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姫と侍女と臣下の恋ぎみ ウルトラ・コンピュータ 風呂場で二人切り

             1



「ザナドゥ!」


「――ユートピア」


「アルカディア!」


「――パラダイス」


「シャングリラ!」


「――むぅ。

 あと、何かあります?」


「ええ〜っ!

 ドレンちゃん、もう降参なの!?」


「はい。

 姫さま――私には、これ以上、思いつきません」


「はっはっはーっ!

 ドレンちゃん、肝心なのを忘れてるわよ!」


「はぁ……。

 ちょっと、わかりませんねぇ」


「いま、私たちが立っている、ここ(﹅﹅)はどこでしょう?」


ここ(﹅﹅)――ですか?」


「そう!

 ここ(﹅﹅)っ!」


 私は、右手の人差し指を下に示す。

 もちろんそれだけで、有能な侍女である、ドレン・パレドゥルンは理解した。


「なるほど。

 姫さまらしからぬ、味な真似(﹅﹅﹅﹅)ですね」


「ひと言多いのよねぇ〜。

 ドレンちゃんは!」


「失礼致しました。

 でも、忘れてはいけませんね。

 我々がつくった、この(﹅﹅)桃源郷とうげんきょうを」


「当然っ!

 魔法と科学が融合した理想郷――。


 それが、私たちが暮らすこの王国、『テイトミア』よ!」


        ❈❈❈❈❈❈❈❈


 王国テイトミア――私、ローゼスカ・ティアムの父である、バルディクトル・ティアムが国王として治める地。緑が溢れ、豊かな水が揺蕩たゆたい、空から降り注ぐ光が王国を隅々まで照らし、人々の生活を見守っている。


 そんな王国の平和を感じているからなのか、私はドレンとのお茶の席で、他愛のない「桃源郷ゲーム」に興じていた。

 外来語で、桃源郷や理想郷の意味を表す言葉を挙げていくだけの単純なものだったが、敗者は勝者に、きょうのお茶菓子を献上しなければならないというルールを採り入れたので、私は絶対に負ける訳にはいかなかった。


「いっただぁきま〜っす!」


 勝利の美酒ならぬ、勝利の甘味である。

 勝ってこそ味わえる、極上の()頂感!


「おいしぃ〜!」


「やれやれ。

 ホント、姫さまは食いしん坊なんだから。

 体重計の目盛りが、また増えちゃいますよ」


 ドレンは黒髪ロングの眼鏡美女なのだが、私をからかって遊ぶ悪い癖がある。


「何よ〜。

 ドレンちゃんは負けたんだから、嫌味なんて言っちゃダメなの!」


 私はちょっと「プンスカ」する。

 ドレンはにっこりと笑う。

 むむ!

 少し含みのある笑顔。


「姫さま。

『テイトミア』は、外来語でしょうかねぇ?」


 ハーフ・フレームの赤い眼鏡を、すっと直す。

 その仕種が、堪らなくつややかだけど、私は喉を詰まらせる。


「ゴホンっ!

 外来語――じゃ、ないかしら?

 昔、昔の大昔、海の果てからこの地に渡ってきた言葉――だったような気が、しないでもない……かも知れない――」


「いいですよ。

 そんなに無理しなくて。

 最初から、私は負けるつもりだったんですもの」


 と言って、クスクス笑う。


「もうっ!

 だったら初めっからそう言えばいいじゃないっ!

 ホント、ドレンちゃんは意地悪ねっ!」


        ❈❈❈❈❈❈❈❈


 桃源郷――。

 それは、誰もが夢見る、幸福が約束された地なのか?

 そして、我々の幸福は、何によって約束されるのか?


 王国テイトミアの幸福を約束するために、日夜骨を惜しまず、身を捧げる者が居た。


 トランジェニス・ゴルトバークはきょうもまた、私の前にひざまずく。

 王国の平和を支える30もの護衛師団。

 その中の一つ、第27護衛師団の団長が、彼だった。


「姫さま。

 ご機嫌、うるわしゅうこざいます」


「まぁ、ご機嫌はご機嫌だけど……。

 トーランくん、あなたがわざわざお伺いを立てに来るなんて――何か、よっぽどのことね?」


「これは姫さま。

 さすがのご炯眼けいがん、恐れ入りまする」


「恐れ入るのはいいんだけど――。

 ちょっと堅苦しいんじゃない?

