― Towsome ―
街の中心部である駅前。
朝と言うには遅く、昼と言うには早い。
そんな時間帯だからか、カフェオレが美味しいと評判のオープンカフェは、客はまばらだ。
そんな中、少し目立つ風貌の二人組が、丸いテーブルに腰かけていた。
「ねぇー、さっさと行こうよ。飽きちゃったよー」
片方は女。
年齢は12,3歳ほどか。その顔は完璧に退屈した少女の物だが、どこか純粋な幼心とは違う様だ。
透き通るような白い肌で、フリルのたくさんついた白黒のブラウスにスカートの所謂ゴスロリの服を着ている。
顔立ちも整っており、銀髪と碧眼がまるで人形のような雰囲気を醸し出している。
その少女は、口にくわえたストローをくるくると回しながら、空っぽのグラスを手で弄んでいる。
「…………」
片方は男。
年齢は20歳ほど。青年だが、何処か達観したような目をしている。
革製の真っ黒なトレンチコートを首元から足首まで覆うように着ていて、背は平均的だがひょろりと伸びた背は、見た目以上の高さに見える。
特に何も考えていない、という表現がぴったりの無表情で、右手に文庫本を持ち、終始無言で時折ページをめくる音だけをたてている。
「セラグ、聞いてるのー?」
少女はセラグと呼ばれた青年に向かって再び声をかけるが、聞こえているのかいないのか、青年は無言のままだ。
「んー……そうやって無視を続けるならこうするよ?」
と、不意に痺れを切らした少女が、椅子から立ち上がり青年の方へと身を乗り出す。
そして、そのまま右手を青年と本の間に滑り込ませ、大きく開いて青年の視界を妨害するように手を振る。
「邪魔だ、レウリア。読書中は黙っていろと言っただろう」
その妨害は成功し、青年は読書の手を止め、レウリアと呼ばれた少女の方を睨みつける。
「『邪魔だ』じゃないよ、セラグ。そうやってその本読み始めてからもう3時間も経ったんだよー? 私飽きてきたー」
「……飯を注文するときに『食事中は黙っていろ』と言った筈だが」
「もう食べ終わっちゃったよー。大体、あんなんじゃ足りないよ」
確かに、2人の座っている机には空の食器の山が出来ている。
傍から見て5人分はあろうか。この量全てを少女と青年だけで食べ切れたとは到底思えない。
「ったく、なら追加で注文して構わん。いいから読書の邪魔をするな」
青年は本へと目線を向けたまま、上の空で言う。
「よっし! すいませーん、店員さん。追加注文で『スプラッシュ・マウンテンパフェ』『スペースマウンテンケーキ』それから『カリブの海賊タルト』をお願いしまーす」
青年から許可が下りた途端元気になった少女が、いくつかのメニューを注文し、間もなく運ばれてくる。
が、その巨大な生クリームやスポンジケーキの塊を見て、青年が溜息をつく。
「……確かに頼んでいいとは言ったが。程々にしておくという気は無いのか?」
しかし、その少女の顔程の大きさもあるパフェやケーキは吸い込まれるかのように少女の口へと収まっていく。
唇どころか頬までをクリームまみれにしながら少女は料理を食べ続け、あっという間に空皿の山の一部と化した。
「ふぅ、ごちそうさまでした」
「……約10分で完食ってのは新記録になるんじゃないか? この店はそういうのはやって無いかもしれんが」
先程2人掛かりで少女の注文を運んだウエイターが、店の奥で冷や汗を流している。
無論、言うまでもないが新記録である。
「別にいーよ、そういうのは。それより…………次の注文してもいい?」
「……はぁ。分かった」
読んでいた本を鞄に仕舞い、まさに落胆といった表情の青年が僅かに首を縦に振る。
「やったー! それじゃ次のはね――」
「店から出る。さっさと支度しろ」
「えー……」
早々に店から出て行ってしまおうとする青年を、少女が席から立ち上がり追いかける。
「ちょっと待ってよセラグー」
