風が辿り着く場所
最終話
君側の奸を討つ。
大昔から使われてきた反乱の口実である。
そしてこの年、大陸暦二〇〇七年にルアフィル・デ・アイリン王国とセムリナ公国で起こった事件にも、この言葉が大義名分として使用された。
王都アイリーンにおいて、花男爵家を急襲した反乱軍を指揮していたのはゲルトネル男爵。
眼光鋭い痩せぎすの中年男で、反木蘭派の巨頭たるマヨロン公爵の片腕と目されている。
率いるのは黄金の騎士団、白銀の騎士団を中心に一万五千余。
これはセントカトリーナへと向かったマヨロンたちを除いた反木蘭派の全戦力である。
花男爵家上屋敷を完全に包囲し、家人すべてと客人であるセムリナ公国第三公女シャリアを殺害せんと攻撃を続けている。
守備する兵は、わずか三〇〇名。
勝敗の帰趨など最初から知れているようにも思えるが、並の三〇〇人ではない。
花木蘭、その夫たるフィランダー・フォン・ファ。
花家指南役カンハク、妻の秀蘭。
木蘭子飼いの冒険者たち、そして花家の私兵たち。
いずれも一騎当千の強者である。
「それに、この人たちは全然わかってない。
こんな市街地で万単位の兵なんか意味がない。
密集してる分だけ行動が制限される。
ただそれだけなのに」
得意の長弓を手に戦うシェルフィ・カノンの言葉だ。
現状、王都アイリーンの守備に権限を持つ赤の軍は事態を静観している。
花家から「私戦につき手出し無用」と、王国政府に対して強く申し出られたからでもあるが、この状況で動いても場が混乱するだけだとわかりきっているからだ。
シェルフィもまた赤の軍の一員なのだが、サミュエル・スミスから依頼されたシャリア公女の護衛と、木蘭の友人という二重の資格で屋敷を守っている。
そのシェルフィの目から見て、反木蘭軍の行動は児戯に等しい。
数を揃えるだけで勝てるなら、立派な装備だけで勝てるなら、魔軍や四カ国連合が敗戦したはずがないのだ。
花家上屋敷の出入り口は二カ所しかない。
正面と裏口である。
同時にくぐることができるのは二人か三人。
つまり、入ってくるところで各個撃破すれば良いだけだ。
梯子をかけて塀を乗り越えようとするものもいるが、これはまさに的である。
顔を出したところを狙い撃ちされるだけ。
攻城兵器でも持ち出して、塀に大穴を開けでもしない限り、大挙して侵入などできないのである。
そしてもちろん、街中でそんなものを使うことはできない。
火矢なども同様だ。
万が一にも他家に損害が及べば、木蘭を失脚させるどころか、マヨロン自身の立場がなくなる。
「こんな程度の連中が近衛騎士団だなんて、世も末ね」
しなやかな手が弓弦を鳴り響かせ、直線の虹を描いて飛んだ矢が、一人を狙って二人三人と倒す。
密集しすぎているのだ。
攻撃にも防御にも支障をきたすほどに。
「戦のイロハもわからぬか。
これが世界最強を謳われるアイリンの騎士とは嘆かわしいの」
戸口に仁王立ちしたカンハク。
青龍圓月刀が敵兵の首を二つ三つまとめて刎ね飛ばす。
シェルフィにしてもカンハクにしても、幾多の戦場を駆け抜けてきた歴戦の勇者だ。
したがって敵の無能が手に取るようにわかった。
だが、だからこそ、読めないこともある。
成算も計画性もない敵は、ときとして何の意味もない行動にでるものだ、ということを。
セムリナパレス占領は、後年、軍事史に金箔付きの文字で描かれるような奇跡であった。
首謀者たるセラフィル・サージが動員した兵は、わずか一七名。
寡兵と呼ぶのもばかばかしい手勢をもって王城を占拠した。
これは軍事の専門家の目を疑わせる、だが完全な事実だった。
このときセムリナパレスに残っていた兵は一〇万以上といわれ、一七名で戦えるようなものではない。
しかしセラフィルは、彼らをまともに相手にする気など毛頭なかった。
君側の奸を討つ。
彼女の目的もまた、これだったのである。
マヨロンが使ったような口実としてではなく。
その日、城に軟禁状態であったセラフィルは体調を崩した。
