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第四話・其の三

         《 第四話・其の三 》



「えっ、ラビィさん、目が覚めたの!?」

 七糸が、喜色満面でメアを見る。

 彼女は、あまりにも嬉しそうな七糸にちょっと不満げな様子を見せつつも、しおらしく頷いた。

「ええ、どうやら、意識が戻ったようですわ。先ほど、メイド長から報告がありましたの」

「そっかー。よかった、これでもう安心だね。ね、メア」

 にこにこしながらメアに同意を求めると、彼女は、明らかな愛想笑いを浮かべてみせた。

「ええ、本当に。後遺症でも残っていれば面白いのですけれど」

「! え、縁起でもないことを言わないでよ!」

 ラビィが大怪我をしたと聞いたときは、血の気が引くような思いがした。その報告を聞いた瞬間、メアは何やら考え込むような気難しい顔つきで部屋にこもり、しばらく出てこなかった。七糸はというと、回復魔法が使えるわけでもなければ、治療の手伝いができるわけでもないので、ひたすら悶々としながら部屋の前で座り込むしかなかった。

(……せめて、僕に何かできることがあればなあ)

 そう思うものの、魔力がないから魔法は使えないし、素人の自分が応急処置の術を習ったところで、この世界ではたいして役に立たないだろう。こういう状況になると、本当に、この世界に自分の居場所なんかはないのだと痛感してしまう。まあ、人間界でも何もできないとは思うが――それでも、ここまでの無力感は感じないと思う。

(――…僕が、漫画やゲームの主人公だったらよかったのに)

 それなら、そんなピンチに陥っても諦めることなく、無力は無力なりに何かしら考えて行動できるに違いないのに――現実は、あまりにも無慈悲で無常だ。

(……嫌だな、こういうの…)

 昔、似たようなことがあった。もっとも、そのときは七糸自身も大怪我を負っていたのだが――それ以上に、瀕死の状態だったのが、愛犬のアルトだ。

 七糸は、どういうわけか、昔から不運に愛されたような人間だった。近くにいる人が、どういうわけかやたらと事件に巻き込まれる。というより、七糸を中心に起こる事件に、周囲の人々を巻き込んでしまう、といったほうがいいだろうか。

 その被害を一番被っていたのが、愛犬のアルトである。これまで十回ほど、死にかけている。そのすべてが、七糸を庇ってのことだと考えると、不運とかいうレベルではないような気もする。

(……交通事故とか、通り魔とか――…)

 そういうものから、アルトは勇者の如く七糸を生命がけで守ってくれた。

(…この世界なら、そういうのはないと思ってたのにな)

 ここには、魔法がある。誰かを守り、助ける力が存在している。だから――楽観視していたのだ。忘れてしまっていたのだ。自分が、不運を呼び込む体質だということを。

 だからこそ、ラビィの件に強烈な罪悪感を感じていたし、万が一、死んでしまったら――そう考えると怖くて、ここのところ満足に眠れなかった。

 ようやく、今日になってラビィが目覚めたと聞いたときは、ぱあっと視界が明るくなった気がした。

 心底、よかったと思う。

 でも、ちょっとだけ、罪悪感が残ってしまうのは――ラビィの怪我の元凶が、メアをとめられなかった自分にあると感じているからだろう。

「ねえ、メア。ラビィさんのところにお見舞いに行こうよ。花でも持ってさ」

 七糸の提案に、彼女は面倒くさそうに肩にかかった髪を手の甲で払った。

「――花、ですの? それは構いませんけれど――花を持って怪我人を見舞うことに、何の意味がありますの?」

「え、意味って――そりゃ、目の保養っていうか、心が癒されるとかじゃないの? こっちの世界には、そういう風習ってないの?」

 あまり深く考えずに言う七糸に、彼女は、ちょっと意地悪な笑みを浮かべた。

「ええ、こちらの世界で見舞いの品といえば、果物や金品の類と相場が決まっていますのよ。けれど――ふふ。心が癒される、そうですわね、それはなかなか素晴らしいお考えだと思いますわ」

「…メア、目が笑ってないよ。怪我人に変なことしちゃ駄目だからね?」

「うふふ、わかっていますわ。大丈夫、心の傷も言えるような、最良の花を差し入れるとしましょう。そのためにも、ナイト様。一緒に、花畑にでも行きませんこと? ちょうど、今が見どころの花がありますのよ」

