ep.24 微細なる揺らぎ
翌朝――聖教会の聖女が幽閉されている塔、およびその周辺に起こった異変は、予想外の経路をたどって、教会外へ、そして王宮へと伝わった。
最初に気づいたのは、大聖堂に夜通し詰めていた下級神官たちだった。
いつも通り敷地内の見回りで、聖女の幽閉されている区画にあるさびれた花壇だった筈の場所に、可愛らしい白い小花が一面に咲き乱れているのを確認した。本来ならば春に咲く野草のひとつ。まだ掃き清められていない落ち葉がひらりと舞う向こう側に広がる光景は、どこか幻想的だ。小花の絨毯の向こう側には、堅牢な石造りの古びた塔が聳えているが、全体的に空気がどこか柔らかい。
「……昨夜のうちに、聖女様のご祈祷でも行われたのでしょうか?」
「今の所、聖女様がご祈祷される許可は下りていません」
階段の手すりに触れた若い神官が、驚いたように指先を見つめた。
「……温かい」
そこには確かに、微かな残滓があった。
祈りの場に残る、気配のようなもの。
報告は噂好きの神官や侍女を介し、教皇によって箝口令が宣言される前、昼過ぎには王宮の一部にも届いていた。
厚い書物と古い祈祷文に囲まれた部屋で、枢機卿バルデュスは冷静に資料を読み込んでいた。
「光の粒子が漂っていた、祈りのような空気だった……そう証言する者が複数。偶然ではない」
静かな声に、同席していた枢機卿ハーランが顔をしかめる。
「……自覚もなく、現象を起こすなど……教会の秩序を脅かす」
だが若手のルメルのまなざしは、どこか思慮深かった。
「むしろ問題は、彼女が自らそれを望んでいないという点です。暴発か、覚醒か……いずれにしても、備えが必要かと思われます。聖女の奇跡を認定し管理すべきかと」
カティスは大理石の円卓に書類を叩きつけるように置く。そして懐に忍び込ませてある書簡を衣服の上から握りつぶした。
一方、王宮では、ジークとルキウスが揃って、報告書を手に王の執務室を訪れていた。
部屋の窓からは秋の柔らかな陽ざしが差し込んでいたが、ジークの眉間は曇ったままだった。
「……真実であるか」
眼差しに宿る叡智は、齢を重ねて深いものとなっている。
王の短い言葉に、ジークは静かに膝をおる。
「塔に詰めている者達は、全員同様の証言をしております」
報告書の最後には、ひとりの神官がこっそり添えた一文があった。
『あの空間は、聖堂よりもずっと神秘的でした』
「本人の意図に寄らぬ、奇跡と神秘か」
王は椅子から立ち上がり、窓辺に向かって深く息をついた。
「神の力とは本来、制御できるものではない。だがこの国の秩序は、それを制御された信仰として保ち偽ってきた」
ルキウスが、眼鏡越しに鋭さを浮かばせ、声を潜ませる。
「教会側も、これ以上秘匿し続けるのは難しくなっているかと思われます」
「制御不能な存在だと思うか、あの子は」
王がふり返らぬまま、声を落とす。
ジークはその場に控えたまま、一瞬躊躇し、かぶりを振った。
「個人的所感を申し上げますと、対話する事は可能かと……彼女もまた、悪人ではありません」
心を閉ざしたリオという少女の器に入った、理央という女性、を信頼するという宣言は、彼の立場では到底許されない。だが、最早、彼女がただの偶像でないことも、ジークにはわかっていた。その力が、世界を変える兆しなのか。それとも、破壊をもたらす導火線なのか。まだ、その答えは出なかったけれども。
★
塔の見張りが強化されたのは、その夕刻前だった。
ジークは、塔の周囲に新たな配置を命じ、常時四人の近衛を常駐させる。塔の出入り口には、顔ぶれの異なる騎士たち。下級神官が交代するたびに記録が残され、事務方との連携も強化された。
「物々しいったら」
塔の階段を下りてきた理央が、踊り場にある小さな窓から外を眺めてつぶやいた。
「まるで囚人扱いね、これじゃ。どうやって脱出できるのかな。一服盛るしか……」
「自覚がある分、たちが悪い」
背後から低い声が響く。
振り返ると、そこには彼女の護衛兼監視役の騎士、ジークが腕を組んで立っていた。
「またあなただけ? 最近、やたら来るわね」
「お前の奇跡ならぬ奇行に巻き込まれる部下は気の毒だからな」
「はあ? あれは意図してやったわけじゃないし、そもそも私が何したっていうのよ」
「力を暴走させた」
「言いがかりでしょ!? あれは、あくまで……感応! しただけで……って、あーもう!」
理央は髪をかき上げ、ぷいと顔を背けた。
「別にいいわよ。もう慣れたし。これだけ囲まれてれば、安全っちゃ安全だし」
「安全……? お前、狙われている自覚あるのか?」
「だって見守ってるんでしょう私の事?」
「……ああ。聖女の保護は、王命だからな。仕方なく、だ」
「ふうん……じゃあ、もう少し優しくしてくれてもいいと思うんだけど」
「無理だな。慣れると調子に乗るだろう」
辛辣な言葉に理央はむっと口を噤む。
「ほら見ろ。図星だと黙る」
石造りの階段に、いつもの喧嘩じみた会話がこだまする。
けれどそのやり取りの裏に、芽吹きつつある感情を、二人だけがまだ、気づいていなかった。
午後になって少し天候が荒れ始めた。
ルキウスは、片側に流した長い黒髪が風で煽られぬよう片手で押さえながら、塔下に広がる花畑を眺め、それから教会の本堂へと続く渡り廊下へ目を向ける。彼はジークの命により交代勤務の管理と記録精査を担当していた。
「……また彼女が何か起こすとすれば、そう日が経たないうちでしょうね」
「それ、期待して言ってます?」
背後からひょいと顔を出したのは、レオだ。鳶色の瞳がいたずらっぽく光る。
「少しは緊張感を持て。ここは王都随一の重要警備区画だ」
「わかってますって。けど、聖女様って聖女って感じしないんだよなあ」
「表現が雑だ」
「でも的確でしょ? たまーにだけど、ジーク様が言い負かされかけてるとこ、俺、目撃しましたよ」
「……黙って業務に集中しろ。記録に書くぞ」
「え、やだ。俺の報告書だけまた矛盾が出ちゃうじゃないですか」
そんな軽口を叩きながらも、レオの視線は塔の窓に注がれていた。
「……でも、真面目な話すると」
「?」
「なんか、今のあの聖女様、寂しそうに見えるときあるんすよ。ほんとに普通の女の子って感じですし」
ルキウスは一瞬だけ視線を横に逸らした。
だが、それには何も答えず、静かに記録用の札を手に取った。
「……私情は挟むな。だが、目は離すな」
「ジーク様と同じこと言ってるじゃないですか」
「それが副官の仕事だ」
冷たくもどこか柔らかいルキウスの口調に、レオは小さく笑った。




