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第四話・其の二


        《 第四話・其の二 》



『――兄貴、おいらに何か言うことはねーッスか?』

 感情を抑えたコルカの声に、ラビィはまばたきをした。

「…? あ、ああ、すまない。心配させてしまったが、もう大丈夫だ。痛みはあるが、直に治るだろう」

 心配性のコルカのことだから、ラビィが目覚めるまでずっと気を揉んでいたに違いない。余計な心配をかけてしまったと反省しながら声をかけたラビィだったが――どうやら、ただ心配していただけではなかったらしい。

 コルカは、鼻息荒く尻尾の炎をポッポと大きくして、

『そーじゃなくて! もっと他に何かあるはずッスよね、他に!』

「?? お前を心配させたこと以外に何かあるのか?」

 首を傾げようとしたが、それだけの動作でもズキリと痛みが走る。どうにも、あとを引きそうな、嫌な痛みだ。癖にならなければいいが――。

 死にかけたにもかかわらず能天気なラビィの様子に、コルカは、苛立ったようにポポポポと炎を小刻みに揺らすと、

『もーっ! これだから、兄貴は放っておけねーんスよ!』

 びしっと小さな人差し指をラビィに突きつける。

『兄貴には、警戒心が足りねーって前に言ったじゃねーッスか! ちょっと考えりゃ、メア様の支配下のこの場所で、兄貴にとって都合のいいことが起きるわけがねーんスよ! ちょっとした油断が命取りになるってことを、いい加減、学習してほしいッスよ!』

 鼻息荒くまくしたてられて、ラビィは、ぱちぱちとまばたきをした。

「…い、いや、しかし、今回の件はメア様だけのせいではないし」

『わかってるッスよ。おいらも、さっきの話を聞いてたッスからね』

 ラビィに対して殺意を持っている者が、メアの他にもいるという事実。

 しかも、その誰かは、この世界でもヒエラルキーのかなり上位に存在する竜族を傷つけることができる武器、もしくは魔法を有していると思われる。

『――おいら、生物については詳しくねーッスけど、いくら気を失っていたとしても、ラビィの兄貴を殺すのは至難の業ッスよ? 最低限、兄貴の魔力抵抗力を上回るレベルじゃねーと、傷の一つも負わせらんねーッスからね』

 生物が呼吸する際、無意識に身体から放出される二種類の魔力が存在する。そのうちの一つを、魔力抵抗力と呼ぶ。たとえるならば、それは身体を包む透明なベールのようなもので、ラビィのように訓練された者になれば、自然とそれは強固なものになる。精神攻撃に対してはあまり効果がないが、物理攻撃を跳ね返す特性に優れているため、重い鎧で身を固めなくてもすむ。そのため、魔力の高い竜族であり、かつ、騎士としての訓練を受けてきたラビィの魔力抵抗力は相当高く、それ故に物理攻撃に強いということになる。逆に、メアの場合、訓練されていないために、魔力は高いくせに、魔力抵抗力が強化されることはなかった。よって、結果的に、彼女は物理攻撃に弱いということになるわけだ。

 ついでに言えば、魔力抵抗力とは別に魔法抵抗力というものも存在する。そちらは、言葉通り、魔法攻撃に対する耐性のことを言い、そちらに関しては訓練の有無は関係ない。魔力の強さがモノを言うため、魔力の低い者は、特殊なアイテムや秘術無しには強化できない分野になっている。

「…魔力抵抗力、魔法抵抗力。それらを総合して考えると、メア様のこの結界内において、私のそれを上回る者は存在しないことになるが…」

 戦闘民族のキルトバは、攻撃力こそあるものの、ラビィに致命傷を負わせることは不可能だ。まだ、そこまでのレベルに達していない。その他の魔法を使える者たちに関しても、同じことがいえる。

『とにかく、兄貴。早く、ここから離れたほうがいいッスよ。今度こそ、本気で死んじまうかもしんねーし』

 コルカの助言に、ラビィは眉を寄せた。

「――いや、そういうわけにはいかないのだ」

 コルカの心配もわかるが――ここで引くわけにはいかない。

(……もし、敵の真の狙いがナイト殿だとするならば)

 七糸を確実に殺すために、自分が消されようとしているのならば。

 何が何でも、生き延びなければならない。こんな怪我程度で倒れるわけにはいかない。

 何故なら。

「…私は、ナイト殿の騎士なのだから」

 敵がどんなに強大であろうとも、臆したりはしない。どんな事態に見舞われようとも、屈することはできない。守ると決めた者を、生命懸けで守る。それが、騎士というものだから。

