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天才魔道具師リリーは世話焼き幼なじみに愛されている

作者: 佐久矢この

夕暮れの学園広場。魔道学園の生徒がここで実験を繰り返すのはよくあること。

この日も、そんななんてことない一日だった。

穏やかな風が結界の側面を撫でていく中、リリーは古代の魔法具を興味深そうに覗き込んでいた。陽の光を浴びて輝く銀色の装置の表面を指でなぞりながら、無造作な栗色のおさげ髪を揺らしてつぶやく。


「この魔法具、やっぱり動力源が特殊だね。普通の魔力結晶じゃないみたい。ここを改造すれば――」


その声を遮るように、隣に立つアルスターが低い声で呟いた。


「まーた、リリー、何やってんだよ?」

「ふむ。この間入手した古代の魔法具の研究だ。今回はかなり期待できる」


彼女はそう言うと、魔法具に手をかけた。その瞬間、細かな埃が立ち上り、リリーの無造作なおさげ髪に灰色の粉がついた。


「おい、また髪が汚れてるぞ。ほら、ちょっとじっとしてろ」


アルスターはため息をつきながらリリーに歩み寄り、ポケットからハンカチを取り出すと、彼女の髪を丁寧に払った。


「君はいつも細かいことにうるさいな。魔道具の観察に集中させてくれ」


リリーは肩をすくめながら、髪を払われるのをじっと受けている。その間も自作の設計図を見つめて手順を考えているようだった。

髪を整え終えたアルスターが魔法具に目をやると、いかにも危なそうな装置が無造作に置かれている。


「なんの古代魔道具なんだ?」

「空を飛べるようになるらしい」

「……おい、本当にそれ動くのか?」

「ふむ。そのための実験だ。動くかどうかを確かめるのが研究だろう?」

「いや、だいぶ胡散臭いんだけど」


リリーは一瞬だけアルスターの方を見たが、すぐに興味深げな目を魔法具に戻した。


「爆発なんてめったにしないよ。この間も少し煙が出ただけだし」

「煙が出た時点でアウトだろ」


アルスターは額に手を当てながら、ため息をついた。彼の視線は、魔法具よりもリリーの無造作に揺れる髪へと向けられる。

広場を囲むクラスメイトたちは、いつもの光景に笑い声をあげる。


「またリリーとアルスターだな」

「アルスターは本当に世話焼きだよな」


そんな声が聞こえても、二人は気にする素振りも見せない。リリーの目は、魔法具の小さな細工に釘付けだし、アルスターはその髪を整える作業に集中している。

その時――。

ふいに、広場全体を包むように、低い振動音が響いた。結界の外側で突然、魔法具が鈍く光り始める。普段は目立たない装置の縁に、赤紫の魔力の筋が脈打つように走っていた。


「……なんだ?」


アルスターは眉をひそめ、立ち上がった。周囲の生徒たちも異変に気付き、ざわつき始める。

結界の内側に近づいた数人の生徒が、唐突に立ち止まった。彼らの足元から青白い光が伸び、足を取られたかのように体が宙に浮き始めたのだ。


「う、浮いてる!?」

「なにこれ、助けて!」


驚きの声が広がる中、魔法具の光はさらに強さを増し、まるで内部から圧力が膨れ上がるような音が響いた。


「魔道具か!?誰か触ったか?」


アルスターが叫び、周囲を見回す。だが誰も答えない。ただ、結界の中から漏れ出した魔力の影響を受けて、宙に浮いた生徒たちが次々に叫び声をあげていた。


「なにこれ。面白いね」

「面白がるな!」




魔法具が暴走してから数分、学園広場はすっかり騒然としていた。宙に浮かぶ生徒たち、転倒する机、空間を漂う奇妙な魔力の粒子。アルスターは必死に大きな結界を張り、リリーが冷静に魔道具の効果を打ち消す魔方陣を展開する。


