ラビィ編3.5話1
今回はコルカとキールケの話になります。結構、謎の多い展開ですが、楽しんで頂ければ嬉しいです。
《 第三・五話・其の一 》
たとえるならば、それは、遥か彼方に漂う記憶。
紅く黄色く、荒々しく燃え盛る炎が、ばちりと弾ける。そこから散った火花の一つから生まれ落ちた瞬間――コルカは、そこにいた。
いや、いた、という表現は正しくないかもしれない。彼は、確かに存在していたが、誰にも気づかれずに消えていくだけの幻にすぎなかったからだ。
宿るべき本体がなく、ただ、漠然とした意識が、赤黒く翳った空にぽっかりと浮かんでいるだけ。
自分が何者であるかを知らず。
また、それを知る術もなければ、教えてくれる者もなく。
世界そのものに拒まれるかのように消滅していくだけの、無価値な『何か』でしかなかった。
それ故に、彼は、無知で無欲だった。
漠然と宙を漂いながら、何かを考えることも誰かを想うこともなく、時間と共に流れ、消えていく。コルカに与えられたのは、そんな人生だった。
まるで、零れ落ちた水が大地に染み込むように。
燃え盛る炎がいずれ、消え去るように。
そうなることを疑問に思うこと自体がおかしいくらいの自然の摂理。運命そのもの。
――そう、今から思えば、あれは、途方もなく重い罪科だった。
本来、消えるはずの者を世界に留めること。死を否定する行為。
そうすることで、あるはずのないことが起きて、失われることのなかった存在が消える。運命を変えるということは、犠牲なしにはありえないのだ。
(……おいらは、どうすりゃよかったんスかね?)
ぽつりと、心のなかで自問自答する。
精霊には、生死の観念などない。生まれた後悔もなければ、消えゆくことも恐れはしない。森羅万象の摂理に殉じ、己の存在に固執しない。しかし、それには例外もあり、契約精霊の場合、契約者のために生命を懸ける者も少なくない。無論、コルカもそのうちの一体である。
ラビィのためなら、それこそ、生命のすべてを燃やし尽くしてもいいとさえ思っているくらいなのに――…近頃、迷いが生じている。
七糸が来てからというもの、どうにも、拭いきれない不安や恐怖が胸の奥の炎を煙らせている。そして、それは確かな怯えへと形を変えつつあった。
(――…わかってるスよ。あの男女が、これ以上ないってくらい善良だってことは)
メアのように他者の心を覗かなくても、精霊である以上、七糸の穏やかな魂の波動を感じることができる。それは、契約主であるラビィと同種のものであり、それ故に、彼が七糸に親近感を抱くことは容易に想像がついた。もちろん、その先に芽生えるであろう感情も。
ただ、問題があるとすれば、七糸に課せられた得体の知れない定めにある。
世界に存在する者は、必ず何かしらの運命を与えられる。精霊であるコルカに与えられていたのは、消失の未来だった。それは、不可避であったにもかかわらず、キールケとラビィの手によって阻止された。
(…けど、おいらが助かった代わりに、別の精霊が消えちまった)
死にかけの精霊を救う術など、本来ならば存在しない。
しかし、当時、ラビィの契約精霊だった者がそれを覆した――というより、契約主であるラビィの望みを叶えるべく、運命を転換させたといったほうが正しいだろうか。
その精霊は、余命幾ばくもないコルカと、ラビィの契約精霊として生きるはずだった自分の存在を入れ換え、ラビィと別れてすぐに消えてしまった。
常識的に考えて、運命を変えるなんて真似が一精霊にできるはずがないというのに――実際にそれは行われた。
(…ラビィの兄貴の高すぎる魔力を考慮しても、きっと、それだけは足りねーッス。一番の要因は、たぶん――あの人にあるッスよ)
コルカは、ぱっちりとした目を強めに閉じて、想像する。
かつて、よく過ごした、赤い大地。焔の地と呼ばれる、懐かしい場所。
その光景を明確に思い描き、ゆっくりと目を開いた。
それだけで、視界の景色が切り替わる。
ラビィのいた部屋から、赤みを帯びた原っぱへ。
黒い空に浮かぶオレンジ色の輝きは、世界を朱色に染める。夕暮れを思わせる景色は、どことなく儚く、見る者を感傷的な気分にさせる。
そんな場所に、見慣れた人物が一人、呑気に寝転がっている。目下、仕事をサボって昼寝中らしい。
『…キールケの兄貴、久しぶりッスね』