サミュエルに対する一応の人質でもある彼女を粗略に扱うわけにもいかず、サージ家からの見舞い客は、ごく簡単に入城を許される。
人数がやや多いことを気にとめた者もいなかったわけではないが、全員が非武装だったし、なにより武術の心得がありそうなのはセラフィルの夫であるスレイクルくらいのもので、あとの家僕たちは荷物持ち程度にすぎなかった。
少なくとも、王宮護衛士たちにはそう見えた。
むろん、それはセラフィルが趣向を凝らしたトリックである。
見舞いにきた一七名は、万屋のよろずをはじめ、すべてサージ家選りすぐりの勇士であり、小刀一本あれば一般兵の五人や六人は斬り捨てられる実力の持ち主だった。
そして小刀も、ちゃんと用意されていた。
見舞いの品である酒。
その酒壺の中に。
アルコールに長時間刃物を浸しておくのは良いことではないが、この際は一回きりの使用に耐えれば充分なのだ。
あとは、王宮護衛士を倒せば倒すほど武器は手に入る。
こうして、誰にも気づかれぬままセラフィルたちは完璧に準備を進め、計画を完璧に実行した。
行動開始からわずか二〇分で、外務大臣ギュシレ、財務大臣グスタマス、陸軍司令長官フォーリン、海軍総参謀長シザンなど、反サミュエルの大物たちが永遠に戦いのない世界へと旅だった。
第一王子マルスは捕虜として捕らえられ、公王リストグラは部下も家族も見捨てて単身で城から逃げたが、郊外で待ちかまえていた鋼心のシエストや忠烈のシャーロットといったサミュエル派の士官たちに拘束されるに至る。
王都の守備兵が気づいたときには、すでことが終わった後だった。
一時間足らずで権力を掌中に収めたセラフィル。
完璧な準備と完璧な行動。
「大セラ」という愛称が、一般人たちによって畏怖とともに囁かれるようになったのは、この事件がきっかけである。
これまでもこの愛称で呼ばれることはあったが、それは甥の婚約者であるセラフィン・アルマリックとニックネームが重なるため、単なる分類としてそう呼ばれていたにすぎない。
だが、このときから愛称の意味は変わった。
蓋世の軍師。
もうひとりのSSS。
稀代の用兵巧者を指す言葉となったのである。
「前にも言った通り、これは私のオリジナルではありません。
ちゃんと前例があるのです。
それにアレンジを加えただけなんですよ」
「謙遜ですね。
あなたは天才ですよ。
僕が保証します」
「逆ですよ。
よろずくん。
私にはそんな天賦の才はありません。
だから勉強も研究もする。
ただそれだけのことなんです」
セラフィルとよろずが交わした会話である。
セムリナが変わるための第一歩。
それが大きく刻まれた。
敵よりも多くの兵を揃える。
それが勝利の条件の一つめだ。
一つめがあれば二つめ三つめがあるのは道理で、有利な地形を選ぶとか、指揮官の意図を過たず迅速に末端部まで伝達するとか、腹背に敵を作らないとか、さまざまなものがある。
だが、まずは数なのだ。
たとえば二倍の敵と戦うということは、味方の兵士は全員、二人の敵を相手にしなくてはいけないということである。
なかには、一人で二人三人を倒せる勇者もいるだろう。
しかしほとんどの者はそうではない。
彼が二人を倒したとき、味方の兵士は倍の人数に敗れ、次の瞬間には四人を相手に戦わなくてはならないかもしれない。
さらに次の瞬間には、一〇人の敵に囲まれているかもしれない。
いずれは討ち取られてしまうのだ。
その意味では、セントカトリーナ島を襲撃したマヨロンやハーネイ王子らは間違っていない。
サミュエル軍の総兵力は最大で見積もって、一〇〇〇名程度。
海戦能力にいたっては帆船が一隻だけ。
対する反木蘭連合軍は陸戦兵力だけで二〇〇〇名に達し、二隻の戦艦を伴っている。
これで負けろという方が無理だ。
無理なのだが、
「数と装備だけで勝てるなら、青が大陸最強だと言われることなんてなかっただろうさ」
胸中にシンが呟く。
二〇〇〇対一〇〇〇。
まともに戦ったら勝ち目などない。
