第四話・其の四
《 第四話・其の四 》
「あ、待ってよ、メア!」
七糸が、慌ててメアの背中を追う。そんな彼を見やり、彼女は、くるぶしを隠すドレスの裾を上品に揺らしながら、こちらに悪戯な視線を送ってくる。
「ねえ、メア。何か、隠してない? クローラインって、実はいわくつきの花とかじゃないよね?」
彼女の周囲を取り巻くのは、明らかに悪だくみをしている空気。しかも、それを隠すどころか、意図的に伝えようとしているようにも思える。
何となく気になって彼女の本心を探ろうとするが、するりと逃げられてしまう。
「ふふ、ナイト様。秘めごとというものは、一度でも晒してしまえば、ただのつまらない事柄になってしまいますのよ? それでは、楽しみがなくなってしまいますわ」
「うー、それはそうだけど。何か、秘密があるって思っちゃうと、気になるじゃないか。クローラインって、どんな花なの? せめて、ヒントくらい教えてよ」
「…ヒント、ですの? そうですわね」
メアが、隣を歩きながら、何故かくすくすと笑う。
「? 何で笑ってるの?」
首を傾げる七糸に、彼女は微笑んだままで言う。
「――…ヒントは、ナイト様ご自身ですわ」
「え、僕? 僕が、ヒント? 何、それ?」
ますます、わからない。
傾げる首の角度をさらに大きくした七糸に、メアは、わずかに歩を緩め、
「ナイト様のお名前は、七色の糸という意味なのでしょう? それを合わせると、何になるのでしょうね?」
「…? 七色を合わせたら、レインボーカラーで……虹、かな?」
七糸が生まれたとき、空に大きな虹がかかっていたという理由で、両親がそう名付けたのだという話を聞かされたことがある。
「そういえば、この世界にも虹ってあるの?」
滞在している期間中、雨に降られたことはなく、それどころか、雲の姿すら見ていない気がする。花木に水をやる際には、直接魔法で水を呼び出してぶっかける感じなので、小さな虹すら見たことがない。
(…普通、水と光があれば、どこでも見られそうなものだけど)
しかし、メアはちょっと残念そうに言う。
「いいえ、この世界に虹は存在しませんわ。私にしても、ナイト様の世界で知ったくらいですもの。ですが、ナイト様。それに似たものは、この世界にも存在していますのよ」
微笑みながらの言葉に、ようやく七糸は理解した。
「…つまり、クローラインって花が、虹っぽい色してるってことなんだね?」
「…ふふ、そうですわ。ただ、とても繊細な花ですの。その花弁は散り易く、香りもまた、消えやすいのですわ。ですが、その花の蜜は、ありとあらゆる傷に効くとされていますのよ。見舞いの品としては、最上の代物だと思いませんこと?」
「へえ、そんなすごい花なのかー。それは、いいね。今のラビィさんに、ぴったりだよ!」
昨日の夜、様子を見に行ったときはまだ意識がなくて眠ったままだった。メイド長の魔法のおかげで、傷はある程度癒えているらしく、包帯を巻いたり、絆創膏を貼ったりはしていなかったものの――眠ったまま動かない姿を見ているうちに、じわじわと恐怖がわき上がってきたのを覚えている。
(…おばあちゃんを思い出すからかな…)
病院で数日間生死の境を彷徨って――そのまま、目を覚ますことなく逝ってしまった、大好きな祖母。
か弱い人間と違って、ラビィは頑丈な竜族らしいので心配はいらないと言われたが、だからといって安心できるわけではない。いつ、どんな予想外の出来事が起きてもおかしくない。生命にかかわる事柄に、絶対大丈夫なんて保証は存在しないのだから。
「…ね、メア。早く行こうよ。ラビィさんには、早く元気になってもらわなきゃ」
七糸は、メアを急かして、その手を取って小走りで廊下を行く。
メアは、その手をきゅっと握り返して、
「まあ、ナイト様ったら。そんなにお急ぎにならなくても、花は逃げませんわよ」
「うん。でも、そんな話聞いたら、じっとしてらんないよ」
