5 家を出る
「こんなもの、まだ持ってたなんて!
それを渡しなさい!」
「痛いっ!」
ルイーゼは力ずくで私の手からネックレスをむしり取る。
元々熱傷のせいで力が入らず、そっと持っていたために、呆気なく奪い取られ、しかも力ずくで奪うから、両手に激しい痛みを伴った。
「お義姉様が生意気にこんな物持ってるからいけないのよ。
これも私が貰ってあげるわね」
そう言ってから、そのネックレスをナタリーや父に見せている。
「返して下さい。
それは亡き母の唯一の形見の品です。
それに、それは宝石ではなくて、この伯爵領で取れる魔鉱石を使ったもの。
ルイーゼには、珍しくも何ともないでしょう?」
そう言った私に、ナタリーは一喝する。
「お黙りなさい! ルイーゼが気に入ったのなら、素直に渡せばいいのよ!
お前に与奪権などないのよ!」
ナタリーはそう言って、父に甘えた声を出す。
「ねぇ、貴方。
この娘はここから出て行くのでしょう?
ならば、伯爵家のものは全て置いて出て行ってもらえばいいわ。そうでしょう?」
父はナタリーに、しなだれかかられ、満更でもない様子でニヤついている。
「ああ、そうだな。
しかし、カバンは渡してあげなさい。
あんなゴミのような物を置いていかれても、焼く手間が増えるだけだからな」
その父の言葉に、ナタリーは少し不満げだったが、それでも中身を確認し、最後に形見の品まで奪い取れた事に満足したのだろう。
「……そうですわね。持たざる者に施しを与えるのも貴族の嗜みというものですわね」
そう言って矛先を収めたようだ。
亡き母の形見の品まで奪っておいて、どの口がそれを言うのか!
「ああ、もういいわ。そのカバンを持って早く出ていきなさい。
お前たち、その娘が汚した床を綺麗に拭いておいてちょうだい。
血生臭くて嫌だわ」
そうして私はろくに手当もないまま、屋敷から放り出された。
「はぁ……最悪。
こうなりそうだから、父に許可を取った後にすぐに出て行こうとしたのに。
執務室からの情報がすでに漏れていたなんて、父は疑問に思わなかったのかしら……」
あの前のめりに倒れたら後、こっそり治癒魔法を使ったから、見た目ほど痛みはない。
しかし、見た目は血だらけの包帯を巻いたグロテスクな女。
「これは野盗にすら狙われそうにないよね……」
そしてここは伯爵領。
領民に伯爵家の内情が知られ、へたに私を助けようものなら、領民達に迷惑がかかるかも知れない。
ここルードグラセフ伯爵領は、王都より北に面しており、寒さの厳しい地域であった。
その為、土地もやせ細り農作物は育ちにくい。
そんな中、この領地を支える魔鉱石の採れる魔鉱山が、唯一の収入源であった。
魔鉱石は、その石自体に魔力を含んでいるため、魔鉱石を利用したランプや、調理器具など、あらゆる生活必需品には欠かせない石。
魔力が少ない人たちにとっては、無くてはならない品物であるため、魔鉱石の流通を独占している伯爵領は、羽振りが良い。
そして、領民達はこの魔鉱石の取れる山に、何らかの形で関わりながら生活をしている。
その恩恵を私のせいで受けられなくなれば、領民達に合わす顔がない。
「領民達にも助けは求められない。
山越えして、まずは他の領地に行ってから、今後の予定を考えないと……」
私はなるべく人目に付かないように、領地の外れを目指して歩く。
途中の川で、顔についている血を洗い流したが、服に着いた血までは洗い流せなかった。
そして、父から押し付けるように渡された瓶底メガネを装着する。
「今はまだ伯爵家の血筋だと誰にも知られる訳にはいかないもの。
ある意味、父と意見が合うのは不本意だけどね……」
そうして、よく前が見えない眼鏡を装着しながら、また歩き始めた。
どのくらい歩いたのだろう。
ようやく、魔鉱山の麓まで辿り着く。
「この山を越えれば、隣の領地に着くはず。
取り敢えずはそこを拠点と出来れば……」
そう考えながら、また歩き始めた時、ふいに身体の力がなくなって、ふらついてきた。
あれ? 何だか目の前が真っ暗になっていく。
もしかして、血を流しすぎて貧血を起こしたのかしら?
ちょっと無理しすぎたのかも……。
そう思いながら、ゆらりと身体が後ろに倒れそうになる。
あぁ、本当に今日はよく倒れる日だ。
私、ちゃんと生きていけるかしら……。
「危ない!」
何処か遠くでそんな声が聞こえたが、私はその声に反応する事も出来ずに、そのまま気を失ってしまった。