覇気のないコルカの声に、キールケは閉じていた瞼を上げて、面倒くさそうにこちらを見やった。
「おー、コルカじゃねえか。お前もサボりか?」
言って、あくびを一つ。
どこまでも能天気で自分本位なくせに、彼は意外と情に厚い。
元気のないコルカの様子に吐息して、ひょいと上半身を起こす。その反動で、髪や服についていた草花の切れ端が落ちた。それは、まだ青々としているのに、葉先や花びらの一部が茶色く変色している。
その様子に、コルカは、軽く目をすがめた。
『…だいぶ、元気がなくなってるッスね』
草も花も木も。
少しずつ、生気を失っている。それは、この土地だけでなく、世界レベルで起きている小さな異変だ。
キールケは頭を掻きつつ、あぐらをかいて呑気な声を出した。
「――まだ平気だろ。少なくとも、お前ら精霊が元気なうちは」
『………そうッスね』
言いながら、違和感を覚える。
ラビィが一緒のときはそんなに感じないが、二人きりでいると、キールケの言動にはわずかな疑問が付きまとう。
彼は、あまりにもいろんなことを知りすぎている。
特に、精霊に関しては、専門家よりも博識なくらいだ。
(…何せ、おいらが助かったのは、キールケの兄貴がいたからッスからね)
死にかけた精霊を助ける手段なんて、おそらく、この世界の誰も知らない。精霊の長レベルになればまだしも、ただの火竜如きが知っているはずがない。それなのに――当時、まだ少年だった彼は、知っていて当然とばかりにその知識を披露したのだ。
(……いまだに、キールケの兄貴には謎が多いッスけど…)
これまでいろんな町を渡り歩いていたらしいキールケに、自分たちにはない知識があったとしてもおかしくはない。
これまでも、何か問題が起きる度に、彼は、的確な判断と行動力を示してきた。
だから、コルカはここまでやってきたのだ。
彼ならば、現状打破する方法を知っているのではないかと期待して。
(…そうッス。キールケの兄貴なら、もしかして……)
ラビィとの契約について、いいアドバイスをくれるかもしれない。たとえば、精霊契約における回数制限から逃れる術を。もしかすると、七糸についても何かしら情報を得ている可能性もある。
コルカは、じっとキールケを見つめた。
赤毛に吊り目の彼は、いつも通り、どこかとぼけたような雰囲気を漂わせている。しかし、浮ついた言動そのままの軽薄な人物ではないことは一目瞭然だった。
何人であっても、精霊の目は、誤魔化せない。
キールケには、ラビィのような迂闊さはなく、同時に、七糸のような甘さもない。ひっそりと凪いだ海のように、彼の魂には揺らぎがない。それはつまり、それだけ感情に振り回されないタイプだということになる。
『――キールケの兄貴は、他の誰とも違うッスよね』
唐突な言葉に、キールケはきょとんとして、肩をすくめた。
「はあ? 何だ、そりゃ?」
意味不明とばかりにこちらを見つめてくる眼差しは、何かを探っているようにも思えた。
『――兄貴は、他の誰とも魂の質が違うんスよ。精霊ですら、感情が読めねーなんて、よっぽど特殊なつくりをしてるとしか思えねーッス』
「特殊ねえ? まあ、俺は他の奴らにはできねえことができるから、そうとも言えるかもしれねえけどよ」
たとえば、魔力が低いくせに、精霊の扱いに長けていたり。
他の誰も知らないような知識を披露してみたり。
「だがな、それらは、知識で補えることばかりだ。俺は、ラビィみたく狭い世界でぬくぬくと育てられたわけじゃねえからな。雑学の量も質も違って当たり前だろうぜ」
『――確かに、ラビィの兄貴の知識は相当偏ってるッスけど』
騎士道だの貴族の社交についてだの、そういった堅苦しい事柄に関しては知識が深いくせに、それ以外に対しては子供並みだ。
『……キールケの兄貴。兄貴は、何をどこまで知ってるんスか?』
単刀直入な問いかけに、キールケは、
「さあな。見ての通り、俺は、ただの落ちこぼれだしなあ」
自らを卑下するでもなく笑い飛ばして、からかうような目つきでこちらを見た。
その目は、これ以上の追及は無駄だと語っていて、案の定、キールケはさらりと話題を自分から逸らした。
「――で、今日はどうした? 何か面白いことでもあったのか? お前が神妙な顔でやって来るときは、たいてい愉快なことが起きてるからなあ」
『…愉快って――』
コルカは、空中で飛び跳ね、あぐらをかいているキールケの膝の上に着地した。