「ふむ。なかなかの術式だな。どうやら、これは意図的に仕組まれたものかもしれないな」


彼女の言葉に返事をする余裕のある者はいない。代わりに教師の一人が険しい表情で歩み寄り、リリーを見下ろした。


「リリー・グレイソン、君がこの装置をいじっていたという話を聞いているが?」

「いえ?私は観察していただけです。正直、触りたくはありましたが」


リリーは顔色一つ変えず、顎を軽く引いて答えた。教師の眉がさらに深くなり、徐々に集まり始めた周囲の生徒たちもヒソヒソと話し始める。


「またリリーが何かやったんじゃないの?」

「前に実験して爆発させたのもあの子だし」

その言葉を聞いても、リリーの表情は微動だにしない。逆に淡々とした声で呟いた。

「ふむ。正確な情報を持って話せ。あれは爆発ではなく、熱膨張による過剰反応だ」

「そんな言い訳、今の状況では通用しないぞ!」


教師の声が大きくなるが、リリーは肩をすくめるだけだった。その時、アルスターがゆっくりと歩いてきた。


「先生、そのへんで勘弁してやってください。彼女は確かにかなり変わり者ですけど、危ないことはしないんで」

「アルスター、君がそう言うのは分かるが、彼女は――」

「そうだそうだ!リリーは結界内でしか危ないことはしませんよ!」

「そうよ!飼い主のアルスターがいる間は、リリーもおとなしいです!」

「お前たち、もう少しまともなフォローをしろ!」


クラスメイトの微妙な応援に、アルスターが苦い顔をする。リリーが淡々と口を挟んだ。


「アルスター、飼い主ならせめてご飯くらいもっと豪勢にしてほしいものだな。昨日の昼飯、薄いサンドイッチだったぞ」

「それを俺に言うな」


すぐにまた教師の声が響く。


「しかしだ、リリー君。この装置をいじりたいと言っていたのは確かだろう?」

「ふむ。それは事実だ」


リリーはあっさり認めたが、その瞳には動揺の色は一切見られなかった。代わりに結界の中を指差しながら続ける。


「ただ、私は動力源の構造を観察しただけだ。暴走を引き起こすような改変どころか、指一本触っていない。むしろ、今回の現象は外部干渉の可能性が高いな」

「外部干渉だと?」


教師が困惑する中、リリーは目を細めて不敵な笑みを浮かべた。


「ふむ。魔法具に残った魔力痕を確認すれば分かる。暴走を引き起こしたのは、内部ではなく結界の外からの魔力だ」


その言葉に、クラスメイトたちがざわめき始める。


「外部干渉って、かなり難しいよな?それって誰がやったんだよ?」

「古代魔道具なんて滅多にお目にかかれないしなあ」


ざわざわ、広がる不安の声に、リリーは一見するとただの観察者のように、状況を面白がるような雰囲気さえ漂わせ、にやりと笑った。アルスターは肩をすくめて口を開く。


「先生、こいつが本当に暴走させたなら、今ごろ全員もっと派手に巻き込まれてますよ。俺が知る限り、リリーのやることは常に全力なんで」

「それ、フォローなのか?」

「とにかく、リリーではありません。先生」


リリーはそんなやり取りをよそに、すでに暴走の原因を探るため、結界の外を歩き回り始めていた。


「さてと。真犯人を見つけないと。いやはや、外部干渉、面白い」

「お前、魔法しか頭にないのかよ」

「ふむ。優先順位をつけるのが賢い判断だろう。時間は有限なのだよ」


そう言いながら、リリーは飄々と調査に乗り出した。その後ろを、アルスターがため息をつきながら追いかけるのだった。






夕方の学園広場は、未だ結界の中に残る魔法具がかすかに放つ光でぼんやりと照らされていた。リリーは地面にしゃがみ込み、魔法具の周囲に漂う魔力の痕跡をじっと観察している。


「ふむ。予想通りだな。これは内部の魔力じゃない。外部からの干渉だ」


アルスターは彼女の背後に立ちながら腕を組み、半ば呆れたようにため息をついた。


「予想通り、か。お前、最初から外部干渉だって確信してたんじゃないのか?」

「確信はしていない。ただ、証拠が揃いすぎていて面白くないなと思っていた」

「お前、それ普通逆だろ。証拠が揃ってるなら喜べよ」


リリーは軽く首をかしげ、結界の中を指差した。


「アルスター。喜ぶのは解決してからだ。ほら、ここを見ろ」


アルスターが視線を向けると、リリーが指差す地面にはわずかな焦げ跡と青紫色の魔力の残滓が見えた。


「この痕跡は、結界の内側からじゃなく、外側からの干渉で生じている。誰かが結界の外から魔力を注ぎ込んだに違いない。が、これほどの魔力を遠くから動かすことは不可能だろう」

