おとなは悪いゆめをみる
新しい年になった朝。ぼくたち家族は前の年と同じように、龍茂おじさんの家へとまりにいくことになった。
龍茂おじさんの家は、昔はおじいさんとおばあさんも住んでいたってパパが言ってたけど、今ではおじさんだけがいる。だからここはおじさんの城みたいなものだ。だいたい3日か4日とまっていくんだけど、正直、ぼくはおじさんのことがあまり好きじゃない。
「こら、理人、そっちに行っちゃいかん。深いみぞがあるぞ。もっと家の近くで遊ぶんだ」
家の近くで遊んでいるだけなのに、おじさんはいつもぼくのことをみはっていて、少しでも危ないことをすると注意される。
「あぶない。玄関のまわりでぴょんぴょん飛びはねるんじゃない」
「なんべん言ったらわかるんだ。古い井戸のふたを開けたらだめだ」
「その遊具はさびてて壊れかけている。こっちのやつにしなさい」
家のまわりにはおもしろいものがたくさんあるけど、こんなふうになんどもなんども注意されていたらうんざりしてしまう。だからこんども、外に出て遊ぶのはほどほどにして、中でゲームをしたりモチを食べたりしてすごそうと思った。ああ、はやく都会の家に帰りたいな。
その日の夜、ぼくはおなかがいたくなって目がさめた。おなかがゴロゴロなっている。
「ママ」
「う、ううん。どうしたの、理人」
「おなかがいたい。トイレいきたい」
「もう、理人ったら。晩ごはんの後にアイスを食べすぎるからよ」
ママをおこして、トイレまでいっしょについてきてもらうことにした。こわいわけじゃないけど、ぼくはトイレの場所がなかなかおぼえられない。迷っているうちにチビっちゃった、イヤな思い出もある。
おじさんの家は広くて、夜になるとまっくらで、ほとんど音もしない。時計の音が、チッ、チッ、と聞こえるぐらいだ。ぼくはママにくっつきながら、くらいろうかをすすんでいく。
「うっ、ううううっ、ううん」
とつぜん、声がきこえてきた。苦しそうな声だ。ぼくは思わずママの足にしがみつく。
「ママ、あの声、なに」
「ああ、あれはね、龍茂おじさんの声よ」
「えっ、おじさんはまだおきているの」
「そうじゃないの、おじさんはねているんだけど、たまに悪いゆめをみるようなのよ」
「悪いゆめを」
「そう、おじさんにはむかし、とてもかなしいことがあってね、それがときどき、ゆめになって出てくるみたいなの。だから理人も、おじさんにはやさしくしてあげなくちゃだめよ」
「ふーん」
おじさんの部屋をとおりすぎるとき、戸のすきまからねているおじさんがみえた。かおに汗をかいていて、口をもごもごさせながらなにかを言っていた。
「ぐ、ぐう、こたろ、こた」
トイレにいってすっきりしたぼくは、きもちよくねむることができた。そして、楽しいゆめもみた。ぼくがゲームの中の勇者になって、めちゃくちゃつよい魔法をつかいながら、敵をぶっとばしていくゆめだ。
ぼくはいままでに、悪いゆめなんかみたことがない。ねむった後は、いつだっていいゆめ、楽しいゆめがぼくをむかえてくれる。おじさんは、なんで悪いゆめなんかみるんだろう。もしかしておとなになったら、悪いゆめをみるようになるのかな。
ゆめのなかで、ちらりとおじさんのことを考えてしまったせいだろうか、剣の先から雷の魔法をとばして、魔物をけちらしているときに、どこからともなく声がきこえてきた。
「虎太郎、虎太郎」
おじさんの声だ。すると、ぼくの目のまえにおじさんが、ふだんのすがたのままであらわれた。
「虎太郎よ、どこにいるんだ、返事をしてくれ」
たしかにいつものおじさんだったけど、その声は、とてもかなしくて、さびしそうだった。ぼくに注意するときのきびしい声とは、まるでちがう声だった。
そのまま目のまえをとおりすぎていくおじさんを、ぼくはただみつめることしかできなかった。
あくる日の朝、ぼくはおじさんといっしょに家で留守番をすることになった。パパとママは、これからほかの親戚の人たちへあいさつをしにまわるらしい。
パパとママをみおくったあと、おじさんがぼくにむかって、いつものきびしい声で言った。
「理人、パパとママがかえってくるまで、きちんといい子にしていないとだめだぞ。まず外に出るのは禁止だ。午後から天気が荒れるみたいだからな。いいな、家の中でおとなしくしているんだ」
なんどもしつこく言われて、ぼくはムッときてしまった。お昼ごはんを食べるまではおとなしくしていたけど、デザートのアイスを食べているときに、アクマのようないたずらを思いついてしまった。
そうだ。外に出ていったフリをして、おじさんを困らせてやろう。