誰かのために自分ができることがある。それがわかると、無性に心が急いてしまう。それは、この世界に来てからというもの、守られ、面倒を見てもらうだけの自分にちょっとした苛立ちがあったからかもしれない。
自分のやるべきことが見当たらないというのは、何だか手持ち無沙汰で落ち着かなかったのだ。人間界には、受験勉強するという学生としての役目があったが、魔界では、そんなものは存在しない。しかも、メイドや侍従たちが身の回りのこと――掃除やら洗濯やらの家事をこなしてしまうので、何もやることがない。それでも、最初のうちはよかった。楽だし、好きなときにぶらぶらと散歩したりして、空いた時間を楽しんでいた。しかし、周囲の人間が働いているのに、自分だけがぼんやりと過ごしていると、それだけで不安になってしまう。このまま、駄目な人間になってしまいそうで。だから、比較的得意だった裁縫や菓子づくりを練習したり、こちらの文字の勉強を始めてみたものの――やはり、しっくりこない。
(…やっぱり、男たるもの、このままじゃいけないよね)
男女平等の時代とはいえ、自分がやっているのは、主婦の息抜きみたいなことばかりで、誰の役にも立っていない。もっとも、メアは、菓子をつくってあげれば喜んでくれるし、刺繍入りのハンカチをプレゼントしたら、感動しながら「家宝にしますわ」と言って、やけにゴツイ宝箱に封印したりしていたが――そういうのとは、何か違う。男としての自分にしかできない役目。それが、欲しかったのだ。
自分には、やるべきことがある。そう思うだけで、自分の進むべき道が定まった気がして、奇妙な安心感を覚える。
すっかり元気になった七糸を眩しげに見つめながら、メアも小走りでついていく。
そして、湖の桟橋へと向かう途中で、アルトに出会った。
「あれ、アルト。ここにいたの?」
アルトは、怖いもの知らずなのか、それとも単に退屈なだけなのか。突然、ふっといなくなる。どうやら、森や湖の周辺、屋敷内など、いろんなところを探索して回っているようだ。もっとも、メイドや侍従たちにおやつを強請っている節もあるのだが――。
アルトは、七糸を見るなりぶんぶんと尻尾を振って近づき、姿勢よく座る。
頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めて、すんすんと鼻先を手にこすりつけるような仕草をしてきた。どうやら、さっきまで食べていた焼き菓子の匂いが気になるらしい。一応、水で洗ったのだが、犬の嗅覚を誤魔化すことはできなかったようだ。
七糸は苦笑して、一定の距離をとってこちらを見守っているキルトバに声をかけた。
「すみません、キルトバさん。アルトにおやつあげてくれますかー?」
その声に、キルトバが頷き、アルトが嬉しそうに目を輝かせる。
「ほら、アルト。おやつもらっておいで」
軽く背を押すようにアルトに触れると、おやつという単語を認識している愛犬は一目散に走り去った。何となく、ここに来てから、アルトと触れ合う機会が減ったような気がする。
(…たまには、一緒に遊んであげよう)
そう心に決めて、湖の桟橋へと向かう。
きしきし、と。木でできた橋が、歩くたびに小さく軋む。しかし、思ったよりもしっかりとしたつくりをしているのか、危うげな音がするだけで揺れたり底が抜けそうになったりすることはなかった。
「……で、桟橋の先に着いたけど、これからどうするの?」
見たところ、ボートもなければ、クルーザーもない。まあ、魔法世界にそんなものは必要ないかもしれないが、七糸はただの人間なのだ。乗り物がなければ、湖を渡ることはできない。
(…泳げないことはないけど、さすがに遠泳はちょっと…)
水中に何がいるかわからないし、どれだけ遠いかもわからない。何せ、森同様に、やたらめったら広いのだ。
(……下手したら、途中で溺れちゃうよね、コレ)
何とも不安げにメアを見つめると、彼女は、何を思ったのか、繋いでいた手を解き、優美な動作で右足を湖のほうへと進めた。
「えっ!? ちょっ、メア、危ないよ!」