では、まともに戦わなかったらどうか。
その答えを、彼とクラウディア・ロペス、そしてマックベイン・ローゼンハイムが演出して見せた。
島の南と西から上陸した一〇〇〇名の反木蘭連合軍は、彼ら三人が率いるわずか二〇〇名のために、完全に足止めされている。
これにより、サミュエルたちはほぼ同数の敵と戦えば良いという状況になっている。
そして数が同じである限り、SSSとその側近たちは、常に敵を圧倒していた。
反木蘭連合軍としてはこの状況に焦る。
是が非でも、南と西の戦力も最前線に投入して、兵力の再逆転を狙うはずだ。
「となれば、次は当然」
ほくそ笑んだシン。
彼に与えられたわずか五〇名に、移動の指示を出す。
目前の戦闘を放棄して。
もちろん理由あってのことだ。
出血を強いられた反木蘭連合軍が次に取るべき選択は、犠牲を覚悟の上で隊列を組んで前進するか、味方の他部隊と合流して戦力の増強を図るか、いずれかしかない。
そして前者の可能性は低い。
密林地帯で対立を組んでもあまり意味がないし、シン隊の総数を掴んでいなければ、犠牲どころか全滅する可能性すらある。
であれば、はっきりと敵数がわかっている西側と合流すべきだ。
西側は五〇〇対一五〇の構図であり、足止めされているといってもほとんど損害は出ていない。
南側の残存兵力と合すれば、なお一〇〇〇名近い数になるのだ。
一五〇名程度の戦力など一撃で粉砕できる。
べつにおかしな考えではない。
力は集中してこその力である。
「相手がクラ公でなければ、な」
密林を移動したシンが見たものは、クラウディア隊によって戦線崩壊に追い込まれている反木蘭連合軍だった。
兵力の合流。
それこそがクラウディアが待っていた瞬間である。
二名の指揮官が顔を揃えたとき、ごくわずかに連携が乱れる。
「行くよ。
マック」
「了解です」
弓弦から放たれた矢のような速度で突き進むクラウディア隊。
誰が見ても無謀な突進。
自暴自棄になったか。
簡単に弾き返せる。
反木蘭連合軍はそう思った。
そしてそれは、思っただけだった。
みるみるうちに解体されてゆく戦線。
かつての軍事教練場でカイトス、木蘭の両将が感じた驚愕を、反木蘭連合軍の指揮官たちも味わうことになった。
崩れるはずのないポイントが崩され、指示が末端に届くより先に状況が激変し、兵は混乱の淵に叩き落とされ、なすすべもないまま撃ち減らされてゆく。
「ばかな……こんな馬鹿なことが……」
呆然と呟く指揮官。
一〇〇〇名が一五〇名の敵を相手に手も足も出ないなど。
とても信じられることではない。
「だが事実だ。
あいつはクラ公。
カイトスと木蘭を完敗させたクラウディア・ロペス。
冥土のみやげに憶えておくと良いさ」
声は至近から。
混乱の靄を突いて、シン隊が迫っていたのだ。
何か理不尽なものを見るような目で、迷彩を施したシンの顔を見た指揮官の首が、その表情のまま宙に舞う。
剣光が白から赤へと変わる。
「悪いな」
さして済まないとも思っていなそうな口調。
勝敗は決した。
散り散りになって逃げてゆく反木蘭連合軍。
「完全勝利ですよ」
と、マックベインが語った通り、シンとクラウディアの両隊を合して戦死者ゼロ、重傷者ゼロという完勝だった。
「とっとと操舵室を占拠しますわよっ!」
ラティナ・ケヴィラルが駆ける。
陰のように付き従うレスト・ジロリクム。
粗暴なように見えてラティナの判断は正しい。
もともとの戦力が違うのだ。
時間をかければかれるほど不利の幅は大きくなる。
現状、「希望の朝日」に接舷された「ヨーク&ランカスター」は動けない。
だが、セムリナの「イフリート」が残っているのだ。
「イフリート」ととしては、「ヨーク&ランカスター」ごと「希望の朝日」を撃沈しても、なんら痛痒を感じないだろう。
そうなる前に艦橋を占拠し、この艦の火力をもって戦わなくては、とうてい勝算など立てられない。
奇策は二度は通じないだろうから。
「時間がありませんわっ」
「ラティナっ!
