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ご褒美には中華料理

あの後の話し合いの結果、俺たちが天木先輩にしてもらったことは三つ。一つは授業中に積極的に発表すること。全校生徒の人数と一クラスの人数では比較にならないかもしれないが、やらないよりはマシだろう。成功体験を積むっこともできるし、失敗したとしても授業内のミスぐらいで馬鹿にする人間なんていうのは実際ほとんどいない。失敗しても気にすることはないということを実感してもらうことも狙いの一つだ。二つ目は俺たちの前での発表練習。少しでも人の視線に慣れるための練習としてやってもらった。授業での発表だと観客と向かい合って発言するわけではないから、そこのギャップを埋めるために行った。最初こそ緊張していた先輩だったが、慣れてきたようで、大分上手くなった。本番もあの調子でいければ依頼は大成功と言えるだろうな。そして三つ目は俺の考えた秘策のためのお願い。この秘策というのは先輩がどうしようもなくなったときの保険だ。使わないで済むことを祈る。


そんなこんなで本番前日の放課後。今日も俺たちは屋上にて、天木先輩の練習に付き合っていた。

「ど、どうでしょうか」

原稿を手に持つ先輩がベンチに座ってスピーチを聞いていた俺たちに問いかける。原稿には所々シワがついていて、練習をたくさん行ってきたことが分かる。きっと俺たちが見ていないところでも練習していたのだろう。そんな先輩を見ていると、発表が上手くいくようにと切に願う。努力した人間には報われてほしい。当たり前のことだ。

「よかったわよ。今までで一番かも」

「俺も左に同じです」

それを聞いて安心したのか、天木先輩はほっと一息ついた。

「ふぅ」

「この調子なら本番は大丈夫そうですかね」

「だといいんですけどね。でも、おかげさまで授業での発表くらいなら平気になってきましたよ。お二人のおかげです。ありがとうございます」

頭を下げる天木先輩。

「お礼を言うのは少し早いんじゃない?」

「ふふっ、そうですね。明日の部活動紹介を成功させたら改めてお礼を言わせてもらいます」

そう言って微笑む天木先輩を見ていると、俺の不安は薄れていく。最初に俺たちの前で行った天木先輩のスピーチの出来はお世辞にも良いものとは言えなかった。緊張のせいか、言葉の途中で噛んだり、話す内容が飛んで黙ってしまったりしていた。それも先ほどのスピーチでは全く見受けられず、今ではこうして余裕を見せている。きっと明日の本番も大丈夫だろう。

