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アイリーンの旋風

第四話

 暗礁海域からサミュエル・スミスたちが脱出してから、一〇日あまりが経過した。

 王都アイリーンは奇妙な静寂に包まれている。

 裏の事情は明々白々なのに、どの陣営も動かない。

 というより、動けない。

 公王リストグラを中心とするセムリナ現王家の勢力は、現在のところ打開策を持ち合わせていない。

 そしてそれはアイリンの反木蘭派も同じである。

 自分たちには飛び火しないように策を巡らせたため、このような事態になってしまうと身動きのとりようがなくなくなる。

 その点、最初から旗幟を鮮明にしていた木蘭派などはずいぶんと動きやすい。

 SSSたちは自分たちの手で救うと最初から名言しているからだ。

 セムリナ本国は、さしあたりの措置としてSSSの身柄を引き渡すように要求しているが、アイリン王マーツの返答は、


「SSSことサミュエル・スミス卿は海賊に襲撃され重傷を負われ、入院加療中である。

 傷病者を無理に移動させることは、医学的にも、また人道的にも容認することはできない。

 事情の聴取等は、彼の退院後あらためて行うべきであり、大破した戦艦ティターニアについても、それに準じて調査を行うべきであろう」


 えらく悠長なものだった。

 少なくとも大衆の目にはそう映った。

 だが、これは重大な政治的取引なのである。

 暗礁海域に置き去られたままのティターニアには、セムリナ海軍が付けた傷が多く残っている。

 これが明らかになると、セムリナとしてはおおいにまずい。

 調査時期を遅らせてやるから、その間に証拠を隠滅してはいかがか、とマーツは言っているのだ。

 そのかわり、現状でのサミュエル引き渡しは諦めろ、と。

 この提案は呑まざるをえない。

 苦々しく思いつつも。

 SSS陣営は、動くにも体力が伴わない状態だ。

 多くの仲間と戦艦を失い、駐アイリンセムリナ大使館に足止めされている。

 このように事態が一段落すると、木蘭派のみ有利な状況が浮かび上がってくるのだ。

 ティターニア襲撃事件の際には最も遠いポジションにいた筈なのに。

 先見力と実行力。

 セムリナ旧勢力とアイリンの文官たちが認めざるをえないところだった。

 だが、現在のところ木蘭派は大きな動きを見せていない。

 何を考えているのか。

 疑念を募らせたまま、ただ時間だけが過ぎてゆく。


「実際の話、文官どももセムリナ旧体制派も、木蘭さまの影におびえているだけなんだ。

 現在のところはな」


 青年騎士が口を開いた。

 王都アイリーン中央ブロック。

 青の軍司令部。

 ピレンツェ大隊の隊長オフィス。

 もちろん部屋の主は隊長であるピレンツェ・ルート・カイトス大佐。

 アイリン軍の将来を担う俊秀の若手士官だ。


「だろうな」


 軽く頷く男。

 白い肌と華奢な身体。

 尖った耳。

 エルフである。

 名をシン。

 セクシーコマンドー使いのシンとかエロフとか呼ばれることもあるが、自称している通り名は、空飛ぶ一角獣のシンという。

 赤の軍に所属する少尉だ。

 武闘大会でベスト四まで勝ち残った強者だが、容貌からその剛勇を推し量るのは難しい。

 視線で先を促す。

 周囲に人はいない。

 すでに人払いされているからだ。


「いずれこの二つの勢力は野合する」

「単独ではミストレスに勝てないからか?