「つまり、犯人はこの場にいた可能性が高いってことか」

「その通り」


リリーは立ち上がると、広場の隅にいるクラスメイトたちを眺め、思わずにやりと笑った。


「さて、犯人がどこでミスをしたのかを探すのが楽しくなるな」


リリーは破片を拾い上げ、光に透かして眺める。その目は鋭く、すでに次の推測を立てているようだ。


「これを仕掛けたやつ、結界の特性をちゃんと理解していないな。どう考えても、ここが干渉点だ」

「お前、そんな簡単に分かるのかよ」


アルスターが呆れた声を上げるが、リリーは涼しい顔のまま答える。


「ふむ。私にとっては単純な論理だ。それより、ここに残った魔力痕の特性、君も見てみるか?」

「いや、俺はお前の助手じゃないって何度も言ってるだろ」


アルスターはため息をつきながら腰を下ろし、リリーが指差す地面を一応覗き込む。しかし、次の瞬間、彼の目がリリーの手元に移る。


「おい、待て。その手、また汚れてるじゃないか」


リリーが手のひらを見下ろすと、魔力痕を触ったせいで淡い紫の粉が付着していた。だが、本人は全く気にしていない。


「ふむ。これは興味深い成分だな」

「いやいや、興味深いじゃないだろ! 手を拭け、ほら」


アルスターは自分のハンカチを取り出し、リリーの手を引っ張るようにして拭き始める。リリーは抗議するでもなく、ただ淡々と見下ろしている。


「君はいつも、私の手を拭くことに執着しているな」

「当たり前だろ。というか今回は、汚い手で次のもの触ったら、証拠が台無しになるだろうが」

「ふむ。それは一理あるな」


そう言いながらも、リリーは拭かれている間に手元のノートを確認し始めた。


「おい、じっとしてろ。まだ終わってないんだから」

「手を拭かれている間の時間を無駄にするわけにはいかないだろう?」

「お前な……」


彼女は夢中で地面を指差し、次にすべき行動を話し始めたが、アルスターは彼女の足元に目を留めて眉をひそめた。


「おい、靴紐がほどけてるぞ」

「ふむ。そんな些細なことを気にしている場合ではない」

「些細なことって……。転んだらどうするんだよ!」


アルスターはリリーの足元にしゃがみ込み、手際よく靴紐を結び直し始めた。その間もリリーは立ったまま、次の手順を独り言のように話している。


「この痕跡の角度からすると、犯人は北東の方向に位置していた可能性が高いな……」

「話すのはいいけど、ちょっとじっとしてろ」

「ふむ。靴紐を結ぶ間に調査を止めるのは効率的ではないだろう?」

「……本当に、お前はどうしてこうなんだ」


アルスターは苦笑しながら靴紐を結び終えた。立ち上がり、リリーを見下ろして一言。


「世話が焼けるやつだな」


リリーは一瞬だけ彼を見上げると、淡々と微笑んだ。


「ふむ。それが君の役目だからな」

「俺の役目じゃないって言ってるだろ!」


そう突っ込むアルスターを無視して、リリーは再び調査に戻る。その後ろ姿を見つめながら、アルスターはもう一度ため息をついた。


「まったく、俺がいなかったらお前、どうするつもりなんだ……」


だがその呟きは、リリーには届いていなかった。彼女はもう次の手掛かりに夢中になっているのだった。

リリーはまるで探偵のような仕草で顎に手を当て、近くにいた生徒たちに歩み寄った。


「ねえ、誰かこの広場で最近何か怪しいものを見なかったか?」


彼女の突然の質問に、生徒たちは一瞬戸惑うものの、何人かが口を開いた。


「怪しいものって言われても……特に何も見てないけど?」

「でも、さっき結界の周りにエドガーがいたのを見たよ。彼、なんか熱心に魔道具を見てたみたい」


その言葉を聞くと、リリーの目が興味深そうに輝いた。


「ふむ。エドガー、か。確か、あいつは結界構築に関する論文を最近書いてたな」


隣で腕を組んで見守っていたアルスターは、その言葉に目を丸くして問いかける。


「エドガーって、あの学年二位の?」


リリーは軽く頷きながら、地面に落ちた魔力の痕跡を指でなぞる。


「そうだ。この魔力の干渉方法、彼の論文で提唱されていた結界制御理論と非常によく似ている。彼の論文はすべて覚えているが、今回も興味深かった」

「お前、エドガーの論文を全部覚えてるのか?」