「よくよく考えたらこうして三人で集まるのは今日が最後なのよねー。なんだか寂しいかも」

伸びをしながら立ち上がる柏木が呟く。言葉の通り、柏木の表情はどこか寂しげだった。

「まぁ、ここ最近はこれが当たり前だったからな」

依頼が終われば先輩が俺たちと会う理由もなくなる。つまり、こうして毎日顔を合わせることもなくなってしまうのだ。

「なんかスカしてるけど、やっぱ新田も寂しいんだ」

「適当言うなよ」

図星だった俺は目を合わせることなく誤魔化す。

「寂しくないんですか?」

二人と目線を合わせずに悪態をついていた俺の顔を覗き込みながら、天木先輩が詰めてくる。

「そ、そりゃあ、俺だって寂しいですよ…」

「ふふっ、そうですか。私も少し寂しいです」

基本、真面目でおっとりした性格の先輩だが、たまにこうしてSっ気を見せてくる。普段とのギャップにより攻撃力が増しているため、俺のような雑魚オスは一発でKOされる。

「はー、いっそのこと天木先輩がうちに入部してくれたらいいのに、なっ!」

言いながら柏木は天木先輩の背後から勢いよく抱きつく。

「ふぇっ!」

柏木の飛びつきに不意を突かれた様子の天木先輩。うんうん、驚く天木先輩も可愛いなー。

「ちょっと柏木さん?は、離れてくださいー!」

「嫌よ。先輩が入部するっていうまで離さないんだから」

「あ、新田さん。柏木さんをどうにかしてください!」

「嫌です」

「な、なんでぇ…」

美女二人が戯れているこの光景をもう少し眺めることにした。

そして、しばらくした後、柏木がようやく天木先輩から離れた。

「もう、柏木さんったら!」

プイっとそっぽを向いて頬を膨らませる天木先輩は、やはりどこか可愛らしさを残しており、怒ることに慣れていない様子だった。

「そうだぞ、柏木。あんまり先輩をいじめるんじゃありません」

「さっきは全くとめてくれませんでしたよね!?」

「うんうん。その調子、その調子。明日もそんな感じで声出しなさいよ?」

「明日はマイクありだけどな」

「声なんてでかければでかいほどいいのよ」

こいつこんな脳筋だったっけ。

「ま、私たち、やれることはやったわよね。あとはそれを本番で出すだけだわ」

「は、はい!」

柏木の言う通り、やれることはやったはずだ。あとは天木先輩が迫りくるプレッシャーの壁を越えるだけ。つまりは気持ちだ。

「せっかくだし、円陣でも組むか」

俺はベンチから立ち上がる。

「へー。新田ってそういうのやるんだ」

「俺はこういう熱いのは好きだぞ。中学時代は素の自分を殺して冷笑していたがな」

「うげぇ、キモチワル」

俺の発言に露骨に引く柏木。

「どうとでも言え。先輩は大丈夫ですか?」

「はい、構いません。実は私もこういうの好きなんです」

天木先輩はそう言いながら微笑んだ。

「それじゃあ、二人とも、手を真ん中に」

「ええ」

「はい」

俺たち三人の手が真ん中に集まり重なる。

「俺が掛け声をするからそれに合わせて適当に合わせてくれ。じゃあ、行くぞ」

こくりと頷く二人。そんな二人の目を見て、俺も静かに頷いた。

「明日の成功を祈って、えいえいおー!」

「「えいえいおー!」」

そんなこんなで俺たち三人の最後の練習は終了し、俺たちは家路に着いた。


    ◇


「ただいまー」

時刻は18時半。俺は玄関の扉を開け、靴を脱いで自宅へ上がる。

「おかえりー」

リビングへの扉越しに聞こえてくるのは俺の帰りを待ってくれている家族の声。俺は玄関を真っ直ぐに進み、リビングの扉を開ける。

「ん、おかえり。ご飯。お腹減った。」

待っていたのは俺のことではなく、夕飯のことだったらしい。

「お兄ちゃんの名前はご飯じゃありません」

テレビを見ながらソファでくつろぐのは四つ下の妹、新田(あらた)()()。現在、小学六年生である。

「ていうか、夕飯前にお菓子食うなよ」

俺は寝転がってソファを占領している咲姫の足をどかし、隣に座る。

「だって、お兄ちゃんが帰ってくるの遅いからじゃん。我慢できなくてつい食べっちゃったんだよ」

「そういう割には随分と前から貪り食ってたみたいだが。こんなことしてると太るぞ」

咲姫の目の前のテーブルには食い尽くされた袋菓子らが散乱していた。

「いいの、いいの。咲姫は今、絶賛成長期なんだから」

兄の忠告を全く聞き入れることはなく、咲姫はまた一つ、また一つとポテトチップスを口へと運んでいく。

「へいへい。そういえば父さんと母さんは?」

「二人とも仕事で遅くなるってさー」

「ん」

俺はポケットからスマホを取り出してくつろぎ始める。

「お兄ちゃん、ご飯」

「だからお兄ちゃんはご飯じゃありません」

「いいからなんか作ってよー。お腹すいたー」

咲姫が俺の肩を掴んで左右に揺する。全く、わがままな妹だ。歳がもう少し近かったらこれが煩わしく感じるんだろうが、四つも離れていると、逆に可愛らしく思えてしまう。妹でもこんな始末なのに、娘ができたら一体俺はどうなってしまうんだろうか。

「分かったよ。今あるもので適当に作るけどそれでいいか?」

「うん!」

笑顔で答える妹を見て、俺もまた微笑んだ。

ずるい!妹ってずるい!