 ここ(﹅﹅)に座って、お茶でも飲みながら、話しましょうよ」


 私は賓客ひんきゃく応接用の椅子に、トランジェニスを座らせた。


「いや……。

 この椅子に、座らされる(﹅﹅﹅﹅﹅)のも毎度のことですが――まったく、慣れませんな」


「もうっ!

 トーランくんは相変わらずね!

 せっかく私とお話するんだから、もっと雰囲気を出さないとダメよっ!」


 私が通話機でお茶とケーキを要求すると、通話機のスイッチを切る間もなく、部屋のドアが開いて、ドレン・パレドゥルンが顔を出す。


「姫さま。

 きょうは大分甘味をお召し上がりですよ」


「いいのっ!

 ドレンちゃんはそれ(﹅﹅)を置いて、すぐに立ち去るように!」


「はいはい。

 ですがひと言だけ――。

 ケーキを召し上がる前に、三口みくちほど、お茶を飲んで下さいね〜。

 カラプルム産の、脂肪燃焼茶ですから」


「まっ!?

 大きなお世話よ、ドレンちゃん!


 ――ありがと」


 ドレンは「にこっ」と笑って、出ていく。


「さすがですね、パレドゥルン女史は。

 姫さまの体重――もとい、体調を考慮し、薬用成分の含まれたお茶を給するのですから」


「まぁね〜。

 ドレンちゃんに任せておけば、大抵のことはなんとかなるの」


 ドレンは私の、侍女兼秘書兼参謀兼――姉のような存在だった。二つ歳上なだけだけど、もっと離れている気がするのは、私が子供っぽいせいなのか?


 否!


 それは断じて違うと、声を大にしなくてはならない。

 だって私はもうお酒を飲める年齢なのだし、大きな失恋も味わっている。

 もう、十分、大人なのだ!


 ドレンが随分しっかり者に見えるのは、おそらく、彼女の境遇にあるのだと思う。

 そこでの経験が、彼女を早くから「大人」にしたのだ。


 詳しく聞いた訳ではないけれど、ドレンは貧民窟ひんみんくつの出身だ。毎日食うや食わざるやの生活をいられ、その日一日を過ごすのにも、私などが想像も出来ないほどの苦しみを、経験したのだろう。


 だけど――。


 ドレン・パレドゥルンの眼は、とても綺麗だ。


 貧民窟での苛酷な暮らしに心を削られ、何に対しても希望を持てず、ただその日を生きていただけの人間の眼では、断じてなかった。


 だからこそ、父はドレンを「取り上げた」のだろう。

 将来自分の力になってくれるであろうことを見越して、父はドレンを王宮に呼んだのだ。


 そして――。


 貧民窟出身の人間は、ドレンだけではなかった。

 眼の前の、トランジェニス・ゴルトバークも、同様に、父によって取り上げられ、王国の護衛師団に入団させられたのだ。


 父の眼が正しかったことは、師団団長の鎧に身を包み、窮屈きゅうくつそうに腰掛けている男を見れば、明らかだろう。


「うわぁ、おいしぃ〜っ!


