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ep.8 求む。尊厳の遵守

 古文書庫は、今日も例によって空気が悪い。ホコリが舞い、虫が蠢き、天井は高く、薄暗い。どこを取っても劣悪な環境だが、理央にとっては少なくともベッドでごろごろ過ごしているよりかマシである。資料整理やデータ分析に明け暮れた経験が、この埃っぽい空間でまさか役に立つとは思いもしなかった。


「……ここに記された帳簿の矛盾、見ぃーつけた」


 理央は、分厚い文書の山に埋もれながら、勝利の笑みを浮かべた。

 彼女の鋭い目は、財務に関する記述のわずかなズレも見逃さなかった。教会の金銭管理に明らかに不自然な空白が存在していたのだ。勘定科目は聖女費。しかも定期的に同じ名義で、教会外の誰かに流れていることを突き止めた。


「完全に幽霊口座。やってること、もはやマネーロンダリングの域じゃないの」


 理央にとって、聖教会での暮らしはかなり暇で、聖女の主たる仕事といえば日に二度の祈祷くらいだ。

 この国では、聖女は名目だけが先行し、その実は政争の道具に過ぎないのだろう。

 不都合な存在を、神の名のもとに、政治から排除する機構にされていたのかもしれない。

 そう考えると色々と辻褄が合う。その維持費として、国民から集められた信仰の証である献金が、誰かしらの懐に入っていたとすれば、これはただの横領ではない。国家規模の詐欺である。


「フォリフォンヌって王制と教会の二元体制構造風かと思ってたんだけど、その間を取り持ついっちょ噛みしている誰かさんが確実に居るってことね」


 納得したように頷く理央の話す内容はひとかけらも理解できていなかったが、セイラは力強くうんうんと相槌を打つ。


「それは、ズルいですね~!」 

「それにこの帳簿、精査していて気づいただけど、聖女費以外でも、使途不明金があまりにも多いのよね」


 ジークが見たのは、市内地図と帳簿を広げながら、部屋付きの若い侍女を相手に早口で説明を繰り返す聖女の姿だった。


「まず、寄進金の三割が枢機卿の私室備品の購入費に回されてる。枢機卿って四人しかいないのよね? 祭壇用の布と称して輸入絨毯。聖水保管庫と称して酒樽の搬入記録。中身はワインあたりだと思うんだけども」


「何やら……随分と、愉快そうな話をしているな」


 理央の背筋に冷たいものが走る。

 反射的に、手にしていた書類を本棚の隙間にねじ込んだ。


「なんでもないわよ! 日記読んでただけ! ほら、なんて書いてるか全然わかんなくて、思わず声が出ちゃった、みたいな?」


 理央は、必死にごまかそうとした。


「ほう、随分と好奇心旺盛な聖女殿だな」


 ジークは、理央のすぐ背後に立っていた。

 彼の視線は、理央が書類を隠した本棚の隙間をじっと見つめている。


「文字の書き方が独特過ぎて! 続け字で誰でも読むのちょっと苦労するような感じの! 古代語の暗号みたいでさ! ねーセイラ!」

「はい! 私には蝶々の軌跡にしかみえません~! 難しそうです~」


 理央は、しどろもどろになりながら弁解する。額に嫌な汗が滲む。

 味方であるセイラはやや棒読みで、ジークから目を反らす。


「どう見ても共通文字に見えるがな。会計帳簿の一部ではないか? 一体何を企んでいる?」


 ジークは、理央がねじ込んだ書類をあっさりと引き出すと、冷たい声で問い詰めた。彼の目は、獲物を逃がさない猛禽のように鋭かった。


「細かいことは気にしないの! そういう細かいところにとらわれてちゃ、大物になれないわよ!」


 理央は、もはや開き直るしかなかった。

 ──だが、そんなコントのようなやり取りの直後。

 理央の右手に、冷たい感触が這った。金属が擦れるような、微かな音が聞こえた気がする。


「……何これ? 変な音……」


 次の瞬間、背後の棚が突如爆発音と共に崩れた。

 轟音と共に、木材が砕け散り、砂埃と黒煙が部屋中に充満する。


「――!!」


 突風のような衝撃で吹き飛びそうになる聖女の細い体を、ジークが抱き留める。彼の腕は、理央の腰をがっちりと掴み、決して離さない。


「伏せろ!」

 

