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異世界もの短編

神狩夜

作者: 森陰 五十鈴

 この村独特の神事があることは聞いていた。自分たちのような年齢の少年少女が主役であるということも。

 だが、弓と矢筒を手渡されては、ユイも混乱せずにはいられなかった。

「……銃のほうが良かった?」

 首を傾げるのは、ヨウタだ。ユイたち家族がこの村に越してきた頃から良くしてくれている、ユイと同じ十五の友人。これも親切心からなのだろうが、物騒な響きにユイは目を丸くするしかなかった。

「無理だよ、銃なんて!」

 そもそも弓矢でさえ扱ったことがない。銃なんてもってのほかだ。あれは扱いを間違えれば、自分のほうが吹き飛ぶと聞いている。

 そうだね、とヨウタは、大したことではないかのように頷いた。

「弓は火薬を使わないから、暴発の心配はないもんね。弦は、指切る可能性があるから気をつけないといけないけど」

 怪我と聞いて、ユイは顔を顰めた。楽しみにしていた今夜。だが、一抹の不安がよぎる。

「お祭り、なんだよね?」

 何処かの地には乱暴な祭りもあり、怪我人やときに死人が出るものもあるというが、まさかそれに近いのだろうか。

「……そんな楽しいものじゃない」

 ぼそりと声を低めたヨウタに、ユイは絶句した。

 身を翻したヨウタの背を、少し遅れて追いかける。篝火が照らす広場。その奥に浮かび上がる赤い鳥居。日の沈んだ現在、その奥に広がる(もり)が黒々としていて恐ろしい。

 七人の少年少女が、鳥居の前に一の字を書くように並んでいた。皆、弓あるいは銃を手にしている。まるで狩りに赴くかのようだった。だが、十から十五までの子どもたちが、この秋の夜に、いったい何をさせられようというのか。

 不安に心臓が縮みあがる思いをしながらも、ユイはヨウタと子どもたちの列に並んだ。辺りを見回せば、子どもたちを取り囲むように半円を作る大人たちが目に入る。心配そうに見守る彼らがみな暗い色の着物を着ていることに、ユイはようやく気付いた。まるで葬儀のような厳かさ。対するユイたち子どもは、暗闇にも目立つ白い着物を着ているのに。

 状況を目にすればするほど、ユイの不安は増していく。

 それは、村長が目の前に立っても変わらなかった。

「今よりカガリを始める」

 ユイは眉を顰める。〝カガリ〟が何を示すか分からない。まさか篝火のことではないだろう。

「刻限は日が昇るまでだ。……頼んだぞ」

 厳しい表情に切実さを浮かべて懇願する村長。ユイを除いた子どもたちは神妙に頷いた。その姿はまるで使命を帯びた勇者たちのようでもあり。しかし輝かしさなどまるで感じられなかった。

 場違いな気分を味わいながら、ユイは他の子どもたちと鳥居を潜る。

 広場を照らしていた篝火が遠く離れ、密度ある闇に包まれる。空には満月が架かっているが、背の高い松の枝葉を割って差し込む光の量など微々たるものだ。明かりを一切持たぬ道行きの中で、子どもたちの着物の白さだけが杜の中に浮かび上がり、ユイは目を凝らしてその背を追った。

「何処に行くの?」

 風に葉がこすれ騒めく杜に、ユイは自然声を落とした。

「まずは〈神産みの塔〉だ」

 前からヨウタの声が返ってくる。

〈神産みの塔〉。どの町村にも一つはある塔のことだ。家の神、田の神、水の神といった、人々の暮らしを助ける八百万の神々は、その塔から生まれ降りてくるのだという。見た目は五重塔、屋根は青銅の瓦、壁や柱は朱塗りが基本。必ずしも中心にあるとは限らないが、町村はこの塔を基点として設計される。

 ユイが住むこの村は、北側に〈神産みの塔〉があった。塔の周りは杜で囲われ、その杜はさらに柵で囲われている。入口は、ユイたちが潜ってきた南にある鳥居だけ。そこから扇状に人々の暮らす区画が設けられている。

 数多の町村を知っているわけではないが、ユイは当初、変わっていると思った。普通、町村は塔が景色に溶け込むように造られているので。だが、この村は、〈神産みの塔〉を隔離しているかのようだった。

