価値のあるもの、とも言えますかしら。あれは、他の花にはない力がありますもの」

「ああ、怪我とか治してくれるんだよね?」

「……ええ、そうですわ。それに」

 彼女は言葉を切り、こちらを見つめて、にこりと微笑んだ。

「…ナイト様、一つ、お願いがありますの。聞いていただけますか?」

「え、う、うん。僕にできることなら」

 その声に、メアは視線を前に戻して、花を数輪抱えて重そうに帰ってくるコルカを見やった。

「…あら、六輪も持って帰ってくるだなんて。随分と頑張ったこと」

『! な、何スか、怒ってるッスか?」

 責められたと思ったコルカがびくりとすると、意外にもメアは感心したように呟いた。

「…貴方、魔力が上がっているのではなくて? せいぜい三輪が限界だと思っていたのだけれど」

「え、そうなの?」

 だとすれば、六輪というのは、ものすごい数だ。

「すごいね、こんなにたくさん。さすがは、ラビィさんの精霊だね!」

 素直に褒めると、コルカの尻尾がぽんっと大きく燃え上がった。どうやら、照れたらしい。

『と、当然ッスよ! おいらは、ラビィの兄貴の契約精霊なんスからね! これくらい、朝飯前ッスよ!』

 言いながら、七糸に花を渡す。

「あ、ありがとう」

 それを慎重に受け取った七糸は、クローラインの花を見つめた。

 遠くで見ていたときは、どこか儚い印象があったのに、実際には、目を見張るような鮮やかな色彩をしている。

 花弁も茎も葉も、どれもよく見ると表面がきらきらと淡い光を放っている。おそらく、これがメアの言う、花を保護するための魔力の膜なのだろう。

「…近くで見ると、ガラス細工みたいで綺麗だね」

 持った感じは普通の花そのものなのに、見た目は、稀代のガラス職人が細工を施したような出来映えで、ちょっとした衝撃でも砕け散ってしまいそうだ。

(…綺麗すぎて造花みたいだけど、ちゃんと生きてるんだよね、これ)

 八重桜にも似たこぶし大の花は、透明なステンドグラスのように光を通すのに、茎は生きているように瑞々しい緑色をしている。ちょっと顔を近づけてみると、ミントのような爽やかな香りがした。

「……いい匂い。これなら、ラビィさんも喜んでくれるよね。ありがとう、ええと…名前、何だっけ?」

 七糸に見つめられ、コルカはわずかにしかめ面になった。

『コルカッスよ。覚えておくがいいッス』

「うん、ありがとう、コルカ。あと、メアも、ありがとう。おかげで、いいお見舞いの花が手に入ったよ」

「うふふ、どういたしまして。それで、ナイト様? 先ほど、私のお願いをきいてくださると仰いましたわよね?」

「うん。それで、僕は何をしたらいいの?」

「ふふ、簡単ですわ」

 メアが微笑み、花を指差す。

「その花を一輪、私にくださりませんこと?」

「え、花? うん、いいけど――お願いって、それだけ?」

 メアにしては控えめな申し出だ。

 よくわからないまま、一輪のクローラインをメアに手渡す。

「はい、どうぞ。本当に、これだけでいいの?」

 確認するように訊くと、彼女は嬉しそうに――本当に、幸せそうな笑みを浮かべて、花を受け取った。

「はい、もちろんですわ。これ以上頂いては、返すものがございませんもの」

「? よくわかんないけど、喜んでくれて嬉しいよ」

 メアは、これまで見たことがないくらいに上機嫌で、大事そうに茎を両手で持ち、花を見つめている。

「――じゃあ、そろそろ行こうか。ラビィさんのお見舞い」

「…ふふ、そうですわね。うふふ」

 怖いくらいに上機嫌なメアの姿に、コルカが思わず身震いした。

『…お、恐ろしいッス。メア様の笑顔は、ラビィの兄貴に不幸を呼ぶッスからね』

 不安げに呟いた精霊は、歩き出した七糸とメアを慌てて追いかけた。

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