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ギャル語で『枕草子』を音読する幼馴染は、その内容の通りに求愛されるとようやく恋に気付くらしい

作者: 神田義一
掲載日:2026/10/27

 俺――朝倉(あさくら)伊織(いおり)には、幼馴染がいる。


 それはもう、小学校どころか幼稚園の頃からの付き合いで、お互いの家にも気軽に出入りするような仲だ。

 そんな彼女は、昔から少しばかり変わっていた。


「じゃあ、ここの音読を……烏野(からすの)」

「りょー」


 教師の声だけが響いていた静かな教室に、随分と軽い返事が聞こえる。

 そう。この俺の隣の席に座っている少女、烏野(からすの)紫苑(しおん)こそが、その幼馴染である。

 彼女が椅子を引いて立ち上がると、クラスメイトの視線が自然と集まった。


「えー、春はあげぽよ――じゃなかった。あけぼの」


 いきなり間違えた。

 教室のあちこちから笑いが漏れる。


 しかし、それでも彼女に見惚れている奴の方が多い。

 特に男子の。


 紫苑は、学校でも指折りの美少女なのである。


 腰まで届きそうな黒髪のストレートに、さりげなく入った青紫色のインナーカラー。

 長いまつげはこれでもかと上を向き、指先には黒を基調としたネイルがきらきらと輝いている。

 大きめの黒いカーディガン袖からは、指先だけがちょこんと覗いていている。


 本人曰く、自分はカラスらしい。

 ……いや、実際はカラスが大好きなだけの人間なのだが、確かにそのカラーリングはカラスと言って差し支えない。

 今更だが、この学校はどうしてこんなに校則が緩いのだろう。


 まあ、それはともかく。

 容姿端麗で、男女問わず友達が多く、いつも楽しそうに笑っている。

 そんな紫苑には、一つだけ大きな問題があった。


「春ってやっぱ夜明けが優勝なんよ。山の向こうが白くなってって、紫っぽい雲が伸びてくんの。エモすぎ。映え確」


 ――ギャル語が酷すぎるのである。


 俺は思わず教科書に目を落とした。

 そこには『優勝』なんて言葉すら存在しない。

 もしかして、隣の席だけ教科書が違うのだろうかと疑ってしまう。


 けれど、これが紫苑の『普通』だった。


「夏は夜。月出てる夜とかガチ最高。てか蛍が飛んでるとか、普通に神演出」


 夏も続けるんかい。

 先生も止めないんかい。


「月が出てない夜でもさ、蛍がいっぱい飛んでたらそれだけでテンアゲじゃね? 一匹だけふわ〜って光ってんのも、逆にエモい。雨降ってても、それはそれでチルい」


 もう清少納言に謝れ。

 ……いや、案外本人も喜びそうではあるかもしれない。

 あの人、平安時代の陽キャみたいなところあるし。


「秋は夕暮れ。夕日映え過ぎて草なときに、カラスが巣に帰んの。しかも三羽とか四羽とか、みんなで一緒に帰ってるのがマジ尊い」


 お、ここでカラスか。

 なるほど確かに、そういえば原文にもカラスが登場したな。

 普段からカラス好きを公言している紫苑にとっては、待ちに待った場面なのだろう。


 しかし――


「カラスってさ、ズッ友と帰るんよ。マジ仲間想いだし、番(つがい)になったらガチ愛情深いんよね。鳥界のMVPだから」


 ……おい。


「しかもさ、オスがメスに食べ物分けてあげたりすんの。これ美味しいから食べて〜って。いや普通にイケメンすぎん?」


 おいおい。


 長すぎる。原型ゼロじゃん。

 もはや、完全に自分の趣味が混ざってるだろ。

 清少納言がいつの間にかカラス好きになってしまっている。


「でさ、ずっと仲良くしてんの。でもそんな日々もいつか終わるなんてつらたん――」

「烏野。そろそろ冬に行こうか」

「り」


 ついに、先生に止められてしまった。

 当然の帰結である。


「でー、冬は早朝。雪降ってたらビジュ優勝。でも昼になって溶けたら萎え。解散」


 ………え、そんだけ!?

 冬だけ早ッ!