 やや単純すぎる気もするな」


 二人の間には四つほどの階級が横たわっているが、友人としての言葉遣いであった。

 それだけの信頼を互いに勝ち得ている。


「勝ちたいから、というのであれば単純すぎる話だが」

「心に闇を抱くものは常に影におびえる、か」

「ご明察」


 ピレンツェの賞賛に苦い笑みを浮かべるシン。

 彼にもわかっていることなのだ。

 花木蘭という存在は圧倒的すぎる。

 何をやっても、どんな選択をしても、あの常勝将軍には勝てないのではないか、という印象を万民に抱かせるほどに。

 むろんそれは錯覚だ。

 人間である以上、無謬でいられるはずもない。

 ミスもすれば誤断もする。

 現に、敬愛すべき女将軍の身体は病魔に蝕まれているではないか。

 しかし、それでも他者は木蘭の絶対性を疑わない。

 敵も味方も。

 シンの知己である魔法使いの少女は、これを称して「死に至る病」と呼んでいた。

 彼も同様の感想を抱いている。

 あまりにも巨大すぎる存在ゆえ、失われたときの空隙が小さかろうはずがない。

 下手をすればアイリンという国そのものが崩壊するかもしれない。

 中央大陸の雄たるアイリンが崩壊したらどうなるか。

 群雄割拠の時代が訪れても何ら不思議ではないのだ。

 未来をシミュレートすると戦慄すら覚える。

 セムリナ旧体制派もアイリンの文官たちも、木蘭の力を怖れるという点で共通している。

 将来のことはともかくとして、現時点では汚れた手を握り合う可能性は充分に考えられる。

 真に国益を考えているならそんなことは絶対にしないだろうが、文官の多くは自らの保身と栄達しか考えていない。


「木蘭さまは、この件に関してたったひとつだけミスを犯された。

 そこを突かれると少しばかりまずい状況になってしまうかもしれん」

「というと?」


 青騎士の言葉で現実の地平へともどるシンの意識。

 彼は目の前の騎士やクラウディア・ロペスのように常勝将軍に心酔している訳ではない。

 だが、木蘭を失いたくないという思いに偽りもない。

 彼女の個性、力量、可能性。

 それらすべてが眩しく感じられるし、なにより彼はあの女将軍が好きなのだ。

 恋愛という意味ではない。

 アイドリッヒ・フォルザーあたりの言葉を借りれば「どんなに美しいったって、抜き身のカタナを抱いて寝るバカがいるか?」ということになろうか。


「ラティナ・ケヴィラルという女を知っているか?」

「聞いた名だ。

 たしかホープの団長だったか」

「ああ。

 そのラティナに木蘭さまはSSSに宛てた親書を預けたそうなんだが」

「届いていない、ということか?」


 腕を組むシン。

 すでに敵の手に落ちてしまった、とは考えにくい。

 もしそうなら、文官連中は鬼の首でも取ったかのように攻めてくるだろう。


「となれば、渡すのを躊躇っている、といったところか」

「俺もそう思う」

「ちなみに内容は?」

「知りたいか?」

「……いや、訊かずにおこう。

 私は何をすればいい?」

「親書が文官派に渡るとまずい」

「奪うか」

「方法は任せる」

「了解した。

 スコッチ一本くらいはおごれよ」

「ダースでおごってやるさ」

「それは大変だ」




 王都アイリーンの夜は明るい。

 人工の光に満ちているから。

 人々は闇を怖れ、自ら作り出した光でそれを駆逐しようとする。

 だが、すべての闇を払うことなど、できるはずもない。

 作られた光が明度を増すほどに、生まれる闇も深くなるのだ。

 まるで、


「まるで、木蘭将軍と裏社会の関係のようだと思いませんか?」


 歓楽街として知られる東ブロック港通り。

 薄汚れた壁にもたれかかるように立った男が呟く。

 独り言、ではない。


「何の用だい?

 ゴシップ屋」


 応じる声。

 こちらも男のものだ。

 わだかまる闇に溶けるような。


「ちょっと取材よろしいですか?

 お時間は取らせませんよ」

「男に付き合う時間は一秒でももったいないんでね。

 丁重にお断りするよ」


 街灯の光が二人の男の顔を撫でる。

 一方はエイリアスと名乗る新聞記者。

 もう一方はランスロットと名乗る冒険者。

 どちらの名も自称だ。


「そんなこと言わず。

 教えていただけませんか?

