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ep.11 共同戦線

 帳簿の山と格闘しながら、理央はふと手を止めた。

 部屋の隅で、腕を組んだまま壁にもたれかかる男がいる。そう、いつもの光景。けれど、いつもと違うのは──彼の目が、帳簿ではなく、こちらに向けられていることだった。


「……黙って見られると、とっても作業しづらいのだけど?」


 軽く目線だけを向けて、皮肉めいた声を投げる。


「聖女殿の様子があまりに楽しげだったのでな。まるで祭でも始めるかのような顔だったぞ」


 ジークは無表情のまま、淡々と告げる。

 その目に浮かぶのは嘲笑か、あるいは──ほんの少しの興味。


「楽しげ? 自分の命がかかってるってのに、ずいぶんと能天気に見えるのね。もう少し悲壮感をだせばいいのかしら……」

「──聖女殿がその作業を面白いと感じているのは、確かだろう」


 理央は眉をひそめ、帳簿の端をトントンと叩いた。


「そうね……数字と向き合うのは嫌いじゃないわ。少なくとも、あなたと向き合うよりは」

「光栄だな。ここまで嫌われるとは」


 ジークは皮肉げに言い放ち、わざと机の真横に歩み寄ってくる。

 彼の影が書類を覆い、理央はわざとらしく溜め息をついた。


「あのね、距離感が、近いのよ。監視なら壁の花でもしてて」

「俺は花ではない。刃だ」

「……どうりで性格がトゲトゲしてるわけね」


 理央が睨むと、ジークの口元が僅かに持ち上がった。


「だが、聖女殿はその棘すらも躱す。なかなかの胆力だ。王の間にいるような貴族の令嬢たちよりよほど面白い」

「面白いで括るのはやめて。これは戦いなの。命令されるだけの人生じゃないのよ」

「命令に従う生き方も、時に戦いだ。だが──その命令を疑い始めている自分がいる。これは珍しい」


 その一言に、理央は一瞬だけ手を止めた。

 けれど、顔には出さず、書類を捲る手を再開する。


「あなたみたいな人が……葛藤するなんて、冗談でしょう。指示をただ飲み込んで、こなすだけの冷徹な人だと思っていたわ」

「冷徹に見えても、内側では葛藤することがある」

「そう」


 理央は呟きながら、机の端に積まれた未処理の書類に手を伸ばす。

 けれど、その束を取る寸前、ジークが無言で先にそれを拾い上げた。


「……何してるの」

「手が止まっていた。代わりに運んだだけだ」

「……それ、手伝う気なんて微塵もない言い方」

「当然だ。俺は監視役だ。共犯者にはならん」


 そう言いながらも、ジークは静かに書類を差し出す。

 理央がそれを受け取ろうとした瞬間、ふと指が触れ合った。


 一拍、間が空く。


 理央が顔を背け、わざとらしく咳払いする。


「えっと……邪魔しないでくれる?」

「そちらこそ。耳を赤くしておいて、俺のせいにされても困る」

「してないわよっ!」


 そのやり取りを、扉の隙間から見つめる影が一つあった。


 若い神官――名をアスランという。

 金髪碧眼の物腰柔らかな青年で、理央の業務改革を手伝っている数少ない下級神官の一人だ。


 彼はそっと呟いた。


「……あの方、本当に聖女様なのか?」

「ええ、私も、ちょっと心の中だけで突っ込んだことあるんですけど……お似合いですよね! 眼福!」

 

 部屋付き侍女のセイラは握りこぶしを作り胸のあたりでぐっとする。


 帳簿を眺める理央の真剣な眼差し。

 そして、その彼女に対して無遠慮に言葉を投げかける近衛騎士の姿。

 そのやり取りには、ただの監視と被監視という枠を超えた熱が見える様な気がする。

 実に絵になる。


「私、断然聖女派なんで、なんでも協力しますよ!」

 やけに鼻息の荒い聖女付き侍女に、アスランは同意しつつも苦笑し、それから真面目な顔をした。

「聖女殿が提案した業務改革案……これは、もっと広めるべきだ。腐った上層に潰される前に、動かねば」


 理央のあずかり知らぬところで、こちらでも共同戦線が密やかに張られているようだ。


 アスランは自室に戻ると筆を取り、静かに動き始めた。

 理央の名を伏せたまま、教会の末端を構成している神官や侍女たちに回すための覚書をしたためる。その筆致はどこまでも静かで、しかし熱を帯びていた。


◇◇◇


 夕刻、理央はひと仕事を終え、椅子にもたれて軽く伸びをした。

 その肩に、何かがかけられる。


「……えっ」


 驚いて振り返ると、そこには無言のジークがいた。

 彼がかけたのは、彼自身のマントだった。


「……なんのつもり?」

「朝から一度も休憩を取っていない。死人のような顔をされて、こちらの任務に差し支えても困る」

「心配するところ、そこ!?」


 マントを乱暴に引き剥がそうとするが、ジークは意に介さない。


「優しさ、とでも解釈したか?」

「するわけないでしょう!? あなたの辞書にその単語、あるの?」

「ない。だが、聖女殿の表情は予想外に悪くないという顔をしている。……そのほうが、監視する甲斐がある」


 ジークはそう言い残し、再び壁際に戻っていった。

 理央はその背中を見つめ、頬を軽く膨らませる。


「嫌味」


 そう、ぽつりと零したその口元が微かに緩んでいたことに、彼女自身も気づいていなかった。


◇◇◇


 教会内の空気が、また、少し変わった。

 理央が改革を推し進めるたび、教会職員の間ではさざ波のような反応が生まれる。

 驚き、困惑、そして戸惑い。だが、完全な拒絶ではない。

 

 かつて聖女様と呼ばれるだけで済んでいた存在が、実務をこなし、指示を出し、誰より早く礼拝堂に現 れ、遅くまで帳簿と向き合っているのだ。

 偽善でも気まぐれでもない。

 彼女の行動には、一貫した意志があった。


「……まったく。どうして僕がこんなことを」


 アスランは礼拝堂の隅で、理央の作った目標管理表を前に唸っていた。

 祈祷受付の整理、物品管理の見直し、業務内容の一覧作成……地味で退屈な作業に思えて、実は神官たちの心を静かに揺さぶっていた。


「僕たちも役に立っていい……そんな風に思わせる人だ」


 アスランはふと呟く。

 目の前で、理央が侍女たちに穏やかに声をかけていた。


 彼女の作る笑顔はまだどこか不器用で、威圧感も残っているのに、それでも人が集まる。

 不思議な人だ、と彼は思う。今や親聖女派は下級神官や侍女のみならず、中級神官の一部にも拡大を見せている。


 しかし、別の場所では、異なる空気が流れていた。




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