終末をこえて
「ふぅ…… 」
教室の窓ガラス越しに外を見ながら朝霧凛は深いため息をついた。後期中間テストを目の前に、教室では昼休み中も多くの生徒がワークやノートを手にしながら追い込みのテスト勉強をしている。高校受験に提出される評定の対象となる、残り少ないテストを落とすまいと皆必死だ。そんな中、凛は教室の窓枠に頬杖をついて外の景色を眺めていた。校庭向こうに見える道路では車が忙しく行き交い、その歩道にはランニングをするおじいさんや犬と一緒に散歩する中年女性の姿が見える。そんな日常を目にして凛は二度目のため息をつく。
「りーん!何一人で黄昏てんの?」
声を掛けてきたのはクラスメイトで友人の桜子だった。
「あぁ…… サク……」
「テスト前にボーっとしていられるなんて随分余裕だねぇ。ここだけ温度低いよ」
そう言って桜子は教室内をグルリと見回した。それにつられるように凛も辺りを見回す。
「うん…… でもサクだって勉強してないじゃん。……ああ、スポーツ推薦狙うんだっけ?」
そう言われ桜子はちょっと苦笑いを浮かべる。
桜子の成績は中の下。しかし所属する陸上部で桜子は中距離 インターミドルでベスト8に入る成績をおさめ、いくつもの高校から声がかかっていた。
「うーん…… まだわかんない。高校で陸上するかも決めてないし……」
そう言って頬を掻いた。
その反応にちょっと気まずい空気を感じた凛は、桜子から顔を逸らし再び窓の外を向いて話題を変えた。
「 親はさ、いい高校入って、いい大学入ってって言うけど、将来どうなるかなんてわかんないじゃん」
桜子は一瞬驚いた表情を見せるが、すぐに真顔に戻った。
「うんうん、若者らしい悩みだね。確かに古典の文法覚えても将来絶対使うことなんてないだろうね」
桜子は胸の前で腕を組んで大きく頷いてみせた。
「茶化さないでよ。……てか、そういう事じゃなくてさ、大災害や戦争なんて起こったら、いくらいい大学入っても、やりたい仕事なんてできないし、死んじゃうかもしれないでしょ?
私、この中学受験する時もさ、北○鮮がミサイル発射して、Jアラート出たり街中でサイレンなったりして、今にも戦争が起こるんじゃないかって思ったんだよ。それこそ受験勉強なんてしてる場合じゃないって……」
そう言って窓枠にもたれかかる憂鬱そうな凛をみて桜子は呆れた顔でその姿を見下ろした。彼女たちの通うこの臥煙中学は私立でありながら中高一貫ではない為、高校受験があり三年二学期ともなると公立中同様みな勉強に必死だ。
「ノストラダムスの予言の時も似たような事言って自暴自棄になった人いたらしいけど……」
「ノートルダム?」
凛は視線だけを桜子に向けて怠そうに聞き返す。
「ノストラダムスよ。エドガーケーシーやジーンディクソンと並ぶ世界三大予言者の一人じゃない…… 知らないの?」
「知らない……」
「まぁ、流行ったのは私たちの親世代だからね。うちらが知らないのも無理ないけどさ。1999年、第七の月に恐怖の大王が降り立つって予言あったのよ。まぁ結局何も起きなかったけどね」
そう力説する桜子を目の前にして、凛は目をパチクリさせた。
「……ってかさ、サクってそういう話好きだっけ? そういうのは信じないタイプだと思ってた」
二人は中学に入ってからの付き合いだが、桜子は常に現実的で都市伝説や街談巷説の類には興味が無い印象を持っていた。そんなことから凛に意外そうな目を向けられ、桜子は両掌を振りながら慌ててフォローを入れる。
「ううん、違う、違う! 好きだけと信じてはいないよ! あくまでファンタジーとしておもしろいなって……」
「そうなの?」
冷静にそう聞き返す凛に、少し落ち着いた顔に戻って顔の前の両手を下ろした。
「まぁ、そうだね……うん……」
力なくそう言って凛から視線を逸らし髪をなびかせながら教室内に目を向けた。その表情の陰りに凛は首を傾げる。
「でもさ。頭ではそう思っていても、何となくそうじゃ無いこともあるのかなって思うことあるんだよね」
「えっ?」
桜子の矛盾した発言に凛の頭に疑問符が浮かぶ。その顔を目にして失笑しながら桜子は凛の机と窓の間にしゃがみ込んだ。
「ねぇ、凛にはちょっとあり得ない思い出というか、記憶ってない?」