適当に走り回っても埒があきませんよっ」
戦艦でも要塞でも同じだが、司令室には簡単にたどり着けないような構造になっている。
初めて入ったものが迷わないというのは、ほとんど不可能なのだ。
「シルフっ!
正しき道を我が前にっ!」
風の精霊の力を借りたレストが、慎重に道を選ぶ。
頷いたラティナ。
だが、その顔には焦りが浮かんでいる。
卓抜した戦士であり、優れた軍団経営者である彼女には時間がないことがわかっていた。
異変に気づいた「イフリート」が接近してくるまで、あと何分あるだろう。
五分か。
一〇分か。
それまでにこの海域を回復しなくてはならない。
「分の悪い賭ですねぇ」
「でも、そういう賭は嫌いじゃないですわ」
レストが割り出したポイントへと急ぐ。
やがて、艦橋に飛び込んだ彼女らが見たものは、
「遅かった……」
砲門を開いて近づいてくる「イフリート」。
魔力光が集束してゆく。
避けようがない。
「しかた、ありませんね」
奇妙に吹っ切れた表情のラティナ。
大きく舵輪を回す。
「何をしているんですか?
はやく逃げないと」
「ちびレストはお逃げなさい。
わたくしはまだちょっとやることがありますの」
「火事場泥棒ですか?」
「まあ、そんなところですわ」
冗談に冗談で応える。
もちろん彼女は泥棒などするつもりはない。
「ヨーク&ランカスター」を「イフリート」ぶつけるだけだ。
つまり、特攻である。
「レスト。
悪いのですが」
「わかりました。
他の味方に声をかけながらいきますよ」
彼は止めなかった。
誰かが残って艦の進路を定めなければならない。
その役割をラティナが買って出たというだけの話だ。
そしていまは譲り合いをしている場合ではないのだ。
「ラティナ。
必ず無事で」
防御魔法をかける。
気休め程度だ。
「もちろんですわ」
にやりと笑う黒髪の傭兵。
「悲壮や自己犠牲は、わたくしには似合いませんもの」
「……そういうことにしておきますよ」
駆け出すレスト。
静寂が艦橋を包む。
床に這いつくばるマヨロンを、ラティナが引きずり起こした。
「あなたは、つきあってもらいますわよ」
北側と東側から攻め上っていた反木蘭連合軍は、決め手を欠いたまま激烈な戦闘を繰り広げていたが、サミュエル軍の後背に軍勢をみたとき勝利を確信し、次の瞬間に敗北感に苛まれた。
現れたのは反木蘭連合の援軍ではなく、西と南の敵を蹴散らしたクラウディア隊だったのである。
「待ってたぜっ! シン!!」
テオドールが口笛を鳴らす。
「どうやら、勝ったようだな」
背中を守っていたキキ・インクに笑いかけるサミュエル。
「そのようです」
髪をかき上げた神官戦士が、ごくわずかに微笑した。
戦意を喪失した反木蘭連合軍はじりじりと後退し、やがて全面的な壊走となる。
ただ、彼らを守るべき戦艦の二隻は、すでに戦力を喪失していた。
「あちらも、片が付いたようだ」
「当然でしょう?
