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ep.19 引きこもりという名の幽閉

 何万もの人々が、その奇跡を見上げていた。

 誰かが「神が降りた」と呟いた。

 誰かが「聖女は本物だ」と泣いた。

 その瞬間、聖女リオ・アリミヌエという存在は、確かに、奇跡を起こす者へと変貌を遂げた。


◇◇◇


 窓のない石造りの一室に、静寂だけが満ちていた。

 最低限の寝具、そして鉄扉で守られた収監施設というべきだろうか。


「……まぁ、完全個室引きこもりっていう名の、幽閉ってとこね」


 理央は、テーブルに頬杖をつきながら、誰に聞かせるでもなくぼやいた。

 収穫祭から早くも一週間が過ぎようとしていた。


 あの神秘の光が広場を包み、民衆が奇跡を目にしてからというもの、教会内は沈黙と混乱に包まれていた。

 外部からの来訪者は固く制限され、聖女の身の回りの世話をしていた部屋付き侍女の三人も、ジークさえも現れなくなった。


「……どうしようかな」


 ぽつりと呟くと、部屋にひとり、声が響いた。

 ジーク・オベールレヒト。護衛騎士であり、監視者であり、聖女の中に個を見ようとした存在。

 彼が来ない理由は、なんとなくだが想像がつく。

 この聖女の処遇に関して。おおかた王政側と教会側で揉めているのだろう。


「教会は私を閉じ込めておきたい。王家のほうはなんなんだろな……リオの記録もうちょっとちゃんと読み込まないと判らないな。ただの少女を消したいって、ものすごい情念感じる」


 顔も見せないって、ちょっと冷たくない?

 そんなことを考えていたその時――。


 扉が軽く叩かれた。続いて、軋むような音を立てて扉が開き、ひょいと誰かが顔をのぞかせた。

「……失礼します、聖女様。僕が今日から警護任務を兼ねることになりまして」


 髪を無造作にかき上げ、笑みを浮かべた青年だった。やや軽い印象のその青年は、腰の聖印と、質素な衣から下級神官であることがすぐにわかる。


「アスラン、貴方が、護衛を?」

「うん、正確には付き添い役ってやつです。僕みたいな末席神官なら、動向を監視するって意味でも使いやすいって思われたんでしょうね」


 理央が思わず苦笑する。


「ずいぶん素直ね」

「いえいえ、僕、もともと聖女様を――いえ、今のあなたを崇拝したいんです」

「……理由を聞いてもいいかしら?」


 アスランは笑顔のままなんてことのないように答えた。


「収穫祭のあの光を見たんですよ。偽物ならあんなことができるわけないって思った。それだけです。たとえ貴方がリオ・アリミヌエを名乗らず、ハラダリオニホンジンだと名乗っても」