 しかし、そんな気高い騎士道精神も、精霊のコルカには理解できないらしい。

『――兄貴、騎士だからって、わざわざ危険だとわかってる場所に飛び込まなくてもいいんじゃねーッスかね。おいらからしてみりゃ、馬鹿のすることッスよ、そんなのは』

「バ、馬鹿だと!? な、何を言う。主のためにすべてを懸けることこそ、騎士の使命ではないか!」

『――んな格好いいこと言っても、結局は、惚れた女のためじゃねースか。それなら、いっそ、素直にそう言ったほうが男らしいッスよ?』

 呆れたように言われて、反射的にラビィが反論する。

「なっ、ち、違っ」

『違わねーッスよ。っていうか、兄貴。んな真っ赤な顔で否定しても、肯定してるのと同じッスからね?』

「!!」

 咄嗟に自分の頬に手を当てる。無論、それで何かがわかるわけではないのだが――それでも、明らかに動揺しているのが自覚できた。

 ドクドクと。こちらの意思に反して、心臓が慌ただしく騒いでいるのがわかる。

(――…や、やはり、私はナイト殿のことが好きなのだろうか……?)

 未だに自分の気持ちに確信が持てないが、いちいち、七糸の話に反応してしまうのは、何かしら思うところがあるからだろう。たとえば、コルカや他のみんなが言うように、本当に七糸に対して恋情を抱いているのだとしたら――…。

(……それは、困る。ものすごく、困る!)

 いくら公私混同しないように心がけたとしても、七糸が可愛い女の子であるという意識がラビィのなかにある以上、ことあるごとにそれがひょっこり頭を出してきて、誇り高き騎士道精神を破壊するのは目に見えている。

 とにかく、ラビィは嘘がつけない性格なのだ。一度、七糸のことを意識してしまえば、それが全部顔にも態度にも出てしまう。そうなったら、さすがに七糸も何かを察して、距離を取ろうとするに違いない。何せ、男には微塵も興味がなく、友情以上の好意は必要ないと考えているのだ。気持ち悪がられるのはまだしも、拒絶されて傍にいられなくなった場合、彼を敵の手から守るという当初の契約自体が成立しなくなってしまう。下手をすれば、七糸だけが殺されて、ラビィだけが生き残る可能性だってあるのだ。

 騎士として契約を交わした以上、何が起ころうとも、自分より先に主が死ぬなんていう展開だけは避けなければならない。それだけは、何があっても許されない。そうならないために、自分にできることは何なのか――。

「――…わ、私は、どうすればいいのだろうか?」

『…へ?』

 いきなりの問いかけに、コルカが小動物めいた瞳でこちらを見つめる。

『何の話ッスか?』

「…な、何とは――それは、もちろん…我が主、ナイト殿のことに決まっているではないか」

『? あの男女が、どうかしたんスか?』

「だ、だから――…私が、ナイト殿に懸想しているのではないかという話について、お前は肯定的だっただろう? 万が一、そうなった場合、私はどうすればいいのだろうか?」

 七糸のことは、何があろうと絶対に守る。その意志は変わらない。しかし――そこに純粋な忠誠心以外のものが混じっていた場合、ラビィの個人的感情よりも七糸の意思を尊重しなくてはならなくなる。

 つまり――七糸がラビィを傍に置いておきたくないと思った場合、契約を破棄するということもありえるのだ。

 その辺りの事情を察したのか、コルカはふうっと呆れたように息を吐いた。

『…どうもこうも、兄貴がしたいようにすりゃいいんじゃねーんスか? おいらは、どんなことになろうとも兄貴について行くだけッスよ』

「――…? 反対しないのか? お前は、ナイト殿を敬遠していただろう?」

 コルカのことだから、とにかく七糸と距離を取れと言い出すだろうと思っていたのに、返ってきた言葉は、意外なほど素っ気ないものだった。

 手のひらを返したような態度を不思議がるラビィを見つめ、コルカは短い腕を組んだ。

『…キールケの兄貴に言われたんスよ。ラビィの兄貴に春が来たなら、めでてーことじゃねーかって。おいらだって、精霊契約の回数制限さえなけりゃ、多少のことには目を瞑って――…って、ありゃ?』

 コルカが、不自然に言葉を切って、考え込む。

「? どうしたのだ、急に黙り込んで?」

 つられてラビィも真剣な顔になる。

 コルカは、記憶を辿るようにきゅっと眉を寄せて――困惑顔になる。

『――…兄貴。おいら、変になっちまったかもしんねーッス』

「変? どんなふうに変なのだ?」

『それが――…おいら、前に言ったッスよね? 精霊は、同一人物との契約は三度きりしかできねーって。けど……妙なんスよ。今、考えたら、何でそんな思い違いをしてたのかわからねーんス』

