ep.14 業務改革第三歩め ~お悩み箱設置と金ピカカバー
翌朝、大聖堂で行われる朝礼はいつもより静かだった。
聖女の登場に、誰もが自然と頭を垂れる。だがその視線の奥に宿るのは、敬意とも畏れとも違う、何か。
理央はそれを正面から受け止めていた。
俯かず、目を逸らさず、堂々とした足取りで演壇に立つ。
「えー、本日より、聖堂食堂の昼食メニューを三種類から選べるようにします。低糖質・高たんぱく・満腹仕様。ご希望があれば調査票で対応可能です」
ざわり、と神官たちの間にざわめきが走る。
多くが戸惑いの表情を見せるが、中には僅かに笑みを浮かべる者もいた。
「ついでに、礼拝堂の祭壇の金装飾は一時的に布で覆います。――視覚的な集中力を妨げるとご意見を頂いたので」
一部の者から鋭い視線が理央に突き刺さる。
だが彼女は、意に介さずこほんと咳払いをし、続けた。
「我々は信仰を形で飾るのではなく、行動で示すべきです。……以上、聖女より定期報告とさせていただきます!」
頭を下げる彼女の姿に、誰かが小さく拍手をした。
それは侍女の一人。気づけば、下級神官の数人が続く。そしてまた、数人。
ジークはその様子を礼拝堂の柱の影から無言で見守っていた。
「皆の反応はどうだったか?」
朝礼後、回廊を歩く理央にジークが声をかけた。
「いや、変な聖女を演じろって言ったの、あなたでしょ」
「演じていたのか?」
「演説はしたわね」
理央は肩をすくめて言う。
ジークは、彼女の疲れた足取りを横目に見ながら、淡々と告げる。
「それでも、枢機卿達に比べれば聖職者らしかったな」
理央の足が一瞬止まる。
ジークは振り返らず、そのまま歩を進めた。
「……褒め言葉として受け取っておく」
ぽつりと呟いて、理央も歩き出す。
ジークの踏み出す一歩は、足のリーチが長くて大きい。
パタパタと小走りになる理央のたてる気配に、ジークは僅かに口角をあげる。
◇◇◇
その日の午後。
教会の一室に、枢機卿のカティスが集めた会議が開かれていた。
「──聖女殿の変化は、最早静観できますまい」
「そもそも、かの方は以前まで祈祷の言葉すら間違えるような……」
「御魂おろしの器としては不適合だったのでは……?」
慎重かつ迂遠な物言いの裏に、確かな猜疑心が滲む。
アリミヌエ聖教会四大枢機卿の一人、ラフィエルは枯れ枝の様な指を組みながら、ゆるやかに首を振った。
「神が下された試練である可能性も否定できません。――まだ早いでしょう。だが、泳がせすぎても危ういかと。教皇猊下のお耳に入る前に、我々も決断せねばなりませんな」
口では穏やかに言いながら、彼の目は鋭く光っていた。
◇◇◇
礼拝堂の中央通路には、理央がふとした思いつきで設置したお悩み箱が堂々と置かれた。
ちなみに、倉庫で見つけた空き樽を再利用したものだ。
セイラとカナンが装飾を手伝ってくれた。エイラはお悩み箱が完成するまで、何も口を出さず見ていたが、完成した直後には、頬まで絵具まみれとなった理央を浴室に追い立てた。
「聖女に言いたいことがあれば何でもどうぞ! 匿名でも承ります!」
神官や侍女たちは最初こそ遠巻きに眺めている。
だが通路を通りがかる隙に、紙が一枚、また一枚と投函されていく。
その傍らで、アスランはジークに耳打ちした。
「この奇妙な演出は……おそらく、あの文書を書いた者にも見せているのですね?」
「当たり前だ。教会側の仮説が総意となる前に、こちらから仕掛ける」
「仮説と言いますと……聖女が異質でも構わない、と思わせるということでしょうか……」
「いや……異質であるなら、教会は間違いなく囲い込む」
ジークの目は鋭く、だがその奥には、明確な意思があった。
──護るとは、真実を隠すことではない。
──真実ごと、立たせることだ。
「……で、これはどういう意図なんだろ」
聖女の間に、奇妙な荷物が届いていた。
籠いっぱいの果物、上等な布地、香油、小箱に入った手紙。
「今後も変わらぬ聖女でいてくださいますよう……って、賄賂の気配しませんか?」
アスランが肩をすくめて言う。
「もしくは、様子見だな」
ジークが静かに言う。
「裏で見ている連中が、試しているのだろう。密やかに献上された品を、聖女は懐にしまい込むのか、突っぱねるのか」
「……教会法に不正な利益供与の強要罪ってあったっけ」
理央はそう呟きつつ、手紙の入った小箱を閉じた。
「全部、厨房に持って行って。果物は皆で食べて。香油は洗濯に混ぜたら香りが良くなるわよ」
「了解しました」
アスランが笑って頷く。
ジークは彼の様子をちらりと見た。
「お前も、最近よく笑うようになったな」
「聖女様が、面白い方なので」
さらりと返され、ジークは小さく息を吐いた。
◇◇◇
理央は、投函された手紙の束を読んでいた。
『朝の挨拶、聖女様から言ってくださって嬉しいです』
『食事の量が増えて助かってます』
『でも、話し方がちょっと怖い……かも?』
「ふふ……」
無理してないつもりでも、やっぱりちょっと、怖かったのかもしれない。
そんな自分にも、思わず苦笑が漏れる。
だが、そこに差し込まれた一通の紙片が、彼女の指を止めた。
『貴女は誰ですか』
一行だけの言葉。
無記名のその問いに、理央はしばらく視線を落とし、それからぽつりと呟いた。
「それ、こっちが聞きたいくらいなんだけど」
静寂の中、遠くで誰かの足音が聞こえた。
気配を察知して顔を上げると、そこにはいつもの無愛想な男が立っていた。
「……来たの、ジーク」
「新たな投書があったか?」
「うん、いくつかね。励ましも、文句も」
「全部読むのか」
「もちろん」
理央は一枚の紙を取り出し、声に出して読んだ。
「聖女様の声を聞いて初めて、本当にこの教会に信ずるに値する人がいると思えた……って。なんか、泣きそう」
ジークは黙って彼女の横に腰を下ろす。
「聖女は……誰かの希望になっている。だから、余計に狙われる」
「だから、護衛が必要ってこと?」
「……ああ」
短く応じたジークの声は、いつになく柔らかかった。
「ねえ、ジーク」
「なんだ」
「もし、私が……」
沈黙。理央は自嘲するように笑う。
「あなた、どうせ王政側から送り込まれた間諜みたいなもんでしょだったら──」
「その時は」
言葉が遮られる。ジークは彼女をじっと見た。
「命令で護るのは、ここまでとする」
「ですよね~」
「以降は、気分次第だな」
理央は目を見開いた。
だがすぐに、そっと目を伏せる。
「……その言葉、信じていいのか迷う」
「迷っているうちは、信じなくていい。だが、忘れるな」
夜風が、窓から吹き込む。
その風の中で、理央は小さく笑った。
「ふふ。ずいぶん甘くなったのね、ジーク」
教会内部でさえ、身分制度の柵でがちがちに縛られている。
ジークの言葉に偽りが無かったとしても、彼が命令に背くことは出来ないであろう。
「でも、甘やかされるのは、嫌いじゃない」
仄かな月光の下、ふたりの影が並ぶ。
見上げる月の色は、真珠色をしている。