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ep.12 業務改革第二歩め ~評価制度

 理央が主導する祈祷受付の効率化は順調だった。

 一方で、彼女が教会内の書庫や書架に頻繁に足を運び、過去十年以上も遡って古い帳簿を調べているという話も、一部の神官たちの間で囁かれ始めていた。


 祈祷室での業務を終え、部屋に戻ろうとした理央の前に、太った神官が立ちはだかった。先日、理央に処刑を告げた張本人。枢機卿の一人カティスである。


「聖女殿。近頃、少々、行き過ぎた行動が見受けられるようですな」


 カティスの顔には、今まで見せたことのない明確な不快感が浮かんでいた。

 彼らの利権に、理央の行動が触れ始めている証拠だった。


「 私は、民のために尽くしているだけですが。まさか、聖女が勤勉に働くことが、この教会では行き過ぎた行動になるのでしょうか?」


 理央は、あえてにこやかに応じた。

 隣に立つジークが、無言のままカティスを見下ろしていた。

 その威圧感に、一瞬ひるんだ様子を見せたが、カティスはすぐに気を取り直した。


「聖女の務めは、祈祷を通じて神の御心を示すこと。帳簿の整理など、俗事に過ぎぬ。陛下も、貴殿の過度な活動を憂慮しておられますぞ」


 その言葉に、ジークの目が氷のように冷たくなった。


「あら、そう。陛下がご心配されているなら、光栄です。しかし、俗事なくして民の生活は成り立ちません。民が困窮していれば、心から神に祈ることもできないでしょう。それに、もし帳簿に不審な点があるのなら、それこそ神への冒涜ではないの? 監査は、義務でもあると思うのだけど?」


 理央の言葉に、カティスの顔色が変わった。

 監査という言葉に、彼らが最も触れられたくない部分が露呈したのだ。


「な、何を馬鹿な! 聖教会の会計は神に誓って清廉潔白!」


「黙れ」


 ジークの低い声が、響き渡った。

 その声には、凍てつくような怒気が含まれていた。カティスはその圧力に言葉を詰まらせ、たじろぐ。


「貴殿のような者が、陛下の名を用いるな。浅ましい行いが、どれほど神の威光を傷つけているか、理解しているのか」


 ジークの言葉は、痛烈な批判だった。

 彼は今、監視役ではなく、護衛として理央の側に立って教会を糾弾したのだ。

 その様子に、理央の唇の端が、微かに持ち上がった。


 カティスは、顔を真っ赤にして引き下がった。

 彼が去った後、ジークは理央に視線を戻す。

 彼の表情は、相変わらず読めなかったが、その瞳の奥には、何かが宿っていた。


「……この状況は、予測される以上に複雑だな」


 彼はそう言い切ると、理央に背を向け、静かに部屋を出て行く。

 残された理央は、彼の言葉に驚きながらも、確かな手応えを感じていた。


 ――リオ・アリミヌエに、別の魂が定着している可能性に関して。

 

 足早に回廊を行く壮年の枢機卿は、書類の束を乱雑に抱え、教皇の間へと向かっていた。

 重たい金色の扉を開くと、最奥には髪もひげも床まで届くような長さの小柄な老人が、金塊を積み上げながらワインを口に運んでいた。陽はまだ高い時刻だが、分厚いカーテンが下ろされ、濃密な香が纏わりつくように流れて来る。


「おおカティスか。一緒にどうだ」


 退廃を極めたような堕落した光景に、カティスと呼ばれた神官は、手もみをしながら聖教会における最高位に付く人物にすりよった。


「我が君。シーリィーゼ猊下。それはとてもありがたいお言葉。ですが、リオ・アリミヌエの変化は、単なる器の不安定性では無いように感じます。奴は明確に、こちらの不正を突いてきているのです」

「……なにやらワシの耳にも届いてはおるが、近頃はこうして寄進も増えているから、もう暫くの間は目溢ししておくがよかろう」

「しかも、護衛までもが協力している節がございます、ネズミのようにこそこそと嗅ぎまわっているのです」

「あれはオベールレヒト卿の子息だったか」


 国内における大貴族。オーベルレヒト侯爵の嫡男が、護衛の任務に就くなど聞いたことも無い。しかしかの青年は、今の聖女が()()()()()から、定期的に面会に来ていたのは確かだった。


 その事からも、件の聖女の出自が王家、もしくは王室に所縁のある存在であろうことに検討はついていたが、聖なる裁きによる裁定によって、成人の儀を迎える前に処刑されることは確定している。


 王政側から不要となるべく存在を、聖教会が再利用したとしても大して問題はあるまい。


 歴代の聖女で、信託の儀による魂卸が定着した例はただの一度だけ。

 確率論からいっても、いずれ亡き者とされる器の精神が崩壊したところで、彼らにとって害はない。むしろ反対に養ってやっているのだから、多少の実験は赦されて当然である。というのが、教会の頂点に立つ男の言である。