 かといって、忌むわけでもない。村の人たちは毎日塔のほうに頭を下げている。この村に暮らしていくうちに村人たちの信心深さをユイは感じ取っていた。

 だからこそ覚える、この神事への違和。武器を片手に杜を進むさまは、まるで侵略だ。

 やがて、杜が開けた。満月の光を浴びる塔が、子どもたちの前に聳える。青白い光に朱の色は沈み、何処か哀しげな雰囲気が漂っていた。

「……開けるぞ」

 進み出るのは、ダイゴという少年。ユイやヨウタと同い年――だが、彼はヨウタと違い、ユイのことを〝他所者〟と嫌っていた。

 今も、振り返った瞬間にユイは鋭い目で睨みつけられる。蛇に睨まれた蛙の気分だ。

「待って」

 視線を遮るように、ヨウタが割って入る。

「その前に、やっぱりユイにもきちんと説明しないと」

 ダイゴはキリリと眦を吊り上げた。

「いらねーだろ。うるさくなるだけだ」

「でも、邪魔されないためにも、きちんと僕たちのやることを説明すべきだよ」

 ダイゴは不快そうに鼻を鳴らした。そのまま腕を組み、そっぽを向いた。ユイのことなど変わらず信用していないようだが、ヨウタの邪魔をする気はないらしい。いや、口論を厭うたのか。

 ユイはというと、気になることばかりで頭の中が撹拌してばかりだ。この弓も、神事も、〝邪魔〟の意味も、まるで分からない。

 ……ただ一つ、うっすらと、ユイには敢えて〝カガリ〟の秘密を伏せていたのだろうことは、理解した。

 ヨウタはユイの目を真っ直ぐに見下ろす。同い年でも、ヨウタのほうが背が高い。その所為か彼はずっと大人びて見えた。

「この塔は、毎年この時期になると、決まってある神を産む。僕らはそれを〈ヒミズの神〉と呼んでいる」

「……ヒミズ?」

不日見(ヒミズ)。太陽を見ることのない神だ」

 つまりそれは、夜明けを迎える前に死んでしまうということで。

「どうして?」

 ヨウタは、手に持つ弓を天に突きつけるように掲げた。

「それは、僕たち村の子が狩るからだ」

〝神〟を〝狩る〟。故に〈神狩(かがり)〉だ、とヨウタは言った。

 (よこしま)な神なのか。この問いには『否』と返ってきた。

「なら、どうして!」

 ユイの脚がガタガタと震え始める。いや、脚だけではない。震えは全身に及ぶ。手の力はなくなり、弓を取り落としそうになってしまう。

「太陽が――ヒミズを認めないから」

 愕然とした。まるで子どものような理由であることもそう。責任を他のものに――太陽に押しつけていることもそう。ユイは、この神事にまるで意義を感じられなくなった。

「もういいだろ」

 吐き捨てるのは、塔の真ん前に立つダイゴだ。彼は律儀に、塔の入口の観音扉の前で待ってくれていた。

 だがやはり、ユイには何の期待もしていなかったらしい。

「他所者には、何を言っても無駄だ」

 ユイは顔を顰める。〈神狩〉のことは置いておいても、ダイゴはいつもこうだった。『他所者』の一言でユイを一蹴する。

 そして今は。なんとダイゴは手に持つ小銃の銃口をユイに突き付けてきた。周囲の少年少女が息を呑む。ユイもまた硬直する。

「もし邪魔するなら、俺はお前を撃つからな」

 ここまでされては、ユイも諾々とするしかない。ユイは大人しく、邪魔をしないことを誓った。だが、これが閉鎖的な村の悪しき因習か、と内心で失望する。越して来てから二つの季節を過ごしたが、とても良い村だと思っていたのに。

 そして、その村でこれからも気持ちよく過ごすために言いなりになる自分にも嫌気が差した。

 閉ざされた黒光りする観音扉の左右に分かれ、七人の子どもたちは膝をついた。片側の扉の取っ手をダイゴが、もう片側をヨウタが受け持つ。蝶番が悲鳴のような音を立てて動いた。塔の入口が開かれる。生温い空気を吐き出した中は、暗々とした伽藍洞。

 扉が開き切った瞬間は、静かだった。誰もいない。何もない。話を聞いている限り〈ヒミズの神〉とやらが降臨するのかと思っていたのだが。

 では、〈神狩〉は? と首を傾げた瞬間。

 伽藍洞の中から、燐光を帯びた何者かが、ぽん、と飛び出した。例えるなら、座敷童のようだった。十くらいの年齢で、おかっぱ頭の小袖を来た、性別不詳の子ども。満面の笑みで地面を蹴ったヒミズは、そのまま球が弾むようにユイたちの目の前を通り抜け、杜の奥へと消えていく。