 ――で、トーランくん。

 用件を伺いましょう」


「では、お話し致します。


 姫さまは、最近の『エクセラ・テト』の動向について、どれだけご存知でございましょう?」


 エクセラ・テト――それは、魔法と科学を融合させた、この「真世界」において、未だに魔法を主とした社会を構築する、「魔帝国」だった。


「例の――『ツトレノガトン事件』以来、十分注意して情報収集に努めているけど――特にこれといって怪しい動きは、無いみたい」


「左様でございますか。

 姫さまは、パトロマルス・サーティーフォーを使って、調べていらっしゃいますね?」


 パトロマルス・サーティーフォーは、天才魔科学者、クリス・パトロマルス3世が、34歳のときに開発に成功した、ウルトラ・コンピュータだった。

 私の16歳の誕生日に、父がプレゼントしてくれた、私しか扱えない、大切な宝物だった。


 その性能は、素晴らしいの一語に尽きる。


 何せ記憶媒体に、古今東西のアニメ、マンガ、それにゲームを網羅もうらしているのだから堪らない。

 最新作も、いつの間にかダウンロードされている念の入れようで、とてもではないが、パトロマルスが居ない生活は、考えられなかった。


 しかしながら、パトロマルスの本領は、その膨大な容量を誇る記憶媒体と、超高性能CPUによる、高速オンライン処理にあった。


 ところが――。


「パトさんが言うには、ネットワークが遮断されているようで、思ったように情報が集められないそうよ。

 それでも、エクセラ・テトの周辺諸国の協力で、幾つかの情報は手に入れられるのだけれど、それらを分析してみても、我が王国に脅威を及ぼす状況とは、判断出来ないみたい」


 トランジェニスは頷く。


「なるほど。

 かのパトロマルスをもってしても、オンライン上からの情報収集は困難のようでございますな。

 しかしながら――我々、第27護衛師団にとってみれば、ネットワークなど利用せずとも、生きた(﹅﹅﹅)情報を手に入れることは、さほど難しいとこではないのです」


「トーランくん。

 あなたは――かつて、単身でエクセラ・テトに潜入したことがあったわね。

 もしかしたら、そういう潜入ルートと同様に、独自の情報収集ルートを持っているのかしら?」


「その通りでございます、姫さま。

 あまり、大きな声では言えないのですが――陛下や参謀長も知らない、〈秘密の扉〉があるのです」


「何よ、それ?

 お父さまですら知らないって……」


「大変心苦しいのですが、これは第27護衛師団、代々の秘匿ひとく事項でございまして……。

 たとえ陛下であっても、知られないよう、厳じられているのです」


「でもさ、トーランくん」


「何で、ございましょう?」


「わ、た、し、に、は!

 教えてくれる、でしょう?」


「はぁ……。

 姫さま――お話、聞いておられました?」


「もちろんてすとも!

 お父さまや参謀長には、知られちゃダメなのよね?」


「いえ……。

 第27護衛師団代々の――」


「はいはい。

 秘密なんでしょ?

 よお〜っく、わかりました!


 でもね――。

 秘密は、知られるためにあるとは、思わない?」


「う〜ん、そう申されましても――。

 こればっかりは、姫さまにもお教えする訳にはまいりません。

 何故なら――」


「何故なら?」


大切な人(﹅﹅﹅﹅)を、危険にさらす訳にはいかないからです」


 と、真剣な眼で見つめるトランジェニス。


 大切な人(﹅﹅﹅﹅)――。


 そのフレーズに、私の胸は「とくん!」と鳴る。


 まぁ、トランジェニスったら!


「コホン……。

 失礼しました。

 誰にでも、秘密にしたいことの一つや二つ、あるものね……」


「――では、つづきを、お話し致します」


 トランジェニスは、居住まいを正す。


「かの『ツトレノガトン事件』において、我が王国に、エクセラ・テトの魔の手が入り込んでいたことは、記憶に新しいことかと存じます。

 我々第27護衛師団も、厳重に王国の警護と、敵国の出方を探っておりました。

 しかし、表面上はなんの音沙汰もございませんでした」


「それが、おかしいのよねぇ。

 わざわざルキアス――ザハルディ()団長を取り込んで、手先として利用したのに、その後なんの行動も起こさないのは、ちょっと変ね」


「しかし、わたくしめはあのとき(﹅﹅﹅﹅)、確かにエクセラ・テトの神官、サルトバインドから『あの国を落とすのも、そう遠くない』と聞いたのです。

 従って、水面下で、別の動き(﹅﹅﹅﹅)をしているのではないか――と、疑ってみたのです」


「つまり――あの(﹅﹅)事件を起こしたザハルディは、私たちの眼を逸らすおとり――ということに、なるのかしら?」


「素晴らしい。

 姫さま、参謀()長の肩書、伊達だてではありませんな」


「んもぅ……。

 トーランくんったらっ!」


 トランジェニスに褒められると、胸がドキドキしてしまう。


「ここまでお話し致しますと、もう姫さまには、わたくしめが申し上げることが、わかってしまったのではないでしょうか?」


「えっ?

 まぁ、話の流れから察すると――。

 その、別の動き(﹅﹅﹅﹅)を、つかんだということかしら?」


「誠に、姫さまには敬服致します。

 おっしゃる通り、第27護衛師団は、それ(﹅﹅)をつかみました」


「まぁ!