「待たん。大体さっきまで飽いた早く出たいと嘆いていたのはお前だ」
「そんな冷たいこと言わないでよー」
店員達が迷惑そうな目を向ける中、騒がしく青年と少女は店を後にした。
「で、どこ行くんだっけ?」
レウリアの疑問に、セラグがコートの右ポケット紙切れを出し、それを覗き込みながら答える。
「今回は……アドネ・ノルマンティン。医者だそうだ」
「楽しそーな名前じゃん。楽しみー」
「その感性は分からん……。ま、期待せず向かうとするか」
――λ――
街の中心部から少し離れた南側。
そこには、住宅街が広がっている。
最も、住宅街と言ってもアパートが乱立する北側と比べ、どちらかと言うと裕福な人間の屋敷が集まっている場所。
その中でも、一際大きい屋敷の、応接間に青年と少女は居た。
部屋には、南側に大きな窓と、それから部屋の端にあるいくつかの観葉植物の他、ソファが2つとその真ん中に木製の机が置いてある。
青年は黒革のソファに身を沈めていて、少女は落ち着きなさそうに手足をばたつかせている。
ソファの傍には、妙に大きいアタッシュケースが足元に置かれている。
机の上には、既に飲み干された紅茶が2つ、置いてあった。
「遅いなー。まったくこれじゃさっきのカフェの方がマシ。こんなところで待ってるなんて無駄だよ」
「五月蠅い。それなら外で待っていれば良いだろう。ついてくるといったのはお前だ」
「そりゃ私がそう言ったけどさ、まさかここまで待つなんて――」
と、レウリアが愚痴を言おうとした時、部屋の扉が開いた。
使用人らしき人に連れられて部屋に入ってきたのは40歳ほどの男。
黒いスーツとネクタイをきっちり締め、厳格な顔つきをした男だ。
「あぁ、お待たせしました。少々、仕事が立て込んでおりまして」
「いえ、大丈夫です」
セラグは、作り物と分かる笑顔を顔に張り付け、立ち上がって新しく入ってきた男へと挨拶する。
男も、軽い微笑をしつつ、ソファーの反対側へと向かう。
「私が、アドネ・マルティノンです。医者をしています」
「書籍商のセラグ・アルクインです。どうぞよろしく」
双方が机越しに手を伸ばし、握手を交わす。
「ところで……そちらの、お嬢様は?」
「ああ、これは私の連れで」
「はぁ……」
アドネが訝しげに顔をしかめる。
これから商談、それも特殊な取引をしようと言うのに、年端もいかぬ少女を連れてきたセラグの真意を計りかねているのだろう。
「取引に関しては口を挟みませんし、口外することもありません。まぁ外に置いておくわけにもいきませんので」
「なるほど。これだけ可愛い娘を外で待たせる訳にはいきませんからね」
アドネが好色の目でレウリアを眺めるが、レウリアは目を閉じた静かにしている。
つい先程まであれだけ五月蠅かったのが嘘の様に一言も喋らない。
静かに胸が上下している事を除けば、本物の人形の様だ。
アドネはその後もしばらくレウリアの事を見ていたが、痺れを切らしたセラグがその視線を遮るように話を変えた。
「さて、それでは肝心の話ですが……」
「ああ、貴方がたに来てもらったのは他でもない。ある噂を聞いたからですよ」
「その噂とは?」
「ええ、世にも奇妙で珍しい、『魔導書』を売る書籍商が居る。との噂を」
瞬間、セラグの顔つきが変わる。
「……なるほど。そういう事でしたか」
「ええ、そういう事です」
――『魔導書』。
それは、禁忌の知識。
それは、悪魔の囁き。
それは、神々の知恵。
それは、幻影の書物。
それは、在ってはならない叡智。
魔術、奇跡、聖遺物、氣、神話、超能力。
世の中には、お伽噺のような話が、いくつかある。
普通の方法では実現不可能な、正に不可思議と呼ぶべき事柄が存在する。
それは、この世の理を捻じ曲げ、有り得るはずの無い現象を引き起こす。
それらの使い手の中に、その技術を後世へと伝えようとした者が居た。彼等はヒトを信頼しなかった。それ故、それらを本へ記し、その本を読み説いた者のみにその叡智を与えようとした。