 教皇シーリィーゼはカティスから渡された書類に軽く目を通し、片肘をテーブルにつくとしばし考え込む。


「聖キヨイは、なにをされたのだったか」

「呪解でございます」

「ふうむ……呪解、復元、消滅。いずれも魔術では成すことの出来ぬ神秘の力よのう……」


 神の力を定着させることに成功した器には、神秘の力が顕現する可能性がある。

 もしそのような神秘が我が物となるのならば、己が治世の安定と享楽は想像に易い。

 だが、そのような神秘は寓話にも匹敵するように雲をつかむような話でもある。

 

「今しばらく泳がせ……万が一にでも神秘が発露でもすれば、身柄を幽閉せよ」


◇◇◇


 味方を増やしながら、順調に改革を進めていた理央は、ついに大きな壁にぶつかった。


 それは、帳簿の数字やシステムの効率化だけでは解決できない、神官や侍女達の心の奥底に根付いた問題だった。


 元来、彼らの士気は低く、仕事への無関心さが蔓延している。

 不正が横行し、努力が報われない環境で長年働いてきた結果、どうせ頑張っても無駄であるという諦めムードが、教会の空気全体を重くしている。


 いくら素晴らしいシステムを導入しても、それを動かす人間の意識が変わらなければ、真の改革は成し得ない。変革には人の心が最も重要なのだ。


「皆さんの仕事ぶりを正当に評価したいと思います。そしてその努力が報われるようにします」


 理央は、毅然とした態度で宣言した。


 まず神官や侍女、教会運営の末端とも呼べるべき一人ひとりの業務内容を明確化し、それぞれの役割と責任を再定義した。曖昧だった職務分担を明確にし、誰が何をすべきかを一覧表にまとめたのだ。


 次に、理央は目標設定と評価基準を導入した。これは、前世での、人事評価制度の概念を応用したものだ。


「これからは、どのような目標を持ち、それをどう達成していくかを明確にします。そして、その達成度に応じて、昇給や昇格の機会を設けます」


 例えば、


 ・祈祷受付での対応件数を何割程度増加させる

 ・信者からの苦情件数を何割削減する

 ・倉庫の物品紛失率を何割改善する


 といった具体的な数値目標を設定させた。


 目標達成に向けて努力すれば、それが正当に評価され、給与や役職に反映される仕組みだ。


 導入当初は戸惑う者も多い。

 今まで言われたことだけやっていればよかった。

 目標なんて立てたことがない。という声も聞かれた。


 しかし、理央は一人ひとりと丁寧に面談を行った。彼らの悩みを聞き、仕事に対する不満や、どうすればもっと良くなるかという潜在的なアイデアを引き出す。


 とある若い侍女は「毎日同じ作業の繰り返しで、何のために働いているのか分からなくなっていました」と打ち明けた。


 受付業務は、ただ紙を受け取るだけじゃない。

 祈りを求める人々の最初の窓口として、彼らに安心感を与えること。

 笑顔一つで、どれだけ心が救われるか、考えてみたことはあるのかを問う。そして、その侍女に、笑顔での応対回数という目標を設定させた。


 また、情報共有を密にするために、定期的な会議の場を設けた。

 毎週、各部署の代表者が集まり、その週の業務の進捗状況、成功事例、そして直面している課題を共有させる。


「対応部署でうまくいったことは、他の部署でも応用できる可能性があります。逆に、うまくいかなかったことの原因を共有することで、同じ失敗を繰り返さないための教訓になります。全員で知恵を出し合い、より良い環境にしていきましょう」


 最初はぎこちなかった会議も、理央が率先して発言し、活発な議論を促すことで、次第に風通しの良い場へと変化していった。部署を越えた連携も強化され、押し付け合っていた業務も、協力して解決する意識が芽生えた。


 さらに、理央はサンキューカードのような仕組みも導入した。


 業務を共にする者同士が、日頃の感謝や助け合いの気持ちをメッセージカードに書いて渡し合う、というものだ。


 若手の神官の一人が、理央の提出した業務改善案を読み「……この提案、悪くありませんな」と独りごちる。彼は古い慣習にうんざりしつつも、口をつぐんできた一人だった。


 些細なことでも感謝の気持ちが可視化されることで、職員間のコミュニケーションが活性化する。

 どうやらこのカード導入後に、ちょっとしたロマンスも生まれたらしい。 


 聖教会は神官の婚姻が認められている。また、花嫁修業を兼ねた、淑女の礼儀作法を学ぶ場としての働き口の一番人気は王宮侍女だが次点では教会侍女なのである。


 日常的な教会運営に対するモチベーションは目に見えて向上し、以前は惰性でこなされていた業務にも、活気が戻ってきた。彼らは、自分の仕事が正当に評価され、自分の努力が教会全体の改善に繋がっていることを実感できるようになったのだ。


 人間は誰しもが誰かに認められたい、役に立ちたい。という本質的な欲求を持っている。

 その欲求を刺激し、一人ひとりの潜在能力を引き出すことで、組織としての基盤を強固なものにしたのだ。


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