細い靴先が水に触れる直前に、慌てて腕をつかむと、メアはにこりと微笑み、
「大丈夫ですわ、ナイト様」
言って、優雅に水面に足を下ろし――…沈むことなく、その場に立った。
「…え、な、何で?」
念のため、手を伸ばして、水に触れてみる。
冷たい水が、指先を冷やす。
どう考えても、ただの水だ。
「…これって、どういう仕掛け??」
まるで、イリュージョンの世界だ。おそらくは、魔法の一種なのだろうが――メアは、七糸の驚愕そのものが理解できないという表情で、
「どういうも何も――ああ、そうでしたわね。ナイト様には、魔力がありませんものね」
そして、すっと手を差し出す。
「…私の手をとってくださいまし。そうすれば、わかると思いますわ」
「? う、うん」
よくわからないまま、とりあえず指示に従うことにする。
メアの白い手に触れ、まばたきを一つ。
すると――視界が、急に切り替わる。
「…え、え、これって、どういうこと??」
湖の上に、新しい橋ができている。さっきまでは、ただの水面にしか見えなかったというのに、一体どういう仕組みなのだろうか。
メアは、橋の上に立ったまま、軽く七糸の手を引いた。
「簡単なことですわ。私の結界内では、私の意思があらゆるものをつくり出し、破壊するのです」
「…じゃあ、これって、メアの魔法なわけ?」
恐る恐る、新しく出現した橋に、ゆっくりと足を下ろす。
こつこつ、と靴で叩いてみるが、どう考えても本物の橋にしか思えない。
メアの魔法といえば、幻覚を見せたり、他人の記憶をいじったりする類のはず。ということは、幻覚で橋を隠していたのだろうが――それにしては、奇妙だ。先ほど湖に触れたときには、ちゃんと水の感触があった。ひょっとすると、その感覚すら、幻だったということだろうか。
あるべきものが見えず、感じたことが、真実だとは限らない。何とも奇妙な話だ。
「何だか、ややこしいなあ」
思わずぼやくと、彼女は七糸の手をさらに引きながら、説明してくれる。
「ナイト様は、魔法というものの概念をあまりよく理解されていらっしゃらないご様子。身近でわかりやすい例をあげるとするならば、ラヴィアスが適当でしょう。あの駄竜は、火竜の血を引き、火炎属性の魔法を扱います。それは、ご存じのところだと思いますけれど」
「うん、知ってる。火の玉みたいなの見せてもらったことあるし」
以前、剣だの魔法だのを教えてもらおうとしたことがあるのだが、その際、ちょっとだけ魔法を見せてもらったことがある。
「何か、剣とか召喚したりもしてたけど、あれ、格好よかったなあ」
まるで、ファンタジー小説の世界だった。もちろん、魔法自体、充分に凄いのだが、それでも、やはり、召喚魔法というのは格が上な気がする。
「…ん? そういえば、ラビィさんって竜なのに、何で、ヒトの姿してるんだろう?」
今さらだが、ふと疑問に思う。
こちらの世界に来てすぐ、ゲームの世界に登場するような巨大な竜を見たことがある。それは、ごつごつした岩みたいな皮膚と、鋭く尖った目をしていて、ラビィやサーシャたちと同じ血を引いているとは思えなかった。
すると、いいことに気づいたとばかりにメアが言う。
「…竜族には、種族とは別の分類が存在しますの。あのヘタレ騎士みたいにヒト型のものと、古から変わらず存在する獣型。その差は、代々受け継がれた竜族の血によって決定されるのですわ。つまり、血筋そのものに特殊な魔法が施されているかどうかで、見た目が変わる、ということですわね」
「……要するに、ラビィさんは、生まれたときからずっとヒトの姿をしてるってことか。じゃあ、いかにもドラゴンですーみたいな姿に変身したりはできないの?」
「ある程度の年月を経れば、それも可能になると聞いたことがありますけれど。ただ、ヒト型の竜が本来の姿に戻るということは、自ら退化を望むことになり、恥ずべき行為になるそうですから、よほどのことがない限り、そのような真似はしないでしょう」