 あとになって、子どものような笑い声が風に乗ってユイたちのもとに届いた。

 村の子どもたちは呆然としている。ダイゴは仏頂面で首元を掻く。

「……今年のヒミズは、相当やんちゃのようで」

 口上を唱える暇もなかった、とヨウタは苦笑する。ダイゴは肩を竦めた。

「すっ飛ばしてやるしかないだろ」

 おい、とダイゴが子どもたちに声を掛けると、ユイを除く年下の子どもたちは立ち上がった。皆心得たように、素早く何かの陣形を組む。

「ちょっと厄介な御方だぞ。まずは見つけるところからだ」

 ダイゴの号令に、子どもたちは無言で従う。それぞれに武器を構えて杜に入っていく様は、まさに狩人然としていた。ダイゴは満足そうにそれを見送り、それから凄みのある表情で、残ったヨウタとユイを振り返った。

「分かってんな?」

「もちろんだよ」

 ダイゴは鼻を鳴らして、杜の中へと飛び込んでいった。

「……えっと」

 置いていかれたユイがヨウタを見上げると、彼は申し訳なさそうに眉を垂れた。

「僕は君の見張り役だ」

 つくづく自分は受け入れられていないのだと思い知る。

「〈神狩〉に参加できるのは十五まで。君が関わるのは今回一回きりだ。でも、ダイゴも今回が最後だから、どうしても失敗させたくない。今晩君を抑え込んでどうにか無事に終わらせたいと思ってる」

 それで、同い年であり、ユイと仲の良いヨウタを見張り役に任じたのだという。

「ずいぶん熱心なんだ」

 ユイの皮肉を、ヨウタは流す。

「責任感が強いんだよ」

 主導者気取りで頑固なだけではないか、とユイは内心思ったが。

 ヨウタはそんなユイの心を見抜いたかのように、捻くれ者を諭すような目を向ける。

「どうか、思い込みに囚われないで」

 思い込みと言われて、ユイは不貞腐れた。ヨウタまで、ダイゴの味方なのか。やはりユイが他所者だからだろうか。

 拗ねた子どものような追及をすることなく、遅れてユイとヨウタもヒミズを追うこととなった。このまま何もせず夜明けを待つわけにはいかないからだ。それに、ヨウタ曰く、ヒミズを捜す人手は多いほうが良いとのこと。

「さっきも見たと思うけど、ヒミズの御姿は光っている」

 ユイは青白いその姿を思い出した。〈神産みの塔〉の傍でなければ人魂と勘違いしていたかもしれない、幽かな光に包まれていた。

「だから、この暗闇で見つけるのは比較的簡単。ただ、ヒミズはこの杜の中を逃げ回っているから、骨は折れる」

 杜は、村の敷地の三分の一ほどを占めるという。子どもの遊び場としてはそこそこの深さだろうか。人手が欲しいというのも頷ける話だった。

「杜の外に出ることは?」

「ないよ。そのための囲いだ」

 それなら杜の中の捜索に専念すれば良いので、少しは気が楽か――と思ったら、そうでもなかった。闇をいくら掻き分けても、燐光を見出すことはできなかった。時折聞こえる子どもの笑い声に誘われるのだが、痕跡すら辿ることができない。

 次第に息が上がり、肌にうっすらと汗が滲む。夜気が身体を冷やしていく中で、木立の向こうにヒミズの姿が見えないものかとユイは必死に目を凝らした。

 視界の端にちらと映る白いもの。矢をつがえて振り返ったところで、それがヨウタだと気づいて、ユイは落胆した。

「塔に戻ろうか。……仕切り直そう」

 あまりにもヒミズが見つからないなら、一度〈神産みの塔〉に戻る。あらかじめ定められた取り決めであったらしい。

「根詰めても仕方ないよ。作戦を練らないとね」

 先を行くヨウタの背を追いながら、ユイは頭の中が冷えていく感覚を味わった。いつの間にか興奮状態に陥っていたらしい。そして、自らの手の中に残った、放ち損ねた矢。あれだけ否定しておきながら、自分こそヒミズを射るつもりだったことを思い知らされる。

