ミッチーは俺の許婚 ~男の娘その4~
カポーン!
鹿威しの音が、静けさを破る。
アズサは、実家で父親と対峙している。
(見合いってなんだよ。俺は、まだ十六だっつーの)
二人を隔てる重厚な座卓の上には、豪華な振袖姿の女性が微笑む見合い写真が置いてある。
アズサと母親は、ウィークデイは、都心のタワマンに住んでいる。母親はマンション一階で高級ブティックを経営し、アズサは通学の為に上階に部屋を借りていた。週末は、父親がいる郊外の実家に一緒に帰宅するのが常だったのだが。
「どうだね。会うだけでも会ってみたら」
父親によると、相手は祖父の代から取引のある京都の名家の令嬢らしい。
ちらっと見た写真ではすらっとした美人だった。しかし、自分には心に決めた人がいる。
「親父、見合いは早すぎねぇか?」
「パパと言いなさい」
厳格な容姿と裏腹に、父親は、アズサ命で目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。
「パパは、心配なんだよ。アズサちゃんが変な女に引っ掛からないかと」
「引っ掛かんないつーの」
アズサは、足を崩して座布団の上に胡坐をかいた。
「パパとママが高校生の時に婚約したのは知っているね? お祖父ちゃんが、身元のしっかりしたママと引き合わせてくれて」
父親は同席している母親と顔を見合わせてにっこりとする。二人はずっとラブラブだった。
「だから、アズサちゃんも、身元のしっかりしたお嬢さんと許婚になると良いと思ってね」と、母親の同意を求める。
「でも、貴方。アズサにも好きな方がいるかもしれなくってよ」
母親は、悪戯っぽくアズサに笑いかけた。
「よく同じサークルの方のお話をしてくれますのよ」
母親は、アズサが女装男子サークル『オトコの娘同盟』に所属しているのを知っているが、父親は知らない。
「そうなのか? アズサちゃん」
「まあね」
アズサは、視線を逸らし首の後ろを擦った。
「くぁwせdrftgyふじこlp、ふじこ、ふじこ」
父親は、突然、意味不明な言葉を口走った。
「ア、アズサちゃんがパパの知らない子を好きだなんて。ママは知っていたのか? パパだけが蚊帳の外だったとぉ?」
うおーっと奇声を上げながら、頭を抱えて畳の上を転げまわる姿は、旧財閥系商社のCEOとは到底思えない。
「貴方、しっかりしてください。お着物の裾が乱れておりますわよ」
(そこ?)
アズサは、母親の的外れな指摘に突っ込みを入れたくなるが、取り乱す父親の姿に少々罪悪感を感じていた。
父親なりの愛の形なのだろう。先方との付き合いもあるのだろう。理解できるが、自分には、スペシャルなミッチーがいる。
しかし、ミッチーはオトコの娘だった。カヲル曰くこの感情は『推し』とのことだったが、ミッチーに対する気持ちが恋愛感情なのか友情なのか、自分でもイマイチはっきりしない。今の段階で父親に紹介するのは難しそうだ。
「あのさ……会うだけなら、いいぜ」
苦渋の決断だった。
「えっ、良いの? アズサ」
「アズサちゃん、パパの気持ちを分かってくれてありがとう。早速先方に連絡をしておくね」
父親は、何事も無かったように起き上がると、乱れた和服の居住まいを正し正座した。
母親は何か言いたげだったが「何事も経験ね」と呟いた。
開け放たれた広縁越しに、よく手入れされた庭園が見える。借景している山も色付き、秋の装いだった。
カポーン!