『…愉快どころか、超絶不愉快なことになってるッスよ。というか、下手したら、生死にかかわる緊急事態ッスよ!』
そう前置きしておいて、コルカは弾丸のように話し始めた。
メアに嵌められて以降、今まで以上に不憫なラビィの現状に始まり、七糸との微妙な関係、メアの非情な仕打ち、そして――自らの契約について。
なるべく手短に話したつもりだったが、感情的になりすぎたのか、思った以上に長引いてしまった。キールケは、やや眠たそうに訊いていたが、最後には、鬱陶しそうにまばたきをしてこう締めくくった。
「まあ、お前との契約の件はともかく、ラビィにとっちゃいい話なんじゃねえの? ようやく、あの石頭にも春が来たってことで、むしろ、盛大に祝ってやってもいいくらいだぜ」
何が問題なんだと言いたげな視線に、コルカは小さな手をぶんぶん振り回した。
『何、悠長なことを言ってるんスか! このままだと、ラビィの兄貴があの男女と盟約を交わしちまうかもしんねーんスよ!? おいらだって、消えちまうかもしんねーってのに!!』
「そう、それなんだけどよ」
キールケは、ぐいっと膝を大きく揺らした。その反動で飛び上がったコルカを見事、片手でキャッチして、小さな顔を覗き込む。
「精霊契約に回数制限があるなんて話、俺は、一度も聞いたことがねえんだが――一体、いつ、誰が決めたんだ?」
『? 誰が決めたかって、そりゃ、精霊王が定めたルールっつーか、そういうんじゃねーんスか?』
よく知らないが、精霊界においては、よくあることだ。誰に教わらずとも、存在するうえで守るべき事柄がすでに頭のなかにインプットされている。そして、それに違えるような行為を精霊は決して行わない。
(…ん? いや、待つッスよ)
ラビィの元契約精霊は、コルカに秘術を使用したのち、契約を破棄してそのまま消えたわけだが――よく考えると、妙だ。どこかが、おかしい。
(…? 何なんスか、この違和感は?)
精霊は、何よりも世界の理を重んじ、運命に逆らわないことを前提に存在している種族だ。それなのに、消失する運命だったコルカを助けるなんて違法行為が、果たして許されるのだろうか。
(――おいらにも、わかるッスよ。あれは、償いきれないほどの重罪だったと)
だから、消えたのではないだろうか。これまでは、自分があの精霊の居場所を奪ってしまったのだと思い込んでいた。しかし、実際は、罪を犯して裁かれた精霊の後釜に座っただけなのだとしたら――。
(……変ッスね。精霊は、超自然の存在。それを裁く存在なんているはずがないってのに)
考え込むコルカを楽しげに見やり、キールケは話を続ける。
「お前ら精霊は、運命ってモンに従順すぎるんだよ。何が正しくて、何が矛盾しているか。自分が何をして、何を成したいか。それを決めるのは、あくまで自分自身でなきゃおかしいだろうが。だいたい、コルカ。お前は、自分を過小評価しすぎなんだ。確かに、ラビィは四枚羽の竜で、魔力の保有量は馬鹿みてえにあるが、だからといって、実際に魔法面で支援してるのはお前なんだ。消える消えないでビクビクして身動きがとれねえなんてのは、非力な臆病者のやるこったろ。もっと、堂々としてろよ」
『――兄貴の言いたいことは、わかるつもりッスよ』
契約精霊としての誇りは、主のためにやれる限りのことを行うこと。その結果、消滅してしまっても本望だと言い切るだけの覚悟がなければならない。
『けど、おいら――…消えたくないんスよ。ラビィの兄貴にも、兄貴の元精霊にも、まだまだ恩を返しきれてねーし、何より……ラビィの兄貴は、危なっかしすぎるッスからね。おいらが見張ってねーと、それこそ、不幸のどん底に落ちそうで心配なんスよ』
本気でそんなことを口にする精霊の様子がおかしかったのか、キールケが思わず吹き出した。
「ぶふっ、はははっ! 確かに、あいつは自ら進んで貧乏クジ引くタイプだもんなあ!」
『わ、笑いごとじゃねーッスよ! 現に、あの男女に惚れたせいで、大変なんスからね!?』
「へえ? 大変って、メア様に苛め倒されたりとか? って、いや、そりゃいつものことか。だとしたら、愛しの想い人に嫌われてるとか? って、それだけはねえな。あいつ、妙に女受けがいいから」
『――女じゃねーッスよ、自分は男だって言い張ってんスから』
「はあ? 何だそりゃ」