そんなことを思いながら冷蔵庫を開けて使えそうな食材を探す。すぐに出来上がるものの方がいいだろうから、使うならこれとこれか。俺は冷蔵庫にあった挽き肉と卵を手に取る。

「ミートオムレツ作るけど、玉ねぎも入れていいか?」

「入れていいよー」

野菜室を開き、玉ねぎを取り出す。使う具材を台所へと持っていき、調理を開始した。俺が中学に上がるぐらいのタイミングから両親の仕事が忙しくなり、夕方の時間帯はこうして兄妹二人で過ごすことが多くなった。料理をするようになったのもそのころからだ。ちなみに俺は料理をするのは嫌いじゃない。むしろ好きだ。こうやって可愛い妹のために料理を振る舞う兄、まるでラノベ主人公じゃないか!

俺の統計上、3割強のラノベ主人公たちは料理上手な属性を持っているし、そもそも妹がいないラノベ主人公など存在しないからな(諸説あり)。

そんなバカみたいなことを考えていると、料理が完成した。

「できたぞー」

今夜わたくしが妹に振る舞うのはこちらのミートオムレツ。バターで炒めたみじん切りの玉ねぎに牛と豚の合い挽き肉を投入。そこにコンソメの素と塩を少々。最後に醬油をフライパンの縁にサラッと一周かけ、よく混ぜ合わせたらオムレツの具は出来上がり。仕上げに具を卵で包み、お皿に移して完成だ。レシピの詳細は新田家料理長、新田将也までお願いします。

「わー、美味しそう!」

「野菜も食えよ、ほら」

俺は咲姫に差し出したオムレツの横に生野菜とドレッシングを置いた。

「うわ…」

野菜を見て露骨に嫌がる咲姫。

「成長期なんだろ?じゃあ食え」

「うぅ…。いただきます」

「素直でよろしい」

咲姫は手を合わせた後、用意されたスプーンを手に取った。とりあえず野菜は後回しにするみたいだ。

「ん!美味しい!」

スプーンでオムレツを口に運んだ咲姫が呟く。

「そうだろう、そうだろう」

咲姫は美味い料理を食べれて嬉しい。俺は喜ぶ妹の顔が見れて嬉しい。winwinというやつだ。

「そういえばお兄ちゃん、最近帰り遅いよね。少し前も遅いは遅かったけど17時前には帰ってきてたし。何かやってるの?」

オムレツを頬張りながら疑問を呈してくる咲姫。その疑問は当然で、俺はまだ部活を始めたことを家族の誰にも報告していない。なまじ高援部が普通の部活ではないだけに、少し気恥ずかしさがあってなかなか言い出せずにいたのだ。それに加えて、自分がわざわざ部活を作ったともなれば尚更だ。俺も15歳の男児。一応、思春期なのである。

「いや、委員会の仕事があってさ」

高校生活三年間のずっとを欺くつもりはないが、今はまだ高援部のことは伏せておこうと思う。

「ふーん。彼女?」

「ごほっ!…っく」

思わぬ妹の言葉に俺はむせる。

「へー、やっぱり彼女かー」

この妹は何を勘違いしているんだ。お兄ちゃん、友達すらできていませんが?

「ねぇ、ねぇ、どんな子なの~?」

「ち、ちげーよ。本当に委員会の仕事で遅くなってるだけだ」

「そっかそっか。今度紹介してね」

ダメだこいつ。人の話なんて全く聞いていやしない。まぁ、咲姫が俺に彼女がいると勘違いしてくれているうちは部活で多少遅くなっても突っ込まれないだろう。会わせろとかうるさくなってきたら、そのうちレンタル彼女でも連れて家に帰ってやろうか。

「お兄ちゃん、今日は疲れたからもう寝るわ」

「ん、分かった」

「食べながら喋るんじゃありません」

俺は椅子から立ち上がり、荷物を持って自室がある二階へと向かう。

「あ、お兄ちゃーん」

階段を上がっていると、リビングの方から咲姫が顔を出して俺を呼び止める。

「なんだ?」

「見栄張ってレンタル彼女とか家に連れてこなくていいからねー」

ズコン!