鹿威しが鳴った。
「……という訳なんだ」
アズサの話に、幼馴染のカヲルは眉を曇らせた。
ここは、夢が丘高校、女装男子サークル『オトコの娘同盟』の部室。ミッチーとモモコはまだ来ておらず、部室には二人きりだった。
「良いのですか? もしも、とんとん拍子に話が進んだら、婚約することになるのですよ」
「大丈夫、大丈夫。会うだけだし、俺を選ぶようじゃ、先が思いやられるぜ」
アズサは手をひらひらさせながら、自分が会えば、父親と先方の顔も立つしな、と付け加える。
ハーフっぽい顔立ちで長身、本人が好むと好まざるにかかわらず、人を魅了するフェロモン満載。よく芸能プロのスカウトに声を掛けられるアズサだったので、お見合いで気に入られることはあっても、断られることはまず考え難い。もっとも、いつもの口汚さが出てしまったら分からないが。
「でも、万が一ということもあります」
カヲルは頭を巡らせた。
「そうだ。アズサに許婚がいることにしたらどうでしょう」
「許婚?」
「ええ、お見合いに許婚同伴で出席して、相手に諦めて頂くという作戦です」
「俺、許婚いねーし。その為の見合いだし」
「私で良かったら、女装して…」
と言いかけたカヲルの言葉を遮って
「む、それいいな! ミッチーに頼んでみるわ」
アズサは、パァっと顔を輝かせた。
そこへミッチーが、紅一点の幼馴染のモモコを伴って部室に入ってきた。このサークルは現在、二組の幼馴染で構成されている。
挨拶もそこそこに、二人をミーティング用テーブルに着かせるとアズサは話し出した。
事情を話すのを二人は真剣な顔で聞いている。
「アズサちゃん、すごーい。もうお見合い話来てるんだ。まだ高一なのに」
モモコは、ハイソなお宅の事は分からないと肩を竦めながらも、興味津々だった。
「んでさ、ミッチーに頼みがあるんだけど」
「ん? 何かな」
ミッチーの顔をまともに見れない。視線が眩し過ぎるので、斜め下に視線を外した。
「お……俺の許婚になってくれねぇか?」
アズサは勇気を振り絞った。しかも、それを気付かれないようにさりげなく口に出すよう頑張った。
「えっ、僕が? 許婚?」
ミッチーは困惑し、モモコは、理解不能で固まっている。
「えー、コホン。唐突すぎて訳分からないと思うので私から」
カヲルは、アズサに代わって『お見合いぶち壊し作戦』について説明した。
「なるほど。でも、僕でなくても良い気がするけど」
「ミッチーじゃなくてはダメだ。てか、嫌だ」
アズサは、子供のように駄々をこね言い張るが、ミッチーでなければならない理由は説明できなかった。たぶん、本人も良く分かっていないのだろう。
カヲルは、溜息を吐いた。
「ミッチーさん、私からもお願いです。アズサの我儘を聞いてあげてもらえませんか」
「カヲル姫は、それで良いの?」
いつもポワンとしているモモコが、突っ込みを入れる。
モモコは、アズサに対する気持ちに気付いているのかもしれないと、カヲルは思った。
「私よりミッチーさんの方が、ドレス映えがしますから」
「そか。カヲル姫は、どちらかというと和服が似合うものね」
黒髪ぱっつんボブのカヲルは、日頃、和装を好んでいたし、良く似合っていた。
モモコは納得し、迷うミッチーの肩を叩いた。『オトコの娘同盟』の衣装担当者としての発言だ。
「私が、うんと可愛く仕上げるから、アズサちゃんを助けてあげたら?」
「モモコは、それで良いの?」
ミッチーの縋るような視線に、モモコはにっこり頷いた。ふわふわ巻き毛が揺れて、乙女チックな香りがした。
「……」
「おしっ! 決まった。ミッチーよろしくな」
ガッツポーズを決めるアズサ。
災い転じて福となる。煩わしいお見合いを口実にミッチーを一日許婚に出来ることになった。喜ぶアズサの一方で、カヲルとミッチーは複雑な思いだった。
お見合い当日。都内の某ホテルのラウンジ。
「本日はお日柄も良く……」
仲人の挨拶の途中で、アズサは欠伸を嚙み殺した。ダークスーツ姿のアズサの前には、テーブルを挟んで、フォーマルなドレスの少女が座っている。名は清泉カエデというらしい。
見合い写真は振袖だった所為か、若干雰囲気が違う気がするが。透き通るように色白で、大きな瞳をクルクルさせ、アズサを観察したり、ラウンジの調度などに目を走らせたりしている。
「では、後は、若い二人でご歓談など」
仲人が、お決まりの台詞で退場すると、アズサとカエデは殆ど同時に、暫し席を外す旨を申し出た。
(なんだ。気が合うかも?)