「え、うん、いいけど――…人を食べたり、毒を持ってたりするような花じゃないよね?」

 念のため確認してみると、彼女はにこにこと笑った。

「もちろんですわ。そんな危険なものを取りに行くのに、ナイト様をお誘いするはずがありませんでしょう? 正真正銘、癒しの花ですわ」

「…ならいいけど。で、その花畑って、どこにあるの?」

 この屋敷の周辺に、それらしい場所は見当たらない。あるのは、ひたすら広大な森林と、湖くらいだ。

 メアは、悪戯っ子みたいに楽しげに瞳を細め、湖のある方向を指差した。

「湖の向こう側ですわ。そこには、クローラインと呼ばれる花が群生していますの。とても可憐で美しく、芳しい香りのする名花ですのよ」

「へえ、何かいかにも上品な感じの名前だね。ちなみに、花言葉は何なの?」

「? 花言葉、とは何ですの?」

 不思議そうに訊かれて、七糸が説明する。

「何と言われても困るんだけど――僕の世界だと、草花や木に、その見た目や雰囲気に相応しい象徴的な言葉というか――つまりは、イメージっていうのかな? そういうのが一つ一つの花に与えられてるんだ。たとえば、真っ赤なバラの花には、情熱とかね」

「…つまりは、その花を形容するのに相応しい言葉という解釈でよろしいのかしら?」

「うーん、よくわかんないけど、たぶん、そんな感じかな。こっちの世界には、そういうのはないんだね」

「…そうですわね。名称があれば、それ以外は必要ありませんもの。ですが、クローラインをナイト様のおっしゃる花言葉で表現するとすれば……儚き夢想、もしくは、純粋な願い、といったところでしょうか」

「儚き夢想に、純粋な願い、かあ。何か、ロマンチックだね」

「そうですわね。女性に好まれる花の一つで――ちょっとした、言い伝えがありますのよ」

 メアが、夢見るような眼差しで言う。

「クローラインというのは、とある国の王女の名前なのですわ。今では、海の底深くに沈んだとされる、幻の国・ローランドリウス。精霊たちを統べ従える妖精たちが棲む彼の国の王女と、それに敵対していた国の王子との真実の愛がベースになっておりますの」

「へえ、まるでロミオとジュリエットだね」

「ロミオとジュリエット? どなたですの、その方々は?」

「えっと、僕の世界ではかなり有名な、悲恋の物語の主人公たちだよ。敵対している家同士の息子と娘が恋に落ちて、すれ違いの果てに死んでしまうっていう話なんだけど」

「…まあ、人間の世界にも、そんな物語が存在してますの? ですが、同じ悲恋でも、少しタイプが違うかもしれませんわね」

 そう前置きしてから、メアは、悲しくも儚い恋物語を話し始めた。


 今では海の底に沈んだとされる幻の国・ローランドリウスの王女・クローライン。彼女は、ありとあらゆるものに祝福されてこの世に生まれ落ちた。

 光に融けそうな淡い黄金色の髪、慈愛に満ちたグレーの瞳、透き通った白い肌。笑顔は花よりも鮮やかに輝き、笑い声はどんな歌声よりも人々の心を明るく照らし出した。

 国、いや、世界のすべてに求められたかのような美しい姫君は、心優しい女性と成長し、運命の日を迎えた。

 それは、王族に生まれた以上、逃れられない宿命の日。

 他国の王子との、婚礼の儀。和平のために結ばれた、形だけの縁。

 彼女は、何の疑問も不満もなく、しきたり通りに輿入れして――嫁ぎ先で恐ろしい事実を突きつけられることになった。

 相手の王子は、他国にも名の知られた男。悪評をそのまま身に纏ったような、冷徹な獣を思わせる人物だった。

 しかし、クローラインは、王子を恐れなかった。妖精である彼女は、その特殊な瞳の力で、彼が噂通りの悪辣な人間ではないと一目で見抜いたのだ。実際のところ、その国では、彼以外の王族の魂は、みんな穢れていた。権力と欲望、鮮血と愚かなまでの自己顕示欲。それらに取り憑かれた亡者の如き人々の暮らす城で、彼女は生きることを余儀なくされた。

 妖精は、精霊以上に、人の心、魂の穢れに敏感だ。クローラインは、半年としないうちに弱りきり、ベッドから起き上がることさえできなくなってしまった。それを見かねた王子は、彼女を一時的にローランドリウスへと帰すことに決めた。

 しかし――クローラインは、それを拒んだ。

 この国に嫁いだ以上、自分は、ただ一人、穢れなき心を持った王子を助け、共に国を栄えさせる役目があるのです、と、そう言って。

 姫の病状は、みるみるうちに悪くなった。なかには、クローラインが不貞を働き、怒った王子が毒殺しようとしているのではないか、などと心ない噂を口にする者も出てきた。

 そして――ある日、事件が起きた。

 病床に伏せっていたクローラインが、忽然と姿を消したのだ。

 無人のベッドには、何者からかの手紙が置かれていた。

 それは、明らかに王子を狙った罠だった。第一王位継承権を持つ王子に、城を離れ、指示した場所へ向かうようにと警告してきたのだ。よりにもよって、クローラインを人質にとって。