アルスターが呆れたように言うと、リリーは何の悪気もなく、むしろ無邪気な笑みを浮かべて答えた。


「ふむ。一言一句間違いなく。面白い内容だったからな。特にこの結界の構造に干渉する理論は、実用化すればもっと多様な使い方ができる」

「いや、褒めてる場合じゃないだろ……。あいつが仕掛けたんだったら、これは大問題だぞ」


リリーは肩をすくめ、再び結界を観察し始めた。


「ふむ。仕掛けた理由はどうであれ、やったことは興味深い。だが、雑だな。この歪み方では暴走が止められないことくらい分かるはずだ」

「雑とか興味深いとかじゃなくて……お前、もっと怒れよ」


アルスターは頭を抱えながらため息をついたが、リリーは全く気にしていない様子だった。


「ふむ。怒るよりも、原因を見つける方が建設的だろう?」

「そういうとこだぞ、お前が周りから変わり者扱いされるのは……」


リリーはアルスターのぼやきを聞き流しながら、魔法具をさらに細かく観察し、断言した。


「君の言う通り、彼が仕掛けた可能性は高いな」

「本当にエドガーがやったなら……面倒なことになるな」


アルスターは眉をひそめ、近くのクラスメイトたちをちらりと見た。彼らも話の内容に気づいたらしく、ざわつき始めていた。


「おいおい、またエドガーと張り合う気か?」


アルスターが呆れたように口を挟むと、リリーは淡々とした口調で返した。


「張り合うつもりはない。ただ、学年2位の優等生がこんな面白い舞台にいながら何もしていないなんてこと、あり得ないだろう?」

「その言い方がまず疑われる原因になるんだよ、お前の場合は」

「ふむ。まあ、それも含めて楽しめばいいだけの話だ」


そう言うと、リリーは広場を一周し、再び魔法具の近くに戻ってきた。

リリーは既に魔法具の周囲を回り始めた。彼女の動きは迷いがなく、まるですべてを計算し尽くしているようにさえ見えた。


「さて。この状況をどう楽しむか、犯人に教えてやるのも悪くないな」


彼女の背中を見つめながら、アルスターはまたため息をついた。






次の日。リリーは同じ場所で、同じように古代魔道具を眺めていた。


昨日と同じ場所にクラスメイトの面々。そんな中、魔法具が暴走は始まった。再び漂う緊張感の中、リリーは結界の外から冷静な声を響かせた。


「ふむ。暴走の原因は明らかだな。君の干渉魔法がきっかけだ、エドガー」


その言葉に、結界外で装置を操作していたエドガーがギクリと肩を震わせた。


「証拠がどこにある? ただの推測だろ!」


彼は動揺を隠そうと声を荒げるが、リリーは微動だにしない。


「ふむ。干渉魔法の特性と、この結界の歪みの方向。それに君の論文の手法がそっくりだ。それを見抜けるのは、私くらいのものだろうが」

「お前、本当に……全部覚えてるのかよ…」


アルスターが横で呆れたように呟くが、リリーは一切気にする様子もなく続けた。


「君の理論がどれほど優れているかは、私が一番よく知っている。だが、今回の仕掛けは失敗だ」

「失敗だと……?」


エドガーはリリーに睨みつけられると、その瞳に一瞬恐れを浮かべた。しかし、次の瞬間には怒りの表情で声を張り上げた。


「お前みたいな才能に恵まれた奴に、俺の何が分かる!」


彼は魔法具に再び手をかけ、さらに暴走を加速させようとする。


「俺はずっと努力してきた! それなのに、お前は何もしなくてもトップで、周りから称賛される! お前さえいなければ……!」


その声を聞いたリリーは静かに一歩踏み出した。目の前の結界に手を触れながら、淡々と口を開く。


「ふむ。君がどれだけすごいか、私はちゃんと分かっている」


その一言に、エドガーは一瞬動きを止めた。だが、それでも怒りが収まることはなく、さらに干渉を加えようと手を伸ばす。


「無茶すんなよ、リリー!」


アルスターがすぐさま制止しようとするが、リリーは振り返りもせず静かに答えた。


「ふむ。計算の範囲内だ」


彼女は結界の中へと歩み寄り、あえて暴走する魔法具に近づく。挑発的な態度で、エドガーの興味を引きつける。


「君の魔法理論が間違っていないなら、私が止めることはできないだろう?」

「……分かった。お前に俺の本気を見せてやる!」