アズサは、控室で待機しているミッチーを呼びに行った。仲人が退場し、相手と二人になった時点でミッチーを紹介しようと考えていた。
通路に敷かれたダークレッドのカーペットを足早に進み、『谷原家』控室のドアを開けた。
「ミッチー出番だ」
大きなガラス窓から、錦鯉の泳ぐ池、その向こうに紅葉した庭園が望める。美しい庭園で有名なホテルだった。
窓を背景に、サックスブルーのシフォンレースのドレスを着たミッチーが立っていた。袖とデコルテに透け感があり、ウエスト切り替えのふんわりとした膝下スカートからは、すらりとした足が伸びている。
(か、かわええ)
見惚れて立ち尽くしているアズサに、ミッチーは近付いて、腕にそっと触れる。
「行こうか」
艶のあるアルトが耳元で囁いた。
いつも学校で見慣れているはずなのに、ドレスアップしたミッチーを目の当たりにして、アズサは、もう何度目かの惚れ直しをする。
女装ミッチーを見て腹が痛くなるのは改善されたが、ドキドキするのには未だ慣れない。
アズサは右腕を差し出し、ミッチーをエスコートしてラウンジに向かった。
ラウンジに戻ると、清泉カエデが先に着席していた。その隣にダークスーツの少年が座っている。
アズサは誰だろうと思いながら、ミッチーの椅子を後ろに引いて座らせると、自分も着席した。
「お待たせしました。本日は、清泉様にご紹介したい者がおります」
普段の口汚さをおくびにも出さないアズサに、ミッチーは表情が変わらないように努めた。
「これは、これは。偶然ですね。私も谷原様にご紹介したい者がおります」
カエデは、右隣に座るダークスーツの少年に視線を誘導した。
「……そうですか。では、清泉様よりどうぞ」
レディーファーストである。
「こちらは、私が結婚を前提にお付き合いしておりますレンさんです」
「レンです。よろしく」
紹介された長身の少年は、宝塚の男役のような風体だった。
(ん? んん? どうなってんだ)
相手に先手を打たれた形だ。
どう対応したら良いのか分からない。
「では、そちらも、どうぞ」
促されて、アズサはミッチーを紹介する。
「こちらは、僕の許婚のミッチ、いえミチさんです」
「ミチです。よろしく」
ミッチーは艶やかに微笑んだ。
「ん? んんー?」
声を上げたのは、カエデとレンだ。
「これはいったいどういうことでしょうか。もしかして、谷原様も?」
「も? ……清泉様も?」
そこにいる者たちの間で何かが共有された。
四人は顔を見合わせて、一斉に吹き出した。
「いや、失礼しました。僕は、カエデと名乗っていますが、本当は、カエデの双子の弟のレンです」
フォーマルなドレスの少女がぶっちゃけた。
「私が本物のカエデ。レンの双子の姉です」
ダークスーツの宝塚が笑う。
「えっ?」
アズサは混乱し、テーブル上のグレープフルーツジュースのグラスを掴むと、ゴキュゴキュ一気に飲み干した。
「つまり、俺と見合いするはずだった、あの振袖写真はお前で」
宝塚を見る。
「お前は、その弟ってこと?」
フォーマルドレスに視線を移す。
「はいな」
どおりで雰囲気が違うわけだ。
想定外の事態に脱力するアズサに、ミッチーが耳元で「一人称が俺になってる」と囁いた。
「いや、もういいだろ」
どうしてこうなった。
「つまり、清泉さんも、この見合いをぶち壊しに来たってことでオッケー?」
「も、と仰るのは、谷原さんもってことですか」
宝塚こと清泉カエデが我が意を得たりとでもいうように語り始めた。
「実は私、男性に興味が無いんです」
「ほぇ、じゃあ端から、俺と見合いするのは無理ってことじゃねぇか」
アズサは、すっかりいつもの口調に戻っている。
「ええ。でも、弟は男性に興味があるので、交代してもらいました。父親の古くからのお知り合いとのことでお顔を潰す訳にもいかず。ダメ出しのつもりで、婚約者同伴ということにしたのですが、そちら様も……」