〈神狩〉の気に当てられてしまったのか。――いや、勝手に自分がその気になっただけだ。

 自分への失望を抱きながら塔に戻ってみると、同じように捜索に行き詰まったのか、ダイゴと他六人の子どもたちも戻っていた。みな、疲労のために地面に座り込んでいる。

「どうだった?」

「何度か姿は捉えたんだがな」

 塔の扉の前で深刻そうに話す年長二人を横目に、ユイは年下の子どもたちの傍に座り込んだ。自分も彼らと同い年だが、他所者なので入り込めない。つくづく中途半端な立場だと自覚する。

 溶け込む努力をすべきではないかという気持ちと、神を狩ろうとする連中と同類になることを拒絶する気持ちが拮抗していた。自分がどうするべきか決められない。矛盾を抱えているのにも気がついている。先ほど射ろうとした矢は、まだユイの手の中にあった。

「お兄さんは、ヒミズを見つけた?」

 隣の少女の言葉に、ユイは我に返った。咄嗟に首を横に振る。

「そっか。私は、何回か見つけたんだけどね」

 撃てなかったの。少女は肩を落とした。歳は十二くらいの彼女の手には、黒光りする拳銃が握られていた。大人びつつもあどけなさを残す少女が、このような凶暴な武器を扱い慣れていることに、ユイは身震いした。

「……〈神狩〉って、いつもこうなの?」

 ミサというその少女は不思議そうにユイを見上げて首肯した。

「ヒミズはいつも杜の中を走り回るよ。大はしゃぎでね。よっぽど嬉しいんだろうね」

「嬉しい……」

 ユイの脳裏に、塔から飛び出てきたヒミズの姿が蘇る。満面の笑みを浮かべて走り去った子どもの神様。少なくともあの瞬間はきっと、あの神様は自分が狩りの標的になっているとは思っていなかったことだろう。

 純粋な生の喜びに溢れていたあの無邪気な神を、自分たちは殺そうとしている。一人を相手に、寄って(たか)って。

 もしヒミズがそのことに気づいたら、どう思うだろう。何を感じるだろう。

 想像して、感情移入して。ユイは立ち上がった。

「ねえ、やめよう?」

 子どもたちが、ユイを見上げた。真剣に話し込んでいたヨウタとダイゴもこちらを向いた。

 誰も味方がいない中で、それでもユイは声を上げる。

「やっぱりこんなの、間違ってるよ! 君たちがやってることは、どう考えたって残酷な――」

 鬼のような形相のダイゴが迫ってきたのは、一瞬のことだった。

「黙れよ、他所者が」

 小銃の銃身をユイの喉元に突き立てた彼の目に浮かぶのは、これまでの排他的な嫌悪とは違う、完全な敵意だった。喉元の銃口より、その敵意のほうがユイには衝撃的だった。

「正義面して、口出しやがって。そんなこと、俺たち村の人間が一番良く分かってんだよ」

 その激情に反して押し殺された声が、ユイの脳内に染み込んでいく。背中を冷や汗が伝う。視線を動かして子どもたちを見れば、失望とも取れる冷ややかな目。自分がとんでもない間違いを起こしていたのだと、ユイは気がついた。

 呆然としたユイから、ダイゴは銃を離した。身の内から噴き出す怒りを抑えつけて、ダイゴはユイに背を向ける。

「だから、他所者を入れるのは反対だったんだ!」

 それは、憤慨というよりは悲鳴に聞こえた。必死の訴えに、ユイはただの個人的な嫌悪感で自分が疎外されていたわけではないことを悟った。ユイを外そうとしたのも、何も伝えなかったのも、監視をつけたのも、単純な我が儘などではない。全て、彼なりの信念に基づいたものだった。

不日見(ヒミズ)は、太陽を見ることのない神だ」

 ヨウタが静かに言葉を紡ぐ。彼の目には落胆が浮かんでいて、ユイは後悔に苛まれた。ユイは彼をも裏切ったのだ。

「そして、太陽が見ることのない神だ」

「……どういうこと?」

「何故かは知らない。けど、日の神はヒミズを認めない。嫌っているって言っても良いかもしれない。日の神は、ヒミズを見つけた瞬間――灼き殺す」

 ユイはヨウタが背にしている塔を見上げた。天頂に架かった満月の光を一身に浴びる朱色の塔。それは神を産む。人々の暮らしを守るため。この大地をより豊かなものにするために。

 その神を、他のどの神よりもこの地の平安を願う日の神が、殺す……?

