隣にいる不思議
透は、鏡に映る姿を見た。ダークグリーンのダウンジャケット、ブルーグレイのニット帽に、デニムジーンズ。寒いのは苦手なので、ジーンズの下は長いインナーだった。
「あ、眼鏡」
机の引き出しから、黒縁の眼鏡を取り出す。度は入っていない、伊達メガネだった。
今日は、親からプラネタリウムのチケットをもらったので、見に行くつもりだった。チケットの期限は来週の金曜までだったが、平日には行きづらいので、土曜の今日出かけることにしたのだった。他に、誰かを誘ったりはしていない。独りで見に行くつもりだった。
ただ、チケットは、ペアチケットだった。ペアでなければ入れない、という訳ではないことは確認していた。
プラネタリウムは、隣街にある。透が住む町よりも人が多く、デパートなどもある、地方の中核都市、というものだった。
プラネタリウムのプログラムは、冬の星座。あまり、一般にはなじみのない、くじら座のミラ、という星についての特集だった。ミラは変光星といって、周期的に明るさが変わる星で、そういう星がある、と最初に分かった星でもあった。ミラ、というのは、ラテン語で不思議、と言う意味になる。
このプログラムで取り上げられているのは、冬の星座であり、ミラが一番明るくなる、極大、という状態が近づいているからだろう、というのは、天文ファンだった透の知識だった。
「いってきます」
小さなグレーのザックをしょって、玄関を出て、暫く歩いてから、ポケットから眼鏡を出してかける。風が冷たいのでニット帽を耳まで下ろす。
メガネをかけるのは、そうすると、あまり顔をじろじろと見られることが無くなるからだった。
自意識過剰みたいに思われると嫌なので、他人にはあまり言わなかったが、透は童顔で、小さい頃は良く女の子にも間違われた。無遠慮にじろじろ見られることも多く、女性が見たあとにクスクス笑うのも嫌だった。
中学生の時、旅行で東京に行ったときに、スカウトだという男性に追いかけまわされたのは、ちょっとしたトラウマになっていた。
学校では、口数も少ないし、友達も少ない。良く話をしているのはアニメが好きだったりする、オタクな友人ばかりなので、最初のうち話しかけて来た女子も、次第に遠ざかるようになった。
電車に乗って、隣町に着く。プラネタリウムは、繁華街とは反対側の市役所などがある地区の、公園に併設されていた。駅から繁華街を抜けて歩くと、少々距離があったが、透は公園に向かう並木道を歩くのは好きだったので、プラネタリウムへ行くときは何時も歩いていた。
繁華街を抜けて、天気は良く、葉が落ちたイチョウ並木を透かして青空が見えていた。暫く歩いていると、グレーのワイドパンツに、黒のセーターの上からグレーのコートを羽織った女の子が、足を組んでコートのポケットに手を突っ込んでベンチに座っていた。
透はなんとなく避けるように歩道の端を歩いて通り過ぎようとした。
「ん、内山田君?」
通り過ぎようとして透は、その声に振り向いた。
「柳澤さん?」
透に声をかけたのは、クラスメートの柳澤星雨という、ちょっと変わった名前の女の子だった。変わっているのは名前だけでなく、性格もエキセントリックなところがあった。見た目は、ショートカットの二重の大きな目の、美少女、と言ってよく、男子のあいだでは、密かに不思議ちゃん、と言って、人気があった。
「どこに行くの?」
星雨は表情のない顔でそれだけ聞いた。
「えっと。プラネタリウム」
いきなり聞くなぁ、と思ったが、透は正直に答えた。眼鏡をかけていたのに気づかれたのにも、少し動揺していた。
「ふーん。何時から?」
「十一時半から。三十分くらいかな。時間は」
「そう。ちょうどいいな」
星雨はそう言って立ち上がった。女の子としては背の高い星雨が黒いブーツを履いているので、透よりもちょっと視線が高い。
「えっと、君もプラネタリウムを見に行くの?」
「うん。待ち合わせの時間、間違えてて。ヒマだし」
星雨が言うには、十一時のつもりで出かけたが、誰も居ないので、確認すると、午後一時、の間違いだったのだそうだ。
「そう……」
透が歩き出すと、星雨も並んで歩く。
「内山田君て眼鏡するんだ」
「え、ああ」
――どうしてこんなことに。
透は戸惑いつつ、並んで歩いたが、気楽に歩けるはずの並木道が、妙に長く感じられた。
プラネタリウムは、土曜日ということもあって、親子連れが多かった。
星雨は、館内に入ると、チケットの券売機の方へ歩いていく。それを見ていて、透はちょっと戸惑ったが、星雨を呼び止めた。
「チケットは、僕が持ってるから」
ドームの入口の方で、チケットを確認する列が出来ている。二人もそれに並んだ。小学生くらいの子供を連れた親子連ればかりで、高校生くらいの男女で並んでいるのは透たちだけだった。
「ありがとうございます」
チケットを確認した女性がパンフレットを手渡す。前の親子連れの時よりも満面の笑みだったような気がしたが、透は気にし過ぎだ、と自分でたしなめた。
プラネタリウムのドーム内は、席が半分ほど埋まっている状態だった。ここのプラネタリウムは、透が生まれる前からある、やや古めかしいもので、投影機も鉄亜鈴のような型のものだった。投影機をぐるりと席が取り囲んでいるうち、真ん中あたりの、北に頭が向くような席に座った。星雨も隣に座る。 星雨には全く緊張した様子もない。入口でもらったパンフレットを広げて見ている。
透はちょっと呆れてそれを見ていたが、周りを見回した。子供が多いので、少しざわざわとしている。そんななか、ふと横を見ると、どこかで見たような顔。透と同じくらいの年の女の子が、プラネタリウムを半分にすると、透たちの席のちょうど対称の位置くらいに座っている。
――あれは、たしか、城崎さん?