 どうしてファフテン卿に尻尾を振っていたあなたが、いまになってマヨロン公爵と密会をするのか」

「さあて。

 なんのことやら、おいらにはさっぱりだね」

「そうですか。

 では私の推理を言って良いですか?」

「ご勝手に」


 肩をすくめるランスロット。

 だがその両手はポケットに隠されたまま。

 やや剣呑な気配を含んで。

 気づいているのかいないのか、どうもと呟いたエイリアスが煙草に火をともす。

 ゆらゆらと紫煙が闇に溶けていった。


「ファフテン卿は剛の人だ。

 木蘭さまの専横を止めようとは思っていても、木蘭さまの殺害までは考えていない。

 そんなことをしたらアイリンが崩壊してしまいますからね。

 でも俗物のマヨロンは違う。

 彼は権力が欲しいだけ。

 その後の展望などなにもない。

 木蘭さまを殺してでもこの国の実権が欲しい」

「…………」

「そんな人物にどうして力を貸そうとするんです?」

「…………」

「マヨロンは目先のことしか見えていない小者ですからね。

 勝つためなら手段を選ばない。

 木蘭さまとのパイプを持ったあなたは実に魅力的だ。

 金に糸目をつけないでしょう」

「…………」

「つまりあなたは報酬目的に釣られて、マヨロンに付いた」

「…………」

「という話だったら簡単で良かったんですけどね」

「……へぇ」

「ランスロットさん。

 私は感謝しているんですよ。

 盗賊ギルドを潰してくれた木蘭さまにね。

 おかげで多くの者が闇の世界から抜け出すことができた。

 光の下で生活できるようになった」


 じりじりと。

 視認できないほどゆっくりと、二人の距離が開いてゆく。


「アンタは足を洗ってカタギの新聞記者になれた。

 けっこうなことじゃないか。

 そのまま穏やかに生活していればいいだろ」


 まだランスロットはポケットから手を出さないが、確実に殺気が高まっている。


「私一人ならそれも良いでしょうが。

 マヨロンは失われた盗賊ギルドのアイリーン支部を復活させるとでも約束しましたか?」

「さてね」

「困るんですよね。

 みんな平和に生きたいんですから」


 静から動へ。

 変化は一瞬だった。

 一挙動で距離を詰めるエイリアス。

 右手に鈍く光るナイフ。

 半歩だけさがったランスロットがポケットから両手を抜く。

 迎撃、ではない。


「くっ!?」


 濛々たる煙に包まれた新聞記者が、おおきく後ろに飛んだ。

 放たれていた殺気はフェイクである。

 時ならぬ夜霧が晴れた先には、すでにランスロットの姿はなかった。




 必要悪などというものはない。

 少なくともシェルフィ・カノンはそう思っている。

 盗賊ギルドはアイリーンの裏町を独自のルールで支配してきた。

 そしてそれが一定の秩序と平和をもたらしてきた。

 事実なのかもしれない。

 だが、それがなんだというのだ。

 べつに盗賊ギルドがなくなったからといって一般人は困らない。

 治安維持ならば赤の軍がいるし、弱者救済なら王国政府が行えば良いだけの話である。

 アイリンの法を破り、あるいはかいくぐって生息しているものたちが、自分たちは必要な存在であると主張する。

 片腹痛いとはこのことだ。

 法を守り、毎日を慎ましく生きる人々に迷惑をかけて、何が必要か。


「潔癖だと疲れるぜ」


 横を歩くカールレオン・フォン・グリューンが笑う。


「なにがよ?」

「気楽に気楽に。

 人生テキトー」

「なに言ってんだか」


 生まれたときから一緒の二人。

 陸軍と海軍に道が分かれた今となっても、培った絆は色あせない。

 カールレオンにはシェルフィの気持ちがわかるし、シェルフィにはカールレオンの心がわかる。

 どうして恋人同士でないのか不思議なほどだ。


「ネーサンの考え方が必ずしも正しいとは限らねえが、文官連中のは明らかにおかしいだろ。

 それで十分じゃねえかな」

「……そうだね」


 現実とやらを振りかざす文官。

 話を聞いているとつい騙されそうになるが、現実問題として彼らは不正を行っているのだ。

 大商人から賄賂を受け取り、市民の訴えを握りつぶし、巨額の国費を私物化し、後ろ暗い者たちと結託している者まで存在する。

 それを正当化するために現実だの国政の円滑だのを口にする。

 人は理想だけでは、正義だけでは食べていけない、と。

 理想だけでは生きていけないから悪いことをしてかまわないのだろうか。

 賄賂を送った商人が文官に便宜を計らってもらい、大きな仕事を任される。

 それでみんなが潤う。

 では、賄賂を送らず、その仕事から外された商人はどうすればいいのだろう。

 悪いことをしなかったから仕事にあぶれる。

 それが正しい姿なのだろうか。


「木蘭さまがSSSを助けようとするのって、どうなんだろ?