 本当に……」


「おそらく、偵察部隊ではないかと――。

 師団の精鋭を、監視の任にあたらせております。

 近々、詳しい情報を得られる筈ですので、追ってこの件はご報告したいと存じます」


「トーランくん。

 それは――〈秘密の扉〉からつかんだ情報なのね?」


「左様でございます」


「やっぱり、教えてくれる訳には――いかないの?」


「いけません、姫さま。

 わたくしめは、姫さまが、どのような行動(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)を起こすか、想像出来るのです。

 おそらく、ご自身でそこ(﹅﹅)に行って探ってみたいのでしょう?」


「その通り!

 わかってるじゃない!」


わかっているからこそ(﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅)――いけません」


「もう、ケチねぇ。

 トーランくんって」


「姫さま。

 わたくしめは、絶対に姫さまを危険な眼に遭わせぬよう、陛下から厳命を受けております。

 たとえ――愛する(﹅﹅﹅)姫さまの願いといえども、答えは『ノー』です」


「まっ!」


 愛する(﹅﹅﹅)――ですって!


 トランジェニスは真顔でこんなことを言ってくるから、ホント、困ってしまう。


「――わかりました。

 ではこの件は、詳細を得次第、速やかに報告すること。

 いいですね!」


「御意に――」


 トランジェニスは椅子から立ち上がると、一礼し、部屋を出ていった。


「もう。

 トーランくんたらっ!」


 いつものように、手の付けられていないまま、お茶とケーキは、テーブルの上に残っていた。



             2



「パトさん。

 起きてちょうだい」


 私は胸に下げている、翡翠ひすいに輝くペンダントに、指を触れる。


 パパパパァァァッ!


 閃く、薄緑色の光。

 さっとくうに、現れづるスクリーン。


「お呼びでしょうか。

 姫さま?」


「おお〜っ!」


 感にえない、甘いひび割れボイス。

 パトロマルス・サーティーフォーは、起動する度、私をゾクゾクさせる。


「こんばんは。

 パトさん」


「ご機嫌麗しゅうこざいます。

 姫さま――ご所望のアニメは、『タカアシガニ漂流記』の、第10話でよろしかったでしょうか?」 


「違うの〜!」


「これは大変失礼を……。

 では――『メルシーニの冒険』の、劇場版でしたでしょうか?」


「いや〜ん!

 違うぅ!」


「なんとなんと!

 パトロマルス・サーティーフォー、一生の不覚。

 姫さまのご興味に沿った……」


「あのぅ……。

 パトさん?」


「ハッ!

 姫さま、なんでございましょう?」


「きょうはアニメじゃなくて、〈秘密の扉〉のことを訊きたいの」


「〈秘密の扉〉――で、ございますか?」


「トーランくんが言ってたのよ。

 エクセラ・テトの、偵察部隊のことを」


 私はパトロマルスに、トランジェニスとした話の内容を伝えた。


「――なるほど。

 それで、〈秘密の扉〉で、ございますか……」


「どう、パトさん。

 調べてくれる?」


「ハッハッ!

 姫さま――。

 不肖パトロマルス・サーティーフォーの真髄は、『調べること』――に、あるのですよ」


「ありゃま!

 これは愚問だったかしら?」


「なんのなんの!

 姫さまが小生のメイン・ファンクションをこれほどまでに活用なさる日が来ようとは――。

 胸が熱くなってまいりますな」


「あのぅ……。

 熱くなり過ぎて、壊れちゃ嫌よ?」


「心配は無用ですぞ!

 しっかりと、自己冷却機能も備えてます故――。

 では、しばしお待ちを……」


 パトロマルスは、高速演算処理を開始した。

 蓄積された膨大なデータと、オンライン検索によって、求める答えを探しあてるのだ。


「――ピーッ!

 検索終了!」


「わっ!

 かわいい声!」


 パトロマルスは検索が終わると、何故か、声変わり前の少年のような声を出す。


「姫さま。

 どうやら、それを解く鍵は、貧民窟にありそうです」


「貧民窟!?」


「左様でございます」


「何で?」


「ゴルトバーク団長は、『代々』――と、仰ったようですが、おそらく『当代』――の、間違いでしょうな」


「とーだい?