俺は足を踏み外して階段で転げる。

「大丈夫―?」

「あ、あぁ。大丈夫だ…」

家族というのは不思議なもので、嘘は大抵見抜かれるのだ。そして、ぶつけた足に少しの痛みを感じながら自室に入り、ベッドに横になった。

「ふぅ」

いっちょ前に大人のような疲れた吐息を出し、目を閉じる。

明日、天木先輩は大丈夫だろうか。今日、俺たちの前で発表してくれたように、本番も話せれば問題はない。しかし、観客は俺たち二人から全校生徒に増える。それでも先輩は冷静さを保てるのだろうか。

「いや、これ以上考えるのはよそう」

天木先輩の努力はこの目で見てきたし、その成長度合いも実感している。それなら、過度な心配は先輩の努力に対して失礼にあたるような気がする。後は先輩の成功を祈るだけだ。

ぐるぐる回る思考を遮るように、自分の身体に布団を覆いかぶせた。


     ◇


翌日の午後。六限目の数学が終わり、いつもなら帰りのHRが始まる。だが、今日は生徒総会がこの後に控えている。クラスの生徒たちは各々のペースで時間に間に合うよう、体育館へと向かう。授業で疲れた頭を少し休めてから、俺も教室を出た。すると、廊下を歩く俺に声がかかる。

「新田―」

振り向くと、後ろには柏木芽衣の姿。

「なんだ?」

「いや、一緒に体育館まで行こうと思って」

俺たちは体育館へと向かいながら話を続ける。

「前に部活以外ではあまり話しかけるなって言わなかったか?」

クラスで浮いている俺たちが一緒にいると悪目立ちするからと、柏木にその旨を伝えておいた。ただでさえ柏木は見た目だけでも生徒の目を引くからな。

「別にそんなの気にしなくて良くない?最近は私と新田で部活してるの、クラスの人たちにも知られてきてるみたいだし」

「マジか。てっきり気づかなかった」

「うん。寝たふりしながら周りの子の会話盗み聞いてたらね、私たちに話が聞こえてきたのよ。すごいでしょ、私の情報収集能力!」

別に威張るほどのことでもなければ、情報の入手経路が情けなさすぎる。しかし、柏木のホクホクした満足げな顔を見ると、意地悪言う気も起きなかった。適当に褒めておくか。

「うん、すごいと思う」

「うんうん。そうでしょう、そうでしょう」

頭がお花畑なこいつが羨ましい。俺は今日一日、生徒総会のことしか考えられなかったというのに。

「それはそうとしてさ。天木先輩、大丈夫かなー」

お花畑な脳にも海馬は残存していたようだ。

「ま、なるようになるだろ」

「げっ、何その答え」

「俺たちが心配してても意味はないってことだよ」

「ふーん。まぁ、確かにそうなんだけどさ」

そうこうしているうちに体育館へと着いた。俺たちは分かれて、クラスごとに整列している場所に番号順に並んで座る。

やがて生徒総会の開始時刻となり、司会の声がスピーカーを通して響いた。

「これから第百三回生徒総会を始めます」


総会が始まってから約一時間。事前アンケートであがった生徒からの要望の数々について議論したあと、一般の生徒にはほとんどどうでもよい予算の内訳が説明された。

そして、ようやく部活動紹介のコーナーが始まろうとしていた。今は十分ほどの小休止の間で、俺は少し寄り道した後、ステージの舞台袖へ向かった。そこには柏木と天木先輩の姿があった。

「やっときた!新田ってば遅いわよ」

「すまん。少しな」

「あ、あ、あ、あ、新田さん。こここここんにちは」

ん?この人はロボット化何かなのか?