 彼はアイリン人じゃない。

 彼を助けてもアイリンはまったく得をしない。

 それどころか損になることばっかりだと思う。

 でも……」

「俺には難しいこたぁわかんね」


 名門グリューン家の当主として、わからないのはまずいと思う。

 呟いてから、昔とまったく変わらない幼なじみに微笑を向ける。


「あたしはセムリナが嫌い。

 だけど、滅びてしまえとは思ってない。

 木蘭さまはどう考えてるんだろ……」

「それと、SSSがどう思っているかも知りたいな。

 まあだからこその事前交渉だろ。

 弾いてみなきゃ弦の調子はわかんねーからな」

「そうね」


 見上げる瞳。

 映る白亜の建物。

 セムリナ大使館だ。

 ここにSSSがいる。

 会って、確かめなくてはならないのだ。

 真意を。




「大聖堂は全力を挙げてサミュエルさまをバックアップいたします」


 美貌の神官戦士が告げる。

 キキ・インク。

 セムリナ教の大神官マデル・ロックフォードの使いである。


「それはありがたいな」


 ベッドに上体を起こしたサミュエルが形式的な礼を述べる。

 現状、セムリナのどこまでが味方かわからない。

 いちはやく大聖堂から使いがきたのはありがたいが、これだって完全に信用するのは危険だ。


「どうも疑心暗鬼になっているようだ」


 自分の考えに苦笑する金髪の青年騎士。


「サミュエルさま。

 お訊きしてよろしいですか?」


「なにかな?