それこそ、後世にて『魔導書』と呼ばれる事になる物達。
それはこの世に在ってはならない叡智を記した禁断の書物――
「しかし、正直な所、私も『魔導書』等という物は、まやかしに過ぎない、と思っている」
「まぁ、そうでしょうね」
苦笑しつつ、セラグはアドネに続きを促す。
「ですが、今この街で起こっていることもまた、まやかしの様な、オカルトじみた話なのですよ……」
アドネは、机の上に腕を組み、何から話したらいいか、と言った後話し始めた。
「この街の東にはそれなりの大きさの森があるのですが、この森に関して昔から伝わる伝承があるのです。
この街に住む者なら、大概知っている昔話です。
内容には様々な種類があるのですが、これはそれぞれの家でちょっとずつ違いがあるんです。基本的には、『夜の森に入るな』といった内容なのですが。
ただ、その話の共通している内容が、『森のお化け』なのですよ」
「『森のお化け』?」
「夜の森に現れる、赤い眼をした巨大な『口』というお化けの話なのです。
名前は特に無かったり、話によっては『人喰らい』なんて名がついていることもあります。
ともかく、このお化け『人喰らい』に、夜の森に勝手に入った人々が食べられてしまう。という昔話なのです」
「まぁ、よくある話ですね」
「ええ。この昔話だけならば、よくある話です。ですが、最近その昔話が、『現実』となりつつあるのです」
それまで、殆ど興味が無いといった表情のセラグが、一瞬だけ反応を見せた。
「……つまり?」
「この時代、確かに夜の森は視界が奪われ危険ですが、懐中電灯を持ち、猟銃や拳銃を装備した男達がほぼ全員行方不明になることなど、まずありません。
ですが、ここ最近森に入ってそのまま出てこなかった人間の数は50人近く出ているのです。そこまで広くない森にもかかわらず」
「……ほぼ全員行方不明。つまり生き残りが居ると」
「はい。その男は今は意識不明で、私の病院に入院しています。その男が、私の病院に運ばれる時に、うわ言の様に繰り返していました。――『人喰らいが、出た』と」
「…………ふむ」
「彼の言った『人喰らい』の正体は分かりません。それは伝承の化け物かもしれないし、森を隠れ蓑にしている連続殺人犯かもしれない。
けれど、どんな相手であろうと、私は『人喰らい』を倒す、いや倒さなければならない」
「それで、私が呼ばれた訳ですか」
「協力、していただけますか?」
セラグは、一度手を組み、目を瞑った後、ゆっくりを口を開いた。
「そうですね……、今の話で、『人喰らい』の正体、いや原因はあらかた分かりました」
「本当ですか!?」
「もっとも、それが伝承通りの化け物ならば、ですが」
話しながら、セラグは足元からアタッシュケースを拾い上げ、膝の上に置く。
「何を……?」
「それが伝承通りの自然崇拝森林信仰の派生の化け物ならば――」
セラグは、アタッシュケースを右手がぎりぎり入る分だけ開けた後、その中に右手を突っ込み、何かを探すように手を動かす。
しばらくして、お目当てのものが見つかったらしく、セラグはアタッシュケースから右手を引き抜いた。
そして、その手には、1冊の本が握られていた。
「――恐らく、この本で問題無いでしょう」
セラグが取り出したのは、赤黒い革製の表紙の本。その表紙には、金粉で何か炎に似た形の文字が刻まれている。
紙は古い羊皮紙の様な物で、小口には何かの牙を加工したような武骨な留め具がまるで封印の如く留まっている。
厚さは軽めの辞書程度もあり、恐らくこれが上から落ちてきたら間違いなく気絶する羽目になるだろう。
「この本の名は、『灯竜の鎮魂火』。今からちょうど200年ほど前に編纂された、『火竜』に関する叡智の記された『魔導書』です」
「これが……『魔導書』……!」