エドガーが魔力を注ぎ込むと、魔法具がさらに激しく暴走を始めた。結界内で放たれる魔力が広場全体を揺るがし、生徒たちは叫び声をあげて逃げ惑う。


「リリー、そろそろ限界だろ!」


アルスターはすぐさま制御魔法を発動し、暴走の抑制に入った。リリーも冷静に状況を分析しながら、魔力の波を見極める。


「ふむ。この結界の歪みを利用すれば、逆転させられる」

「お前のその言葉、信じていいんだな?」

「私が失敗したことがあるか?」

「それを言うなら成功率は半々だろ!」


言い合いながらも、二人は息を合わせて魔力を結界に注ぎ込んだ。アルスターの強力な制御魔法が暴走を押さえ込み、リリーの精密な調整が魔法具を安定させる。

数分後、結界の中に漂っていた危険な魔力が徐々に消え、ついに魔法具が静寂を取り戻した。

その場に崩れ落ちたエドガーは、肩を震わせながら呟いた。


「お前に才能がなければ、俺は一番になれたのに……お前たちに分かるか!? どれだけ努力しても、才能のある奴には勝てない気持ちが!」


彼の叫びにも、リリーはいつもの冷静な表情を崩さず、淡々と答える。


「ふむ。君の努力が報われないのは、私のせいではないだろう?」

「その冷たい態度が気に入らないんだよ! お前がいなければ、俺が――」


エドガーの怒鳴り声を遮ったのは、隣にいたアルスターの低く鋭い声だった。


「いい加減にしろ」


エドガーはその声にハッとし、アルスターを振り返る。普段は穏やかで飄々としているアルスターが、今は目を鋭く光らせて彼を睨みつけていた。


「お前、自分がどうして二番手に甘んじてるのか、本当に分かってないのか?」


アルスターの冷静な声に、エドガーは言葉を失う。だが、すぐに悔しそうに拳を握りしめて反論した。


「俺だって努力してるんだ! でも、リリーみたいに生まれつき何でもできる奴には――」

「その言い訳が、まさにお前が負ける理由だよ」


アルスターの声は静かだったが、その一言には鋭い棘があった。周囲の空気が一気に張り詰める。


「お前は、才能がある奴が羨ましいんだろう? 努力が認められないのが悔しいんだろう? それなのに、こんな汚い手を使って、自分の努力まで踏みにじるつもりか?」


エドガーは息を飲み、その場で一歩後ずさった。アルスターは一切視線を逸らさず、さらに続けた。


「リリーを落としたところで、お前の才能が輝くわけじゃない。むしろ、こんな真似をした時点で、お前自身の価値をお前自身が潰してるんだよ!」

「そんなこと……そんなこと、分かってる! でも、お前に分かるか!? 俺がどれだけ――」

「俺には分からない」


アルスターはエドガーの言葉を遮り、淡々とした口調で言い放った。


「けどな、一つだけ言えることがある。お前が本気で自分を認めさせたいなら、こんな卑怯なことは絶対にやるべきじゃなかった」


エドガーはその言葉にハッとし、視線を彷徨わせるように俯いた。その沈黙を見たアルスターは、一度深く息をついて静かに語りかける。


「お前の論文は、リリーも認めてた。それがどれだけすごいことか分かってるのか?」


その場でリリーが口を開く。

リリーは彼の前に歩み寄り、淡々と言った。


「ふむ。私の才能は私のものだが、君の論文は本当にすごいと思う」


その静かな言葉に、エドガーはハッと顔を上げた。リリーの目には怒りや非難の色はなく、ただ誠実さだけが宿っていた。


「ふむ。君の論文には、私も多くを学んだよ。それが事実だ」


その言葉に、エドガーの肩が小刻みに震えた。悔しさと申し訳なさが混じったような表情で、彼は小さな声で呟いた。


「俺は……ただ、リリーみたいになりたかったんだ……」


アルスターはその言葉を聞いて小さく首を振り、言い放つ。


「お前はお前だ。それで十分すごいはずだ。認めてもらいたいなら、そんな小細工なんかやめて、自分をちゃんと誇れ」


エドガーはその言葉に目を閉じ、深く頭を下げた。


「……すまなかった」


リリーとアルスターはその謝罪を静かに受け止め、事件は一つの結末を迎えた。









翌日の広場は、ようやく平穏を取り戻していた。魔法具の暴走で散らかった机や椅子が元に戻され、生徒たちが日常へと戻る中、リリーとアルスターだけが広場の片隅のベンチに座っていた。

