ep.20 器と魂の行方
「ジーク・オベールレヒトだ。入るぞ」
その名を聞いた瞬間、理央の心臓が跳ねた。
「……どうぞ」
扉が開き、整った制服姿のジークが姿を見せる。
相変わらず感情を抑えた表情のままだが、若干目の下にはクマができていた。
「根を上げているかと思ったが」
「そっちも憔悴してるように見えるけど、気のせい?」
「余計なお世話だ」
ジークは無遠慮に椅子を引いて腰を下ろす。
けれど、その態度の奥にあるものを、理央はもう気が付いている。
「これは私的な面会?」
「公的な立場から言えば、確認と報告。私的には……そうだな、聖女殿の顔を見たかった」
「な、に言ってるの」
唐突な言葉に思わず動揺して、テーブルの上に置いていた祈祷記録の一冊が床へと落ちる。
理央が拾い上げる間もなく、それはジークの手に収まり、彼はそのまま頁をめくり始めた。
「――その子、に定期的に面会してたのって、あなた?」
珍しく消え入るような声に、ジークは片眉を跳ね上げた。
そしてじっと理央を見つめる。
やがて一度目を伏せたのち、首肯した。
「そうだ」
「信託の儀って何? 聖なる裁きはどうなるの? 私ずっとここに居るの?」
あふれ出てくる疑問はそのままに、言葉として床に落ちる。
「それについて話し合っている所――違うな、説得している所か」
「なにそれ、全然わかんないんだけど」
「聖女殿は、何と考えている?」
反対に、問われ言葉に詰まる。
沈黙が下り、理央はじっとジークの手元にあるリオの祈祷記録へと指を伸ばす。
なんの抵抗も無く、古びた冊子は戻ってきた。ゆっくりと頁を捲ると、少女の描いた飾り文字が出てくる。
「ぎんいろのおにいさん、こわい。だって――小さな女の子脅しちゃだめじゃない」
「脅しなどはしていない、ただ、様子を伝えるのが任務だったからな」
「えらい人におこられた。いつもおこられる。がっかりされる。きらいなものは、ありません。わがままは、いいません。よるは一人で寝れます。かえりたい。またぎんいろのおにいさんに会った。こっそりおかしもらった」
「もう、止せ」
静かな瞳の中に僅かに苛立ちを滲ませ、ジークは小さく息を吐いた。
「君は、賢いだろう。ある程度察しも付いているのでは」
「そうね……過去の……記録はできる範囲で確認したわ。……初代聖女は光と共に世界に顕現し、初代王と共に、この国を造った。創世神話にはよくある感じの話。フォリフォンヌ公国が滅亡して大陸中に戦火が飛び火してフォリフォンヌ王国が誕生して、それから聖教会という信仰宗教が興った。この辺も普通よね」
「信託の儀について詳細は、不明。それについて調査するのが俺の任務だった。それから、聖女リオ・アリミヌエの護衛と……監視」
「そしたらやっぱり上級神官落とさないとだめね。お金からめばカティスあたりは動きそうだけど」
「カティス枢機卿はムールブルク侯爵派だから難しい」
「それって面倒な人なの?」
「王太子妃の生家だ」
「なるほど……」
深く思考するように肩肘をたててそこに頬を乗せた理央を見て、ジークは「なんというか、強いな――聖女殿は」と言葉を漏らした。
「強い、のかなあ。強くあらねばとかは思ってないけど、負けたくないの。そもそもこの世界に来てから、死についてこれでもかって思い知らされてきたのよね。今日まで」
「この世界に来てから」
思わず失言した理央は、一瞬唖然としたように口元を抑え、それからくすくすと笑いだす。
控えていたアスランが心配そうな視線を寄越してくる。
「そう、この世界に来てから。私は、リオ・アリミヌエっていう女の子の体の中になぜか知らないけど、気が付いたら入っちゃってたの。頭おかしい女だと思う?」
「……いや」
「あの収穫祭での光。あれって誰の力? この身体の持ち主? それとも私?」
「恐らく、どちらでもない」
ジークの答えは即答だった。
「君があの場で、祈り、声を上げた。その結果、現象が起きた。それがすべてだ。当代聖女リオ・アリミヌエの力だ」
「ずいぶん、強引な理屈ね」
「君にだけは言われたくないな。理屈より合理的に判断する主義だろう」
「……それは、まあ否定できないけど」
ジークは、椅子に深く腰を沈めた。
「聖女――いや、何と呼べば……信託の儀とは、儀式の名だけを借りた、禁忌の術だ。人間の魂に触れる魔術は、この国の法で禁じられている。国法とは、この国に存在するすべての人間に対して遵守されなければいけない」
突然の告白に、理央の目が揺れた。
「どうして、私に話すの」
「お前の目に諦めない意志があるからだ」
「……それ、褒めてるつもり?」
「違うな。俺はあの日まで、聖女という器として見ていた。だが今は違う」
ジークの言葉は明確で、遠回しの感情表現ではない。だが、それが返って理央の胸を刺す。
「ありがとう、って言っておくわ。ちなみに、私の本当の名前も理央。そういうのも関係あるのかな。相性みたいな感じで」
後ろで控えていたルキウスが、静かに近づいてきた。
「ジーク、予定の時間です」
ジークは理央の言葉には何も返さず静かに席を立った。
「君の中に少女の記憶はあるのか」
その問いに、理央は一瞬、戸惑ったが、はっきりと答えた。
「いいえ」
ジークはというと、小さく首肯した後、騎士の礼をとり、静かに扉を閉じた。
残された理央は古びた冊子の頁を捲る。
祈祷記録の片隅、幼い文字の一文が目にとまった。
『今日も、おはなししてくれた。ジークさん』
その文字に指を這わせ、理央はそっと目を閉じた。




