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ep6. 監視役と審問官、あるいは意志あるお人形

「聖女殿。お取り込み中かもしれないが、急ぎ通達がある」


 突然、聖女の間に入室してきた、黒銀の軍装を纏った男だった。長めの銀色の髪が左側でゆるく纏められている。背は高く、威圧感のある風貌に鋭い眼は氷蒼。だがそれ以上に、彼の言葉遣いと態度は、無遠慮かつ苛立ちを隠さぬものであった。


「えっと……だれ?」

「ジーク・オベールレヒト。王国近衛騎士団第二隊の長を務めている。今日から聖女殿の護衛兼監視役に任命された」


 理央はその場で言葉を失いかけたが、すぐに口角を上げ笑みを形作った。

 ジークのすぐ横には、先日、理央に残酷は言葉を意図も易く投げかけた枢機卿のカティスが並んだ。


「監視……」

 理央が呟くと、でっぷりとした腹を抱えたカティスが、相変わらず読めない表情で口を開く。

「陛下の恩情によるものですよ」


 嫌味なのか、本心なのか。神官の真意は依然として不明だ。


「来る日まで、健やかにお過ごしいただきたく」

「ありがとう、ございます?」

「本日は、夕刻に信託の儀も控えておりますゆえ、お部屋から出ぬよう願います」

「それは」


 非常に困る。せっかく祈祷受付が上手く回るようになったところなのだ。

 静かに入室してきたエイラがカティスにそっと耳打ちをする。

 一瞬だけ、枢機卿は苛立ちを滲ませるような表情を浮かべ「それでは後程」と短く言葉を切って、退室していった。


 部屋に残されたジークは、ペンを手に書類に埋もれる理央をじっと観察していた。


「なるほど。確かに様子がおかしいな」


 そう言いながら、ジークはエイラに視線をやった。

 短いやり取りを目の当たりにして理央の中でやはり、エイラもただの侍女ではないという確信が強まる。ひっつめ髪の女は、主である理央の存在を通り越して、ジークに対し淡々と返事をした。


「先日の、宣託の儀以降、です」


「あの、何なの?」


 理央は意味深に頷いたエイラに、そして突然現れた男の両方に対して疑問を口にする。


「……自分では、判っているのではないか?」


 ジークは怜悧に言い放った。まるで喧嘩を売られているような態度に、理央の闘争心がむくりと起き上がる。理央はゆるやかに微笑み、立ち上がった。だが、男の胸のあたりまでしか自分の頭が届いておらず、仕方なしに思いきり男を振り仰ぐ体勢を取らざるを得ない。


「監視、結構。でも私、何も隠すつもりはないけど」

「……へえ」


 ジークの目が、僅かに見開かれた。

 その瞬間から、二人の奇妙な関係が始まった。


◇◇◇


 夕刻、理央は信託の儀が執り行われる聖堂の奥深くへと連れて行かれた。護衛の任に就いたばかりの筈のジークの姿はそこにはない。彼は王政側の人間であり、教会の内部で行われるこの種の詮議には立ち会うことが許されないのだ。


「何か思い出されましたか」

 問いかけたのは、処刑を通告したカティスだった。その表情は相変わらず腹の読めないものだ。

「思い出した、とは」

「近頃の聖女さまは、以前と違って溌溂としておいでですな。まるで中身が入れ替わったかのように」


 信託の儀とは、詮議の場なのだろうか。

 さながらいつか映画で見た法廷のような光景だ。

 理央は、その空間の中央にて、簡素な椅子に座らせられている。

 

 正面には高位の神官であろう者達が、一段上に設けられている席に付き、背後には劇場のように階段式の座席が並び、傍聴席のような場所には、教会の関係者らしき者たちの姿が見える。彼らの視線が理央に注がれていた。


 神官たちの言葉には、理央の変貌に対する警戒と、その真意を探ろうとする意図が滲んでいた。彼らは、理央が「何か」を思い出した場合、それを王政側に知られることを何よりも恐れている。

 ――聖女の覚醒は、教会の支配体制を揺るがしかねない、秘匿すべき情報。


「さあ……どうなんでしょうか」


 理央は、努めて平静を装いながら答える。誰が味方なのかも判らないこの状況で、迂闊な言動は許されない。


「もし、()()()()()()()()()()()()()()()としたら、聖なる裁きの日を延期せざるを得ないと言ったら?」


 カティスは、理央の反応を試すように問いかける。

 処刑までのタイムリミットが伸びることに関しては歓迎できるが、延期という言葉から、最終的な結末に関して変化は無さそうだ。


 この問いに対する選択肢は、間違えられない気がする。

 しかし、誰が味方なのかも判らない。


 圧迫面接もかくやの状況にも関わらず、理央はいたって冷静を務める。

 静かに問いの内容を精査し、シミュレーションしていく。


「何も、思い出してはいません。わたくしは、私です」


 嘘は言っていない。そもそも最初から自分は原田理央である。

 たとえ、今、リオ・アリミヌエという外郭を有していたとしても。


「ほう、そういった意思を持たぬ人形かと思っておりました。私どもの認識違いでしたか」

「そうね。黙って居続けることも、飽きることもあると思うんです。現に飽きてしまいました私。ただ死ぬ日を何もしないで待ち続ける事に。折角だから、最後に何かしたいなって思うのはおかしなこと? 誰にでも権利はあるのでしょう?」