 キキ嬢」

「セムリナに居場所のなくなったサミュエルさまはアイリンに亡命するのではないか、と、一部の国民が噂しております」


 真剣そのもののキキの言葉。

 セムリナ公国にとっても、彼女個人にとっても看過しえぬことである。

 かつてセラフィン・アルマリックが亡命したとき、セムリナの力は倍になりアイリンの力は半分になったと言われた。

 厳密な数字とは無関係に、そのくらいの衝撃があったのだ。

 そしてサミュエルの影響力はセラフィンとは比較にならない。

 もしアイリンがサミュエルを得たなら、その力は大陸を席巻するほどのものとなる。

 花木蘭、ガドミール・カイトス、サミュエル・スミス。

 世界最高の軍事的才能が一堂に会し、他国にはそれと並ぶだけの将帥はいない。

 それどころか、アイリンの同盟国であるルーンにはオリフィック・フウザーがおり、魔法使いギルドまでもがアイリンに与する可能性があるのだ。

 政治的中立を謳う魔法使いたちだが、どこかの国に肩入れした例など枚挙に暇がないのだから。


「私はセムリナを愛しているんだ。

 私なりにね」


 サミュエルが微笑した。

 それはそうだろう、とキキは思う。

 最強の海軍を組織したにもかかわらず無法な戦いには必ず反対し、民や将兵を慈しみ、公王リストグラや重臣たちにも直言を辞さない。

 すべては国を憂えばこそだ。


「だが、今の私に帰る場所がないのも事実だ」


 本国に帰還すれば、今度こそ暗殺されるだろう。

 ティターニアを失い、多くの勇猛な騎士たちを失ったいま、サミュエルを守れるものはほとんど存在しない。


「これ以上、死なせたくないとお考えですか?」

「こんなことで死ぬのはくだらない、とは思わないか?」

「そうですね……」


 この言葉でキキはサミュエルの真意を悟ったように思う。

 セムリナに戻れば戦いになる。

 アイリンに残ればやはり戦いになる。

 であれば、


「サミュエルさま。

 私の力、存分にお使いください」

「痛み入る」


 頷きあう男女。

 示された新たなる道。

 それは……。




「できれば手荒なことはしたくない。

 親書を渡してくれないか?」


 シンが手を伸ばす。

 じりじりと後退するラティナ。

 自信家の彼女だが、武闘大会ベスト四のシンに勝てるとは自惚れていない。


「どうしてそうまでして木蘭さまの味方をしますか?」

「それはこちらが問いたい。

 何故文官たちに肩入れする?」

「あなたにはわかりませんわ」


 わかるわけがない。

 没落貴族の苦しみなど。

 文官たちは約束した。

 成功すれば一州の領地と男爵位を、と。

 それはケヴィラル家の悲願。

 父の代で失ったものを娘が取り戻す。

 この機会を見逃すわけにはいかないのだ。


「あなたにはわかりません」


 短槍を構える。

 シンの手が腰に伸び、天叢雲を掴んだ。


「文官どもは、貴女が考えているほど甘くない」


 ラティナの働きによって常勝将軍が追いつめられ、文官たちが勝利を収めたとする。

 そのときラティナはどうなるか。

 褒賞をもらってさようなら、ということにはなるまい。

 文官たちの工作の生き証人だ。

 まして木蘭のような影響力の大きな人物ではない。


「消されるぞ?」

「…………」


 文官、官僚、どういっても良いが彼らはべつに殺人鬼集団ではない。

 だが人道主義者の団体ではそれ以上にないだろう。

 必要であれば殺人も躊躇わない。

 事情を知っている上に用済みのラティナが消されない方がどうかしている。


「ミストレスには私から取りなそう。

 だから戻ってこい」

「…………」


 言葉を失うラティナ。

 もともと単純で剛直な人間ゆえ、シンの言葉は重かった。

 かたりと短槍が落ちる。

 優しく女戦士の肩を叩くシン。


「よかった。

 もし貴女を失えば、ミストレスは悲しむだろう」

「……そうでしょうか……」

「そういう人だということは、貴女もよく知っているのではないか?」

「そう……ですわね」




 口ほどにもない。

 なにがSSSの師か。

 完璧な筈の作戦が破れ、セラフィル・サージの発言力は激減した。

 人間というのは基本的に勝手なものである。

 たとえば医者にかかったとき、回復は不可能に近く治療しても治る可能性はほとんどないと言われても、たいていの患者はそれでもいいから治療してくれと頼む。

 そして上手くいかないと医者の責任を追及する。

 最初から、不可能に近いと言われていたのに。

 SSSはセムリナ最強の将帥であり、それに勝利するのは容易なことではない。

 もし容易なら、彼はとっく始末されていたはずだ。

 彼の師であるセラフィルでも勝てないとすれば、セムリナにはSSSに勝てる人材などいないのである。


「なのに、この扱いとは」


 憤る万屋のよろず。


「でも、これで動きやすくなったわ」


 微笑が窓に映る。

 ほぼ軟禁に近い状態だが、セラフィルはべつに絶望したりしなかった。

 ティターニア襲撃に関して、彼女以外の人間の手が動いていることが確認できたという事情もある。

 聖戦の発動。

 そこまで指示したりなどしていない。

 つまり、どうあってもサミュエルを亡き者にしたい人間がいるということだ。