 秋にあれだけ尺を使っておいて、冬はたったの一息で終わらせやがった。

 しかも原文には、炭火を運んだりするくだりもあるはずなのに、完全に省略されてしまっている。


「はい、ありがとな」

「うぇーい」


 紫苑が椅子に腰を下ろすと、爆笑してる女子グループが「シオン、ガチうますぎ!」だの「めっちゃ分かりやすかったんだけど!」とか言って肩を震わせている。


「マ? あざまる〜。テスト出るよ」

「出ねえよ」


 思わず突っ込むと、紫苑は俺を見てニシシと笑った。


「えー、いおりん、ちゃんと聞いてくれてたん?」

「嫌でも耳に入ってくるわ」

「じゃあ満点じゃん」

「国語じゃなくて生物なら上がったかもな」


 そんな俺たちを見ていた国語教師が、うんうんと満足そうに頷いた。


「まあ、かなり独特ではあったが、内容は概ね理解できているな。これが『枕草子』だ」


 いや、違うだろ。

 今のは『ギャル草子』だろ。

 もしくは『烏草子(からすのそうし)』だよ。


 そもそも、現代人には原文のままだと意味が取りにくい文章なのに、よくもまあ、あそこまで流暢に現代語訳できたものだ。

 ……いや、現代語訳というより、ギャル語訳か。

 感心していいのか、呆れるべきなのか、なんとも判断に困る。


 しかし、彼女のこういう自由なところが、モテる要素でもあるのだろう。

 陽キャで、誰にでも同じように接して、しかも古語まで得意ときたもんだから、優等生からも評価が高い。

 現に、今も紫苑のことを見ているヤツだっている。


「どしたん、いおりん」

「……別に」

「さてはウチに見惚れてたな〜?」

「……授業聞けよ」

「ウケる」


 ……ちなみに俺も、彼女に見惚れている男子の一人である。

 しかも、かなり昔から。



     ◇



「いおりん、かえろー」


 放課後。

 教室に戻って鞄を手に取ったところで、聞き慣れた声がした。


「おう。もう準備終わったのか?」

「もち。ウチ、シゴデキな女だから」

「さっき絵の具こぼして騒いでた奴が?」

「あれは事故! ノーカン!」

「文化祭の看板、青い手形ついてたぞ」

「逆にオシャじゃね?」

「絶対違うだろ」


 そんな会話を交わしながら、俺たちは教室を後にした。


 来週に控えた文化祭。

 その準備のせいで、今日はすっかり遅くなってしまった。


 校舎を出ると、ひんやりとした秋の空気が頬を撫でる。

 空は茜色に染まり、遠くの山の稜線を薄い雲がなぞっていた。


 校門を抜ければ、そこから先はのどかな田舎道だ。

 左右には稲刈りを終えた田んぼが広がり、ところどころに積まれた藁が長い影を落としている。


 車もほとんど通らない。

 聞こえるのは、俺たちの足音と、遠くから響く鳥の鳴き声くらいだった。


「いおりんいおりん、東京行きたくね」

「急だな」

「うん。二郎系ってやつ食べに行きたいんよね、この辺に無いし」


 紫苑は両手をカーディガンのポケットに突っ込み、楽しそうに歩いている。

 黒いローファーが、乾いたアスファルトをこつこつと鳴らした。


「確かに行ってみたいはあるけど、注文の仕方とかわかるのかよ」

「動画で見たし!」

「じゃあ、なんて注文するんだ?」

「全部普通!」

「予習の意味!!」

「だって全部普通って、店長が一番自信ある状態のを、そのまま食べれるってことじゃん?」

「…………」

「だから、それが一番美味いっしょ?」


 そう言って『ニコ~』と擬音語でも出てるかのように、紫苑は屈託なく笑った。


 雲の切れ間から覗いた夕日が、彼女の横顔を照らして、長いまつげが頬に影を落とす。

 笑うと少しだけ細くなる目も、上機嫌に緩んだ口元も。

 全部、いつも見ているはずなのに。


「……その説はあるな」

「説あるコアトル!」


 なんだろう。

 今日はやけに、眩しく見える。


 紫苑の黒髪は、光の当たり方によって色が変わるようだった。

 青く見えたり、緑に見えたり、まるで本当にカラスの羽のように。


『カラスってさ、ズッ友と帰るんよ。マジ尊い』


 俺は隣を歩く幼馴染を見た。

 小学生の頃から、何度も何度も一緒に帰ってきた。


 ランドセルを背負っていた頃も、中学生になって制服を着るようになってからも。

 そして、高校生になった今もこいつは、俺を誘い続けてくれる。


 それが、当たり前だった。

 ……紫苑にとって、俺はズッ友なのだろうか。


 だとしたら、嬉しい。

 こいつの隣が、俺の居場所だというのなら、それはきっとすごく幸せなことだ。


 ……けれど俺は、いつからだろう。

 『ズッ友』なんて言葉じゃ、満足しきれなく思ってしまうのは。


「……なあ、紫苑」

「んー?」

「カラスって、ズッ友と帰るんだっけ」

「そそ」


 ちょうど紫苑が「みてみて」と言わんばかりに指をさす。

 つられて視線を見上げた電線の上には、二羽のカラスが止まっていた。

 寄り添うように並んだ二羽は、しばらく辺りを見回したあと、ほとんど同時に飛び立った。