 書庫で閲覧したこの世界の処刑の概念は、理央の知る概念と似たり寄ったりであった。


「これで最後になるなら、何かしたいんです。敬愛なる民の為に」


 芝居がかって両手を組む姿は、慈悲深い聖女の理想像ともいえよう。


 理央の言葉に、高位の神官たちがざわめく。彼らは、感情を持たない人形として扱ってきた聖女が、突如として人間的な感情と意志を露わにしたことに戸惑いを隠せない。しかし、彼女がリオ・アリミヌエとしての記憶を取り戻したわけではない、という理央の言葉は、彼らにとって都合の良い解釈を許すものだった。


「――裁定の結果は元より決まっておる。いずれにせよ、残り短い生だ。聖教会の威光を今まで以上に高める事に励むがよかろう」  


 会議の席でそう告げたのは、最高位に在る教皇シリィーゼだった。  

 太い腹を揺らすカティスが理央の額に大きな錫杖を押し付ける。  

 

 刹那、ほんのわずか淡い光が弾けるように立ち上がり雲散したように見えて理央は思わず瞠目したのだが、理央以外の存在には見えなかったようだ。  

 陰鬱とした沈黙と注目をただ一身に受けているだけである。  


 つまらなそうな顔で「未だ兆しなし」と短く呟いたカティスは、理央にぴたりと視線をあてて目を細めた。  

 正直いってあまり愉快な笑みでは無い。  

 背筋を這いあがる不快感に、理央は掌をぐっと握りこんだ。


◇◇◇


 理央は、長く暗い回廊をどすどす歩きながら、内心で舌打ちをした。  

 このままだと、なんとなく教会に飼い殺しにされる未来が待ち受けているような気がする。

 

 だが、理央の闘志は衰えない。この状況を逆手に取り、教会内部の腐敗をさらに深く暴き、自らの立場を確立する機会と捉えようとしていた。彼女の脳裏には、すでに次なる戦略が描かれ始めていた。


 やはりここは、是が非でも味方を得なければいけないであろう。


 先日行われた信託の儀の後、リオ・アリミヌエは昏倒し高熱を出して寝込んでいた。というか、信託の儀が行われるたびに、高熱を出しては数日間寝込むのが彼女の常だったという。


 いったいあの場で何が行われていたのだろうか。

 先程までまさにそれに参加していた理央なのだが、圧迫面接みたいだな、程度の感想しか持ち合わせておらず、またそれを裏付けるように、特別神秘的な儀式めいたものが行われたわけでもなかった。しいていえば錫杖のような杖のような金属の棒を額にあてられ際に、陽炎のように淡い光が一瞬だけ見えた。


 それ以外は、ほとんどが問答だった。


 だが、体力も精神も追い詰められた少女にとっては酷な状況であることは、想像がつく。

 自分をねめつける様な絡みつくような幾つもの視線には、獲物を甚振るような感情が混在していたように感じる。少なくとも好意ではなく、どちらかというと悪意に支配されている感情にも思えた。


 聖女の間に帰ってきたのは深夜を大きく過ぎていた。理央の思考は、夜の闇と同じくらいに深く沈んでいた。疲労で、頭の芯がジンジンと痛む。


 部屋の主が戻ったことを認めたエイラは、淡々と理央の就寝準備を進めていた。


 教会側と王政側。味方に付けるなら、どちらがましだろうか。


 視線を転じると、セイラが睡魔と戦いながら欠伸を嚙み殺している姿が見える。十七歳の少女には夜更かしは厳しいだろう。かくいう自分も所謂アラサーという歳をいくつか越した頃から、徹夜の出来ない体になっていたのを思い出す。


「二人とも、さがっていいわ、ありがとうおやすみなさい」


 エイラとセイラを下がらせた後、理央はベッドに潜り込んだ。しかし、安心したのも束の間。視界の端に、在るべきではないものが映り込んだ。


「――な……」


 叫ばなかった自分を褒めてやりたい。反射的に布団を頭まで引き上げようとしたが、その場に留まった。


「何でいるの、あなた」


 昼間に見た時と変わらぬ、黒銀の軍服に銀色の髪。

 氷蒼の瞳が、不愉快そうに細められた。

 ジーク・オベールレヒト。王国近衛の騎士、そして今日から理央の護衛兼監視役となった男は、当然のように部屋の隅に立っていた。


 まるで最初からそこにいたかのように。

 

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