ep.4 処刑されるまで、あと百七十日
先日のマフィン事件以降、理央は結局開き直ることにした。
これから戦うのは教会内部体制である。そして現王室の体制だ。
どっちにしろ生死のかかった四面楚歌状態であることに変わりはない。
この国――フォリフォンヌ王国は、教会と王権が緊張関係を保つ二元体制に近い構図でありながら、実質的には貴族の圧力に、やや教会側が屈している。そしてその教会の腐敗は深く、金と権力の温床。
まずは、手近なところである、教会の改革に着手すべきであろう。
腐敗した宗教組織は、民衆の信仰心を食い物にしている。ここに手を入れれば、自身の立場を聖女として意味あるものに再定義できる可能性がある。
半年も経たぬうちに処刑される理不尽を黙って受け入れるほど、原田理央は従順な人間ではない。
いそいそとおやつをおすそ分けしてくれるセイラによって、このところ、理央の体調はかなりマシになった。
カナンに対する対応はあれで正しかったようで、時々こっそり飴をくれたりする。恐らく、現王制側から派遣されているエイラは、聖女の異変に関して直接何かを言ってくることは無いが、異質に乗っ取られたといっても過言ではない異常な言動や行動に関しての報告は、しかるべき機関になされていると思われる。
その日の午後、複数名の神官が聖女の間を訪れ、護衛を付けると言い出した。
腕力を鍛えさえすれば、エイラ一人くらいはなんとか倒せるかも、と物騒な事を考えた矢先だった。その際、懸垂に挑戦しようと天蓋にぶら下がっていた理央の姿に、神官のうち一人が卒倒して、ちょっとした事件になったのだが、その話はまた別の機会に。
◇◇◇
改革の第一歩として、理央がまず目をつけたのは、祈祷の受付業務だった。
聖堂の片隅にある祈祷受付の部屋は、毎日朝から晩まで、人でごった返していた。国民からの祈祷依頼を受ける窓口は常に長蛇の列をなし、不満の声が飛び交い、中には待ちくたびれて泣き出す子供の姿すら見られる。
侍女たちは、その混乱の渦中で、疲れ果てた顔をしていた。
目の下のクマは消えず、その手つきはどこかおぼつかない。
彼らの目は虚ろで、まるで機械的に作業をこなしているかのようだ。
効率化どころか、ただひたすら目の前の依頼を捌くことに精一杯で、対応漏れも頻繁に発生しているのが見て取れた。この光景は、理央が前世で経験した――さびれた役所の窓口を彷彿とさせた。
理央は数日間、その光景を黙って観察した。聖女としての立場を弁え、まずは現状を把握することに徹したのだ。彼女は、現状の業務フローを可視化することから始めた。誰が、いつ、どのような祈祷依頼を受け、それがどのように処理され、最終的にどうなるのか。細かくメモを取り、フローチャートを描いていく。
部屋に戻った理央は、書きなれない羊皮紙に、思いついたことを書き散らしていく。
すぐに、問題点が浮き彫りになった。
まず、受付システムそのものが確立されておらず、来た者順にひたすら対応しているだけなのだ。緊急性の高い依頼も、そうでないものも、全て同じ列に並ばされている。
祈祷の内容も多岐にわたり、病気の治癒、商売繁盛、良縁祈願、豊作祈願など、それぞれに異なる対応が必要な場合もあったが、それらの区分けも曖昧だった。侍女たちは、一つ一つの依頼に時間をかけすぎているか、逆に急ぎすぎて不備が生じているかのどちらかだった。
業務の停滞や生産性の低下を招いている工程、箇所となっているのは、待ち時間の長さと業務の属人化、そして緊急度の判別不能だと結論付ける。
その時だった。聖女の間の扉が乱雑に開かれた。
三人の部屋付き侍女が俯きがちに立っている。そのすぐ後ろから僧衣をまとった壮年の男が室内を検分するようにゆっくりと見まわし、書類に埋もれている理央の姿を捉える。
「リオ・アリミヌエ様。お加減はいかがでしょうか?」
壮年の男が太った体を揺らし前にでた。
この男は確か、五人いる枢機卿のひとり。カティス枢機卿。
一瞬、理央の声が詰まった。
なぜならば、リオ・アリミヌエの身体で理央が覚醒してから、特に神官から接触を持たれたことはなく、完全に放っておかれたからだ。
「……少し、頭が混乱しています、いきなりのおとない……」
「混乱なさって当然です。先日の神託の儀の最中に、倒れられたばかりなのですから」
神託の儀? 聞き慣れない言葉に思考が鈍る。だが、今は聞き返すのを堪えた。ひとまず相槌を打ち、状況の把握を優先する。
カティスは慇懃な態度で続けた。
「ご体調は未だ優れませんか? それとも……何か、思い出されましたか」
思い出されましたか。そう問う彼の表情に、わずかな期待の色がにじんでいた。何かを忘れているのが当然、という態度。
「……少し、頭が重いだけです」
「左様でございますか……では、しっかりと復調されるまで静養をお勧めいたします。――聖なる裁き――処刑の日までは、まだ時間がございますので、その日までは健やかであられていただきたいのですよ」
処刑――という単語を耳にした瞬間、空気が凍りついた。
理央はゆっくりと顔を上げた。
「貴女様が処刑されるまで、あと百七十日です」
カティスは、あくまで穏やかに、そして冷静に言い放った。