 つまり、〈秘密の扉〉は、トーランくん自身がつくり出したもの――と、いうことかしら?」


「その通りでございます」


「で、トーランくんがお父さまや参謀長など、王宮の要職者にそれを伝えない――て、ことは……」


「多分、迷惑が掛かることを恐れたのでしょう。

 貧民窟には、かつての仲間が居られるかと存じますが、けっしてキレイな身でない者も、含まれているでしょうから……」


「なるほどねぇ……。

 トーランくんらしいっちゃらしいけど――。

 ちょっと水くさいわね。

 私やお父さまが、そんなこと(﹅﹅﹅﹅﹅)を気にする筈ないのに。

 気にしてたら――わざわざお父さまが取り上げるものですか」


「いやいや。

 ゴルトバーク団長の、漢気(おとこぎ)でありましょう」


「ふうん、そんなものかしら?

 男の子って、めんどくさいのね」


 私はちょっと、溜息をついてみせる。


「でも、まぁ――どこに行けばいいのか、わかったわ。

 ありがとう、パトさん。


 シャットダウンしていいわよ」


「御意に――。

 パトロマルス・サーティーフォーは、いつも姫さまのお側に――」


 なんという甘いバイバイ・ボイス!


 スクリーンは跡形もなく収束し、翡翠の輝きは、胸に戻る。


「貧民窟かぁ……」


 私は早くも、そこ(﹅﹅)を探る手段を練り始めた。



             3



「う〜ん――。

 いい気持ち……」


 少し白みがかった湯に身体を浸らせ、私はきょう一日の疲れを癒やす。

 就寝前の入浴は、あまりしないのだけれど、ある密談(﹅﹅﹅﹅)のため、私は日付が変わったこの時間、湯に浸かりながら、人を待っていた。


 王宮の浴場は、幾つかあるけれど――私はこの「フォンテン・オブ・ドリームス」が、気に入っていた。

 だだっぴろさが売り(﹅﹅)の他の浴場とは違って、小ぢんまりとはしているのだが、その分ゆっくりと出来、また――内緒話をするのにも、うってつけだった。


「いつもながら――。

『夢の天使』の微笑みは、素敵だな」


 浴場の一隅いちぐうに、穏やかな笑顔を浮かべ、天使の像が立っていた。


「王国に平和を!

 人びとに夢を!」 


 との思いが、あの像には込められている――と、昔父は言っていた。


 カート・ドゥルバネス――。


 それが、像の制作者の名だった。


 彼は若くして頭角とうかくを現し、その名声を確実なものとする数多あまたの作品を、世に送り出した。


 作品の素晴らしさに心を奪われた父が、王宮専属の芸術家として招き入れたのは、無理からぬことだった。


 父は、けっしてドゥルバネスを束縛したかった訳ではない。


 いつの時代も、芸術家はその日暮らしで、作品制作に集中出来ないことが、多かった。

 不憫ふびんに思った父は、彼らを城に招き、食・住を与え、創作活動の助けを施していた。


 ドゥルバネスも、その中の一人だったのだ。


「おや、おかしいな?」 


 と首をかしげた人が、居るのではないだろうか。


 若くして名声を確実なものとしたドゥルバネスが、困窮こんきゅうに苦しんでいたとは思えない――。


 その通りである。

 ドゥルバネスは、けっしてお金に困っていた訳ではなかった。


 しかし――作品制作に、集中出来る環境には居なかったのだ。


 次から次へと傑作をものするドゥルバネスに、悪い虫(﹅﹅﹅)が付かぬ訳がなかった。

 作品の諸権利を買い叩こうとする者、ドゥルバネスと肉体関係を結ぼうとする者など、とにかく周り(﹅﹅)がうるさくなってきた。


 ついには創作活動をやめざるを得ない状況になったとき、父が手を差し伸べたのだ。


 以来、ドゥルバネスは雑音に心を惑わされることなく、芸術活動をつづけている。

 王宮のそこかしこに飾られているドゥルバネスの作品たち。

 どれにも、彼の熱い()が込められていた。


「――ん?

 来たかな」


 浴場の扉が開く音がした。

 湯けむりの中に、一人の女の影が認められた。


「ドレンちゃん――。

 こっちよ!」


 私は手を挙げ、近くに来るよううながす。


「姫さま。

 まずは、身体を洗いませんと……。

 少々、お待ち下さい」


「げげーっ!

