雨の日の珍客・第1話
すっかり暖かくなって桜が咲いているというのに、その日は朝から雨が降っていた。雨のせいで肌寒く、カフェ猫足は開店しても客が入らずにいた。
「雨だと客が来ないのね」
すっかり居着いてしまい、いつの間にか人に化けて店員のバイトを始めていた毛倡妓こと楓が窓の外を眺めながら言う。霧斗はテーブルを拭きながら苦笑した。
「ランチタイムにはそれなりにお客さんくるけどね」
「午前中にいらっしゃる常連さんはご高齢の方が多いから、雨の日の外出はなかなか難しいわよね」
春樹もグラスを拭きながら言うと肩をすくめた。
「たまにはのんびりした日もないとね」
「最近ランチタイムのお客さん増えましたもんね」
「楓ちゃんのおかげね!」
春樹の言葉に当の本人は不思議そうな顔をした。
楓が店に立つようになってから男性客が増えたのだ。最初は南たちから楓のことを聞いたらしい大学生。それが徐々に近くの会社のサラリーマンが来るようになった。もちろん目当ては楓だ。艶のある長い黒髪にキメの細かい白い肌。目付きは少々鋭いものの整った美しい顔立ち。そして春樹が着せたクラシカルなメイド服。楓の容姿に加えてメイド服が密かな人気を呼んでいた。
「あたしの目に狂いはなかったわあ」
そう言って満足そうに笑う春樹に霧斗は苦笑した。
「霧斗、外にいる方、中にお招きしてはどうだ?」
「え?」
窓の外を眺めていた楓がふいに霧斗に声をかける。驚いた霧斗が楓のそばに行くと、楓は隣のビルの玄関先で雨宿りしている男性を見ていた。
「ん?あの人は…」
違和感に気づいた霧斗が目を凝らすと、楓は小さく笑った。
「さすがだな。気づいたか。あの方はどこぞの山神さまだ。雨に降られて難儀しておいでだろう。私は奥に行くから、お招きするといい」
「…春樹さん、いいですか?」
「もちろんいいわよ」
春樹に許可をもらった霧斗が傘を手に店を出ていく。それを見て楓は事務室に向かった。
「楓ちゃん、どうして奥に行くの?」
事務室に入ろうとする楓に春樹が不思議そうに声をかける。楓は足を止めると肩をすくめた。
「相手は神だ。私はただの妖。おそばにいるのも畏れ多い」
「そうなの?まあ、楓ちゃんがそれでいいならいいんだけど」
納得しきれないといった様子の春樹に苦笑して楓は事務室に入っていった。
店を出た霧斗は隣のビルの玄関先で雨宿りしている男性のもとへ行った。男性はいたってシンプルなスーツ姿だったが、その容姿は人間離れして整っていた。その容姿のせいで先ほどから女性たちが声をかけたそうに見つめていたが、男性から近寄りがたい空気が出ていて声をかけられないといった様子だった。
「あの、雨でお困りでしたら隣のカフェにいらっしゃいませんか?」
霧斗が声をかけると男性は少し驚いたように霧斗を見た。
「カフェ?ああ、あそこの店か。なるほど。私が行ってもいいのか?」
「雨でお困りのようだからお招きしてはと言われまして」
霧斗がそう言うと男性はふわりと微笑んだ。
「そうか。では招かれよう」
「ありがとうございます。傘をどうぞ」
一礼して霧斗が傘を差し出す。男性はうなずいて傘を受けとると霧斗と共に店に向かった。
「実は先ほどから女たちの視線が鬱陶しかったのだ。正直助かった」
「それはよかったです」
苦笑しながら言う男性に霧斗も苦笑しながらうなずく。確かにあの視線は困るだろう。
カランと音をたててドアを開けると春樹がタオルを持って出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。雨に濡れませんでしたか?タオルをどうぞ」
「ありがとう」
春樹からタオルを受け取った男性が濡れた袖を拭く。霧斗もタオルを受けとると店内に楓の姿がないことに気づいて苦笑した。
「春樹さん、楓は?」
「事務室よ」
霧斗の問いに春樹が苦笑して答える。それに反応したのは男性だった。
「お前たち、私が何者か知っていて招いたのか?」
「そうです。俺は最初気づかなかったんですが、ここにいる妖が気づいて雨で難儀されているようだからちょうど客もいないしお招きすればと」
「なるほど。確かにここに人間以外の者の気配を感じていたが、私がきてはその者が辛くはないか?」
「本人がいいと言ったので大丈夫かと」
困ったように言う男性に霧斗が言う。春樹はにこりと笑うとテーブル席に男性を案内した。
「何か召し上がりますか?」
「ではコーヒーを頼む」
「かしこまりました」
メニューを見て言う男性に春樹はにこりと笑ってカウンターに入った。
「お前の影にも妖がいるな。式神か?」
「はい。俺は一応祓い屋をしているので」
楓の気配に気づいていたことからきっと青桐のことも気づいているだろうとは思っていた霧斗が苦笑しながら答える。男性は霧斗の影に目を凝らすとにこりと笑った。
「強い妖を従えるのはお前が強い証だ。これからも精進するといい」
男性の言葉に霧斗は「ありがとうございます」と頭を下げた。
「お待たせしました」
少しして春樹がコーヒーを持ってやってくる。男性は春樹のコーヒーを飲むと小さく微笑んだ。
「美味いな」
「お口にあってよかったです」
男性の飾り気のない感想に春樹が嬉しそうに微笑む。男性はゆっくりコーヒーを飲みながら一息ついた。
「時折こうして人の中に出てくるが、お前たちのようにただの善意で声をかけてきた者は初めてだ。いや、以前にもいたな…」
そう言って男性は思い出を語るように静かに話し出した。