 それはすなわち、公王リストグラの耳に野心の吐息を吹きかけた人物だろう。


「そのあたりを探れば良いですかね」

「そうね。

 あと気になるのは……」

「アイリンの文官派とセムリナの公王派が手を結ばないか、ですか?」

「よくわかったわね」

「なかなかの洞察力でしょう、と言いたいところですがね」


 窓の外から伝わる苦笑。

 セラフィルの心配は意味がない。

 というのも、すでに遅きに失していたからだ。


「今朝、マヨロン公爵の使者とかいう人物が密かにパレスに入りましたよ」

「そう……」


 肩を落とす女騎士。

 花木蘭がサミュエルの味方をした。

 公王派だろうとアイリンの文官派だろうと、単独で対抗することはできない。

 いずれ汚れた手で握手するのではないかと思っていたのだが。


「引き続き情報を集めますけど、セラフィルさんも脱出の用意はしておいてください」

「必要ない、と言えるほど簡単な状況じゃないかもね」

「杞憂であれば良いんですがね」


 遠くを見つめるよろず。

 遙か北。

 事態は動いているのだろうか。




 広い円卓。

 木蘭の正面にSSSが座し、親書に目を通している。

 彼の左右にはテオドール・オルローとリアノーン・セレンフィア。

 腹心中の腹心だ。

 対する木蘭が引き連れてきたのは、カールレオンとシェルフィである。

 こちらはあまり腹心とは言えないし、シェルフィに至ってはセムリナを毛嫌いしているので、人選としてはあまりよろしくないようにも見える。


「起きられるようになって良かったな」

「まだちょっと痛みますがね」


 女将軍の言葉に笑う若き名将。

 笑えるほどには回復したということだろう。


「まずは礼を言わせてください。

 木蘭将軍のご厚意で、なんとか生き延びることができました」

「そなたはついでだ。

 セラを死なせたくなかっただけなのでな」


 口ぶりに顔を見合わせて苦笑するカールレオンとシェルフィ。

 木蘭の言葉は本心なのだろうが、もうすこし気の利いた言い回しをすれば良いものを。


「ところで、この提案なのですが」


 視線を親書へと落とすSSS。

 留保の色が濃い。


「どのような真意がおありですか?」


 ストレートな問い。

 明敏なサミュエルでも戸惑うことがあるのか、と、リアノーンが目を見張った。

 それほどまでに突飛な提案だったのだ。

 花家が所有する広大な土地のうち、東海に浮かぶ小さな島、セントカトリーナ島を譲渡したい、とは。


「そなたはセムリナに帰ることができず、かといってアイリンに仕えるつもりもないであろう?」


 であれば独自の道を歩むのがベターではないか。

 政争と戦争から身を退き、穏やかな生活を送るのも悪くないだろう。


「つまり、閣下に隠者になれとおっしゃるのか」


 握った拳に、テオドールが力を込める。

 サミュエルはまだ三〇にもなっていない。

 表舞台から引退するには早すぎる。

 ちっぽけな無人島などもらって、世捨て人のように暮らせというのか。

 それに、譲渡されるといってもセントカトリーナ島はアイリンの了解にあるのだ。

 これでは監視されているのと同じである。


「ひとつ伺ってよろしいですかな?

 木蘭将軍」


 テオドールの激昂を抑えるように、サミュエルが口を開いた。


「なんなりと」

「どうしてこの島なのだろうか。

 花男爵領の中ならば、他にいくらでも選択肢があろうに」

「そうだな。

 わたしは老人になったらセントカトリーナに住もうと思っていた。

 それがさしあたりの理由かな。

 あの島のすばらしさはセラもよく知っているぞ」

「そうですか」

「結論は急がぬ。

 傷が完治するまでゆっくり考えるが良い」


 ゆったりとした笑みを木蘭が浮かべた。




「テオドール」


 密談の場となったホテルを出たところで、テオドールは知った声に呼び止められた。


「シンか。

 相変わらず君のミストレスには驚かされるよ」


「まあそういうな」


 苦笑をたたえる妖精の騎士。

 肩を並べて歩き出す。


「セントカトリーナ島について、なんだがな」

「ああ」

「三〇〇年ほど前、海賊の中の海賊と呼ばれたキャプテン・モラクという人物がいたらしいんだ」

「うん?」


 話が急に飛ぶ。

 首をかしげるテオドール。

 かまわずシンが続ける。


「モラクが生涯を賭けて集めた莫大な財宝を、秘かにどこかに隠したらしい」

「…………」

「金貨一〇億枚とも二〇億枚とも言われるそれは、東海の島々のどこかに眠っている」

「それがセントカトリーナ島だとでも?」

「さてな」

「あきれたな。

 宝探しでもしろというのか」


 肩をすくめる。

 だが、意外に真剣な顔をするシン。


「その宝があれば、もう一度勝負できるのではないか?

 世界の海を相手に」

「…………」


 隠者として終わりたくない。

 そういったのは自分ではなかったか。

 徒手空拳からだって這い上がるべきなのだ。

 これは好機だ。


「セラも行ったことがある、という話だった」


 夏の風。

 くすんだ金の髪を舞い上がらせていた。

 挑むように。

 けしかけるように。

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