ep.9 動機付けは必要不可欠
昨晩遅く込み入った会話が交わされたのだが、件の監視役は部屋に居ない。
部屋に居なくて屋根裏にでも潜んでいるのか。と、理央は至極真面目な顔つきで天井板に彫り込まれているツタ模様じっと見つめる。つられるようにカナンが上を向いた瞬間、聖女の間にもう一人の部屋付き侍女のセイラが軽やかな足取りで戻ってきた。
「リオ様~見てください。じゃーん」
なにやら精緻な飾りのついた小瓶を掲げている。
「先ほどジーク様のお使いの方から頂きました~。近衛騎士団印の回復薬。なんでも瀕死の重傷以外は治癒するそうですよ! すごいですね魔術師って。ただめちゃくちゃ不味いそうなので、鼻を摘まんで飲んだ方がいいって、かわいい系かっこいい部下さんが言ってました」
そう頬をやや赤らめるセイラを、カナンは興味深そうに見つめる。
「気になる? カナン」
「き、きにな、る……というか……かわいい、かっこいいって、どんな感じか、わからな、くて」
「かわいい系かっこいいはそのまんまだよ~。んーとね鳶色の髪がちょっとくるんとしてて、焦げ茶の目は少し垂れてて大きいの。でも背は高くて近衛の人ってやっぱり強そう! って感じ」
「焦げ茶……くるん……いぬ……」
「そうそう! 大型犬って感じ!」
なにやら少女たちの会話には、懐かしい気持ちを思い起こさる。
他の事を考えていた理央だったのだが、可愛い会話に思わずと耳を傾けた。
「そういえば、教会侍女って花嫁修業の一環なんでしょう? でも修行になるの? 神官はおじさん多めだし」
「そこはほら! 基本的な所作や儀礼も勉強させていただきつつ、出会うんですよ! どなたかに!教会には様々な方がいらっしゃいますからね! リオ様のおかげで騎士さんにも出会えちゃいましたもん」
「なるほど? カナンも?」
「わた、わたしは……養護院のベッドが、もう、足りてないので……それに、読み書き、とか……」
唐突に話題を振られたカナンが、もごもごと口ごもる。
「いろいろ、勉強できます……ここにいると、ここにいたい、です……」
「そっか……まあ人生色々あるよね、生きてると」
前世では、仕事に忙殺され、何年も恋愛事からは遠ざかっていた。
二人の少女の為にも、なんとか生きていかなければ。
そもそも理央が処刑された後、部屋付き侍女たちはどうなるのだろうか。どのようにも処理できるような人選だからこそ、養護院出身のカナンや、身分という身分の無い家格のセイラなどが、聖女の部屋付きとされたのかもしれない。
だとしたら、あまりにも人の命を軽んじすぎている。こんなに怒りっぽかったっけ、と自分に問いながら、理央はこれから着手すべき改革に本腰をいれようと決意する。
なんとなくの勢いで、セイラは既に理央の行動に巻き込んでいるが、カナンも巻き込むしかないだろう。
理央はセイラから回復薬の小瓶を受け取ると、一気に飲み干した。
どぶ臭く、歯茎が痛むほど、からい。
しかし、効果は恐ろしいほど即効性があった。
難点は後味がずっと悪い事くらいである。
◇◇◇
「ちょっと目を離すとこれか、頭が痛くなるな」
回復薬効果で、ベッドから解放された理央は、立ち入り禁止となっていた昨日爆発した倉庫に、堂々と乗り込んで、焼け残っていた書類を集めている。
「どこにいたの? 護衛なんでしょう? 頭が痛くなるのはこれから。教会が信仰を名目に民から吸い上げた金を何に使ってきたか、調べれば調べるほどに――終わってる。わ」
「……改革でも始めるつもりか?」
「もちろん。やらなきゃ死ぬもの」
あっさりと言い切った彼女に、ジークは一瞬だけ言葉を失った。
彼女が生死に関する言葉を、自らの口から出したのは初めてだった。けれど、その声音には恐怖も悲嘆もなく、ただ静かに燃える覚悟だけがあった。
「ちょうどいいから手伝ってくれる? あ、文字読める?」
ジークの目が、僅かに見開かれた。
彼を驚かせたのは初めてだったかもしれない。
「当然だ。何を馬鹿なことを。聖女殿にそんな心配をされるとは、心外だな」
「私の仕事を退屈そうに眺めているものだから。もし暇なら、この帳簿、もう少し読み込みたいから部屋に運んで? セイラとカナンと三人だと重くて運べないからここで仕事していたんだけど、できれば部屋でやりたいのよね」
理央が差し出したのは、教会内の古い帳簿の写しだった。
それは、かつての聖女への寄付金や献金に関する記録の一部だった。
外表紙は焦げていたが、中の記録は読み取ることが出来る。
「……これは」
ジークの表情が、初めて険しくなった。
彼の氷蒼の瞳が、羊皮紙の数字を素早く追う。
「収支の計算も曖昧だし、不自然な出費も多いのか」
ジークは、無言で帳簿を捲り続けた。数字の羅列の中に、明らかに不審な点があることを、彼はすぐに理解した。教会の腐敗に関してある程度の予測はしていたが、具体的な証拠を得られずにいた。だが、この帳簿は、その確かな証拠になりうる可能性がある。
「聖女への献金は年々減少していると報告されていた筈だが、実際の入金記録は膨大だ。これは、完全に……」
ジークの低い声が、響く。
彼がこの国の財政にも関わっているのか、あるいは単純に数字に強いのか、理央にはわからなかったが、彼の分析は的確だった。
「誰か、横領しているでしょ」
理央は薄く微笑む。
彼女は部屋付き侍女のセイラとカナンに続く標的を決めた。
ジークがこの不正に深く関わっていくことで、彼自身が命ぜられた任務と、あるいは教会の腐敗との間で板挟みになり、最終的に自分の味方として動かざるを得ない状況を作り出せれば幸い。
教会内部の腐敗は、王室の威信にも関わる問題である。
ジークは理央の言葉には答えない代わりに、書類や書簡が入った木箱を抱え上げた。