「…思い違い? ということは、精霊契約に回数制限はない、ということか?」

『――そうなるッスね』

 ただ、とコルカは気難しい顔つきになる。

『…おいら、本当に、そう思い込んでいたんスよ。三度、契約が切れたら、兄貴とはサヨナラしなきゃいけねーんだって、真剣に悩んでたんスよ? なのに――今、考えたら、何で、そんな馬鹿げたことを信じていたのか、全然わからねーんス』

 精霊は精神体であり、それ故に、生物にありがちな忘却や記憶の変質などは起こらないはずなのに――それが、いともあっさりと覆されたということは……。

「……私が殺されかけたことといい、やはり、何かが起きているな。それも、かなり大がかりで手の込んだ事態になりそうな予感がする」

 ラビィの呟きに、コルカが神妙な面持ちで頷いた。

『――…そうッスね。実際、嫌な感じがするッスよ。あの男女以上に、ヤバい何かが動いているような』

「……ああ。しかし、だからといって、今さら引き返すことはできない。我々は、すでに渦中に身を投じているのだから」

 七糸がこちらにやってきた時点で、すでに、水面下で大きな魚が暴れていたのだ。それが、ようやく、水面を騒がせ始めたにすぎない。

 もはや、避けることはできないが、敵の正体が見えないままでは、如何ともしがたいのも事実。しかし、巻き込まれてしまった以上、とことん刃向かうしかない。

 そのために、まずできることは―――。

「…コルカ。まずは、私と再契約をしてくれ」

 短く頼むと、コルカは一も二もなく引き受けた。

『無論、わかってるッスよ、兄貴!』

 心なしか浮かれた声音で応え、コルカが小さな手をラビィに向ける。

 そして、つぶらな目を閉じ、ボボボと尻尾の炎を大きく膨らませた。

 一瞬、かすかにコルカの小さな身体が発光して、手のひらからフッと熱風が放たれた。それは故郷の風を思わせるが、さほど熱さは感じない。

 精霊契約における再契約は、難しくない。一度でも絆を結んだ相手ならば、一秒とかからず儀式は完了する。いや、儀式と呼べるほど大層なことは何もしないので、契約したという意識すらあまりない。精霊が契約を望み、力を貸したいと願えば、それで終了してしまうので、ちょっと味気ない。

『これでいいッスよ。でも、兄貴。あの男女との接触はできるだけ控えてほしいッス。いざというとき、魔法が使えねーと困るッスからね』

 コルカの声に、ラビィが頷く。

「ああ、わかっている。これ以上、お前に負担をかけるわけにはいかないからな」

 たとえ、一時的だとしても、契約破棄はコルカを弱らせる。だから、なるべく、七糸とは必要以上に近づかないように細心の注意を払わなくてはいけない。もっとも、それが困難であることは、ラビィもコルカも理解しているのだが。

(…それにしても、一体、我々の世界で何が起きているのだろうか?)

 コルカの思い違いといい、ラビィの大怪我といい、多くの秘密を抱えているらしい七糸の存在といい――謎ばかりが増えていく気がする。

(……メア様に訊けば、何かわかるのだろうか?)

 もっとも、訊いたところで素直に教えてくれるとは思えないが。

(そういえば、ララリックという名を出せばいいとか言っていたな――…)

 ララリック。聞いたことのない響きだが、それがメアの弱点の一つなのだとすれば、それを利用しない手はない。しかし――相手の弱みにつけ込むなんて真似は、ラビィの性格上、できるはずがない。騎士道精神に反する行いをすれば、その時点で騎士失格になってしまう。

(…だが、ナイト殿の身を守るという点においては、私とメア様の利害は一致しているからな)

 真摯に向き合えば、意外と、すんなりと事情を説明してくれるかもしれない。

 とりあえず、メアに会う前に、質問すべき事柄を整理しておく必要があるだろう。

 まず、第一にわからないのは、どうして、七糸をこの世界につれてきたのか、ということだ。無論、彼女が惚れ込んで結婚したがったから、という表向きの理由が返ってきそうだが――それだけでは、説明がつかないことがある。

 メアがどうやって七糸のいた世界に行ったのか。何故、七糸が狙われているのか。メアが、どんな手段で七糸をこちらの世界に連れ帰ったのか。そして、魔王討伐を突然言い出した理由は何なのか――。

(…そもそも、メア様自身、謎の多い人物だからな…)