天木先輩は緊張で口調がアンドロイド風になっている。

「先輩、落ち着いてください」

「は、はい!」

既に上がってしまっている先輩を俺はなだめる。

柏木には心配するなとか言ったが、このままだと、さすがにまずそうだな。

「先輩、一回ステージ側から見た景色がどんなものなのか見ておきましょう。いきなり全校生徒の前に出るよりかはマシなはずです」

俺は先輩を連れてカーテンから顔を覗かしてみた。

「こんなに多いのか…」

マンモス高校とまではいかないが、うちもそれなりの生徒数を誇る私立高校である。普段こうして上から見渡したことはなかったから実感はあまりなかったが、目の前の光景を目の当たりにすると、捨て身思考の俺でさえ辟易してしまう。

「あ、あ、あ、あ、新田さん。あの無数の集合体は何でしょうか」

「人ですよ?変な言い方しないでください。あと、またロボットに戻ってます」

下見を済ませた俺たちは柏木のいる方へと戻った。

「どうだった?」

柏木が問いかける。

「人がゴミのようだった」

「地べたを這いずり回る蟻のようでした…」

「一体何を見てきたのよ!」

言いながらため息をつく柏木。

「ちょっとこっち来なさい」

柏木が俺たち二人の手を引いて、自分の方へと手繰り寄せる。

「なんだよ」

「いいから。天木先輩、手出して」

「は、はい。こうですか?」

「もしかしてまた円陣組むのか?」

「嫌よ。ここじゃ恥ずかしいもの」

柏木は差し出された天木先輩の手を左右の手で上下に包み込んだ。

「ほら、新田も」

「お、おう」

俺の手が先ほどと同じ要領で柏木の両手を上下から包み込んだ。

「どう?落ち着いた?」

少しして俺たちは両の手をほどいた。

どうやら天木先輩を落ち着かせるための行動だったらしい。

「は、はい。緊張はしてますけど、手の震えが止まりました」

天木先輩、震えてたのか。柏木のやつ、意外とそういう気づきづらいことにも目が行くんだな。

「どしたの新田。そんなにじっと見て」

「いや、なんでもねーよ」


「これより、部活動紹介を始めます。生徒の皆さんは座ってください」


「いよいよか」

「ええ」

「はい…」

ついに部活動紹介が始まった。天木先輩の出番は二十組中十九番目。早く発表を終わらせて楽になることを許してもらえない。順々に発表が行われていく中、プレッシャーは募りに募っていく。天木先輩の手に握られた原稿が手汗で湿っていくのが見て取れた。

「リラックス、リラックス」

柏木が天木先輩に声をかける。

「お前はリラックスしすぎなんだよ」

「だって私は発表しないもん」

「ったく」

「…」

無言で俯いたままの天木先輩。

俺たちは何て言葉をかければいいのか分からないまま、天木先輩の一つ前の部活の発表が開始した。

依然、俯いたままの天木先輩。

「先輩。これが終わったら三人でご飯でも行きましょうか」

「え?」

意識を取り戻したかのように天木先輩は俺の言葉に反応し、ようやく顔を上げた。

「そりゃあ、何かご褒美がないと。先輩が今まで努力してきたの見てきましたから。だから、美味しいご飯食べいきましょうよ」

「は、はい!」

少し元気を取り戻した先輩を見てホッとした。暗い顔はこの人には似合わないからな。

「私、今日は中華が良いー!」

「お前は勝手にザーサイでも食ってろ」

「ふふっ」

たわいもないやりとりをしていると天木先輩の番が回ってきた。

「い、行ってきます…!」

「はい。ここから応援してます」

「頑張ってねー!」

天木先輩は覚束ない足取りながらも、ゆっくりとステージへ歩みを進める。そして、マイクの前へと立った。いよいよ始まるは天木先輩の発表に、側から見ている俺たちも唾を飲む。