 ジークは、理央を庇うようにして、床に押し倒した。


「え、ちょっ、ちょっとなにこれ――」


 衝撃、熱、黒煙。

 ジークは聖女を腕の中に抱えたまま瞬時に観察する。

 魔術的な爆発。おそらく結界か痕跡消去のために仕掛けられた罠だ。


「やば……これ、本気で消される系じゃない!?」


 理央は、背後で崩れる棚の音を聞きながら、冷や汗をかいた。トラブルシューティングとはレベルが圧倒的に違う。直面する死の文字。彼女の心臓は激しく鼓動を打つ。


◇◇◇


 理央は、ゆっくりと目を開けた。頭がぼんやりとし、身体が重い。

 爆発の衝撃で、全身が痛みを発している。


「目が覚めたか。動くな。聖女の奇跡の力を持ってしても、肉体の損傷は即座には癒えぬ。まあ奇跡は……起きてないか」


 淡々と低い声が落ちてきた。

 氷蒼の瞳は、多少、気遣っているようにも見えた。


「……私、死んでない?」

「死んでいたら会話は成立しないだろう」

「……あーもう、服が燃えたわけじゃないのに、なんで私夜着なの」


 理央は、自分の身体が柔らかな夜着に包まれていることに気づき、頬を膨らませた。


「あの書庫は煙に包まれていた。それに聖女殿の衣装のいたるところが焦げていた為、まず身体を清める必要があったから脱がせておいた。あとは侍女に任せた」


 ジークは、淡々と説明した。その言葉に、理央の顔が真っ赤になる。


「脱がせておいた、の前置きが問題なのよ! なんてことしてくれてんのよ!信じられない! ――痛っ」

「……何も見ていない。聖女殿の意識が朦朧としていたので、救援を呼ぶ前に一時的に処置しただけだ」

「そういう時は、何も見ていないとか、言わないの! 信用が、半減する!! むしろ、ゼロ!」


 叫ぶ理央を、ジークはじっと見下ろしていた。

 彼の視線は、理央の顔から、身体へとゆっくりと移動する。


「随分、元気そうだな。肩の傷は?」

「……痛い」

「だろうな。後で回復薬を届けさせる。かなり高価だが」

「聖女費にツケといて」


 ふんと顔を背けると、ガラス窓に不貞腐れた少女の顔が写りこむ。額にも包帯が巻かれ痛々しい。それを認め、思いきり顔を顰めると、こめかみに鈍い痛みが走った。


「数日は安静にしてろ。これは護衛としての俺の落ち度でもある。対象からはやはり目を離すべきではないな……」


 ジークの声は、低く静かで、先ほどとは少し様子が違っていた。

 その言葉には、安堵と、かすかな後悔のようなものが滲んでいるように聞こえた。


 本気で……心配、してくれたのだろうか。

 理央は、思わず言葉を失う。

 彼の表情は、普段の冷徹なものとは異なり、どこか人間味を帯びていた。


「いいか、聖女殿の敵はそこら中にいる。今日の罠が、明らかにお前を狙って仕掛けられた物とは、明言出来ないが」

 

 ジークは、窓の桟に座り、膝を立てて肘をついた。

 彼の顔には、深刻な表情が浮かんでいる。


「この場所は、余りにも歪んでいる。それは聖女殿も実感しているのではないか?」


 理央は、身構えた。問われた言葉の意図が判らない。


「今後、原則として俺は、終日聖女殿と行動を共にさせてもらう事にする。これが最も現実的な選択だ」


 ジークは、きっぱりと言い放った。

 彼の言葉には、一切の揺るぎがない


「はああああああ!?」


 理央は、思わず絶叫した。それはつまり、彼と物理的に最も近い場所で常に生活するということだ。

 新婚でも無いのに。


「ちょっと待ってよ、護衛というか監視というか、そういうのって適切な距離ってもんがあるんじゃないの!?」


 理央は、必死に抗議した。

 前世で一人暮らしを満喫していた彼女にとって、これは耐え難い状況だ。


「安心しろ。俺の行動原理はフォリフォンヌ王国軍規に準じている。もちろん聖女殿の――例えば私的な洗濯物や食事面に関しては、部屋付き侍女が責任をもって任務にあたる。当然、尊厳は遵守される」


 ジークは、真顔で答えた。その言葉に、理央は頭を抱えた。


「洗濯……とかどうでもいいでしょ今! 誰がその安心欲してると思ってんのよ?  軍規とかそういう問題じゃないの!」


 絶叫にも似た理央の叫びが、聖女の間に響き渡る。



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