 シンプルな答えだったが、アスランの言葉は理央の胸に素直に入って来る。


「ハラダリオニホンジンってなんか斬新な響きすぎない? てかよく覚えられたわね」


 理央はくすくすと笑う。あの日、理央の祈祷記録の手記を見つけた時の独り言。アスランは一言一句違わず覚えていたようだ。


「斬新ですね。それから、業務改革。すごく新鮮で面白かった。最初は何でこんな事って思っていたんですけど」


 言いながら、アスランが懐から封筒を取り出した。


「それと、これは護衛殿から預かってきたものです」

「……ジーク?」

「はい、近衛騎士のジーク・オベールレヒト殿」


 理央は封を切り、手紙を広げた。


「……なんか、あの人が書きそうな感じ。手紙っていうかメモ?」


 思わず口をついた感想に、アスランが小さく笑った。


「そうそう、あともう一人。これから聖女様の護衛に加わる方がいます。ジーク殿の副官で、ルキウスっていう方です」


 扉の外で、控えていたその人物が静かに姿を現した。

 長い黒髪を片側で縛り、理知的な眼鏡の奥に冷静な光を宿す男。


「リオ様、はじめまして。ルキウス・ミュラーです。第二近衛騎士隊副官として、聖女殿の動向を補佐いたします。以後、お見知りおきを」


 きっちりとした言葉遣いと礼儀。軍人というよりも、銀行員ぽい空気をまとっている。


「ふたりも護衛がつくなんて、なんだか大げさね」

「ええ、それだけ聖女様が重要視されてるということですよ」


 ルキウスがそう言いながら、ちらりと理央を見た。


「それに、三人目です。俺、レオっていいます」


 今度は扉の脇から、鳶色の癖毛を跳ねさせた青年が顔を出した。


「ジーク隊長の部下で、下っ端ですけど、意外と動けますんで」


 気の抜けた笑顔に、理央は思わず吹き出した。


「近衛って暇なの? 二人も抜けて大丈夫?」

「今までは、ジーク様の方が一週間くらい顔出さないことザラでしたし。めちゃくちゃ仕事溜まってるんですよ、あれでも」

 レオの言葉に「ある意味で、お灸ですね」とルキウスが続ける。


 塔の奥まった、風が通らないこの場所にも、少しずつ空気が変わり始めていた。


「……よろしくね、みんな」


◇◇◇


 石造りの静かな塔の中、時間だけが粛々と流れていた。

 幽閉という名の隔離生活も、九日目を迎えている。

 

 理央は今日も、アスランに頼んで運び込んでもらった古い記録に目を通していた。

 そこには、かつてのこの身体の持ち主であったであろう少女の手による祈祷記録が綴られている。

 筆跡はところどころ幼く、そして時折、花の絵や飾り文字が添えられていた。


「かわいい」


 飾り文字を指でなぞって、理央は微笑んだ。

 アスランに探してもらったところ、リオの残した祈祷記録は全部で三冊あった。

 そういえば、収穫祭前から、あまりにも忙しくてずっと祈祷受付に立っていない。自分が抜けてしまってもうまく回っているのだろうか。


「聖女様は神秘の研鑽の為、精進潔斎しているとのことで、皆、納得してますよ」

「精進潔斎ねえ……食べて寝て食べて寝ての繰り返しなんだけど、太るんじゃないの」

「もう少しふっくらされても問題ないかと思いますよ。僕は」

「エイラとセイラとカナンは?」


 部屋付きの侍女たちの名前をあげると、アスランが少し表情を曇らせる。

「セイラ嬢は実家に戻られました。カナンさんも元の場所に。エイラさんは消息不明です」

「事件?」

「いえ、事件性はありません。元々こちら側の人間なんで」


 横からルキウスが口を挟んでくる。

 そんなネタバレのような事を、自分に話していいのだろうか。ルキウスとの会話は未だに掴めない。ジークともどことなく似た対応をするのだが、冷たさの種類が違う。


 外に出ていたルキウスとレオは、ちょうどのタイミングで幽閉部屋に戻ってきたようだ。レオの手には冷めきった昼食が乗せられたトレイがある。冷えた分厚いステーキが見える。肉食禁止はいったいどこに。まさか本当にぶくぶく太らせてその扉から出られないようにする気だったらどうしようか、などと内心で呟きつつ、肉の切れ端にフォークを突き立てた。


「また、量が多いって……言ったのに」

「余ったら俺が食べるんで大丈夫ですよ! 任せてください」


 レオの軽口にルキウスが青年の額を小突く。


「それよりも、我が親愛なる近衛第二隊の筆頭殿ですが……」


 ルキウスが手にしていた書類に目を落としながら、眼鏡のフレームに触れた。


「今晩は、こちらに顔を出せるようです」

「え、あの量もう捌いたんですか……すげえ……流石。え、じゃあ俺今日デートいけちゃう……」


 レオの言葉にはわりと裏表が無く、どちらかというと理央としては好ましく思っている。


「フローラさん?」

「そうっす。聖女様の祈祷受けたいっていっつもいってますよ」

「祈祷って……私は普通にお話したい感じだけど。このとこ男所帯でなんかむさくるしい。窓も小さいし換気がね……」

「風呂入ってから来てますよ!?」

「別にレオが臭いって話をしてるわけじゃないんだけど。見た目に花が無くて、壁と自分よりでかい体の男ばかりで圧迫感あるっていうか。外出たい」

「すいません、外出せなくて」


 アスランが何かを書きつけていた手を止め、小さな声で謝る。


「別にアスランが悪いわけじゃないでしょ」


 何が悪い。体制が悪い。聖女制度というゆがんだ仕組みが悪い。

 そして教会という名の元に、人間に対して行われてきた非道な行為が、何よりも悪いのだ。




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