ギャル語で『枕草子』を音読する幼馴染は、その内容の通りに求愛されるとようやく恋に気付くらしい
俺――朝倉伊織には、幼馴染がいる。
それはもう、小学校どころか幼稚園の頃からの付き合いで、お互いの家にも気軽に出入りするような仲だ。
そんな彼女は、昔から少しばかり変わっていた。
「じゃあ、ここの音読を……烏野」
「りょー」
教師の声だけが響いていた静かな教室に、随分と軽い返事が聞こえる。
そう。この俺の隣の席に座っている少女、烏野紫苑こそが、その幼馴染である。
彼女が椅子を引いて立ち上がると、クラスメイトの視線が自然と集まった。
「えー、春はあげぽよ――じゃなかった。あけぼの」
いきなり間違えた。
教室のあちこちから笑いが漏れる。
しかし、それでも彼女に見惚れている奴の方が多い。
特に男子の。
紫苑は、学校でも指折りの美少女なのである。
腰まで届きそうな黒髪のストレートに、さりげなく入った青紫色のインナーカラー。
長いまつげはこれでもかと上を向き、指先には黒を基調としたネイルがきらきらと輝いている。
大きめの黒いカーディガン袖からは、指先だけがちょこんと覗いていている。
本人曰く、自分はカラスらしい。
……いや、実際はカラスが大好きなだけの人間なのだが、確かにそのカラーリングはカラスと言って差し支えない。
今更だが、この学校はどうしてこんなに校則が緩いのだろう。
まあ、それはともかく。
容姿端麗で、男女問わず友達が多く、いつも楽しそうに笑っている。
そんな紫苑には、一つだけ大きな問題があった。
「春ってやっぱ夜明けが優勝なんよ。山の向こうが白くなってって、紫っぽい雲が伸びてくんの。エモすぎ。映え確」
――ギャル語が酷すぎるのである。
俺は思わず教科書に目を落とした。
そこには『優勝』なんて言葉すら存在しない。
もしかして、隣の席だけ教科書が違うのだろうかと疑ってしまう。
けれど、これが紫苑の『普通』だった。
「夏は夜。月出てる夜とかガチ最高。てか蛍が飛んでるとか、普通に神演出」
夏も続けるんかい。
先生も止めないんかい。
「月が出てない夜でもさ、蛍がいっぱい飛んでたらそれだけでテンアゲじゃね? 一匹だけふわ〜って光ってんのも、逆にエモい。雨降ってても、それはそれでチルい」
もう清少納言に謝れ。
……いや、案外本人も喜びそうではあるかもしれない。
あの人、平安時代の陽キャみたいなところあるし。
「秋は夕暮れ。夕日映え過ぎて草なときに、カラスが巣に帰んの。しかも三羽とか四羽とか、みんなで一緒に帰ってるのがマジ尊い」
お、ここでカラスか。
なるほど確かに、そういえば原文にもカラスが登場したな。
普段からカラス好きを公言している紫苑にとっては、待ちに待った場面なのだろう。
しかし――
「カラスってさ、ズッ友と帰るんよ。マジ仲間想いだし、番になったらガチ愛情深いんよね。鳥界のMVPだから」
……おい。
「しかもさ、オスがメスに食べ物分けてあげたりすんの。これ美味しいから食べて〜って。いや普通にイケメンすぎん?」
おいおい。
長すぎる。原型ゼロじゃん。
もはや、完全に自分の趣味が混ざってるだろ。
清少納言がいつの間にかカラス好きになってしまっている。
「でさ、ずっと仲良くしてんの。でもそんな日々もいつか終わるなんてつらたん――」
「烏野。そろそろ冬に行こうか」
「り」
ついに、先生に止められてしまった。
当然の帰結である。
「でー、冬は早朝。雪降ってたらビジュ優勝。でも昼になって溶けたら萎え。解散」
………え、そんだけ!?
冬だけ早ッ!