「有り得ない記憶? 何それ? 前世の記憶とかそういうの?」
桜子の口から出た問いかけにちょっと考える仕草を見せながら答えた。
「うーん……そういうのともちょっと違うんだけど……」
そう言って桜子は凛の顔を見上げる。
「凛、さっき北○鮮のミサイルの話してたじゃん。それって日本飛び越えて領海の外に落ちたけど、それが日本のどっかに落ちていたらどうなっていたと思う?」
「そりゃ…… たくさんの人が犠牲になって、それこそ戦争が始まっていたかもしれないんじゃない?」
凛はありきたりとは思いながらもそんな返答をする。
「まぁ、実際日本は大した武力も兵隊も無いからさ、戦争というよりは殆ど一方的に侵略されていくんだけど……」
「?? 日本にも自衛隊あるじゃない。それに国防費だって他の国と比べてもかなり多いし軍事力も世界5位だっていうよ」
「自衛隊は兵隊じゃないよ。いくら訓練しているとはいえ兵隊とは違うからね」
凛はこんな話題になった経緯を思い出そうと天井を見上げ考え始めると、桜子は目を伏せ机上に項垂れるとボソリと呟いた。
「私、ミサイル落ちたの見ているんだよね……」
「え? だって何処にも落ちてないじゃない」
そう言われて桜子頭を上げると力なく笑った。
「うん…… そうだよね」
「??」
この禅問答のようなやりとりに、凛が再び首を傾げた時、教室天井のスピーカーから五校時の予鈴が鳴り出した。途端に教室内や廊下に散らばっていたクラスメイトはパラパラと自席に戻り始める。桜子も頭を起こして小さくため息を吐くと凛に軽く微笑み掛けてその場を後にした。
(今のサク、何だったんだろ?)
桜子は自席に戻ると五時限で使う教科書の準備を始めた。その姿にいつもの能天気さは感じられない。
そんな様子を幾つかの机越しに眺めながら、凛も机の中から社会の教科書とノートを取り出して机の上にのせ頬杖をついて窓の外に目を向けた。
「戦争か…… 」
『戦争』という不穏なキーワードでありながらも、それがどの様な物であるかはテレビや教科書から得た知識以上のことを知らないはずである。しかし夢乃にはそれがどのようなもので如何に悲惨なものかがリアルに想像できていた。
そしてさっきの桜子の話…… これまでの鬱な気分が一層大きくなっているのを感じる。
凛は授業が始まってからも桜子がさっき見せた顔が頭を離れず、桜子の横顔を見ながらノートの端をシャープペンシルで黒く塗りつぶしていた。全く授業が身に入らないまま時間は過ぎ、ようやく終業を知らせるチャイムが鳴った。そして社会の教科教員が教室を出るのと入れ替わる様に担任が教室に入ってきた。ショートホームルームでは担任が手短に連絡事項を伝えると下校の時間を迎えた。そして凛はすぐさま桜子の席に駆け寄った。
「サク、帰ろう」
「うん、帰ってテス勉しなきゃね」
昼休みの思い詰めたような桜子の表情は消えすっかりいつもの彼女の顔になっていた。凛はホッとしながらも桜子のさっきの言葉が気になって仕方がない。教室を出て通路の人混みが落ち着いた頃、凛は思い切って昼の言葉の意味を確かめてみることにした。
「ねぇ、さっきの話なんだけど…… 北○鮮のミサイルが落ちたのを見たってどう言うこと?テレビでそんな番組でもしてた?それとも夢に出てきたとか?」
その言葉に凛の隣を歩いていた桜子の足がピタリと止まった。
「ううん…… そうじゃない……」
凛もその数歩先で足を止め振り返ると、さっきまでの能天気な表情が消えていた。
「さっき私が聞いたこと覚えてる?」
「あり得ない記憶ってやつ?」
桜子は無言で頷き、小さなため息つくと何か決心したように凛の前まで歩み寄る。
「そう。私、こうじゃない世界を見てるの。
うちの近くにあのミサイルが落ちたところ。
その後に起こったこと……」
どう見ても冗談を言っている雰囲気では無い。いつものふざけている桜子の目とは全然違う。
「それって夢とか思い込みとか……」
凛がそういうと黙って顔を振り、両手で凛の顔を包み込み額を合わせた。凛は桜子の目を覗き込む。
「こんな風に感触とか温度とか、匂いとか…… リアルに思い出せるの…… 」
桜子はそう言って微笑みかけると、震え怯える凛から離れると廊下の壁に寄りかかった。