俺の女神に不可能なんかないですよ」
合流したテオドール。
このときばかりは照れもせず、自分、という一人称代名詞すら普段のくだけたものに戻して、サミュエルの肩に腕を回す。
子供のころから変わらない友情。
やや眩げにリアノーン・セレンフィアが二人の男を眺めやった。
隣家から火が出たとき、シェルフィは我が目を疑い、ついで事実に愕然とした。
反木蘭連合軍は無差別攻撃を開始した。
その事実に。
花家上屋敷の周囲は、高級住宅街だ。
どの屋敷にも私兵はいるだろうし、そもそもそんなところを攻撃したら、文官派の支配基盤がいっぺんに崩壊してしまう。
それを知っていたからこそ赤も介入しなかったのだ。
「カンハクさんっ!」
「わかっておる。
このまま手をこまねいて見ているわけにもゆくまいて」
息長く守って、敵が諦めるまで待つつもりであったが、そうもいかなくなった。
バカどもが自滅するのは勝手というものだが、
「ご近所さまに迷惑をかけては、この花家が鼎の軽重を問われますからね」
フィランダー・フォン・ファ。
現在の花男爵である。
木蘭の陰に隠れて印象は薄いが、二〇代で閣下の称号を得たほどの切れ者だ。
「打って出る。
文官派のクソゴミどもを一人も生かして帰すなっ!」
苛烈な命令。
なんというか、ブチ切れている。
「切れ者の意味が違います……」
滂沱の涙を流すのは奏天少尉。
フィランダーの副官である。
彼女は自分の上司が穏和な常識人だと知っていたが、そういう人物こそキレたら怖いということを、それ以上によく知っている。
それにしても、一万五千もいる反木蘭連合軍に対して、こちらは数百名しかいない。
勝算など立てようがない。
「仕方ありませんね……あの方たちに連絡してください」
溜息とともに指示を出す奏天。
じつのところ、こういう事態も想定していなかったわけではない。
できれば使わずに済ませたかったが、そうもいかないようだ。
「まったく、妻も夫もその部下も人使いが荒いのは一緒だねぇ」
アイドリッヒ・ファルザーがぼやく。
彼がいるのは路地裏。
そして、そこにいるのは彼だけではない。
イアン・ウェザビィをはじめとした「調査室」の面々、黒に所属する特殊部隊。
騒ぎが大きくなりすぎたときに備えて待機しているのだ。
「ま、後片づけが僕たちの仕事ですから」
陰のように移動する。
無関係の屋敷に入り込んだ馬鹿どもを刈り取ってゆくために。
「わしらも、鬼退治といこうかの」
「はい。
旦那さま」
青龍圓月刀と、長刀を手にカンハクと秀蘭が前進する。
たった二人なのだが、彼らが一歩すすむごとに、黄金や白銀とという装飾過剰な名を与えられた騎士団が、二歩三歩と後退した。
圧倒的な威圧感。
圧倒的な恐怖。
そしてそれは、彼らの背後から白馬にまたがった木蘭が現れたとき、最高潮に達した。
崩れる。
逃げ崩れてゆく。
現世の軍神をまえに、反木蘭連合軍の戦意は挫けた。
こんな人と戦おうとしていたのか。
そもそも、こんな人に勝てるつもりでいたのか。
「どうした?