わけがわからんとばかりに、キールケが眉を寄せる。
『だから…両性具有体なんスよ。心は男で、身体は女っつー面倒くせー奴なんス』
「ふうん。まあ、いいんじゃねえの? 見た目が女なら、問題なし! つーか、俺も、ラビィが惚れるほどの女ってのに会ってみてえなあ」
『はあ? ただの子供ッスよ、あんなのは』
「ただの、じゃねえ。お前の勘によれば、いわくつきなんだろ? ミステリアスで面白いじゃねえか。秘めごとってのは、女を妖艶に見せるからな。しっかし、意外だよなあ。ラビィの奴、そういうワケあり女が趣味だったのか。ヒトは見かけによらねえな。んで、胸はでかいのか? 見た目は、美人か? それとも可愛い系か? 俺個人としては美人系が好みなんだが、むっちむちのボディラインで童顔っつーのもマニアックでいいよなあ。ってか、むしろそっちのほうがよくね? 一見、清楚な美少女で、実は床上手とかヤベエよ。汚れを知らねえ面して、夜になると滅茶苦茶エロいとかだったら、最高だよな、おい!」
真顔で下世話な話を始めたキールケを、コルカが冷ややかな眼差しで見つめる。
『――盛り上がってるとこ悪いんスけど、別に、美人でもなけりゃ可愛くもねーッスよ。胸も顔も平均値の、平凡な眼鏡娘ッス。残念ながら、兄貴の期待には添えらんねーッスね』
コルカにしてみれば、七糸の話で盛り上がる気などさらさらないのだが、一方、女の話題になると自然にテンションの上がるキールケは、すっかり一人で妄想を膨らませている。どうやら、これまでどんな女にも興味を示さなかったラビィの心を射とめたという点が、彼にとっては重要らしい。
「ふっふっふ。これでようやく、女の話題で盛り上がれるぜ! あいつ、これまで、この手の話に全然乗ってこなかったから、つまらなかったんだよなあ」
『――はあっ。あんまりラビィの兄貴におかしなことを吹き込まねーでほしいッス。キールケの兄貴と違って、真面目一徹なんスからね』
念のため釘をさすが、キールケはニマニマと意地の悪い笑みを浮かべている。
「…いやいや、ああいうお堅い奴こそ、一度嵌まるとヤバいんだぜ? 場数踏んでねえぶん、暴走しやすいっつーか」
『――暴走って。んなこたねーッスよ、ラビィの兄貴に限って。どうせ、今も部屋に引きこもってるに決まってるッスよ』
「いーや、わからねえぞォ? 案外、我慢の限界がきて、プッツンしちゃってるかもしんねえよ? 今頃、二人で愛の逃避行とかしてるかもよ?」
『…んなこと、万が一にもありえねーッスよ。兄貴にそこまでの度胸はねーだろうし』
ラビィの性格からして、七糸を本気で好きになったとしても、自分の気持ちを打ち明けることすらないだろう。
何故なら、それは――罪だから。
ラビィが契約主である七糸に心を奪われる。それは、竜族としての彼を不幸のどん底に突き落としてしまう。
(――それだけは、駄目ッス)
キールケの知恵を借りにきたのは、コルカ自身の抱える問題だけではなく、ラビィと七糸の主従契約の問題も解決したいからだ。
『キールケの兄貴。兄貴は、チャラくてぐうたらのくせに、実は博識じゃねーッスか。それを見込んで、教えてほしいんス! 最悪、おいらが消えちまったとしても、ラビィの兄貴の盟約だけは、何としても阻止したいんス!』
ぎゅっと握りこぶしをつくって言う精霊に、キールケがやる気なさそうに頭を掻いた。
「チャラくてぐうたらって。まあ、間違ってはねえけどさ。お前、人に教えを請うときくらい、もっと相手を持ち上げる努力をしたらどうよ?」
『あいにく、おいらは世辞も嘘も苦手なんス。で、キールケの兄貴! どうなんスか? 何とかならないッスか?』
「――んなこと言われてもなあ。別にいいんじゃねえの? 惚れた女のために身を持ち崩すなんて、男として本望といえなくもねえわけだし」
『本望なわけねーッスよ! んなもん、クソくらえッスよ!』
「うわ、精霊がクソつったよ。すげえ、激レアじゃね?」
楽しげに笑ったキールケは、コルカの尻尾が激しく燃え上がるのを見て、肩をすくめた。
「まあ、そう怒るなって。けど、実際、どうしようもねえだろ。好きになっちまったもんは。ラビィの奴も、何もかも承知のうえで、相手に仕えてるわけだしさ。だったら、もう、お前がどうこう言える問題じゃねえよ。好きにさせてやれよ」