 のぼせちゃうわよ!」


 待っていられる訳がない。


 私は湯から上がり、ドレンの横に座った。


「背中、流してあげるね」


「まぁ……。

 姫さま、そんな……」


 ドレンはやや躊躇ためらったものの、私に逆らっても無駄なことを知っているから、遠慮がちに、その美しい背中を、こちらに向けた。


「やぁ……。

 綺麗だなぁ……」


 と、感嘆せずにはいられないほど、滑らかな白い背。

 普段は衣服とともにその白背を覆っている長い黒髪は、頭上に結い上げられ、髪留めでまとめられている。


「う〜ん。

 うなじもいいわぁ……」


「姫さま!

 変なところに感心せぬよう!」


「はいはい。

 余計なことは言いませんよーだ」


 私はドレンの背中に湯を掛けると、泡立てたタオルで、ゆっくりと流し始めた。


「――ありがとうございます。

 姫さま」


「いや〜。

 なんのなんの!」


「それで――。

 ご要件は、何ですか?

 わざわざこんな時間に、お呼び立てするなんて……。

 しかも――」


「風呂場で――て、こと?

 特に理由は無いの!


 強いて挙げれば――。

 ドレンちゃんの、眼鏡を掛けてない顔を見たかったから――かな?」


 もう――なんて溜息をつきながら、顔を少し捻り、美しい流し眼を見せる。


 本当に、綺麗な眼だった。

 ちょっとだけつり上がった、大きな黒い瞳。

 眼鏡というフィルターが外れると、その輝きは、より顕著けんちょに、私の心を捉える。


「――あのさ、ドレンちゃん。

 お願いが、あるんだけど……」


「お願い?

 いつも、聞いてあげてると、思いますけど?」


「それがさ――。

 ちょっと、言いづらいんだけど……。

 あした、付き合ってもらいたいところが、あるのよねぇ」


「何か、姫さまらしからぬ――。

 殊勝な言い回しですねぇ」


「嫌な予感がする?」


「――いささか」


「貧民窟に――。

 連れていって、もらいたいんだけど……」


 背中を流す手を止めると――。

 ドレンがゆっくり、こちらを向く。


 大きな二つの瞳で、まじまじと私を見た。


「ゴメン、ドレンちゃん。

 嫌なのは、わかってるんだけど……」


 パトロマルス・サーティーフォーに、トランジェニスの言う〈秘密の扉〉の鍵が、貧民窟にある――と告げられたときから、私はドレン・パレドゥルンを、頭に思い浮かべてしまった。


「どうしても、あそこ(﹅﹅﹅)に行きたいの。

 それで――。

 良く知っている人物を、思い浮かべたら……」


「私が該当した――。

 という、訳ですね?」


「そうなんだけど――。

 もし、ドレンちゃんが嫌だって言うなら……」


 もちろん、私は他をあたるつもりだった。

 辛いことを思い出させてまで、ドレンに無理強いをさせるつもりは、毛頭なかった。


「あら、いいですよ。

 知り合いも、まだたくさん居ますから」


「あれ?

 やけにあっさり、OKするのね」


 私のほうが面食らってしまった。

 ドレンはおかしそうに、にっこり笑う。


「姫さま。

 どうか、お気になさらずに。

 過去は過去ですから。

 いまさら振り返ってみても、仕方ありません」


「かっこいいっ!

 さすがドレンちゃん!

 私の大好きな、大好きな、お姉さまっ!」


 思わず、ドレンに抱き付いてしまう。


「もう。

 姫さまったら」


 ドレンは優しく、私の、少しウェーブが掛かった金髪を撫でてくれる。


「じゃあ、お湯から上がったら、あしたの用意をしないと、いけませんねぇ。

 あそこ(﹅﹅﹅)に行くのに、徒手としゅ空拳くうけん――という訳には、まいりませんから」


「やっぱり、危ないの?」


「それなりには――。

 まぁ、準備をおこたらなければ、恐れる必要はありません。

 姫さま、怖がってます?」


 私は「ブンブン!」首を横に振る。


「んな訳ないでしょ!

 むしろ、楽しみね。

 初めて行くところだから!」


「可愛らしいこと。

 遠足に行く訳じゃ、ないんですよ?」


「何よ〜、ドレンちゃんったら。

 子供扱いして〜」


 私がむくれると、ドレンは視線を少し(﹅﹅)下に落として、言う。


こちら(﹅﹅﹅)のほうは――。

 まだ、成長途上のようですけど……」


「まぁ、なんてことをっ!

 ドレンちゃんが育ち過ぎ(﹅﹅﹅﹅)なのよっ!

 ホント、意地悪ねっ!」

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