 王子は、迷うことなく城を出て、無謀にも単身で指示された場所へと向かった。

 そして、驚いた。

 待っていたのは、自国の殺し屋などではなく、ローランドリウスの兵たち。

 死にかけた姫を救うべく、彼らは無断でクローラインを連れ出し、声高らかに宣戦布告を言い渡したのだ。

 ――和平の絆は、すでに断たれた。もはや、それが戻ることはないだろう。

 その言葉を皮切りに、戦争が始まった。妖精は、精霊魔法のエキスパートであり、属性など関係なく自在に操ることができる。反対に、王子の国にはローランドリウスほどの魔力はなかったが、応用力と頭脳、兵士の数で勝っていた。総合的な戦力は、ほぼ互角だった。

 しかし、戦争にかける気迫が違っていた。

 片や、最愛の姫君を敵国に殺されかけた妖精たち。

 片や、欲に塗れて他国を侵略しようとする者ども。

 どちらも死ぬ気で戦いに挑んでいたが、最後の最後の部分で王子の国の人々は負けていた。愛国心よりも、自分の生命を優先する兵士が続出したのだ。

 そして、王子の国は滅び、王族は処刑された。ただ一人、王子を残して。


「――…って、何で、王子だけ助かったの?」

 疑問に思って、七糸が口を挟む。

 すると、メアは頬に手を当て、

「…王子は、戦争には参加していなかったのですわ。戦よりも何よりも、姫の容体のほうが気がかりで、殺されることを覚悟のうえで妖精王に頼んだのです。彼女の傍にいさせてほしいと」

「うわあ、何か格好いいね、それ!」

「そうですわね。男としては上等、ですが、王子としては最悪ですわ」

 言って、メアは話を再開する。


 王子は、姫を想うあまり、国も民も捨てて敵国の捕虜となることを望んだ。

 王子の心に穢れがないことを知った妖精王は、その願いを受け入れ、快く王子の滞在を許した。王子は、来る日も来る日も、姫の傍を片ときも離れようとはせず、ゆっくりと回復していく彼女を見守った。

 しかし、当然ながら、それを面白く思わない連中がいた。ローランドリウスに滅ぼされた王子の国の要人たちだ。彼らは、何とか生き延びて、裏切り者の王子を殺すことを画策した。

 不幸にも、ローランドリウスの王城は、警備がさほど厳重ではなかった。戦争が終わり、平和が戻ったと錯覚した彼らは、油断していた。姫や妖精王を狙うならともかく、まさか、亡命してきた王子を狙う輩がいるなどとは、思いもしなかったのだ。

 すっかり元気を取り戻した姫と王子は、寄り添いながら幸せに暮らしていた。その幸せがあまりにも深すぎて、彼らは気づかなかった。二人を取り囲む、殺意に。凶器の存在に。

 それに最初に気づいたとき、すでに、凶器は敵の手から放たれていた。それは、王子の心臓を目がけて空気を切り裂き、飛んでくる。

 姫は、咄嗟に魔法を発動させ、その凶器を弾き飛ばしたが――運悪く、その刃先が頬を掠めた。わずかな量でも致死量に至る、猛毒。それは、十秒と満たないうちに姫の全身に回り、その儚い生命を奪った。

 王子は、絶望しながらも、何とか姫の敵を討ったが――死者が蘇ることはなかった。悲しみに暮れた王子は、姫の亡骸を抱いたまま、自害してしまった。


「ここで、話は終わりですわ」

 唐突にメアが話を打ち切る。

「――…え? ちょっと待って。クローラインって、花の由来になった名前だよね? 花とお姫様、一体、どういう関係があったの?」

 せめて、お姫様の好きな花だったとか、姫が死後、花に生まれ変わったとか、そういうオチを想像していたのに、メアはあっさりとその期待を裏切り、ちょこんと首を傾げてみせた。

「関係、と申されましても…クローラインは、花の名であると当時に、ローランドリウスという国の象徴となった王女の名前だとしか言えませんわ。ただ、クローラインは、特殊な土地でしか育ちませんの」

「特殊って…水が綺麗じゃなきゃ駄目とか、そういう感じ?」

「そうですわね。今となっては、物語のなかにしか存在しない幻の国・ローランドリウスの土でなければ根付かないという話ですわ。実際、咲いている場所自体、世界中を探しても五か所ほどだと言われていますのよ」

「え、世界で五か所しかないの!? すごいね、それ。どんな花なのか、俄然、興味がわいてきたよ!」

 きっと、目を見張るような美しい花に違いない。

 わくわくが抑えきれない七糸の様子に、メアは悠然と微笑んだ。

「――ふふっ。どんな花かは、見てのお楽しみですわ。さあ、ナイト様。そろそろ、好奇心を満たしに参りませんこと? 幸い、今日は風がありませんから、花が散るということもないでしょう」

「風? 風が強いと、散っちゃうの?」

 想像では、百合みたいな花を想像していたのだが、もしかして、桜のように雨風に弱い類の花なのだろうか。

 頭のなかでぼんやりと想像力を膨らませていると、彼女は楽しげに赤い瞳をきらめかせた。

「――ええ、そうですわ。その理由は……ご覧になれば、すぐにわかると思いますけれど」

 勿体ぶるように言葉を切って、メアが優美な足取りで歩き始めた。


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