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魔法使いと見習いの大魔王  作者: 神山雪
第1シリーズ
3/3

スターロード(魔法使いと、夜の散歩)

 冬も近づいた秋の、妙に星がきれいな夜に。


「今日は星が綺麗ですねぇ」


 空を見上げて、そんな凡庸な言葉を言ってみる。独り言のつもりだったけど、師匠は鼻をふんと鳴らして「それ以外の形容詞が思いつかんのか」と僕をなじった。……自分でもつまらない感想だとは思うけれど、こう、小馬鹿にされると、何か別の、もっと適した言葉を探したくなる。

「無理しなくていい。お前の語彙の貧困さなんか、とうの昔に私は知っているからな」

 ……ここまで来ると、落ち込みたくもなるけれど、いっそすがすがしい思いを抱いてくる。


 そんな秋の、妙に星がきれいな夜に。流れ星が落ちそうな夜に。

 僕は魔法使いの黒猫と、背中合わせで空を見上げている。





 街灯なんて気の利いたものは設置されていない。文字通り真っ暗。草が申し訳程度に刈り取られていて、何とか歩道というルックスが出来ている程度の道。結構石が転がっていたりして、夜目が効く方ではない僕には少しつらい。

 3時のティータイム。午後の昼寝。弟子いびり。それ以外の師匠の日々やっていることと言えば、晩御飯後の散歩だ。常にだらけて動きたがらない師匠を考えると、びっくりするような日課だ。週に数回、気まぐれに「散歩に連れていけ」と言って出ているだけだけど。僕も散歩は好きなので、こうして師匠と一緒に出かけている。

 普段家でだらだら寝そべっていることの多い師匠や、日々の家事や庭の手入れに修行やおやつ作りに追われている僕にとって、この散歩は、息抜きでもあり、丁度いい運動でもあり、真の意味で、外の空気と触れ合う数少ない機会だった。

 そう、師匠は四本足で珍しくとことこと歩いていて……。


「疲れた」


 ……師匠はわがままにそうのたまった。


 まだ100メートルも歩いていないのに。師匠のドールハウスを出てから2分ほどしかたっていないことを、体内時計が教えてくれている。


「……ししょお、もう少し頑張りませんか」


「私の辞書に努力などという単語はない」


 努力だけじゃなくて、我慢っていう単語もないと思うけど。それじゃ全く散歩の意味がないじゃないですか。


「それは師匠の頭の辞書ですか、それとも師匠の持っている紙の辞書ですか。後者だったらそれはただの乱丁ですよ」


「阿呆。前者に決まっておろうが」

 ああ。やっぱりか。僕のちょっとした突っ込みにもなってない突っ込みは師匠の理不尽によって木端微塵にされた。これはもう疲労の問題ではなくて、自分の足で歩くのが面倒になったからに違いない。

 師匠が座り込んだ。……ええ。心得てますよ。


「ちょっと失礼しますよ」


 僕は師匠を、両側から抱えるようにして持ち上げた。僕の右腕を師匠が背もたれにしている感じ。つやつやな毛並みに、首に掛けられた金の十字架。師匠のトレードマーク。僕という乗り物を得た師匠は、全体重を僕の腕に預けてくる。

 ……ん? 抱いてみると……いやいや。でも。何時もと感覚が違うような。いや、違う。


「師匠、ちょっと重くなってふごぉ!!」


 ほっぺたに鉄拳、いや、つやつやとした黒い毛並みのものの先端がめり込む。それは言うまでもなく師匠のしっぽで、めちゃくちゃ痛い。鉄の拳でぶっ叩かれたみたいな音がした。この場に鏡はないけど、多分左の頬に赤い丸が出来ている筈だ。

 確かに失言だった。だけど、実際、師匠は結構重いのだ。さっき、肉中心の重いフルコースをいともたやすく平らげ、ついでに食後のデザートで生クリームとバターたっぷりのいかにもカロリー高そうなものを食べた挙句、マカロンの瓶を半分ぐらいあけていませんでしたっけ?

 憤慨した師匠は、その猫の爪で僕の顔をひっかく。……うわ、めっちゃ痛い!!