アズサは、先程からミッチーを見る姉カエデの熱い視線と、自分を見る弟レンのぎらつく視線が気になっていた。
(やべぇ、マジやべぇ)
「と、兎も角、お互いの利害が一致したってことで良かった、良かった。ってことでオッケー?」
何事も結果オーライだ。早くこの場を去らなければ。
「では、このお話は無かったということで……」
アズサが、ミッチーを促して席を立とうとすると、レンが待ったをかけた。
「待ってください。僕、アズサさんに一目惚れしちゃったみたいです」
「私はミチさんに一目惚れです」
カエデが続いた。
「これも何かのご縁ということで、ダブル見合いというのは如何でしょうか」
(うは、チョー面倒臭せぇことになっちまったぜ)
「言葉を返すようだが、二人は姉弟だろ。俺達は許婚なんですけど。なぁ、ミッチ、じゃないミチ」
ミッチーは、変な成り行きについていけずに
当惑している。
「えっ、ええ」
相槌に少し間が空いてしまった。
「ふーん、何か怪しいんですけど。本当に許婚なんですか?」
カエデが鋭い突っ込みを入れる。
「はい。私、アズサの許婚です!」
ミッチーが、きっぱりと言って、その場を取り繕うと、隣でアズサは、ハートの矢で心臓を射抜かれたように胸を押さえた。『許婚』に反応したらしい。心臓がバクバクしていた。
「アズサちゃん、しっかりして」
肩に手を添えて顔を覗き込む。
それが逆効果であることをミッチーは知らない。
「ミ、ミッチー……」
アズサが苦しそうなので、ミッチーは、自分がしっかりせねばとアズサの体を支えつつ、清泉姉弟に挨拶した。
「体調が悪いようですので、これで失礼します」
最後までアズサの許婚を演じ切ったが、この後、更に面倒な事になることを、ミッチーは知る由もない。
週明けの月曜日、夢が丘高校女装男子サークル『オトコの娘同盟』部室。
「『お見合いぶち壊し作戦』は成功したのですね? では、何故アズサはこんな有様に」
カヲルの目線の先には、テーブルに頭を抱えて突っ伏すアズサがいた。
「僕は、最後までちゃんとやれたと思うのだけど。あの後、何かあったの?」
ミッチーは、アズサの肩を軽く揺すった。
ミッチーに罪はない。よくやってくれたと思う。くぐもった声で、アズサはそんなことを言った。
「じゃあ、何があったのです? ちゃんと皆に話してください」
カヲルが肩に手を置いた。
アズサは、ガバッと顔を上げる。
「ごめんな、ミッチー。すげぇ面倒臭いことになっちまったんだ」
遡ること、昨日のお見合い後。
もう大丈夫だというアズサを心配し、ミッチーは郊外の実家までアズサを送って行った。道中、美男美女カップルは、電車の乗客からの痛いほどの視線を集め、ミッチー同伴のアズサのドキドキが治まることはなかった。
最寄駅からタクシーに乗り、到着した谷原家の門構えと、玄関までのアプローチの長さに、ミッチーは驚いた。
「すごい豪邸なんだね」
「俺の家じゃねぇし、親父の家だし」
ミッチーに付き添われて帰宅したアズサを迎えたのは父親だった。見合い結果に気を揉んでいたらしい。
「息子がお世話になりました。貴女は?」
「夢が丘高校で一緒のサークルの小池です」
「ほほう、貴女でしたか」
「何でしょう?」
「いえ、こちらの話です。ありがとうございました」
上がってお茶でも、との誘いをミッチーが断ると、父親は、お抱えの運転手にミッチーを自宅まで送るように手配した。
超高級車で帰宅した息子に、家族が驚いたのは言うまでもない。
「小池さんといったかな、中々素敵なお嬢さんじゃないか。しかし、今日、アズサちゃんは、お見合いに行っていたはずなのだが」
父親の頭の中は疑問符だらけなのだろう。
居間のソファで温かい紅茶を飲みながら、アズサはどう説明しようかと考えていた。
そこに、母親がパタパタとスリッパを鳴らしながら登場して、事態は更に混迷を極めているのを知る。