『――そりゃ、おいらだってわかってるつもりッスよ。兄貴の人生だ、兄貴が思う通りにすりゃいいって。けど』
よりにもよって、何故、七糸でなくてはいけないのだろうか。
契約主で、得体が知れなくて、両性具有で自分は男だと断言しているような人物だ。こんなにも面倒くさくて、厄介な相手は他にいないに違いない。
ラビィ自身も、当然、理解しているはずだ。
世界で唯一、恋情を抱いてはいけない相手だと。
それでも、気持ちが抑えられないというのならば――それはもう、どうしようもないことのだろう。コルカが何を言っても、ラビィ自身が否定しようとしても、覆しようのない事実なのだから。
『――それでも、何とかしたいんスよ』
ラビィには、幸せになってもらいたい。いや、そうなってもらわないと困るのだ。
『…ラビィの兄貴は、おいらの恩人で、契約主で――大事な家族なんスから』
生まれ損なったコルカは、精霊の仲間から外れて行動している。本来、精霊は群れで暮らし、好奇心の強い者だけが外の世界に出て、契約精霊となる。しかし、コルカの場合は、幼いときからすでに外の世界にいた。ラビィと契約して、その傍でずっと暮らしていたせいで、精霊界には居場所がなかった。
だから、コルカに居場所を与えてくれたラビィとの絆は、火精一族としての誇りや自らの生命よりも優先される。
コルカの揺らぎのない真っすぐな瞳に見据えられ、キールケは、疲れたように息を吐いた。
「…はあっ。んなマジな顔で訊かれても、俺にはどうしようもねえよ。ただ――」
言葉を切ったその瞳に、キラリと鋭い光が灯る。
「……実際は、主に惚れること自体は罪にはならねえんだよ。問題があるとすりゃ、竜族にかけられた、特殊な呪いのせいだ」
『…呪い……?』
随分と悪質な響きだが――そう表現できないこともない。
仕えるべき相手に恋心を抱くようになると、契約の質が変化して盟約へと切り替わる。竜族を馬鹿みたいに強くする代わりに、精神と魂をすり減らし、死期を早める。場合によっては、周囲の者を誰彼構わず、手にかけてしまう恐れもあるのだ。これを呪いと言わずして、何と呼べばいいのか。
コルカの目を見つめ、キールケは囁くようにして告げる。
「…いいか、呪いってのは、自然発生するもんじゃねえ。どっかの誰かがそうなるように仕向けたから、今、こんなことになってるんだ」
『……仕向けた? って、もしかして、仕掛けたのは魔王ッスか?』
魔法耐性の強い竜族に末代まで祟るような魔術を施せるような相手は、それくらいしか思いつかない。
だが、キールケはそこには触れず、別の言葉を口にした。
「解呪方法は、おそらく存在しねえ。つか、あったとしても、俺たち程度じゃどうすることもできねえだろうさ。まあ、あいつが竜族であることをやめられりゃ話は別だが――って、無理だよな、どう考えても、んなこたあ」
そう言いながらも、彼の瞳には絶望感はない。それどころか、諦観も達観もしてない。
キールケは、にやりと笑う。何か壮大な悪戯を思いついた、そんな感じで。
「――コルカ。お前には、お前にしかできねえ役割がある。本気でラビィを助けたけりゃ、タイミングを見誤らねえように気をつけるこった」
『…タイミング…? そりゃ、あの男女と離れるタイミングってことッスか?』
訊くコルカから、彼はわずかに視線を外した。何かを警戒するように左右を見やり、声のボリュームを下げる。
「――そうじゃねえ。むしろ、逆だ。あの子の傍にいなけりゃ、ラビィは」
言いかけたキールケの姿が、急速に遠のいていく。声が掻き消え、視界が奪われる。
『!? な、何なんスか、一体!?』
気づけば、渦巻く炎のなかにいた。火の精霊の故郷であり、棲み家でもあるそこは、コルカにとっては居心地のいい場所ではない。
『何で、こんなトコに…?? よくわかんねーッスが…とにかく、もう一度、キールケの兄貴に会わねーと』
大事な話を聞き逃した気がして、キールケの気配を辿ろうとするが、どこにも感じられない。逆に、ラビィの気配は、明確に感じ取れた。しかし、その存在感はいつになく希薄だ。何が起きたのかは知らないが、彼が危機的状況にあるのは確かだ。
『ああ、もう! おいらがいねーうちに、何か、ヤバいことになってるっぽいじゃねーッスか!』
コルカは、慌ててその身を翻し、
『ラビィの兄貴、今行くッスよ!』
一目散にラビィの元へと馳せ参じたのだった。