「何て失礼なんだ、ロイ! 私はお前を、女性に対してそんな失礼な言葉を吐く人間に育てた覚えはない!」


「……育てて頂いた覚えもありませんが」


 数か月前に師匠の家に来るまでは、父親が僕を育ててくれた。片親で、母の顔は知らない。師匠曰く僕は「お前の顔は若かりし頃のロヴィンにそっくりだ」だという。僕は、自分の面立ちから母の要素を感じ取れたことがない。まぁそれはともかく。

 父が亡くなった後は助言通り、父の友人で魔法使いで黒猫の美少女たるニーナ・ヴァルトシュタインのところに居候させてもらっている。……黒猫の美少女ってなんだって思ったけど、その矛盾した二つを併せ持ってしまっているのが師匠の恐ろしいところだ。

 その元で魔法使いになるべく修行をはじめ、まぁ魔法については結構、指導していただいているけれど、師匠に養育されているという感じは全くない。寧ろ、僕が師匠の身の回りの世話をしているのではないかと思う。というか、している。

 何せ師匠ときたら、洗濯はしない、皿洗いはしない、よくわからない高価な骨董品を即決で買う、常に猫の姿でダラダラして食っちゃ寝してエトセトラエトセトラ。炊事洗濯家事等の家庭のもろもろのことは全て魔法で済ませていたらしいが、僕がやってきてからは全ての魔法を解除して僕にやらせている。曰く「家事を魔法で済ませるなんてろくなやつにならん」……これが理由だ。そこで一言師匠はろくでもないんですかと聞けば、私は別だ馬鹿者がとさっきみたいに尻尾という名の棍棒で殴られるに決まっているから何も言わない。

 気まずい無言が続く間も、僕は歩を進める。


「ロイ」


「何ですか」


 一通り僕をひっかいたあと、再び師匠。


「……お前、レディを傷つけて、謝りさえしないのか」


「……レディって誰でふごぉ!!」


 自分でもびっくりするような悲鳴が飛び出てくる。しっぽの先端という鉄拳を再び食らったからだ。


「お前みたいな馬鹿は知らん! 勝手にしろ!」


 そして、師匠は僕の両腕から逃れて、四本足で駆け出した。とことこと走って、師匠の黒い体は宵闇に紛れてしまった。……今夜の僕は失言王だ。ついぽろっと口から出てしまった。あんまりにも人間のかたちにならないから、師匠が美少女だとわかっていても、その事実自体をあまり重要に認識していなかったのだ。……確かに反省せざるを得ない。黒猫の美少女なのに。嗚呼。


「ししょー! ちょっと! 待ってくださいよー!」


 さすがに焦っている。家の周りは森林。昼間は瑞々しい緑色でも、夜になると空の色と変わらなくなってしまう。ましてや師匠は今、黒猫なのだ。痛みを訴える頬を押さえながら、僕は師匠の後を追った。

 だが。

 師匠はすぐに見つかった。

 ……追い始めたところから200メートルほどの、小さな切株の上にちょこんと座っていた。

 まぁ、歩きはじめて2分で面倒という理由で根を上げた師匠が、努力どころか忍耐という単語も自らの辞書に入れていない師匠が、猛烈なる怒りを感じたからといって、そう長く走るはずがないのだ。

 切株の上の、黒猫の固い後ろ姿。微塵も動く気配を見せない。

変身魔法か何かで枝やら葉っぱやらに化けることも出来るのだが、今日の師匠はそれをしない。ただじっと、追ってきた僕を振り返らずに真っ直ぐに宙だけを見つめていた。

 謝罪をさせることについては、師匠は妥協しない。風がつよく吹いて、ざあっと木々を踊らせた。


「……先ほどは失礼致しました」


 今一番、僕がしなければいけないことを実行する。師匠の背中に、地に両手をついて頭を下げる。

何時も黒猫でだらだらしていて下男のように人を使うけれど、偉大な魔法使いで、他に親類のいなかった僕を弟子入り込みで引き取ってくれた、そんな素敵な女性であることには間違いがないのだ。