「清泉様から、ご連絡ありましたわ。是非、お付き合い願いたいとのことでした」
「ぶふっ!」
アズサは、紅茶を噴いた。
「あら、やだアズサったら。お行儀悪いわよ」
母親は家政婦を呼び、後片付けをしてもらう。
一方、父親は益々混乱しているようで、部屋の中を歩き回りながらブツブツ言っている。
「お見合いは上手くいった。先方は、お付き合いを望んでいる。でも、アズサちゃんには好きな小池さんがいる……。それは、少し不味い状況ではないのか。うーん、どうしたものか。いや、ここはやはり、アズサちゃんの気持ちを優先して……」
「あの、親父」
アズサは片手を上げる。
「パパと言いなさい。なんだい? アズサちゃん」
「お……パパ、ごめん。実は、今日の見合いをぶち壊そうと小池さんに許婚の振りをしてもらったんだ」
アズサは、ミッチーがオトコの娘であることを隠したまま、正直(?)に話して詫びた。
「そんなに嫌だったのかい? 小池さんを紹介してくれたなら、こんな無茶ぶりしなかったのに」
「俺の片思いだから、紹介する段階ではないって思ってさ」
「そうか。色々タイミングが悪かったのだな。よし、分かった。先方には私から丁重にお断りして……」
父親の言葉が終わる前に、母親が「困ったわ」と呟いた。
「ん? ママ、どうした?」
父親は愛妻の呟きを聞き逃さない。
「それがね、清泉様、アズサと小池さんの事がすっかり気に入ってしまって、京都からこちらに引っ越して来られるそうよ」
「ぶふっ!」
アズサは、淹れ直してもらった紅茶を再び噴き出した。
アズサが話し終えると、その場にいる全員が、頭を抱えてテーブルに突っ伏したくなった。
「どうするのです? アズサ」
「……どうしよう」
「どうしようって」
「分かんねぇから、困ってんだ……」
カヲルは消え入りそうなアズサの声に、これ以上本人を追及しても無駄であることを悟った。
「ミッチーさんは、男子であることを明らかにすれば、カエデさんでしたか、お姉さんの方には諦めてもらえそうですね。男性に興味が無い方なので」
ミッチーはホッとしたような顔をした。
「しかし、問題はレンさん、弟さんの方ですね」
「わーっ!」
アズサは頭を掻きむしった。
「お見合いを断らなかったアズサの責任です。身から出た錆なので、これはアズサ自身がどうにかするしか」
カヲルは、ちょっと意地悪く言ったが、アズサがしょげるのを見て後悔した。
「大丈夫ですよ。アズサがきちんとお断りすれば良いだけの事です」
「そ、そうだよな」
アズサは、箱の底に希望を見つけたパンドラのように安堵の息を吐きだした。
それから二週間ほどしたある日の午後、『オトコの娘同盟』の部室に来訪者があった。
「谷原アズサさんは、こちらと聞いたのですが」
「小池ミチさん、こちらにいらっしゃいます?」
戸口で応対したモモコには、二人が何者であるのか容易に想像がついた。
グリーン系カントリー風ワンピースのツインテールと、短髪で白いフリルシャツにサテンパンツ。
「あの、外に『オトコの娘同盟』の看板出ているけど、ここは部室です?」
宝塚男役の雰囲気があるサテンパンツが室内を覗き込んだ。
「え、ええ。こちら部室です」
アズサとミッチーの所在について、どう答えようかと考えていると、二人の背後からミッチーが近付いて来るのが見えた。
気付いたモモコが二人の肩越しに目で「こっちに来るな」と伝えようとするも、ミッチーには通じないようで、逆に足を速めて寄って来た。
「やぁ、入会希望者かな」
ミッチーの声に二人が振り向く。
「あっ」
「うっ」
ミッチーは身を翻そうとしたが、時、既に遅し。
「あれ、ミチさんですよね」
ツインテールの清泉レンの言葉に、サテンパンツの清泉カエデは大きく目を見開いて指差した。
「お、男―っ!」
汚い物でも見るように顔をしかめる。