「――ふうん。恥っていうか、むしろ、格好いいと思うけどなあ、僕。大きくて、強そうで、いかにも無敵って感じしない?」
脳裏に、ゲームで見た真っ赤な竜の勇壮な姿を思い浮かべてうっとりしていると、横からメアが茶々を入れてきた。
「いくら大きくて強そうでも、あの駄竜が元では、使いものにならないでしょう」
「………う、うーん。そう言われるとなあ…」
ラビィは、性格的には文句のつけようのないくらいの好青年なのだが、どうにも運が悪いというか、間が悪いというか。七糸自身も不幸体質ではあるが、ラビィの場合、何をやってもどこかで失敗しそうな気がする。
たとえば、魔法を使って薪に火をつけようとしたら、火力が強すぎて周囲の森だの家だのまで燃やし尽くしそうな感じというか。それを、巨大なドラゴン姿でやられたら、世界が焦土と化す可能性がある。
「…やっぱり、ラビィさんはヒト型のままがいいよね……」
ドジをするにも、許容範囲というものがある。あまりにも取り返しのつかない事態になっては大変だ。
脳裏に思い描いた格好いいドラゴン像を消していると、メアが話を元に戻した。
「とりあえず、魔法には、学んで習得するものと、代々受け継がれてきたものがあるということですわ。とはいっても、後者は、少々わかりにくいかもしれませんわね。噛み砕いて説明すると――呼吸をするように、自然に、その身についたものの一つ、つまりは、属性や相性と言い換えてもいいでしょう。たとえば、火竜ならば火や熱に強く、それに属した魔法が得意というふうに。おわかりになりまして?」
「…それって、生まれついての体質とかとは違うの?」
たとえば、生まれつき身体が弱いとか、アレルギー体質だとか。そういう感じに考えていたのだが、どうやら、この世界ではそれすら魔法の一種なのだという。
「火竜の血筋に生まれた者は、属性という魔法を纏って生まれてくるのです。私の一族は、精霊の加護を受けた種族ではありませんから、特殊な例になりますけれど――私の場合、精神感応に属する魔法を常に身に纏っている、ということになりますかしら」
言って、彼女はどこか寂しげに微笑む。
「他者を騙し、自らを偽り、すべてを欺く。それが、私の血に刻まれた定めですの。この橋が他者の目に映らず、橋としての役目をこなせないのは、私が故意にそうしたわけではありませんのよ。結界を張った際に無意識に施されたもの、つまりは、私の血が私の意図とは関係なく働いた不実の魔法。とはいえ、たいていの場合、大した問題にはなりませんから、気にしていないのですけれど」
「――ふうん。無意識に、魔法が発動するってことがあるのか。それは、厄介だね」
この結界のなかは安全で平和だと思っていたが、実は、そうではないのかもしれない。
今回は、湖に橋がかかっているのがわからないだけだったが、その逆の場合だったら大変なことになる。たとえば、橋があると思って歩き出したら、そのまま水のなかにドボンなんてこともありえるのだ。
しかし、メアは言う。
「ご心配なさらなくても、危険と思われる箇所は、すでに修正済みですわ」
「そうなの? ならよかった。僕はともかく、屋敷のみんなは仕事であちこち動き回ってるから、何かあったら大変だもんね。一人で行動してて、そのまま行方不明とか洒落にならないしさ」
七糸のほっとした様子に、メアが吐息する。
「――本当に、ナイト様はお優しいですわね。こちらが心配になるくらいに」
「え? そうかな、普通だと思うけど」
メアは、橋を歩きながら、水面を見つめる。
「……この世界において、優しさは自己犠牲と紙一重なのですわ。尽くすことは、食らい尽くされることと同じ。その身を、心を、どんなに痛めたところで、返ってくるのが感謝ばかりとは限りませんのよ。それどころか、利用され、悪辣な輩の片棒を担ぐことにもなりかねませんわ」
「――…まあ、言おうとしてることはわかる気がするけど」
優しさや気遣いが、逆に他人を傷つけてしまって恨まれる、なんてこともあるだろうし、親切のつもりが、知らず知らずのうちに大きな犯罪の一端を担っていた、なんてこともあるかもしれない。