秋にあれだけ尺を使っておいて、冬はたったの一息で終わらせやがった。
しかも原文には、炭火を運んだりするくだりもあるはずなのに、完全に省略されてしまっている。
「はい、ありがとな」
「うぇーい」
紫苑が椅子に腰を下ろすと、爆笑してる女子グループが「シオン、ガチうますぎ!」だの「めっちゃ分かりやすかったんだけど!」とか言って肩を震わせている。
「マ? あざまる〜。テスト出るよ」
「出ねえよ」
思わず突っ込むと、紫苑は俺を見てニシシと笑った。
「えー、いおりん、ちゃんと聞いてくれてたん?」
「嫌でも耳に入ってくるわ」
「じゃあ満点じゃん」
「国語じゃなくて生物なら上がったかもな」
そんな俺たちを見ていた国語教師が、うんうんと満足そうに頷いた。
「まあ、かなり独特ではあったが、内容は概ね理解できているな。これが『枕草子』だ」
いや、違うだろ。
今のは『ギャル草子』だろ。
もしくは『烏草子』だよ。
そもそも、現代人には原文のままだと意味が取りにくい文章なのに、よくもまあ、あそこまで流暢に現代語訳できたものだ。
……いや、現代語訳というより、ギャル語訳か。
感心していいのか、呆れるべきなのか、なんとも判断に困る。
しかし、彼女のこういう自由なところが、モテる要素でもあるのだろう。
陽キャで、誰にでも同じように接して、しかも古語まで得意ときたもんだから、優等生からも評価が高い。
現に、今も紫苑のことを見ているヤツだっている。
「どしたん、いおりん」
「……別に」
「さてはウチに見惚れてたな〜?」
「……授業聞けよ」
「ウケる」
……ちなみに俺も、彼女に見惚れている男子の一人である。
しかも、かなり昔から。
◇
「いおりん、かえろー」
放課後。
教室に戻って鞄を手に取ったところで、聞き慣れた声がした。
「おう。もう準備終わったのか?」
「もち。ウチ、シゴデキな女だから」
「さっき絵の具こぼして騒いでた奴が?」
「あれは事故! ノーカン!」
「文化祭の看板、青い手形ついてたぞ」
「逆にオシャじゃね?」
「絶対違うだろ」
そんな会話を交わしながら、俺たちは教室を後にした。
来週に控えた文化祭。
その準備のせいで、今日はすっかり遅くなってしまった。
校舎を出ると、ひんやりとした秋の空気が頬を撫でる。
空は茜色に染まり、遠くの山の稜線を薄い雲がなぞっていた。
校門を抜ければ、そこから先はのどかな田舎道だ。
左右には稲刈りを終えた田んぼが広がり、ところどころに積まれた藁が長い影を落としている。
車もほとんど通らない。
聞こえるのは、俺たちの足音と、遠くから響く鳥の鳴き声くらいだった。
「いおりんいおりん、東京行きたくね」
「急だな」
「うん。二郎系ってやつ食べに行きたいんよね、この辺に無いし」
紫苑は両手をカーディガンのポケットに突っ込み、楽しそうに歩いている。
黒いローファーが、乾いたアスファルトをこつこつと鳴らした。
「確かに行ってみたいはあるけど、注文の仕方とかわかるのかよ」
「動画で見たし!」
「じゃあ、なんて注文するんだ?」
「全部普通!」
「予習の意味!!」
「だって全部普通って、店長が一番自信ある状態のを、そのまま食べれるってことじゃん?」
「…………」
「だから、それが一番美味いっしょ?」
そう言って『ニコ~』と擬音語でも出てるかのように、紫苑は屈託なく笑った。
雲の切れ間から覗いた夕日が、彼女の横顔を照らして、長いまつげが頬に影を落とす。
笑うと少しだけ細くなる目も、上機嫌に緩んだ口元も。
全部、いつも見ているはずなのに。
「……その説はあるな」
「説あるコアトル!」
なんだろう。
今日はやけに、眩しく見える。
紫苑の黒髪は、光の当たり方によって色が変わるようだった。
青く見えたり、緑に見えたり、まるで本当にカラスの羽のように。
『カラスってさ、ズッ友と帰るんよ。マジ尊い』
俺は隣を歩く幼馴染を見た。
小学生の頃から、何度も何度も一緒に帰ってきた。
ランドセルを背負っていた頃も、中学生になって制服を着るようになってからも。
そして、高校生になった今もこいつは、俺を誘い続けてくれる。
それが、当たり前だった。
……紫苑にとって、俺はズッ友なのだろうか。
だとしたら、嬉しい。
こいつの隣が、俺の居場所だというのなら、それはきっとすごく幸せなことだ。
……けれど俺は、いつからだろう。
『ズッ友』なんて言葉じゃ、満足しきれなく思ってしまうのは。
「……なあ、紫苑」
「んー?」
「カラスって、ズッ友と帰るんだっけ」
「そそ」
ちょうど紫苑が「みてみて」と言わんばかりに指をさす。
つられて視線を見上げた電線の上には、二羽のカラスが止まっていた。
寄り添うように並んだ二羽は、しばらく辺りを見回したあと、ほとんど同時に飛び立った。