 頭を下げて暫く時間が経った。さげっぱなしだ。金属が揺れる音がして、それで僕は師匠が僕の方を向いたと気が付く。


「ロイ」


 やや厳しめなアルトの声。何時もながら師匠の声は、糖分というものを感じない。


「……はい」


 ここで僕はようやく頭を上げる。真っ黒な黒猫の、真っ黒な瞳が僕を捉えていた。


「今日はもう一回茶が飲みたい。ミルクティーにシナモンを入れろ」


「……はい」


「散歩の後のおやつを作れ」


「……はい」


「明日のおやつは三倍だ」


「……はい」


「シュー生地は食べ飽きたから別のものにしろ」


「……はい」


「ならばもういい」


 師匠の要求はそこで止まった。この件はとりあえず許してもらえた。よかった。いろいろやらないといけないことが増えたけど、その位はやらなくては。

 ……ん? シュー生地を使うな?

 それだったら、明日作ろうと思ったエクレアは完璧にアウトだ。……やばい。生地の準備、しちゃったんだけどなぁ。もしかして師匠は実は知っていたのか? 明日の仕込みについて。知っていた上で言ったのか? まぁ、そのことについて頭を悩ませるのは明日ということにしておいて。

 師匠は帰る気配を見せない。丁度、師匠が座った切株の隣に、比較的大きいそれがあったので僕も座ることにする。師匠と背中合わせに座り合う感じになる。秋も終わりに近くて、そんな夜の空気は肌寒く感じた。僕自身は秋の空気が一番好きだ。微妙に枯れた葉の音と、ひんやりとした冷たい空気が混ざるような感覚がたまらない。


 師匠はじっと、空を見ていた。


 広がるのは秋の夜空に、秋の星座。それも数日後には冬のものに変わるだろう。……まぁ、どこがどう変わった、とか、これとこれをつなぐと星座になって名前がどうの、とか、そういうのは全くわからないのだけど。そんな星座にうとい僕でも、太陽の光を浴びて夜空に輝く星を美しいと思う程度の感受性は備わっていた。……いかにも凡庸なのだろうけど。

 満天の星というのはこういうものなのだろうか。現実味がない。砕いたダイヤモンドが広がっているようだ。

 その中で、見上げた夜空の中であるひとつの星が、強い光を放って駆け抜けた。

 あっという間に闇にとける。本当に一瞬。何かを言う暇を与えない。


「綺麗でしたね」


 一瞬で消えたそれ。めったに見えることのない流れ星。再び、あまりにもありきたりな感想が、僕の口から滑り出た。……師匠はやたらと僕に読書を進めるのだが、その原因は僕の語彙力の少なさかもしれない。

 師匠のつやつやな背中と、僕の背中が合わさる。服越しでもあったかさが分かる。


「……お前が流れ星をみて、願いを掛けない程度に愚かではない事は分かった」


 師匠がゆっくりと言葉を紡ぐ。


「それはどういう意味ですか」


「そのままの意味だ」


 流れ星を見て、3回願いを唱えるとその願いはかなうと言う、東の果ての国での有名な迷信。だけど僕はこう思う。

 まず、あの一瞬で3回願いを唱えるのは、絶対に無理だと。


「でも、願いをあれこれ考えるのは楽しいことじゃないですか? 例えばですよ? 師匠は何か、星を見て願いを掛けたいなーとか思ったことがありませんか?」


「無いな」


 即答。清々しいほどの即答。


「……もうちょっと考えてみません?」


「無いのだから仕方がない」


「じゃあ何か、願い事とかあったりしませんか? 僕はありますよ。今すぐ大魔王にしてくれ、とか、もっと魔法を使えるようになりたい、とか。もう少し家事の量が減ってほしい、とか。もう少し身長が伸びて欲しいとか。超俗的ですけど。勿論、もし、っていう前置きがありますけど」


 あれをやりたいという願望。ああなりたいという思い。


 願いを掛ける行為自体は他力本願で、あんまり好きではない。

 だけど、そういうこと――叶えたいことだったり、かなわないと知っていても願ってしまいたい思いについて――を考えるのは、好きだし、悪くない。もしもかなうなら、の、「もし」を考えるのも、楽しいことだ。