「ここが『オトコの娘同盟』ということは、もしかして貴女も?」
モモコを振り返ると、カエデは頭の先から爪先までをジロジロと眺めた。
「いいえ、私は女子ですが、何か」
「貴女、どストライクです!」
両手を胸の前で打ち鳴らす。変わり身の早いカエデだった。
「ちょ、ちょっと待って」
ミッチーは、小走りに近付くと、カエデとモモコの間に体を滑り込ませた。
「どいてください。彼女が見えません」
「モモコは、僕の」
「モモコさんて仰るのね。それで、僕の? 何です?」
「僕の……幼馴染です」
「だから?」
「お、幼い頃からの……、許婚です」
最近、馴染みの深い言葉、許婚。頭に咄嗟に浮かんだ言葉だ。
モモコが後ろからミッチーのワイシャツをギュッと掴む。
勇気を得たミッチーは、もう一度ハッキリと口にする。
「モモコは、許婚です」
ドゴッと室内で変な音がした。
部室の奥で着替え終わったアズサが、ロッカーに額を打ち付けていた。
「あーっ、見付けた! アズサちゃん」
ミッチーとモモコの隙間から室内を伺っていたレンが叫んだ。
「あれ、誰かもう一人いる」
誰かと言われてムッとするカヲルだったが、それよりも今は、アズサのケアをしなければと気を取り直す。
「アズサ、大丈夫ですか」
カヲルがアズサに近付き顔を覗き込む。
「僕のアズサちゃんに親しげなんですけど、君は誰?」
レンは、隙間から不機嫌そうにカヲルを睨み付けた。
「私はカヲル。アズサの幼馴染です」
「だから?」
先程聞いたような展開になった。
「アズサは、私の……」
何と言えば良いのだろう。相手に対抗できる立場なのだろうか。カヲルは、言葉を見つけられなかった。すると、
「カヲルは、俺のカヲルだ」
打ち付けて赤くなった額のままアズサは、レンに顔を向けた。
カヲルは、アズサのロリータワンピースの背中をギュッと掴んだ。
「俺のカヲルって。アズサちゃんもこちら側の人でしたか」
レンは嬉しそうに言った。
「じゃあ、僕も、まだ可能性ありますよね?」
「無いっ!」
金髪縦ロールのウイッグで、ばっちりメイクのアズサは言い捨てた。
「えーっ。僕達、明日からこの学校に転入して来るんです。それで、前日にご挨拶に伺った訳です。よろしくお願いしますよぉ」
「お前らが転入しようがしまいが、俺には関係ねぇが、ミッチーやモモコ、カヲルに迷惑掛けるのは、許さねぇ」
レンは、あまり堪えていないような表情だった。
「ふーん、では入会希望です。ほら、僕も女装男子ですし、おすし」
「ふぁっ」
変な声が出た。
「こちらのサークルの代表者は、どなたです?」
アズサの視線を追ってミッチーに辿り着く。
「よろしゅうおたのもうします」
「あー……」
ミッチーは、承諾せざるを得ないのを分かっている。女装男子同好会なのだから、女装男子レンを拒絶する理由が無かった。
「ちょ、ちょっと。レン! 自分ばかり抜け駆けして」
男装女子のカエデが食ってかかる。
「だって、姉さんは女子ですし。ここは『オトコの娘同盟』ですから」
「ちょっと、ミチさん。男装女子は入会できないのですか? 同じようなものだと思うのですが」
「うーん……」
「それに、モモコさんは女子ですよね」
「モモコは、別枠です」
モモコに関することには即答できるミッチーだった。
「つまり、ミッチーにとってモモコはスペシャル、俺にとってミッチーとカヲルはスペシャルってこと。分かれ」
さりげなくミッチーを挟むアズサだったが。
「あ、なるほど」
レンは、ミッチーをしげしげと眺めた。
「僕、分かっちゃいました」
「分かればよし!」
「じゃあ、明日からご一緒しますんでよろしくー」
片手を上げて去っていくレン、文句を言いながら追い掛けるカエデ。
「あいつ、本当に分かったのか?」
誰も答えられなかった。
『オトコの娘同盟』に新たな仲間が加わって波乱の日々が幕開けした。