 メアのことは、正直、詳しくは知らない。個人情報を得ようとしても、どういうわけか、はっきりとしたことがわからないのだ。いつ生まれて、どのように育ったのか。彼女を古くから知っているはずのルーベクですら、言葉を濁すくらいだ。何か深い秘密があるのかもしれないが――精神感応能力を持つ彼女のことだ。隠したい真実を隠すことはお手のものに違いない。

(…実際、メア様の行動には、どうにも腑に落ちない点がある)

 次期魔王候補として生を受けたにもかかわらず、彼女は、七糸がこの世界に来るまで、魔王討伐になど微塵も興味がない様子だった。むしろ、面倒くさいから放置していた節があるくらいなのに、突然、一念発起して魔王討伐を掲げるようになった。そのくせ、戦争を仕掛ける気配はなく、それどころか、結界を張って引きこもっているとは奇妙な話ではないか。この矛盾は、一体、何なのだろうか。

(……戦力を蓄えるのに時間を費やしているともとれるが、そんな素振りもないしな)

 ときどき、女子会だの何だのと言って、ふっといなくなるが――…それらが言葉通りの意味とは限らない。

(…もしかして、魔王討伐以外の目的があるのではないのか?)

 魔王を殺すことは、困難ではあっても不可能ではない。魔王は、魔王候補を殺せないという前提があるからだ。それならば、何故、メアは表立って動こうとしないのか。その理由は――…。

(…まだ、時機ではないということか?)

 何事も、タイミングは重要だ。始めるのも、終わらせるのも、それに適した時機がある。

 魔王を殺すこと。そして、自らが新たな王となること。

 それは、おそらく、七糸を守るという意味合いも兼ねているのだろう。そうでなくては、メアがここまで慎重になるはずがない。

 すべては、七糸のために。

 彼女は、自らの運命さえも利用して、何かを成そうとしているのだ。

 それが何なのか、今のラビィには、うっすらとだがわかるような気がした。

(…守るべき者のため――最愛の人を失わないため)

 そのためにあらゆるものを惜しげなく捨てる覚悟が、メアにはあるのだろう。

 だからこそ、彼女は、毛嫌いしていたラビィを仲間に引き込んだ。自分の感情よりも、七糸の身の安全を優先的に考えて。

 それは、婚約以上にストレスの溜まる出来事だったに違いない。それなのに、彼女は、それを実行した。何の迷いもなく。

(…メア様のナイト殿を想う心は、本物だ。しかし)

 七糸を守りたいという気持ちは、自分も負けていないはずだ。そんなことを考えてしまって、思わず、頭を抱えてしまう。

(って、何故、メア様と張り合おうとしているのだ、私は!)

 七糸を守るという意味では同志であるはずのメアに対抗心を抱いたところで無意味だというのに――。七糸のことになると、どうにも、自分らしくないことを考えてしまう。

 ふうっと息を吐いていると、黙ってこちらを見つめていたコルカが口を開いた。

『…兄貴。この件でおいらが口出しするのは、これで最後にするッスけど――兄貴は、あの男女との契約をナシにすべきだと思うッスよ。契約が盟約に切り替わった時点で、兄貴も周囲の奴らも、みんな不幸になっちまう。けど、契約さえなけりゃ、兄貴の心は自由になれる。そうなったら、誰を好きになろうと罪にはならねーんスよ。だから――契約を切るべきだと、おいらは思うッス。もう、あの男女から離れろなんて無理は言わねーッスから』

「――それは…」

 ラビィは、コルカの真っすぐな瞳を見つめ返し、はっきりと告げた。

「それはもう、できないのだ、コルカ」

『――どうしてッスか? 契約なんかなくても、兄貴は強ぇーし、あの男女を守れるだけの力は充分にあるじゃねーッスか』

「…力があるかどうかの問題ではない。私の心が、ナイト殿をお守りすると決めたのだ。もはや、私の仕えるべき主は、ナイト殿以外には考えられないのだ」

 七糸が狙われているらしいという情報がなければ、ここまで思い切ることはできなかっただろう。しかし、ラビィは知ってしまった。七糸の身に危険が迫っているらしいということを。そうとなれば、多少の犠牲やリスクを恐れている場合ではない。

「…正直なところ、私のナイト殿を想う気持ちがどういう類のものか、まだ、はっきりしないのだ。この感情が原因で盟約に至り、周囲の者を巻き込んでしまう恐れもないわけではない。だが、それでも――…そうなったとしても、私は、ナイト殿を失いたくない。あの笑顔を守りたいのだ」