黙って見守っていた俺たちだったが、そうはいられなくなってしまった。

天木先輩がマイクの前に立っても第一声を発しないのだ。

「ねぇ、新田…」

「…」

依然としてステージの上で固まったままの天木先輩。先ほど俺たち二人で包み込んだ天木先輩の手は、ぶるぶると震えていた。

「ねぇ、新田ってば!」

異変を感じた生徒たちがぽつりぽつりとざわめきだす。

「もう少しだけ待つ」

頼むから、言葉を発してくれ。天木先輩がしてきた努力が無駄になってほしくない。報われない努力があるのも事実だが、俺の周りではそんなことはあってほしくはない。

そんなことを思いながら、先輩の言葉を俺は待っていた。

しかし、先輩の口が開くことはなかった。

「潮時だな…」

俺はポケットから携帯を取り出し、先ほど会っていた人物のもとへ合図を送った。

そして、数秒後。スピーカーから天木先輩の声が流れ始めた。

『こんにちは。南米民族楽器研究会部長の天木かのんです。これより、私たちの部活動紹介を始めます』

天木先輩の声で、ざわついていた生徒たちは静かになる。

「え、新田。これって…」

これが俺の用意しておいた保険だ。天木先輩がダメになったときのために前もって準備しておいた。

「こうなった時のために天木先輩にスピーチの録音を頼んでおいた。今流れているのは、その音声を収録したCDだ」

先ほど俺が合図を送ったのは放送委員の人間。昨日の時点で既に話は通してあり、先ほど、CDを渡して、軽く打ち合わせをしてきた。

「それじゃあ先輩は…」

「なにも話していない」

マイクの音声は放送室の方で調整しており、マイクが何らかの音を拾っても、CDと音声が重複しないようにしてある。

「新田はこれでいいの?」

「…いいわけないだろ」

できればこんな策に頼りたくはなかった。確かに聴衆を欺くことはできる。向こうからじゃ、ステージの人間が口を開けて喋っているかなど、碌に見えはしない。だが、こんなことをして喜ぶ人間なんていやしない。きっと、先輩はこんな形で発表が成功したからといって喜ぶような人間ではない。もし、そんな人間だったのなら、あそこまでの努力はしなかっただろう。そして、今まで一生懸命な天木先輩を見てきた俺たちも気持ちの良いものではない。やはり、一番健全だったのは先輩が自力で発表を成し遂げることだったのだ。