わたしを討ち取れば名が上がるぞ」
挑発にいきり立った五人ほどの傭兵が突きかかる。
そして蛮勇の報いは一瞬で与えられた。
鮮血をまき散らしながら宙に舞う五つの首。
軌道すら見えない剣技。
「本気になった木蘭さまか。
初めて見るのぅ」
楽しげなカンハクの言葉。
背筋を戦慄が走っているのを自覚する。
この勇将をもってしても、震えが止まらないほどの強さ。
白馬が駆け、剣が閃くごとに、敵兵が打ち減らされてゆく。
一秒の遅滞も、一ミリの無駄もない動き。
人の身が、どれほど強く美しくなれるか。
その答えがここにあるようにすら思える。
生きながら伝説となった女騎士。
「いつみても、ほれぼれいたしますわ。
お姉様の戦姿」
「まったくじゃのう」
感心する夫婦だったが、感心とは対局に立つものも存在する。
花家襲撃の指揮を執っているゲストネルだ。
「なぜだっ!?
何故こんなことになるのだっ!?」
脱落してゆく同志たちの人波に押されながら叫ぶ。
彼らの戦力は一万五千を数える。
それが数百名に敗れるなど、ありえないではないか。
どれほど木蘭が勇猛を誇ろうとも、押し包んでしまえばよかっただけだ。
屋敷に入れないならば引きずり出せば良い。
そう考えて周囲の屋敷に火をつけたのに、むしろその時点からの方が損害が増している。
ゲストネルは気づかないが、状況が混乱したからこそ、ファルザーやイアン、イニゴ・モントイヤといった影働きのものたちがフリーハンドで動けるようになったのである。
彼らは的確に指揮官を潰している。
反木蘭連合軍は統制を失い、集団として機能しなくなりつつあるのだ。
そこにもって木蘭の登場と、カンハクやシェルフィの剛勇である。
最下級の傭兵たちでは戦線を支えられない。
「こんなことではっ!
マヨロンさまに申し開きがっ!!」
「やれやれ。
この期に及んでまだそんなことを言ってるとはねぇ」
耳元で囁く声。
ぎょっとしたように振り返ったゲストネルだったが、その瞳は誰も映し出すことはなかった。
否、何もというべきか。
光を失った目。
笛のような音を立てて首筋から血が吹き上がる。
正面衝突した戦艦二隻が煙を上げている。
ヨーク&ランカスターとイフリート。
無敵の火力を誇る魔晶艦が身動きも取れないまま苦悶に震えている。
次々と救命ボートがおろされ、乗組員たちが脱出してゆく。
どちらの艦も命運は尽きたようだ。
ゆっくりとヨーク&ランカスターに舷側を寄せた希望の朝日号。
「ラティナー!
無事ですかーっ!」
大きく身を乗り出したレストが声を張り上げる。
「そんなに怒鳴らなくても聞こえていますわよ」
左手でマヨロンを引きずった大柄な女が、満面の笑顔とともに姿を現す。
敵の首魁を捕らえ、敵戦艦を行動不能にした功績は、失策を補ってあまりある。
ラティナでなくても上機嫌になろうというものだ。
「こっちも片づいたわよ。
さっきハーネイ王子の死亡が確認されたわ」
「なんとまあ……」
セラフィンの話によると、戦艦同士の衝突の衝撃でバランスを崩したセムリナ第二王子は壁と床に相次いで頭部を強打し、そのまま帰らぬ人となった。
運がなかったというしかないが、これもまたラティナの戦功のひとつかもしれない。
「さて。
帰りましょうか」
「どちらへですか?」
「あんたたちはアイリンへ。
あたしたちはセムリナへ」
「ということは、本当に片が付いたのですわね」
「そうね。
叔母さまにはますます頭が上がらなくなっちゃう」
「なんですかそれは?」
くすりと笑いあう女戦士たち。
ずいぶんと久しぶりに笑ったような気がした。
「ご苦労だったな」
「いえいえ。
簡単な仕事でしたよ」
中年男の前に立った若い男が唇を歪める。
前者をクロムアーサ・ファフテン。