「正確には、『灯竜の鎮魂火』の第四代写本です。そもそも、この本自体が様々な伝承を集めてできた物なので、写本でも知識に関しては問題ありませんが」
『灯竜の鎮魂火』を机に置き、セラグが説明を続ける。
「『灯竜の鎮魂火』自体は、古典ラテン語の暗号で書かれた書物です。
ですが、この写本ならば読み解かずとも『魔導書』の叡智を借りることは出来るでしょう。あまりお勧めできる方法ではありませんが。
使い方は――そうですね、適当なページでもめくってそのページに手を押し付け『燃えろ』と念じてくだされば結構です」
「は、はい。分かりました」
急に始まった説明に慌てつつも、一応内容を理解したらしいアドネが頭を縦に振った。
「では説明は以上と言う事で。で、肝心のお値段は――――金貨で300枚、といった所でしょうか」
「は…………?」
「ん? ですから、この『灯竜の鎮魂火』、1冊丸ごと取扱説明付きで金貨300枚です。
あ、金貨の種類はそうですね……ベリアル金貨でいいですよ。まぁここらではあまり価値に違いは無いでしょうし、別の金貨でも構いませんが」
「……あなた、私の話を聞いていましたか!?」
静かに、しかし憤慨するようにアドネが口を開く。
「はい。もちろん聞いていましたが?」
「私達はこの街を脅かす化け物を退治しに、その命を懸けて行くと言っているのです!!」
「……はぁ?」
セラグは、アドネの言っていることが心底わからないと言う様に、眉をひそめる。
「大体、今日までに最近だけは50人ですが、過去の歴史を遡れば100人、いや1000人を超える犠牲者が居るのです! しかも、その殆どが幼い子供なのですよ!?」
「…………それで?」
既にセラグの興味は失せ、視線すら全く別の方向を向いている。
明らかに退屈しているが、それに気が付かないアドネは、話を続ける。
「第一、これから幾人もの犠牲者を出した森へ、街の人々を護るため私を含む20人もの若者が名乗りを上げ、『人喰らい』を退治しようというのです! そのような紙屑の為にそんな大金など馬鹿げている!」
「は?」
急に、セラグが声を上げる。
静かに、だがそれまでの言葉とは比べ物にならないほどの重圧を孕んで。
「今、なんて言った?」
セラグの口調が、その瞬間よりがらりと変わる。
だが、アドネはそれに気が付かず言い続ける。
「だから! 金貨300枚などという大金を本一冊程度に支払うなど有り得無いだろう!? 第一我々は崇高な理念の元化け物退治へと向かおうと――」
しかし、アドネの言葉はセラグの言葉に遮られた。
「何を言っている、お前は? 『化け物退治』? そんなことは心の底からどうでもいい。魔道書は金貨300枚。さっさと揃えろ。でなければ取引は不成立だ」
「なっ……」
セラグの変容にやっと気が付き、驚いたアドネが口を開いた格好のまま固まる。
「どうなんだ? 払えるのか払えないのか。さっさとはっきりしろ」
セラグが苛立ちながら、アドネへと達観したような奥底の見えない瞳を向ける。
アドネはセラグの突然の変化にしばらく放心していたが、不意に意識を戻し、再度激昂する。
「払える訳が無かろう! 第一、金貨300枚など我が全財産の半分ではないか!」
「そうか。ならば終いだ」
セラグは、淡白にそう言うとソファから立ち上がった。
「しかし、戯言を長々と聞かされ収穫が無いとはな。飽いた、帰るぞレウリア」
セラグは乱暴にソファの横にあったアタッシュケースを拾い上げると、そのまま応接室の扉へと歩いていってしまう。
「はいはい。だから無駄だって言ったのにー」
先程まで人形の様に目を閉じて静かにしていたレウリアが、目を覚ましセラグを追って立ち上がる。
「それでは。ルールですので『灯竜の鎮魂火』は一応置いていきます。気が変わりましたら3日以内に連絡を」
最後に、アドネに顔すら向けずそう言い残してセラグは応接室の扉を閉じた。