「ズッ友なのか?」

「番かもね~」


 夕焼けの中を、黒い影が二つ飛んでいく。

 それを目で追いながら、俺は口を開いた。


「それで、続きはなんて言ってたっけ」

「えー? いおりん、話聞いてたん?」

「いや、聞いてたけどさ」

「も〜。カラスはね、番になるとめっちゃ愛情深いんよ」

「うん」

「一緒にご飯食べたり、毛づくろいしたり、ずっと一緒におったり。マジ尊い」

「へえ」

「しかもさ、好きな相手にはプレゼントするんよ。自分のコレクションだったり、見つけてきた美味しい食べ物だったり」

「ふーん」


 そう言って紫苑は、なんでもないことのように笑った。

 俺はそれを聞いて、しばらく黙ってしまった。


 足元では、二人分の影が長く伸びている。

 並んで歩くたびに、くっついたり、離れたり。

 この道を歩くのは、もう何百回目になるだろう。


 明日も、明後日も、きっとこうして帰るのだと思う。

 ずっと、友達として、幼馴染として。


 でも、もしも。

 …………その先が、あるのだとしたら。


 秋は夕暮れ。

 カラスが三羽、四羽と、急いで巣へ帰っていく。

 千年も昔の人が、そんな光景を見て美しいと思ったらしい。


 あの頃の人たちも、誰かを好きになったのだろう。

 そしてきっと、今の俺みたいに、どうすれば気持ちが伝わるのか、悩んだりしたのだろうか。


「…………紫苑」

「ん?」


 思い切って、俺はそっと右手を伸ばした。

 けれど、触れる寸前になって怖くなり、最後は勢いに任せて彼女の手を掴んだ。


「…………お?」


 紫苑が、ぱちぱちと瞬きをした。

 俺は前を向いたまま、歩き続ける。


 心臓がうるさい。

 さっきまで静かだった帰り道が、急に騒がしくなった気がした。

 もちろん、騒がしいのは俺の胸の中だけだ。


「んはは。小学生のときみたいじゃん!」


 紫苑が、くすくすと笑った。

 その声は、いつもと変わらない。


 ……ああ、そうか。

 こいつにとっては、そうなのかもしれない。


 昔から何度も繋いできた手だ。

 小学生の頃なんて、転ばないように引っ張ってやったこともある。

 だから、今更こんなことをしたところで、きっと何も変わらない。


『でもそんな日々もいつか終わるなんてつらたん――』


 ……でも、俺は変えたいのだ。


「わお! なになに!」

「いくぞ」


 俺は誤魔化すように歩幅を広げた。

 手をつないだまま、俺に引っ張られて、彼女も小走りになる。


「わ、わ、どこいくん!?」

「コンビニ!」

「コンビニ!? なんで!?」

「新作のスイーツが出たんだよ!」

「マ!? 何それ、激アツじゃん!」


 ……ああ、もう。

 なんでこいつは、こんなにも楽しそうなんだ。


「でもウチ、お金持ってな――」

「お、奢ってやるつもりだったからいい!」

「ええ!? マジ!? なんでなんで!?」


 そりゃ、お前――

 カラスのマネだなんて、口が裂けても言えない。


「……昨日、食べたんだよ!」

「え、そなん!?」

「めちゃくちゃ美味かったから!」

「ずる!!」

「だから、その……!」


 繋いだ手を、ぎゅっと握る。


「好きになったから……! お前にも食べさせたいってただのプレゼントだよ!!」

「…………ふぇ? それって――」

「そういうことだよ!」


 背後から聞こえる間の抜けた声に、俺の声を重ねる。

 急激に恥ずかしくなって、俺はさらに速度を上げた。

 足元では、二人分の影が重なっている。


 ……ああ、くそ。

 なんで、こんなに回りくどいことをしているんだ。

 カラスの真似なんかして、いつもの日々を終わらせたくないって思ったばかりだろ。


 なら、ちゃんと言え。


「……好きなんだよ! お前のことが!!」


 秋は夕暮れ。

 どうしようもなく初心(うぶ)で、どうしようもなく下手くそな告白が、遠くの山々にまで響き渡る。

 暑くてどうにかなりそうで、心臓がやかましくて、それでも俺は誤魔化すように、大きく肩で息をした。


 それきり、紫苑は何も言わなくなった。

 いつもなら、うるさいくらい喋っているくせに。

 からかう声も、笑い声も聞こえない。


 急に不安になって、俺は足を緩めた。

 そうして、おそるおそる振り返る。


「…………あ」


 そこには、いつも楽しそうに細められていた目を、まん丸に見開いて。

 少しだけ唇を開いたまま、ぽーっと俺のことを見つめていて。

 耳まで真っ赤なのは、きっと走ったからだけではないというのが、嫌でも伝わってきて。


「………………あざまる水産」


 そんなかわちいな照れ隠しで奢りのお礼なんか呟きながら、目をふいと逸らす紫苑は。

 ぎゅっと、そのネイルが痛いほど刺さってくるように握ってきて。

 

 どこまでも、どこまでも――どうしようもないくらい、可愛かった。





 り





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