ep.3 暴食
本日は晴天。
フォリフォンヌ王国首都リシャール。
白亜の王宮とちょうど対を成す位置に聖教会は建てられている。
小高い上に建つ聖教会は、まるで王宮と張り合うが如く、華美で豪奢だ。
聖女の住まう部屋は禁則地に位置する塔の二階に在り、僅かな木々の隙間から、中庭の様子が遠く伺える。まるで高層ビル群の中にある小さな公園に、ランチタイム前後になると、様々な組み合わせの人々が通り過ぎる様子に、どことなく似ている。皆、どうせ他人には大して意識を払っていない。
懺悔へ向かうもの。謁見及び祈祷の予約。足早に横切る出入りの商人。中庭の花を愛でる恋人たち。
歴代の聖女とされてきた者たちが、例外をのぞき、いずれ処刑される事が確定しているとはいえ、その詳細な情報は、過去一度も公となったことは無かった。
奇跡の御業をおこす聖女は、その命をすり減らし奇跡を行使する。それ故、短命なのだ、とされていた。
因みに、理央が過去の聖女に関する資料を漁った際に、本当に奇跡を行使した存在は、この百年ではたったひとりしかいなかった。キヨイ・アリミヌエ。五代前の聖女である。どうやら天寿を全うしたらしい。
彼女の起こした奇跡の内容は神秘とされ、詳細はなにひとつ伝えられていない。名前だけが残っている。聖女キヨイ・アリミヌエは聖キヨイとして礼拝堂の一角に一体の像が残されていた。
そして、フォリフォンヌ王国の王政の頂点に在る者達は、アリミヌエ聖教を主教と認めていない上に、聖女を信仰の象徴としては扱っていない。その名はむしろ、厄介な存在を一時的に隔離するための絶好の隠れ蓑であり、リオはその典型的な生贄候補だった
当代聖女であるリオ・アリミヌエも多分に漏れず身体が弱く、中々その姿を目にする機会が無いため、祈祷の予約に関しては稀少性が高まり、連日長蛇の列が出来ているらしい。しかし、残念ながら、理央の居る部屋からは見ることが出来なかった。
日に二度ほど、祈祷室に足を運んではいるものの、もたもたとした案内は目も当てられない程、非効率的。せいぜい一日に五人も面会すれば、彼女に与えられた仕事は終わってしまう。こんな事をしていたら、あっという間に半年が経過し、何も変えられないまま裁定の日を迎えてしまうのでは無いだろうか。冗談じゃない。
セイラがお茶にミルクと砂糖をたっぷりと足して給仕してくれる。どうやら理央が糖分を常人よりも過剰に摂取したがっている点を、即座に見抜いてくれたようだった。目の前の少女は、信頼するに足るかの判断はまだ付かないが、今のところ理央に対して、友好的な態度をとってくれている為、話しやすい。そこそこ下流貴族の子女で、花嫁修業の一環として聖教会に勤めに来ている。
侍女頭にあたるエイラは王政側から選任されているようなのだが、自分に与えられている役割を淡々とこなしているようにみえ、必要最低限の会話にとどまっていた。カナンに関してはまったくわからない。戦災孤児で身寄りがなく、聖教会直営で運営されている養護院から来ているそうだ。
セイラの分けてくれたマフィンは、形がやや崩れていたものの、素朴な味わいで美味しい。タンパク質の摂取とともに、手っ取り早く身体を太らせるためにも、糖分は必須である。ささやかなお茶会の後片付けの為セイラが部屋をあとにすると、理央はゆったりともたれ掛かっていた脇息を倒す勢いで立ち上がる。
食べた後は、身体を動かす。その場で足踏み。両腕をエル字型に掲げ肩甲骨もぐるぐる回す。こんな事ならちゃんと健康についても現況しておけば良かった。
そうしたら、原田理央の命が、リオ・アリミヌエとして再構築される事なんて無かったのだろうから。
その時、室内にささやかな声が落ちた。
「――え……」
振り返ると、聖女の衣装の入った籠を両手にしたカナンが、数日前にセイラが自分に対して見せたような表情で、固まっている。
妙な態勢のまま理央は素早く思考する。
その1 何事も無かったかのようにいつも通り具合悪そうな顔で椅子に座る
その2 いっそのこと強気な態度で、これが普通ですけど、何か? と出る
その3 何か発言する機会を与えず、現状へのツッコミを許さない
その3で行こう。
「カナンちょうどいい所に。これ、あなたにおすそわけ」
理央は部屋の入り口で棒立ちとなっているカナンの所まですたすたと歩いていくと、夜食用にとっておいたマフィンの入った紙袋を籠の上にポンと乗せる。
袋越しでもバターの優しい香りがする。
「セイラが厨房の方から分けてもらったんですって。とっても美味しかったからあなたにも食べてもらいたくって」
「ま、ま、ま、ま、まふぃ、ん……」
「これ次の着替えね、そろそろ祈祷のお時間なのね~。さっきやったような気もするけど……。私、着替えちゃうから、あなたはソレをどこかに片付けちゃいなさい」
いいながら、理央は籠から聖女の衣装をつまみあげると、半ば強引にカナンを部屋の外に押し出した。
カナンは、バタンと閉じた扉をじっと見つめ、手の中にある紙袋に視線を落とし、もう一度扉を見る。室内からは何か、鼻歌のようなものが聞こえてくる。途端にこみ上がってきた感情に、カナンは泣きたくなったが、鼻を軽くすすって塔の通路を走り出した。聖女の部屋を後にしたカナンが何処に向かったのか、理央は知らない。