「最初はね、あの日の……ミサイルが降ってきた記憶ってどこか断片的で、凛が言うように夢で見た記憶なのかなって思ってた。でも今ははっきりとした記憶として思い出せる。
逆に大変だったはずの陸上の練習も、インターミドルのこともほとんど思い出せない。そして今の世界が夢なんじゃないかって思うようになったの」
桜子は釈然としない顔の凛から顔を逸らし、廊下を見ながら言った。
「凛さぁ…… 私の名前知ってる?」
「な、何言ってるのサク。桜子でしょ」
突然投げかけられた質問に困惑しながらもすぐに返答する。それに対して桜子は表情を変えないまま質問を続けた。
「……苗字は?」
そう問いかけジッと凛の顔をジッと見る桜子。凛は慌てて答えようとする。
「ええっと……」
必死に思い出そうとしている凛を前に、桜子は笑みを浮かべた。
「思い出せない? ……というか凛は最初から私の苗字なんて知らないんだよ……」
その言葉に凛は全身に鳥肌が立つのを感じる。
「でも! サクとは中学に入ってから三年近くも一緒に…… 修学旅行とか……」
「修学旅行……何処行ったの?」
桜子は凛の言葉を遮るように問いかけた。瞬きもしないまま凛を見つめるその視線に凛は引き攣った笑みを浮かべ後ずさる。
「そ、それは……」
「ううん、私だけじゃない。凛の隣の席は誰? 担任の名前は? ……今日の日付は?」
次々に浴びせられる問いに凛は自分の腕を抱えながらしゃがみ込み膝に顔を埋める。桜子は凛の側に歩み寄ると怯え震える背中に手を下ろし、しゃがんで耳元に顔を近づける。
「そう、元々私は存在しない。このクラスも、この時間も空間も……」
凛はいつの間にか溢れ出た涙に濡れた顔を少し上げ桜子の方を向く。
「ごめんね。怖かったね…… でももうすぐ終わるから……」
その言葉に少しだけ顔を上げ桜子の顔に目を向けると、桜子はその顔を自分の胸に抱き寄せる。
「サク……?」
「ここはアレが日本に落ちなかった場合にあり得た世界。あったかもしれない凛の中学生活。……でもこうはならなかったんだよ。
アレは落ちて、日本は大きく変わった。
日本の人口も三分の一くらいまで減って、今は凛を知っている人も殆どいない」
桜子は凛を抱きしめ耳元で囁いた。
「……でも、まだ凛はいるんだよ」
「サク……?」
そう言うと凛の身体からは力がぬけて、意識が遠くなっていくのを感じた。凛は桜子に抱きしめられながらも、その存在が感じられなくなっていく。
「さよなら、凛……」
2050年7月 岡山都内 大学病院のICU
この部屋には三十三年前に起こった戦争で負傷した少女が眠っている。救助当時、身体への外傷はほとんど無かったものの脳へのダメージで意識が戻らず、未来の医療技術に期待しコールドスリープが施された。
その後、内閣府が行ったムーンショット目標が功を奏して2050年の現在、再生医療とAI技術は完成されつつある。その結果殆どの病気や怪我は完治可能となり、後遺症無くコールドスリープもできるようになっていた。
彼女は十二歳の姿をとどめ、長い間眠り続けてきたが、この度ようやく損傷していた脳の治療が施され目覚めの時を待っていた。
ICUにある無機質な金属製のベッド。この日、凛は静かに目を開いた。最初に目に写ったのは見慣れない機械が乱立する部屋。33年前では想像すらできない異様な光景。凛は自分の置かれている状況を把握できないまま、眼球だけで周りをみまわすと、ベッド脇のモニターに表示されていた日付を目にする。
『2050年7月21日 木曜日』
自分がどれほどの間眠り続けたかを知る。
(そっか…… こっちが現実なんだ……)
驚きや悲しみといった感情は不思議と起こらない。凛は嘘のような事実を何の抵抗もなく受け入れた。
まもなく同室にいた女性看護師が、凛が目を覚ました事に気づく。彼女が看護師として働き始めた時には既にここに凛の姿があり、それを管理し続けてきた。自分よりずっと年上でありながら幼い姿で眠り続ける姿を見続けてきただけに、目の前で起きていることに驚きが隠せない。慌ててナースステーションに報告した後、ベッドに駆け寄り静かに語りかけた。
「朝霧さん!聞こえますか?
自分の事わかりますか?」
その言葉に凛は黙ってコクリと頷いた。
そして静かに口が開く。
「看護師さん。ご飯……食べたいです」