しかし、それでも、誰かを思いやる心は、どんな世界でも共通して大事なのではないかと思う。
「どんな結果になっても、自分が後悔しないのなら、それでいいんじゃないかな。僕は、誰も傷つけたくないし、泣いてほしくない。だから、みんなを大事にしたい、それだけなんだ。メアにだってあるんじゃないの? 守りたい、大事なものがさ」
「――それは、当然ですわ。ナイト様だけは、何があってもお守りするつもりですもの」
「…本当に、メアはブレないなあ」
想像通りの答えに、つい、笑ってしまう。
でも、その言葉に安らぎを覚える。誰かに想われるのは、心地いいものだから。
「…大事なものがあるって、それだけで勇気になるよね。どんなに辛いことでも、平気だって思えるっていうか。あ、もしかして、この世界じゃ、そういうのも魔法っていうのかな?」
「さあ、どうでしょう。ナイト様がそうお思いになるのならば、そうなのだと思いますわ。心は、すべての魔法の原点と言われていますし」
ですが、と彼女は少し厳しい口調で告げる。
「心がどんなに強くとも、ナイト様のお身体は頑丈にはできていないということを、くれぐれもお忘れにならないで。どうか、無茶だけはなさらないでくださいまし」
「…うん、わかってるよ」
魔界の住人は、基本的に頑丈にできている。七糸のように、ちょっと転んだくらいで擦り傷をつくったり、血を滲ませるなんてことは、この世界の人々には驚愕の事実なのだ。
(…実際、ラビィさんに剣を教えてもらおうとして怪我したとき、すっごいびっくりしてたもんなあ)
石に躓いてしまい、膝から血が出たのを見て、ラビィが真っ青な顔になっていたのを思い出す。彼にしてみれば、ちょっと転んだくらいで出血することが信じられず、身体的に異常がある、もしくは何らかの呪いにでもかかっているのではないかと心配したようだった。もっとも、メアは人間界にしばらく滞在していたからか、さほど驚かなかったが――それでも、怪我をさせたラビィへの報復だけはきっちり行っていたのを思い出す。
「…あのさ、メア。今回の件を機に、ラビィさんを苛めるの、控えてくれないかな?」
七糸の発した不意のお願いに、彼女は、即座に笑顔を返した。
「あら、嫌ですわ、ナイト様。私、別に、苛めてなどいませんわ。ただ、しつけているだけ。礼儀と身のほどをわきまえるように、適正な処置を施しているにすぎませんもの。まあ、今回の件は、確かに少々やりすぎたかもしれませんけれど――それにしても、あのヘタレにも責任はあると思いませんこと? こうなる前に、私の命令を聞く義務が、あの男にはあったはずですもの」
ああ言えばこう言う。メアの持論は、彼女にとっては絶対的な正論なのだ。
ラビィのことは、元婚約者や友達、顔見知りどころか、ただのペットぐらいにしか思っていないのかもしれない。言うことを聞いて、当たり前。刃向かったり、意に背くことをすれば、即調教。それが彼女にとっての自然な接し方なのだろう。これはもう、癖みたいなもので、今さらどうしようもないことだとしたら――あまりにも、残念すぎる。
「……じゃあ、もっとマイルドに、攻撃する前に話し合ってみるっていうのはどうかな?」
妥協案とばかりに提案してみると、彼女はにこやかに頷いてみせた。
「ええ、もちろん、話し合っていますわ。その心に抉り込むようにして、一生消えない傷として、私の言葉を刻みこんでいますもの。ただ、困ったことに、あのヘタレ駄竜には学習能力がないみたいですの。何度注意しても、ナイト様に馴れ馴れしく近づいてベタベタと付き纏うのをやめようとしないのです。これだから、戦闘種族は馬鹿の集まりだと揶揄されるのですわ」
「…いや、それはどうだろう」
ラビィは、騎士としての仕事をしているだけではないだろうか。主の傍に仕え、守る。それが彼の役目である以上、譲歩の仕様がない言い分だ。
しかし、彼女は言う。やや不機嫌な口調で。