「私、こんなの嫌」

呟いて、この場から離れようとする柏木。

「おい。どこに行く気だ」

「放送室よ。こんな意味のない音声を止めるのよ」

「やめろよ!天木先輩だって保険としてこの音声を俺に託したんだ。あの人だって了承してる!」

俺は柏木の腕を掴んで引き留める。

「離して!そんなこと聞いてないから」

柏木は俺の静止を振り切って舞台袖近くの放送室へ走り出した。

「おい、待てって!」

こうなることが予見できたため、柏木にはこの話はしていなかった。前もって話をしていたら、反対していたに違いない。

「…くそ」

無力な俺は、何もできずにその場でただ立ち尽くすだけだった。

『私たちの部では…』

録音された天木先輩の声が粛々と流れ続ける。何度も練習で聴いた先輩のスピーチだ。できれば、生の声で聴きたかったと切に思う。

…プツン。

先ほどまで流れていた音声が途切れた。

「柏木のやつ、本当にやりやがった」

天木先輩の方を見ると、こちらに何が起こったのかという目配せをするでもなく、原稿に目を落としたままだった。

再び静寂に包まれた体育館。静かすぎることに違和感を覚えたのか、先ほどまで眠りこくっていた生徒まで、天木先輩の方へと視線を送る。

「はぁ…。どうすんだよ、これ」

俺は顔を手で覆い、しゃがみ込んだ。

「信じましょうよ。先輩を」

放送室から戻って来たのか、声の方向へ顔を上げると、天木先輩を見つめる柏木の姿があった。

「…」

未だに口を開くことのできない天木先輩。具合が悪いとでも思ったのか、下で見ていた教師数人が舞台袖の方へ向かっていくのが見えた。

「新田。先生たちが…」

「あぁ、分かってる」

このままだと発表は中止だ。そして、この失敗は天木先輩の人生において、大きなマイナスになることだろう。

そんなのはごめんだ。少なくとも俺の周りの人間には皆んな幸せになってほしい。

俺はおもむろに立ち上がり、拳に力を入れた。

「あーあ、俺も中華が食べたいなー!」

声自体はそこまで大きいものではなかったものの、俺の言葉は静かな体育館内ではそれなりに響いた。途端にざわめき出す生徒たち。

「何よ。結局、新田も中華がいいんじゃない」

他の生徒とは違い、俺の言葉にうろたえることなく、柏木はその意味を理解していた。

それはステージに立っている一人の女子生徒も同じはずである。

そして、俺たちの思いに応えるように、ついに彼女の唇が動いた。

「わ、私も!」

キーン。

天木先輩の第一声でマイクがハウリングを起こす。そして、そこに先輩の第二声が続いた。

「私も中華が食べたいですー!」

もう滅茶苦茶だな。生徒の大半はいきなりの天木先輩の発言に驚いていたが、中にはその返しに吹き出すものもいた。そして、先輩の中で一線を越えたのか、先ほど放送されていた録音部分からスピーチが再開された。

「ゴ、ゴホン。わ、私たちの部では南米の音楽文化について語り合ったり、実際に楽器を使って合奏したりしています。見学も随時受け付けていますので、是非私まで申し付けください」

多少の緊張は残っているものの、昨日見た練習での様子とそこまで変わらない。この調子でいけば今日の発表は乗り切れられそうだ。

「中華は食べないのー」

一人のお調子者の生徒が声を上げた。

「誰だあいつ。余計な邪魔しやがって。ちょっと文句言ってくる」

せっかく軌道に乗ってきたところなのに、また先ほどのようになったらどうしてくれるんだ。

「そうでもないみたいよ?」

柏木の言葉を受けて、俺は先輩の方へと向き直る。

「部活で中華は食べれませんが、部長特製のクッキーなら食べれます。食べたい方は是非入部してくださいね」

天木先輩の返しに笑う生徒たち。

「さっきまでのが嘘みたいだな」

「ええ。いつも私たちと話している時の先輩だわ」

「あぁ。あれはSっ気モードの先輩だな」

「げっ。何それキモ」

こんな調子のまま、天木先輩の発表は恙なく終わり、前半や途中の沈黙は印象に残らないほどの成功を収めた。

そして舞台の方からこちらへ天木先輩が戻ってくる。俺たちが声をかけようとすると、戻って来るやいなや、天木先輩は崩れ落ちてしまった。

「も、もう駄目です~」

間抜けた声を上げながら意識が遠のいていく天木先輩。

「ちょ、ちょっと」

柏木が崩れ落ちる天木先輩を受け止めた。

「寝ちゃってるわね…」

緊張の糸が切れたのだろう。ただ見守っていた俺でさえ、今日は朝から気が張っていたのだから、当事者である先輩がこうなるのは無理もないかもな。

「よし。そしたら一応、一緒に保健室行くか」

「?」

何か疑問があるのか、柏木は不思議そうな顔をしてこちらを見つめてくる。

「なんだ?」

「なんだって、次は新田の番じゃない」

あ。

「もしかして忘れてたとか言わないわよね…?」

「ま、まさか。俺に限ってそんなことはない」

ん。終わった。原稿も持ってきていないし、そもそもそんなもの、考えてすらいなかった。

いや、落ち着け、俺。俺はここぞというときに決めれる男だ。原稿なんてちゃちなもんは不要だ。親にもらった『将也』の名に恥じない生き様をここで示してやる。

『次は高校生活支援部の紹介です。部長の新田将也さん、お願いします』

俺は胸を張りながら、マイクの前へと進んだ。

やってやるぜ!


「え~、本日はお日柄もよく、雲の一つもない青空で~」


よし。ご褒美に中華でも食べるか。

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