 その僕の言葉に、師匠は鼻で笑う。……この夜は、師匠に笑われてばっかりだ。


「年を重ねれば身長は伸びる。魔法は知識と努力のかたまりだ。家事の量は減らさない。そして、私の願いは世界中の菓子を食べつくすことだと言えば満足するか?」


 最後を除き、全く現実的でロマンの無い言葉が返ってきた。家事が減らないのにはちょっとがっかりする。だけど、僕の問いに、さりげに答えを言うのも忘れてくれなかった。世界中の菓子って。ていうか、食べつくしてどうするんだ? どうしようもなく馬鹿馬鹿しい願望のスケールの大きさに、笑いを禁じ得ない。


「師匠も大概、メルヘンな趣味持ってますよね。絶対無理ですよ、それ」


「何言ってる。お前に世界中の菓子を作らせれば解決するだろうが」


 乾いた笑いが口から出た。

 ……本気なんだかそうでないんだか、ちょっと分からない。その気になれば僕に「作れ!」と命令しそうだし、そして命令するのは簡単だし、さらに言えば僕は師匠の命令には逆らえないわけだし。だけど師匠自身が僕の言葉を真面目に受け止めてなくて、とりあえず納得しそうな言葉を出しただけかもしれない。その可能性も十分にあり得るわけで。

 まぁいいや。そういうところも、師匠らしい。

 その話題はそこで自然と打ち切られた。

 暫く二人で、夜空を眺めていた。たまにこういう、当たり障りのない会話をしながら。

僕が間抜けなことを言うと、師匠から罵倒の言葉を頂く。師匠が何か謎かけを出す。答えて、外すとやはり罵倒の言葉が、当たるとそれぐらいわかって当然だ馬鹿弟子がという言葉を頂戴する。揺れる木々の音と、師匠の甘くないアルトの声が合わさって、絶妙な音楽になる。

 一緒に暮らしているからか、長い空白が訪れてあまり気にならない。寧ろ、話さない時の静寂が心地よかったりする。静かになったからこそ、後ろに誰かがいるという安心感が強くなるのだろう。師匠の背中は、温かい。

 話し相手がいるのはいいものだ。ちょっとした散歩でも、ずっと楽しくなる。……師匠も同じようなこと、考えていればいいけど。

 夜が過ぎていく。散歩を始めた時よりも、気温がぐっと下がった。

 ややあって師匠の背中が、僕の背中から離れた。切株から降りた師匠は、当たり前のように僕の膝の上に乗る。


「帰るぞ。星も飽きた」


 歩くのが面倒だから抱いて帰れということだろう。……それぐらい心得ていますから、大丈夫ですよ。

 全く、師匠ときたら。「散歩に行くぞ」って最初に自分で言ったのに、結局大して歩いてない。ついでに帰りも、歩く気がない。自分の失言が原因とはいえ、ぶっ叩かれた上に引っかかれた顔がまだちょっと痛いし。

でもまぁ、秋の空気が気持ちよかったのと、貴重な流れ星が見られたからよしとする。

 僕は師匠を片腕で抱いたまま立ち上がる。ドールハウスに向かって、短い距離を歩き出した。その間中、師匠はずっと無言だった。


「ロイ」


 門の前で、ずっと黙っていた師匠がゆっくりと口を開いた。


「何でしょう」


 師匠はすぐに次の言葉を言わなかった。ただ、夜も更けた空をもう一度仰ぎ見る。


「また散歩に連れていけ」


 猫の口でささやかに、尊大にのたまった。

 門を開け、庭を突っ切ってドールハウスを目指す。人形の家にしか見えないぐらいの立派な家。

 僕はちょっと嬉しくなって、師匠を抱き直す。

 ――多分これが、さっきの本当の答え。


「……今度はちゃんと歩いてくださいよ」


「嫌だ」


「それじゃ、散歩になりません」


「外に出るのに意味があるのだ。自分の足を使おうが使うまいが関係ない」


「重いんですよ、師匠」


「それはお前に師匠に対する敬愛と尊敬の念が足りないからだ」


「関係ありませんし、意味がわかりません」


「大有りだ。わかるまで考えろ」


 風が止んでいる。僕たちの声以外の音は、死滅していた。


 黒猫の師匠とどうしようもない会話をしながら、星の流れた夜空を残して、僕はドールハウスの玄関を静かに閉めた。


 上を見上げれば、さっきと同じか、それよりももっと綺麗な空が広がっているのかもしれない。――そんな事を考えながら。






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