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ep.1 終焉と黎明

 ――人生、おわった……。


 網膜に焼き付く白き蛍光灯の残像は、次第に滲み、輪郭を失いつつあった。鼓膜を打ち続ける耳鳴りは、もはや現実の音とは乖離し、別次元からの響きのように感じられる。けたたましい社用スマートフォンの通知音も、遠い幻聴と化していた。


「……マネージャー! 原田マネージャー! ご無事ですか!」


 部下の焦燥に満ちた声が、かろうじて理央の意識を繋ぎ止める。しかし、その声すらも急速に遠のいていく。


 職場で倒れるなど、まさに社畜の末路である。自嘲にも似た思考が脳裏をよぎり、次の瞬間、彼女の意識は深くて遠い闇へと沈み込んだ。


◇◇◇


「……お目覚めになられましたか、聖女様」


 聞き慣れぬ女の声が、理央の覚醒を促した。

 身体を包む寝具の尋常ならざる柔らかさに、彼女は微かに眉を顰める。


 鉛のように重い瞼をゆっくりと持ち上げると、まず視界に飛び込んできたのは、精緻な彫刻が施された豪華な天蓋付きベッドであった。窓辺からは、荘厳な石造りの壁と、薄く光を透過させるレースのカーテンが確認できる。その光景は、半覚醒かつ胡乱な判断をもってしても、病院でもなければ自宅でも無かった。


「お加減はいかがでございますか? 昨晩は高熱を出されてひどくうなされておりましたので……」


 整然とまとめられた白髪、上品な装束を身につけた女性――おそらくは侍女らしき人物が、懸念の眼差しを理央に注ぐ。


「……待って、だれ? ここどこ」


 掠れた声は自分のものであるのにも関わらず、自分のものではないような気がする。


「リオ様、ご冗談を。ここはアリミヌエ聖教会聖女の間でございます」


 脳裏に浮かんだのは、完全なる理解不能の文字列であった。この不可解な口調、見慣れぬ服装、そしてこの部屋の様式――。ゴシックとロマネスクをごちゃ混ぜにしたような、いうなれば『■ーロッパ』的な。


 視界の端に映ったのは、金糸のように滑らかな長い髪。それは、彼女が知る自分の姿ではない。長年、企業の企画部に務め、無駄と非効率を忌み嫌いながら社内社外の人間関係を律してきた原田理央。彼女の髪はいつも簡素にまとめられた黒の一つ結びで、決してこのような幻想的な金色ではなかった。

 瞬間的にベッドから跳ね起きると、理央は衝動に駆られて鏡の前に駆け寄った。そこに映し出されたのは――


「……金髪碧眼の、美少女……?」


 金色に波打つ髪、透き通るような白い肌、均衡の取れた完璧な顔立ち。そして何よりも、自身の記憶にある年齢よりも遥かに若い容貌である。


「これは、だれ」


 鏡像の少女は、理央が口を開くたびに微かに眉を動かす。間違いなく、自身の姿であった。どうやら、不可解な現象が、現在進行形で起こっている。現実味のない状況に、言葉を失うも、混乱に沈む暇は与えられなかった。


「リオ様…………」


 深く、一度呼吸を整える。

 肌で感じる現実感は、これが単なる夢やゲームの世界ではないことを示唆していた。長年の会社員生活で培われた理央の危機察知能力が、警鐘を鳴らす――これは由々しき事態である。極めて深刻な状況に陥っている。


◇◇◇


 状況を一通り把握するため、理央は翌日から今の自分について調査を開始した。侍女たちが頻繁に口にする、リオ・アリミヌエという名。どうやらこの世界のこの場所において、ある程度の重要性を持つ存在である。


 身の回りの世話をする侍女は三名。一人はエイラという名。最年長で理央が目覚めたときに傍に居たものである。理央がとっさに口走った、高熱以降、ところどころで物忘れの病を患っている。といった即席の設定にも、特に慌てる様子もなく、ただ淡々と理央の質問に答えてくれる。どことなく前世?での自分と似たような立ち位置。


 二人目は聖女と同じくらいの年頃で、少し粗忽なところが目立つ。名前はセイラ。偏見だが、噂話が好きそうである。三人目はリオ・アリミヌエなる人物より若く、いつもおどおどとしているカナンという少女だ。話しかけると俯き、答えを促すと、何故か哀れみにも似た表情で涙をじわりと浮かばせるので、有益な情報を得るのは難しそうだった。


 療養中であるにもかかわらず、理央は朝食に出されたパン粥とドライフルーツをぺろりと平らげた。個人的所感では、完全にタンパク質が足りない。食物繊維はしっかり摂取できているようで、お通じは快適。我ながら精神の図太さに感心する。こんなダイエット食みたいなものばっかり食べているから体力が無くなるのでは。力こぶを作ってみても、1ミリも動かない筋肉のない弱弱しい細腕。


 自分はこの少女の前世だったのか。それともこの少女と入れ替わってしまったのか。

 目覚めてから二日目。理央の記憶はあくまでも原田理央を主体としており、リオ・アリミヌエなる人物の記憶が混じることもない。


 最も有効な情報源は、聖堂脇にある書庫であった。

 理央は足しげく書庫へ通い詰めた。壁一面に広がる膨大な蔵書の中から、自身の名であるリオ・アリミヌエをキーワードに、関連する書物を読み漁る。元よりこのリオ・アリミヌエなる人物は書庫に日がな入り浸っていたようで、司書を兼任している神官は、理央の姿を認めると、どこか安堵の表情を浮かべていた。


「とんでも設定すぎる……」


 ついうっかり口から零れ落ちた声は、静かな書庫内に反響する。

 あわてて俯き、巨大な本を開きその中に顔を隠した。

 隠したところで、あまり意味は無いと思うが、気持ちの問題である。

 書庫内の静謐な空気は一瞬だけの異質をものともせず、時間を規則的に押し流していく。


 この聖堂に祀られる聖女という役職は、かつては神聖視され、民の信仰の中心に据えられていたという。しかし、時代が下るにつれてその実態は変容した。そして、現在はリオ・アリミヌエこそが、その役職に就いている人物である。


「聖女の使命を全うせざる者は、その身を聖なる裁きによって清められるべし」


 そんな不吉な記述が、幾度となく目に飛び込んできた。


 過労で倒れて聖女に異世界転生とかテンプレ展開だな、などと能天気にも考えていた理央の未来が一瞬にして暗転した。先に手ぐすねを引いて待ち受けているのは、希望ではなく、絶望的な未来であった。あ、これもテンプレか……。


 聖なる裁き――既に決められている処刑執行まで、残された期間はおおよそ百八十日。

 この絶望的な状況を打破し、いかなる手段をもってしても生き延びなければならない。

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