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ep.17 変化と予兆

 月が中天にさしかかり、雲の影へと光を滲ませていく。


 書庫の一室で、理央はまたお悩み箱の投書をひとつひとつ丁寧に読み込んでいた。  

 信頼の芽が、確かに育ちつつある。

 その一方で、奇妙な不協和音も混じってきている。


『聖女様は、以前と別人のようです。どちらが本物なのでしょう』

『最近の聖女様は、やりすぎだと感じます。どうかご無理をなさらないよう』

『……正直、変化が怖いのです』


 どれもが偽らざる声。  

 自分が演じる仮面が、時に周囲に恐れを与えていることも、彼女は理解していた。

 けれど──


「意思を持って動くって、こんなにも怖がられるのね」


 苦笑が漏れた。

 

 誰何の声も無く、扉が開く。


「勝手に入らないで。うら若き乙女の部屋なんだけど」

「うら若き乙女が書庫で夜な夜な手紙を読み漁るか?」

「それはそう……だけど」


 ジークは机の上の手紙を一瞥し、静かに言った。


「迷っているな」

「迷ってない」

「嘘だ。先ほどの目は、信頼と疑念のあいだを彷徨っていた」

「……そういうとこ、嫌い」

「しかし、見抜く者は必要だ。たとえば、演技と本音の境界を定めるために」


 理央はまっすぐに彼を見上げた。


「ジークは信託の儀の目的、知っているの?」


 氷蒼の瞳は、ただ静かに理央へと注がれる。


「俺の任務は、聖女の護衛と監視」

「護衛って、護る価値があると判断された場合に限る、でしょ?」

「そうだ。だからこそ今も判断し続けている」


 彼の目は、まっすぐに彼女を見ていた。


「今のリオ・アリミヌエが、何を信じ、何を守ろうとしているのか。その本質に」

「……ずるいな、それ」

「お前も、充分ずるいのでは」


 二人の距離が、ふと近づいた。  

 空気が張りつめ、触れれば壊れそうな緊張が漂う。

 だが、そこで理央がふっと笑った。


「じゃあ、見せてあげる。私が私であるってこと」

「どうやって?」


「──次は教会の接待予算を半分に削減する提案を出すわ」


 ジークは一瞬絶句し、それから眉をぴくりと動かす。


「……敵が増えるぞ」

「味方も、ね」


 ──この聖女は、異物かもしれない。  

 ──だが、それは本当に排除して良いものなのだろうか。


 むしろ、世界の方が変わる時を迎えているのかもしれない。という願望。

 そして、ジーク自身も。  

 その変化には既に抗う気はなかったが、王の僕である彼に、出来ることは少ない。


◇◇◇


 その夜、理央を聖女の間に送り届け、部屋付きの侍女に引き渡した後、教会から離れる。行先は王宮の西門に位置する、近衛騎士団本部だ。本来の彼が根城としている場所である。


 近衛騎士団の本来の役割は君主の身辺警護を主な任務とする精鋭部隊。平生は君主を始めとする王族の警備や警護を行い、有事には儀仗や勅命による任務にあたっていた。


 聖女の監視と警護を任じられて以降も、二日に一度は立ち寄るようにしていたのだが、それもだんだん疎かになり、三日に一度、五日に一度へとかわり、ついに本日で七日留守にしていた。


 深夜を大きく過ぎたころに、ジークは与えられている執務室へと顔を覗かす。

 副官のルキウスが、久方ぶりに目にした主に向かって、狐のように目を細めると、慇懃な態度で腰を折った。


「随分と、優雅な時間に出勤されましたな」


 ジークは副官に向かって鷹揚に頷いた後、執務机の上に積み上げられた書類の山に内心でため息を吐いた。


「色々と、立て込んでいてな」

「おっとジーク様お久しぶりです! お疲れの所、申し訳ないんすけど、こちらの裁可優先してください」


 鳶色の瞳に癖毛の青年が、隣室から顔を覗かせる。


「レオ、今日の夜間警備はお前が担当か」

「今日というか今週は全部俺っす。特別手当出るし、再来週は収穫祭ですからね~フローラに特別な贈り物予定してるんで、なるべく稼いでおきたいんすよ」

「そうか、再来週だったか……」


 すっかり聖女の護衛兼監視の任で、年間行事がジークの頭から抜けていた。


「ええ、再来週なんです」


 銀縁の眼鏡の縁に細長い指をかけ、ルキウスが念を押すように復唱する。


 フォリフォンヌ王国において、最も華やかで、最も政治的緊張が走る日――それが、年に一度の収穫祭である。


 この祭りは元来、五穀豊穣を神に感謝するための宗教行事であった。

 だが、今では王権の正統性を国民に知らしめる、極めて政治的なショーでもある。


 王家主導の神事として行われるため、聖教会での儀式は一切挟まれない。

 舞台となるのは、王都リシャールの中心部、白石で造られた巨大な儀礼用広場。幾何学文様が彫り込まれた石畳の上を、行列が練り歩く。


 列の先頭には、騎士団と近衛兵たち。続いて、現王と王族たちが金装束をまとい進む。教皇と枢機卿、上級神官がその後に控え、聖女は、最奥の神輿に乗るかたちで、祭の終盤に姿を現す。


 この日ばかりは、聖女という存在もまた国の祭祀を担う顔として、民衆の前に姿を晒す。

 日頃は教会に引き籠っている聖女が、広場に立つのだ。

 祭りの終盤、広場の中央に設けられた円壇の上、神官たちの荘厳な詠唱に続き、聖女が祈りの歌を捧げる。


 歌は、神託の言葉を模した古語によるもので、ほとんどが定型詩のように伝承されている。加えて聖女は、舞ではないが、所作――ゆるやかで優美な身振りをともなう儀礼動作を行うのが通例だった。


 それは、誰もが神の存在を信じるという演出であり、また、王家が聖教会含むこの国の民衆すべてを統べる象徴でもあった。


 だが――その年の収穫祭は、歴史に残るものとなる。


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