「ズッ友なのか?」
「番かもね~」
夕焼けの中を、黒い影が二つ飛んでいく。
それを目で追いながら、俺は口を開いた。
「それで、続きはなんて言ってたっけ」
「えー? いおりん、話聞いてたん?」
「いや、聞いてたけどさ」
「も〜。カラスはね、番になるとめっちゃ愛情深いんよ」
「うん」
「一緒にご飯食べたり、毛づくろいしたり、ずっと一緒におったり。マジ尊い」
「へえ」
「しかもさ、好きな相手にはプレゼントするんよ。自分のコレクションだったり、見つけてきた美味しい食べ物だったり」
「ふーん」
そう言って紫苑は、なんでもないことのように笑った。
俺はそれを聞いて、しばらく黙ってしまった。
足元では、二人分の影が長く伸びている。
並んで歩くたびに、くっついたり、離れたり。
この道を歩くのは、もう何百回目になるだろう。
明日も、明後日も、きっとこうして帰るのだと思う。
ずっと、友達として、幼馴染として。
でも、もしも。
…………その先が、あるのだとしたら。
秋は夕暮れ。
カラスが三羽、四羽と、急いで巣へ帰っていく。
千年も昔の人が、そんな光景を見て美しいと思ったらしい。
あの頃の人たちも、誰かを好きになったのだろう。
そしてきっと、今の俺みたいに、どうすれば気持ちが伝わるのか、悩んだりしたのだろうか。
「…………紫苑」
「ん?」
思い切って、俺はそっと右手を伸ばした。
けれど、触れる寸前になって怖くなり、最後は勢いに任せて彼女の手を掴んだ。
「…………お?」
紫苑が、ぱちぱちと瞬きをした。
俺は前を向いたまま、歩き続ける。
心臓がうるさい。
さっきまで静かだった帰り道が、急に騒がしくなった気がした。
もちろん、騒がしいのは俺の胸の中だけだ。
「んはは。小学生のときみたいじゃん!」
紫苑が、くすくすと笑った。
その声は、いつもと変わらない。
……ああ、そうか。
こいつにとっては、そうなのかもしれない。
昔から何度も繋いできた手だ。
小学生の頃なんて、転ばないように引っ張ってやったこともある。
だから、今更こんなことをしたところで、きっと何も変わらない。
『でもそんな日々もいつか終わるなんてつらたん――』
……でも、俺は変えたいのだ。
「わお! なになに!」
「いくぞ」
俺は誤魔化すように歩幅を広げた。
手をつないだまま、俺に引っ張られて、彼女も小走りになる。
「わ、わ、どこいくん!?」
「コンビニ!」
「コンビニ!? なんで!?」
「新作のスイーツが出たんだよ!」
「マ!? 何それ、激アツじゃん!」
……ああ、もう。
なんでこいつは、こんなにも楽しそうなんだ。
「でもウチ、お金持ってな――」
「お、奢ってやるつもりだったからいい!」
「ええ!? マジ!? なんでなんで!?」
そりゃ、お前――
カラスのマネだなんて、口が裂けても言えない。
「……昨日、食べたんだよ!」
「え、そなん!?」
「めちゃくちゃ美味かったから!」
「ずる!!」
「だから、その……!」
繋いだ手を、ぎゅっと握る。
「好きになったから……! お前にも食べさせたいってただのプレゼントだよ!!」
「…………ふぇ? それって――」
「そういうことだよ!」
背後から聞こえる間の抜けた声に、俺の声を重ねる。
急激に恥ずかしくなって、俺はさらに速度を上げた。
足元では、二人分の影が重なっている。
……ああ、くそ。
なんで、こんなに回りくどいことをしているんだ。
カラスの真似なんかして、いつもの日々を終わらせたくないって思ったばかりだろ。
なら、ちゃんと言え。
「……好きなんだよ! お前のことが!!」
秋は夕暮れ。
どうしようもなく初心で、どうしようもなく下手くそな告白が、遠くの山々にまで響き渡る。
暑くてどうにかなりそうで、心臓がやかましくて、それでも俺は誤魔化すように、大きく肩で息をした。
それきり、紫苑は何も言わなくなった。
いつもなら、うるさいくらい喋っているくせに。
からかう声も、笑い声も聞こえない。
急に不安になって、俺は足を緩めた。
そうして、おそるおそる振り返る。
「…………あ」
そこには、いつも楽しそうに細められていた目を、まん丸に見開いて。
少しだけ唇を開いたまま、ぽーっと俺のことを見つめていて。
耳まで真っ赤なのは、きっと走ったからだけではないというのが、嫌でも伝わってきて。
「………………あざまる水産」
そんなかわちいな照れ隠しで奢りのお礼なんか呟きながら、目をふいと逸らす紫苑は。
ぎゅっと、そのネイルが痛いほど刺さってくるように握ってきて。
どこまでも、どこまでも――どうしようもないくらい、可愛かった。
り
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