ぼくはアイスを食べおわると、おじさんに見つからないようにしながら、玄関にあるぼくのクツを服の下にかくした。そしてそのまま部屋にもどって、押し入れにある布団と布団のあいだにもぐりこみ、戸をしめる。
これでばっちりだ。玄関を見たらおじさんは、ぼくが外に出ていったと思ってあわてるだろう。おじさんはぼくをさがしにいくかな。パパとママがかえってきたら、その時にタネあかしをしてやろっと。
ぼくはまっくらな押し入れの中で、しばらくじっとしていた。だけど、外はしずかなままだ。おじさんの声も聞こえない。そのうち、布団にはさまれてあったかくなったのか、どんどんねむたくなってきた。
気がつくと、ぼくはゆめのなかにいた。だけど、こんどのゆめはいつもとちがった。ひどい雨がふっている。ゴロゴロと雷の音もする。そして、おじさんもいた。おじさんは雨の中で、ふらふらとゆうれいのように歩きつづけている。
「虎太郎、虎太郎」
きのうといっしょの、かなしくて、さびしそうな声だ。こたろう。こたろうってだれのことだろう。
「虎太郎、虎太郎なのか。そこにおちてしまったのか。まってろ、すぐに父さんがたすけにいくから」
おじさんはだんだんと早足になって、ぼくからとおざかっていく。よく見てみると、おじさんがむかおうとしていた先には、大きな谷があった。おっこちたらぜったいにたすからないような、大きな、大きな谷にむかっている。だけど、おじさんは止まろうとしない。
おじさん、そっちへいっちゃだめだ。
大きな音とともに、ぼくは目をさました。あわてて押し入れの戸を開けてみると、まどのむこうがまっくらになっていて、つよい雨がふっていた。ぴかっと雷が光り、また大きな音がなる。ぼくは思わず顔をふせた。
「いや、おれがさがしにいく。そっちの家でまっていてくれ、道路も冠水してるかもしれん」
顔をふせたときに、おじさんの声がはっきりときこえた。玄関のほうだ。ぼくはいそいで玄関へとむかった。
ろうかの角から玄関をのぞくと、合羽みたいな雨具をきたおじさんがいた。スマートフォンを片手にもって、どなるような大声をあげている。
「これはおれの責任なんだ。理人は、おれが命にかえてでも、なんとしてでも見つけだす。たぶん、そんなにとおくへはいっていない。どこかで雨宿りをしているかもしれん」
ぼくは、おじさんに声をかけることができなかった。おこられると思ったから。おじさんは顔を真っ赤にして、目もまゆげも、まるで鬼みたいだった。ぜったいにおこっている、そう思っていた。
「じゃあ、いくよ。また新しいことがわかったら、つたえる」
おじさんはスマートフォンをポケットに入れると、玄関の戸に手をかけながら、言った。
「理人、どうか無事でいてくれよ」
ぼくは、はっとした。あのときの、ゆめのなかのおじさんとおなじ声だった。かなしくて、さびしそうな声。
気がつくと、おじさんは戸をあけて、大雨のふっている外へと走っていった。
「おじさん、そっちへいっちゃだめだ」
ぼくはさけんだけど、おじさんにはきこえていなかったみたいだ。ぼくもクツをはいて、おじさんをおいかけに外へととび出した。
「おじさん、おじさあん」
必死におじさんをよんだけど、おじさんはもどってこない。おおつぶの雨がまるでカーテンのように、はれていたときの景色をかくしてしまっている。おじさんのすがたも、見つけることができなかった。
ぼくは、とんでもないことをしてしまった、と思った。ぼくのせいで、おじさんはもうここへかえってこないような、そんな気がした。ぐらぐらと目がまわり、頭がおもくなった。なんとかしなきゃ、と思っても、どうすることもできない。ぼくは玄関のまえでひざをかかえて、座りこんでしまった。
「理人」
人の声がきこえたような、と思ったあとすぐに、ぼくはだれかに抱きかかえられた。
「ばかっ、ばかっ。なぜ言いつけを守らなかったんだ。虎太郎だけでなく、理人まで失ってしまったら、おれはもう生きていけん。お前のパパとママにも顔むけができなかったよ。ああ、でも、無事でよかった」
ぼくはようやく、抱きかかえているのがおじさんだということに気がついた。そしてまた、おじさんはぼくに注意をする。でも、こんどのおじさんの声は、ゆめのなかのおじさんとおなじ声だった。とてもかなしくて、さびしそうな声。ぼくの心の真ん中が、きゅっとしまっていくような、そんなきもちになった。
「おじさん、ごめんなさい」
ぼくははじめて、おじさんに心の底からあやまった。なみだがあふれて、止まらなかった。
ねえ、おじさん。ぼくも今日、悪いゆめをみたよ。これでぼくも、ちょっとはおとなに近づくことができたのかな。
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