「この〈()(モト)〉は、日の神が選んだもので成り立っている」

 ユイと話していたあの少女が話し出す。ミサは湖面のような静かな眼差しで、〈神産みの塔〉を見つめていた。

「私たち人間は、日の神様に選ばれた。木や花、動物、雲も水も土も、この国の何もかもが、日の神様が選んで置いたもの。私たちは、日の神様の箱庭の中で生きている」

 それはユイも知っている神話だった。この国では、太陽が全て。太陽が理。でも、日の神は慈悲深い存在で、優しく温かく自分たち人間の行いを見ていてくれているはずなのに。

「日の神様は、自分の気に入った神様には寛容で、自分のお気に入りの世界で遊ぶことを許している。でも、その中にヒミズはいない」

「なら、どうしてヒミズは産まれるの?」

「分からない。はじめはヒミズを認めていたのかも。でも、今は日の神様はヒミズを認めない。許さない。見つけた瞬間、ただちに殺してしまうの」

「昔、〈神狩〉に失敗したことがあった」

 ヨウタがミサの後を引き継ぐ。

「ヒミズを狩れなかったんだ。日の出を迎えて、杜は炎に包まれたんだって。ヒミズはその火の海の中で、七日七晩苦しみ続けていた」

 その間村の住人たちは、ずっとヒミズの悲鳴を聞いていたという。火に炙られ続ける子どもの泣き声を聞き続け、だがどうすることもできなかったと。

「失敗したのは、他所者の所為だ」

 愕然としたユイの前に、押し殺したダイゴの声が割り込む。

「俺の親父は、その年の〈神狩〉の参加者だった。越してきたばかりの他所者が、〈神狩〉の話を聞いて、残酷だ罰あたりだと騒いで妨害してきた。……今の、お前みたいに」

 ユイは項垂れた。ダイゴが何故自分を敵視し続けてきたか理解した今、何も言い返すことはできなかった。父の嘆きを聴いてきたからこそ、彼は同じ失敗を繰り返さないため、他所から来たユイを警戒し続けてきた。そしてユイは、自分がその懸念を招きかねない人物であることを、図らずも証明してしまったというわけだ。

「ヒミズは、日の神に見つかれば、死ぬどころじゃない。その御魂までも灼き尽くされてしまう。だけど、日が昇る前に僕たちの手で狩ってしまえば、少なくとも御魂だけは、〈夜泉(ヨミ)〉に避難させられる」

 つまり〈神狩〉は、ヒミズを日の神の癇気から匿うためのものなのだ。

「はじめから、教えてくれれば――」

 だが、ユイは最後まで言えずに言葉を呑み込んだ。きっと、ダイゴの父の代では、きちんとその〝他所者〟に神事の意味を伝えていたのだ。だけど、その人は表面的なところだけを見て、〈神狩〉の邪魔をした。ユイも同じ道を踏まなかったとは言い切れない。

「…………ごめん」

 ユイは深く頭を下げた。ヨウタの忠告もあった。それなのに、ユイは己の先入観だけでみなを悪者にしてしまった。

「もう、邪魔をしない。……ヒミズ探しも、手伝う」

 全員が黙ってユイを見ていた。中でもダイゴは、真偽を疑う眼差しだった。これで信じてもらえるだけの行いを、ユイはしていない。だから当然なのではあるけれど、胸が痛かった。

「……〈神狩〉に戻ろう」

 ユイの謝罪を受け入れたとも、そうでないとも言わないで、ヨウタはみなの気を引いた。

「夜明けまでまだ時間はあるけれど、悠長に構えている余裕はない」

 ダイゴとヨウタはすでに作戦を考えていたようで、子どもたちにそれを伝えた。年下の子どもたちはすぐに飲み込んだ様子だった。ユイと違って覚悟ができていた彼らは、とうに〈神狩〉のための力をつけていたのだと知る。