後者をランスロットという。
「木蘭派だのSSS派だのといっても、しょせんは力頼みの単細胞ですなぁ。
すべてはファフテン卿の掌の上ですか」
軽口を叩くランスロットに、ファフテンは無言のまま布袋を差し出す。
ぎっしりと金貨が詰まった。
木蘭派の情報を収集した報酬であり、マヨロンたちに都合の良い情報を渡した報酬であり、ゲストネルの息の根を止めた報酬である。
「ありがとうございー」
盗賊が卑屈に頭を下げる。
やはり無言のまま手を振る財務次官。
退出せよ、という意味だ。
もちろんランスロットは逆らわなかった。
ドブネズミを追い払ったファフテンが窓際に立つ。
「掌の上、か」
ブラインド越しの街並み。
長い夜がようやく明けた。
おそらくは、すべてあの女将軍の思惑通りに。
暴発した不平文官や不平貴族の多くはこの世を去り、生き延びた者たちには厳罰が科せられるだろう。
つまり、たくさんの空席が生まれるということだ。
そこに座るのは、腐敗臭のない、清新な人材である。
リスアップはすでに済んでいる。
そのように彼が動くだろうことは、疑いなく女将軍の予想の範囲内だ。
堂々と後始末を押しつけてきているのだ。
「こうしてまた花木蘭の伝説に、ひとつのエピソードが書き加えられました」
唇がゆがむ。
まあ良い。
栄光や賞賛など、彼は求めていなかった。
結果として才能あるものたちにチャンスが巡ってくることになったのだから、それで良しとするべきだ。
面白くはないが。
「後世の人々は、この時代を指して「木蘭の時代」と呼ぶ、のだろうな」
獅子賢と呼ばれる男。
彼は思う。
常勝将軍と同じ時を生きる自分は、はたして幸福なのか、不幸なのか、と。
サージ家のパレス占領は長期間に及ばなかった。
具体的には、占領から三日後には公王リストグラに返還されている。
サミュエルの罪を問わず、ふたたびセムリナに復帰させる、という条件をリストグラが快諾したからだ。
立役者であるセラフィルは責任を取ると称して蟄居してしまったが、これもまた短期間で終わる。
セムリナも今回の混乱で多くの人材を失い、折り紙付きに優秀な彼女を遊ばせておくわけにもいかなかったのである。
事態が一段落すると、アイリンもセムリナも旧弊が改められ、新たな協調路線を歩み始めることになった。
たとえばセントカトリーナ島は両国共同での再開発が決定され、貿易中継地として生まれ変わる。
平和と繁栄の時代。
いずれセムリナとアイリンの間には対等な条約が結ばれ、たとえばルーンのような盟友になるだろう。
ドイルやバールも同様だ。
「見事に決まりましたね。SSS」
満開の花園。
歩み寄った青年が笑いかける。
「よしてください。
その称号はあなたのものですよ。
サミュエル」
振り返った女が笑う。
「や、私には過分なんですよ」
「私だってそうです」
豊穣な香りを風が運ぶ。
この年、大陸暦二〇〇七年の夏に起こった動乱は「熱風の戦女神」という名の戯曲となり、多くの役者や脚本家たちに日々の糧を与えることとなった。
その中で主役として描かれることが多かったのは、セラフィル・サージ・オブ・セムリナ。
つまり、もうひとりのSSSである。
「もう引退して、家庭に入りたいんですよ?
本当は」
「まだ無理でしょう。
それに」
「それに?」
「公職を退いたら、今度は私事が忙しくなるものなんですよ。
たとえばテオたちが結婚の媒酌をお願いしたいと言ってましたよ」
「……テオたちだけですか?
あなたはどうなんです?」
「ばれましたか。
私たちのも、ぜひ」
「困った教え子たちですね」
微笑。
強さを増した風が花びらを舞わせる。
色とりどりの。
どこまでも蒼い空。
こんなときがいつまでも続けばいい。
乱れた髪をかきあげ、胸中にセラフィルが呟いた。