教師からのお叱りは、みんなでうけた。退学にするには惜しいのでは?というリリーの提案を、クラスメイトたちは笑って受け入れた。教師への悪だくみは、いくつになっても甘美の味がする。

リリーはいつものように無表情だが、ほんの少し目元に疲れの色が見える。


「ふむ。今回の事件も解決したな。面白かった」

「お前、面白がるのはいいけど、周りの迷惑も考えろよ」


アルスターは呆れたように肩をすくめながら、リリーの隣で座った。。彼女は小さく欠伸をし、無造作に結んだおさげ髪が少し乱れている。


「疲れたか?」

「ふむ。まあ少しだけな」


リリーは答えると、自然な動きでアルスターの肩に頭を預けた。そのまま目を閉じる。


「……ちょっと。人の肩を枕にするなよ」

「ふむ。君の肩がちょうど良い高さだからな」

「お前、そういう問題じゃない」


文句を言いつつも、アルスターはそれ以上何も言わず、リリーの髪を整え始めた。乱れたおさげを器用に直しながら、静かに呟く。


「もう少し自分を大事にしろよ。疲れ切るまで頑張るな」

「ふむ。だが、疲れるくらいの方が面白いだろう」


リリーの眠たげな声に、アルスターはまた小さくため息をついた。


「世話が焼けるやつだな」


その言葉を聞いたリリーは、うっすらと目を開けて微笑む。だが、そのまま眠気に負けたのか、再び目を閉じてしまう。

しばらく静寂が広場を包む中、アルスターは自分の上着を脱ぎ、リリーにそっとかけた。乱れた髪を整え終えると、彼は一瞬だけためらい、次に彼女の額に軽く唇を触れさせた。


「お前、本当に手間がかかる」


彼は誰にも聞こえないように、穏やかな声で呟いた。


「でもまあ、いいか。外堀はもう埋めたし、あとは卒業後に結婚するだけだな」


眠るリリーが微かに動いたが、起きることはなく、ただ穏やかな寝息が聞こえる。アルスターは彼女を起こさないようにそっと肩を寄せ、静かに目を閉じた。

広場の夕日が二人を照らし、風がそっと二人を包む。誰もいない広場に、穏やかな時間だけが流れていた。







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おまけ



アルスターはふとリリーの顔を見下ろした。普段は冷静で奇抜な発言ばかりする彼女が、今はただ無防備に眠っている。その表情に柔らかな微笑みを浮かべると、アルスターはそっとリリーの額に唇を寄せた。

その瞬間――。


「えっ!?」


驚きの声が響き、アルスターが振り返ると、近くで本を読んでいた新入りの女子生徒が目を丸くして立ち尽くしていた。


「え、今、え、キスしましたよね!?」


彼女の慌てぶりに、他のクラスメイトたちは一瞬驚いたものの、すぐに肩をすくめたり苦笑したりしながら言った。


「この二人、いつもこうだぞ?」

「アルスターが寝てるリリーにキスするのなんて別に珍しくないだろ」

「むしろ今さらだよな」


新入りの女子生徒は目をぱちくりさせながら、周りを見渡した。


「えっ、でも普通じゃないですよね!? これ、普通なんですか!?」

「普通だろ。この二人だからな」

「そうそう。むしろ、リリーが起きてる時の方がアルスターは大変そうだし」

「だな。寝てる時くらい、平和でいいだろ」


そんなクラスメイトたちの反応に、新入りはさらに混乱した表情を浮かべた。一方、アルスターは冷静なまま、新入りに向かって淡々と言った。


「こいつ、寝てる間は静かで可愛いだろ?」

「いやいや、そういう問題じゃなくて!」


新入りの声に、アルスターはほんの少しだけ眉を上げて考え込んだ。


「リリーが起きてたら、キスどころか髪を整えることすら許されないからな。寝てる間にやるしかないんだよ」

「それはそれでどうなんですか!?」


新入りがさらに突っ込むと、クラスメイトの一人が笑いながら肩を叩いた。



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