 最初から、ユイと村の子たちは違ったのだ。

 ダイゴの指示を受け、子どもたちは再び杜の中へと入っていく。再び項垂れたユイは、ただその様子を見送った。

 その肩を、ヨウタが叩く。

「ほら、君も」

 ユイは目を丸くした。自分もまだ頭数に入っているとは思わなかった。

「悠長に構えている余裕はないと言っただろ。使えるものは使わせてもらうよ」

 それは、ヨウタなりの許しなのだと、ユイは理解した。ユイは弓を握りしめ、ヨウタとともに杜に飛び込んだ。

 梢の作る闇の中で、銃声が聞こえた。その合間に届く、子どもの笑い声。ヒミズは、己が狩られんとしているこの状況を、遊びとして楽しんでいるのだ。

 ヨウタと別れたユイは、その二音の落差に胸を痛めていた。子どもたちの必死さを思い、ヒミズの運命を思った。この狩り場となる杜はあまりに哀しい場所だ。微風に揺れる葉の音が、虚しく響く。

 常時であれば心を晴らすだろう明るい笑い声が近づく。思わず弓柄を握り締めたユイの前に、燐光を纏った子どもが現れた。ヒミズはきょとんとユイを見つめ、無邪気な笑顔を向けると、両腕を大きく開いた。――矢の的として当てやすいように。

 真っ白な頭で矢をつがえたユイだったが、いざ弦を引くと、腕が震えた。慣れぬ弦の硬さにではなく、これから己が成そうとする事の重さに。

 逃げ出したくなるのを堪え、喚きたくなるのを堪え、目を見開き、そっと矢を放つ。

 初めて放った矢は真っ直ぐに飛び、ヒミズの胸の中心に突き刺さった。

 青白い光が弾ける。蛍のような細やかな粒となり、天に昇っていく。

 光が崩れていく中で、ユイはヒミズの屈託なく満足そうな笑みを目にして、地に膝をついた。これで良い、と頭では分かっているのに、途方もない悔しさが押し寄せた。

 村の子どもたちは、毎年この重みと戦っているのだ。

 着物の合わせを掴み蹲ったユイのもとに、いつの間にか子どもたちが集った。

「……よくやった」

 呻くユイの背を叩いて労るのは、あのダイゴだった。

「これでヒミズは救われた。俺たちは使命を果たせた」

 それから、躊躇いがちにユイの肩を抱いた。唇を引き結び、ただ深く叩頭する。

「……悪かった。他所者扱いして」

 ユイは力なく首を横に振り、空を仰いだ。闇を作り出す枝葉で、月ばかりか星さえも見出すことができなかった。

 あの儚い燐光も、いつの間にか夜の中にもう見えない。


 気が抜けたのか、ヨウタが帰還を促したときから身体がひどく重かった。鈍重な動きでみなで杜を抜け、朱色の鳥居を潜ったときには、東の空が白みはじめていた。

 大人たちは、ユイたちが出発したときと同じまま、鳥居を囲んで広場に残っていた。子どもたちが戻ってきたのを知ると、胸を撫で下ろしていた。そこで、年少の子どもたちは緊張の糸が切れたのだろうか。親元に縋りにいっていた。親たちは無言で己の子どもを労り、背中を押して家へと戻っていく。

 とうとう石のような重さを持った足で立ちすくんでいたユイは、ぼんやりとその様を見送った。彼らは今から眠るのだろう。その間、安らかでいられると良いのだけれど。微かな子どもの啜り泣きを聞きつけて、ユイは思う。

「……ヒミズは、決まって子どもの姿で生まれるんだ」

 ユイから弓を取り上げて、ヨウタは言った。すっかり手に馴染んでしまったが、そういえばそれは借り物だったことをユイは思い出した。

「ずいぶん昔は、大人が〈神狩〉を担っていたらしい。だけど、ヒミズは怯えるばかりだった。己の死を悟って泣くばかりだったという」

 だが、狩人を子どもに変えると、そのようなことはなくなったらしい。

「命のやりとりに変わりはないのだけど、それでも子ども同士だと遊びの一環に感じられるのかもしれない。ヒミズはいつも楽しそうに逃げ回るんだ。鬼ごっこの気分なのかな」

「でも、残酷には変わりない」

 そうだね、とヨウタは首肯する。そして、杜を振り返った。深い闇を落とすばかりだったその場所に、木々の輪郭が浮かび上がる。その中心で〈神産みの塔〉の朱色の塗りが、月明かりの下とは異なる強い彩りを持ちはじめた。

 また来年、あそこからヒミズが生まれる。

〈神狩〉は、これからも変わらず執り行われることだろう。

 地平から日が昇る。日の神は、何も灼くことなく、己の箱庭を眺めはじめた。満足げに。選んだものだけに、慈悲の光を与えていく。

 美しい夜明けに、悪態をつきたくなったのは、ユイだけではないだろう。

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