ep.7 真実への探求
「聖女殿が寝ていようが起きていようが、職務を全うするまでだ」
冷淡な声だった。その言葉に、理央の苛立ちが募る。朝から夜中まで監視され、プライベートな時間すら奪われることに、理央の神経は限界に達していた。
「職務を全うするなら、せめて昼間に四六時中張り付きますとでも言っておけば良かったと思うのだけど? 乙女の寝室に立ち入るなんて、無作法過ぎない?」
理央はベッドから上半身を起こし、枕を背もたれに立てかけた。
その視線は、部屋の隅に立つ男――ジークを射抜く。
「おかしなことを言う。俺が貴殿の護衛兼監視役に任命されたことは、既に伝えたはずだが? ……まだ高熱の後遺症で頭が混濁していると見えるな」
ジークは眉一つ動かさず、辛辣に答える。
どうやら彼も、頭がおかしくなった聖女として周囲から扱われていることを前提にしているようだ。
その冷めた態度に、理央は内心で舌打ちをした。
「そうね、でも昼間の貴方は、とても護衛なんて雰囲気じゃなかったわ。まるで尋問官よ。ああ監視だっけ。誰から命令されているの? そういえば陛下のご意向とかいってたっけ」
皮肉を込めて言ってみたが、ジークは表情を変えない。
しかし、彼の氷蒼の瞳の奥に、一瞬だけ微かな動揺が走ったのを、理央は見逃さなかった。この男は、単なる冷徹な武人ではない。何かを隠している。
リオ・アリミヌエとは、王室に関係のある存在なのだろうか。
理央が閲覧できる資料を漁った限り、そのような記録は存在していなかった。
「神官どもの騒ぎようはこちらにまで届いていたぞ。今の聖女殿の状態は――看過できぬと考えておられる方もいる」
ジークの言葉は、理央の頭の中で、点が線に繋がろうとするが、曖昧模糊としていてすっきりはしない。しかし、自身の置かれた状況が、単なる教会の問題だけではないことを、漠然と感じ取っていた。
「何それ」
あくまで無知を装ったまま呟く。
「妙な真似はするな。聖なる裁きまで……聖女殿を生かすことが任務である事に変わらん」
ジークはそれだけ言うと、壁にもたれかかり、腕を組んだ。
無言の圧力が理央の心を支配する。
というかまさか……この男、本当にここに一晩中いるつもりなのか。
「……つかぬ事を聞くけど、朝までいるの?」
「言ったはずだ。職務を全うする、と」
◇◇◇
早朝の礼拝堂には、まだ誰の気配もなかった。高窓から差し込む陽光が、広大な石床に静謐な模様を描いている。聖女リオ・アリミヌエこと理央は、礼拝堂横に続く倉庫の片隅で、手にした古文書を読み込んでいた。その横顔を垣間見る限りは、静かに書物を手にしていたかつての姿と変わりないように見える。しかし瞳に宿る力強さは、以前の彼女が失くしたものだった。
理央の手元には、ここ数日でかき集めた文書が山積みになっている。教会の財務記録、信者からの寄進金の使用報告、礼拝堂の維持費にかかわる支出明細――そのいずれもが公的な記録とされているにも関わらず、杜撰で、不透明で、恣意的な処理の痕跡が見える。
信仰とは本来、内なる心に根ざすべきものである。だがこの世界では、信仰は制度の名のもとに搾取と支配の手段と化している。神の名を借りて。
「形骸化した理想と腐った管理体制、あとは保身のための虚構だけ」
声に出すと、あらためて怒りと呆れが湧き上がった。
とはいえ、理央自身は、この程度の矛盾に慣れていた。
むしろ、冷静にそれを把握し、可視化し、対処することを生きがいとしてきたといってもいい。
ただし、彼女がこれから行う事は、すなわち敵を作る行為でもある。正論を掲げ、既得権益を侵せば、反発は免れない。けれどそれでも構わない。
そもそもリオ・アリミヌエという存在には、味方など誰一人居なかったのだ。――聖なる裁きまで半年無い。このまま従順な操り人形を演じていても、未来は訪れない。理央は、自分に課せられた時間を、この腐敗したシステムを破壊するために使うことを決意した。
◇◇◇
ジークは王城への報告に上がった後、騎士団本部に、彼の本来の業務の指示出しの為に顔を覗かせ、聖教会へと戻ってきたのは昼を過ぎていた。
背筋を伸ばしたその立ち姿は、誰の目にも隙がなく、彼が王国最強の近衛騎士の一人であることを強く印象づけている。
ただし、彼の眉間には朝から深い皺が刻まれていた。
聖女が蟄居している聖女の間にも、この所入り浸っていた祈祷受付にも監視すべき対象の姿が見当たらない。
「おい、聖女殿は今どこだ?」
各出入り口に配置されている僧兵のひとりに尋ねると、所在なげに指が伸びる。
「……大聖堂脇の書庫にこもって、文書の束と睨めっこしてましたが。朝からずっと」
「はあ?」
「一応部屋付きの侍女殿が一緒におられます」
呆れたように溜息を一つ落とし、ジークは即座に踵を返した。数日前に護衛兼監視を任されてからというもの、彼女の言動はすべてにおいておかしいの一言に尽きた。
表情がある。主張がある。行動がある。命令を待たずに動き、命令に異を唱え、しかもその理屈に破綻がない。――まるで別人だ。
彼の知るリオという名の少女は、全てを諦観し、ただその日までの生を繋いでいただけの、儚く美しい人形だった。数ヵ月に一度の面会の機会があったにも関わらず、彼女とまともな会話をしたことなど殆ど無かった。
「なぜ、このタイミングなんだ……」
王家が入手している聖教会の王家に対する背信とも呼べる行為に関する調書は、現在監察官の元で秘密裏にに保管されていた。ジークは歯噛みする。
乱暴に前髪をかきあげ、大聖堂の扉を睨みつける。
「よりにもよって、当代聖女に対して、禁忌の術を行うとはな。愚かな」
属性ひとつをとっても、彼女は現王家にとって、確かに不都合な存在なのであろう。成人の儀を行う前に、処刑されることは、既に確定している事項なのだが、万が一……。
ジークの脳裏に、理央の生き生きとした表情が浮かび、そしてすぐに打ち消される。彼自身の任務、そして彼にこの密命を依頼した存在の真意が、複雑に絡み合っていた。