ブラウンのツイードのコートという、少し渋い格好の女の子は、透のクラスメートで、天文ファンとして、透も知っている城崎裕美という女の子だった。両隣の席は空いているようで、独りで来ているらしかった。
――まずいなぁ。どうしてこういうタイミングで……
星雨に言うと、城崎さん、とかって、話しかけそうだったので、透は黙って気が付かなかったことにした。裕美の方もこちらには気が付いていないようだ。 そうしていると、ビーっと、館内に音が響いて、これから投影を始める、というアナウンスがあり、注意事項の説明の後、ドーム内が暗くなり始めた。透は、眼鏡が邪魔に感じて、外してから深く席に座った。
久しぶりに見るプラネタリウムの投影は、落ち着いた、懐かしい気持ちになるものだった。隣の星雨は気配がないくらい静かにしている。
透は、くじら座のミラについての、天文学的な説明に聞き入っていた。十六世紀にファブリツィウスと言う天文学者が明るさが変わるミラに気付いたこと。それから明るい時は二等星くらいで人の目に見えているが、暗くなると十等星くらいとなり見えなくなるという、周期的に明るさを変える変光星であると分かったこと、などなど。
知っていることでも、プラネタリウムの映像を見ながら再確認するのは、面白いものだった。
やがて、次第にドーム内は明るくなっていき、夜明けの演出がされて、投影は終わった。
「ふう」
なんとなくため息がでて、透は体を起こした。横を見ると、星雨は目を閉じて両手をお腹の前で組んで寝ていた。
――どうりで静かすぎるわけだ。
「柳澤さん」
透が肩を揺すると、星雨は背伸びをして起き上がった。
「終わったの?」
「う、うん」
そう言って、なんとなく、横を見ると、立ち上がっている女の子と目が合った。城崎裕美だった。裕美は、透の顔を見て、あっ、という表情をすると、右手で口を押えた。そうして、軽く頭を下げると、少し足早に出て行った。
――何、その、見ちゃいけないもの見てしまった、みたいなのは……
去っていく裕美を見て、あーあ、なんか色々言われそうだな、と、週明けに学校に行く時のことを思った。
「ねえ、お腹空かない?」
星雨の方は、裕美には気付かなかったのか、まったく無頓着に、そんなことを言い出した。
この後二人は、プラネタリウム近くにある、喫茶店で簡単に食事をした。ナポリタンくらいしか食事らしいものが無かったので、二人ともそれを食べながら、学校のことなどを話していた。
透としては、初めて女の子とデートらしきことをしている、しかも、相手はクラスで、というより学校でも指折りの美少女なのに、なんだか親に、親戚の小さな女の子の面倒を見ておきなさい、とか言われたような気分だった。
「ありがとう。ちょうどいい時間になった」
星雨は、今日初めて笑顔を見せて言った。二人は公園を出て繁華街の方へ向かって歩いたが、透は駅へ行くので別れることになった。
「この後は?」
「ん? みちる達と映画見に行く」
「そう」
透は、なんだか、肩の荷が下りたような気がした。
「そういえば」
すたすたと歩きだした星雨だったが、立ち止まって透の方を振り返った。
「みちるが、内山田くんのこと、可愛いって言ってたよ」
そう言うと、笑いながらじゃあね、と言って手を振って歩いて行った。
ああ。まちがいなく、この後、プラネタリウムを見たことを話題にするんだろうな。そう思ったが、もう諦めるしかなかった。
月曜、登校したときのことを思うと、少々頭の痛い透だった。