「そもそも、戦闘中でもないというのに、大怪我を負うこと自体が迂闊なのですわ。ちょっと警戒していれば避けられたと思いますのに、これだから、騎士としての自覚のない駄竜は手に負えませんわね」
「…いや、自分のやったこと棚上げして文句言われても、ラビィさんだって困るんじゃないかな…。むしろ、メアは素直に謝るべきだと思うよ? さすがに、今回のは自分でもやりすぎたって思ってるんでしょ?」
「…………」
メアは、途端に不機嫌に口をへの字にして、そっぽを向いた。よほど、自分のミスを認めて、ラビィに頭を下げるのが嫌なのだろう。
「…メア、ちゃんと謝らないと駄目だよ? 僕も一緒に謝るからさ。ね?」
「――…私は悪くありませんわ。ですが、ナイト様がそこまでおっしゃるのならば譲歩しないわけには参りませんわね」
ぶつぶつと不満げに呟くメアに、七糸が微笑みかける。
「…大丈夫。ラビィさんなら、謝ればちゃんと許してくれるから」
「!」
メアが、驚いたようにこちらを見た。
「べ、別に、怒られたり恨まれたりするのが怖いから謝罪したくない、というわけではありませんのよ? 許そうが許すまいが、私には関係ありませんし」
「とかいって、本当は気にしてるくせに。素直じゃないなあ」
ラビィが負傷して眠っているとき、こっそりと様子を窺いに行っているところを何度か見かけたことがあった。そのときの彼女は、どこか不安げに見えて、本気で心配しているとわかった。
何だかんだ言いつつも、メアは心優しい女の子なのだ。ただ、非常にひねくれた性格のせいで、誤解されているだけで。
にこにこしながら自分を見つめる視線に、メアはわずかに頬を赤らめた。
「…そんなに見つめないでくださいませんこと? 恥ずかしくて消えてしまいそうですわ」
「ふふ、ごめんごめん。あ、もうすぐ湖の端に着くね」
話しながら歩いているうちに、いつの間にか、目的地へと到着していた。
陸に足を下ろし、地面の感触を確かめるようにして靴の底で土を踏みしめる。
「…ええと、それで、クローラインはどこに咲いてるの?」
ざっと見たところ、再び森らしきものが広がっているばかりで、花なんてどこにも咲いていない。
「ナイト様。花は、すぐそこに咲いていますわ」
「…? それらしいものがどこにも見えないんだけど」
言いながら周囲を見回していると、メアが軽く七糸の手を引っ張った。
「――クローラインが根を張っているローランドリウスの土は、本物の土ではありませんの。ナイト様、振り返ってみてくださいませんこと?」
「え、あ、うん」
メアと一緒に、湖から数歩離れて振り返る。
そして――七糸は、見た。
「え、え、えええええっ?」
湖の上に、見たこともない花が咲いている。しかも、睡蓮のように水に浮かんでいるのではなく、水の上から葉と茎が伸び、花がついているのだ。それは、赤や黄色、青色といった具合に、色彩に富んでいる。話に聞いていた通り、鮮やかな虹色にも見えるが、どこか儚い印象があるのは、おそらく花弁が光に透けて、淡く、儚く映っているせいだろう。
「…湖に花が咲いてる…? これが、クローラインって花なの?」
八重桜を思わせる形の花々を見つめて訊く七糸に、メアが頷きを返す。
「ええ、そうですわ。クローラインは、別名・幻想花と呼ばれていますの。もともと、ローランドリウスは精霊界と魔界の境に存在していたこともあってか、生育条件がかなり特殊なのですわ」
言って、彼女はそっと手を伸ばして、クローラインに触れようとする。しかし、どういうわけか、花はふっと姿を消して、水のきらめきだけが残る。
「この通り、直接、触れることは敵いません。本体は、精霊界のすぐ傍にあり、それが魔界から見えるようになっているのです」
「え、それじゃ、摘むことはできないってこと?」
せっかく、見舞い用にと思っていたのに、これでは来た意味がない。
困惑顔になる七糸を優しく見つめ、彼女は言った。
「ですから、精霊の力を借りるのですわ」