 自分勝手な言い分だと思う。あと先を考えない愚行のようにも思える。それでも――ラビィの心は、定まっている。

 七糸に向けて放たれた、死の宣告を聞いてしまったから。

 あの笑顔を奪おうとする何者かの存在に、気づいてしまったから。

 ラビィの強い眼差しに、コルカはふうっと息を吐いた。

『…なら、この話は、ここで終わりにするッスよ。ただ、おいらは、兄貴のためにならねーことはしねーッスからね。それだけは、覚えておいてほしいッス』

「ああ、わかっている。心配をかけてすまない、コルカ」

 その言葉に、コルカは肩をすくめた。

『いいッスよ、別に。男が決めたことッスからね。もう、野暮なことは言わねーッスよ』

 何だかキールケみたいなことを言って、コルカは、ラビィの頭の上にぽすんと座る。

『――安心するッスよ、兄貴。兄貴の怪我が治るまで、おいらがあいつについてるッスから』

「え?」

 一瞬、何の話かと思ったら、コルカがやや不機嫌そうに付け加えた。

『…あの男女は不気味で近づきたくねーんスけど、心配のあまり兄貴が無理したら困るッスからね。しばらくの間は、兄貴の代わりにおいらが見張ってやってもいいッスよ』

「――ああ、そういうことか」

 どうやら、コルカはコルカなりにいろいろと考えてくれたらしい。

 彼らしい気遣いに、つい笑みが漏れる。

「…ありがとう、コルカ。私が傍にいられない間は、なるべくナイト殿の傍にいてくれ。私は――メア様と少々、込み入った話をしなければならないからな」

『…そいつは、あの男女に聞かれたくねー類の話ッスね』

 何かを察したらしいコルカに、ラビィが無言で頷く。

 これは、あくまでも守る側の人間が知っていればいい情報であり、七糸に知らせる必要がない類のものだ。

 事態が込み入っていればいるほど、情報は錯綜し、真偽が危うくなる。そんな状態で、七糸に中途半端な情報を聞かせれば、どんな行動に出るかわからない。それを防ぐためにも、表面上はあくまでも平常通りの日常を過ごさなくてはいけない。

「――…とにかく、ナイト殿に気づかれないよう、秘密裏に情報収集を行い、事態を収束させなければ。長引けば長引くほど、知られる危険が増えるからな」

『……そうッスね』

 コルカは言って、ふと思い出したように言った。

『…でも、兄貴。もしバレたとしても、メア様お得意の精神感応能力でうまく誤魔化してもらえばいいんじゃねーッスかね?』

「いや、そう、うまくはいかないだろう」

 メアの能力をもってすれば、記憶改竄くらい容易い。しかし、それは何の代償もなしに行えるものではない。

 記憶を書き換えるには、まず、あるべき記憶を消し、偽の情報を書き込む。その際、不自然にならないように、その前後の記憶までも操作することになるため、精神にかかる負荷は測り知れない。

(……他の者に対してならばともかく、心底惚れている相手にそこまでできるとは思えん)

 メアは、七糸に対してだけは、常に誠実であろうとしている。情報を隠すことはあっても、その記憶を操作することはしないだろう。もし、そんなことをすれば、七糸の心に傷をつけることになるからだ。

 そこまで考えて、納得する。

(…そうか、だから、メア様は、魔王様の討伐を宣言したのか)

 メアには、口実が必要だったのだろう。

 記憶を操作することなく、かつ、七糸に嘘をつかないで行動するには、目に見える敵が必要だった。その存在があることで、何が起きても、いいわけになる。異常事態も、緊急事態も、すべて、そのせいだと言い逃れられる。七糸自身が狙われているのではなく、魔王候補のメアに危険が降りかかっているのだと思い込ませることができる。それは、彼女にとっては都合がよかったに違いない。

(…ナイト殿は、あの通り、無防備で甘すぎるからな)

 狙われているのが自分だと知った時点で、一人で何とかしようと飛び出して呆気なく殺されてしまうに違いない。それを防ぐために、メアは、自分が矢面に立つことを選んだのだろう。

(……なんていうのは、あまりにもいい話すぎるだろうか)

 ラビィの知るメアからは、到底考えつかない空想話ではある。しかし、そう考えていくと、それこそが真実のような気もしてくる。

(…とにもかくにも、メア様に確認しなければ……)

 今、何が起きていて、これから何が起ころうとしているのか。

(――いや、そうではないな)

 より正確に訊くならば――メアが、これから何をしようとしているのか。そう問うべきかもしれない。

 とにかく、これから先は、これまでのように能天気に構えていていい状態ではなくなるだろう。そんな予感を抱きながら、ラビィは軽く目を閉じた。



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