ep.31 父娘
騒ぎがひとまず収束したのは、日が傾き始めてからのことだった。
関係者のみの閉じられた場ゆえ、民衆への直接の報せはまだ届いていない。
だが、内部の力関係は一気に傾き、腐敗に加担していた枢機卿らは拘束、あるいは失神していた者達は、運び出されていた。
理央は控えの間に下がり、長椅子に腰を落とした瞬間、大きく息を吐き出した。
「はー……」
ジークが冷たい水を差し出す。
「最後まで立っていたのは大したものだ」
「褒めても何も出ないわよ」
わざと軽口を返したその時。
控えの間の奥の扉が、音もなく開く。
「……失礼する」
姿を見せたのは、王太子フェルディナン。
堂々とした佇まいながらも、瞳の奥に複雑な色を宿していた。
ジークとルキウスが同時に立ち上がる。
「殿下」
「護衛は不要だ。しばし、こちらの方と二人きりにしてもらえるか」
一瞬、ジークが理央を見た。
「それでは、扉の外で控えております」
静まり返った室内に、王太子と聖女だけが残される。
一見、異色の組み合わせである。
彼らの接点は、あえていうなれば、共に広く民衆にその名と存在を知られているという点だろうか。ジークとルキウスにつられるよう立ち上がった理央は、裸足だった。彼女の姿をじっと見る王太子の視線にわずか身じろぎし、靴がころんと転がる。
「これは失礼した。遠慮なく座ってくれ」
鷹揚な態度で言われ、理央は探るように相手を見つめ返す。だが、王太子がそれ以上何も言わない為、先程倒れこんだ長椅子に、改めて座りなおした。裾を整え、一応裸足のつま先が見えないよう、隠した。
「先ほどの、奇跡は……君が起こしたものなのだな」
「……どうなんでしょうか」
傍から見れば、不遜な態度であった。だがしかし、フェルディナンはただ眼を細めるだけに留める。
「証拠の提示、推論、そして論説。非常に解りやすく――見事なものだった。監察官や近衛との連携、それから体制内部での権力移動にかかる構成も、君が采配したものなのだろう。本当に、鮮やかだった」
見た目とは裏腹に、饒舌なフェルディナンの言葉に、理央は表情を曇らせる。
この男は、他にいう事は無いのだろうか。
「ありがとうございます」
「君を、聖女という枠組みに押し込めておくのは惜しいと思う」
「……どうも。でも聖女っていう枠組みは、いずれ無くなるんじゃないでしょうか。崇拝の対象なら偶像の方がいっそ、思い通りに動いてくれますし」
まるで感情のこもらない言葉に、今度はフェルディナンの方が、顔を曇らせる番だった。
こんな話をするために、足を運んだわけではないというのに。
彼はもう一度、目の前の少女を静かに見る。
金色の瞳、碧の潤んだ瞳。大演説をこなした後のせいか、若干の疲れが見られるが、頬は薔薇色に染まり、健康そうだった。彼の知る、遠い記憶の中にいたあの少女と、とてもよく似ていた。
「私は……詫びるべき立場にあるのだろう。君の母を護れず、君を一人にした」
理央は漸く、強張っていた表情を崩し、小さく笑った。
ただしその笑みは、友好的な物ではない。
「そんなこと、今さら。——でも、王太子殿下が、この身体の持ち主の父親は自分であると思っているなら、遠慮なく言わせてもらいますけど」
「……」
「先ほどの、私の話を理解していただけていたならば、この身体の中に、誰の魂が入っているのか、と、疑うべきです。私にはリオの記憶は無い。知っているのはただの記録としてだけ。彼女が何を考えていたのか、理解しているのは、彼女だけ。だからこそ、国の王太子として、どうこの歪んだ存在を見るのか。それだけ答えてください」
真正面からぶつけられたその言葉に、フェルディナンは目を細める。
やがて深く息を吐き、視線を逸らさずに告げた。
「……国を導く者として、それでも私は、君という存在を必要とする」
「なるほど。それならいいわ」
理央は立ち上がり、王太子を真っ直ぐに見据える。
「私にとって、あなたは父親じゃない。けれど——この身体にとっての血脈は貴方に繋がるのかもしれない。ま、血は水よりも濃いって言葉もありますし。そうね……これは例えばの話です。この国を変えるために、王太子殿下と、聖女もしくはその代弁者とは、手を組むことはできるのかもしれませんね」
毅然とした態度に、フェルディナンはほんの一瞬だけ、笑みを浮かべそうになった。
だがすぐにそれを飲み込み、深く頷いた。
「その強さが、君をここに立たせているのだな」
部屋を去る直前、彼は一度だけ振り返った。
「リオ。君が幸せであることを、父として祈りたい」
少し猫背気味の背中が扉の向こうに消えると、理央は小さく肩を震わせ、長椅子に崩れ落ちた。
その呟きは、誰の耳にも届かなかった。
「……これでいいのかな……私には貴女の気持ちを代弁する事ができないよ……ごめんリオ」
擦り切れるほど読み返したリオの残した、記録の一片に父を示唆する文はひとつしかなかった。
『おとうさまとおじいさまってどんな人なんだろう』




