第65話 勧修寺 前段
赤黒い夕日を浴びて山へ帰る烏の影なき声だけが漂う寒空の下、昼と夜とが混じり合う逢う魔が時です。
秋の日が落ちる心水教の敷地内は、思った以上に静かで人気もありませぬ。三郎の話では広い敷地内に住む一般の信徒は、みな眠るように倒れているのだとか。
反魂香を思わせる甘い匂いが立ち込めて、強烈な眠気に襲われるも、河津や沙希や胆力のある者たちだけはそれに耐え、そこを襲い来たったのが、三体の人形です。
蜘蛛と蛇と鬼の変化じみたもの。
年経た蜘蛛が人に化けたような八本腕のそれ、白蛇を思わせる鱗に覆われた蛇女、面布に鬼と書かれた人形です。それぞれ、蜘蛛丸、夜叉丸、外道丸と呼ばれるもの。敷地中央に位置する屋敷へ向かいながら、三郎曰く、
「敷地の周囲に赤黒い炎が上がり始め、河津さんに言われて助けを呼びに行こうとした時、立ちはだかった鬼の人形を、行きがけの駄賃にぶっ倒してやろうと慢心した結果がこの様です。
たいがいの奴には負けぬし、妖しのものなど何するものぞと。ところが、顔に面布を垂らした鬼の人形、外道丸というのですか、そいつの面布が持ち上がると、空っぽの顔に光雄さんの顔が浮き上がってきたのです。そして、口から吐き出した箱を突きつけてきた。
ぐっと圧が向かってきたと思うと、体中を膾斬りです。もう死ぬかと思いましたが、河津さんが自分を蹴り飛ばして、おまえは行けと。それから……」
と話を続けようとした三郎が息を呑みました。屋敷の中庭につながる裏木戸の辺りです。木戸も木塀も粉々に砕け、そこに三体の人形が立っておりました。人を見下ろすような背丈で、その脇には、それから、の人物も。
「あの姉妹が、勧修寺五月と勧修寺忍です」
憎々しげに指差した先、二十歳手前と十代半ばの姉妹が、と思うと、五月が振り返りました。家紋付きの黒番傘を手にした喪服姿、黒地に黒の焔柄をあしらってあります。
「逃げた羽虫が仲間を連れてきたんやな。ええで、一度入ったが最後、生きて出られぬ死出の門をよう潜った。一族の弔い合戦、千年蠱毒成就の時や。さあ、宴やでぇ」
はっはっ〜と笑って番傘を廻してみせます。その向こうに河津の姿がありました。三郎と目が合って、にやりとしますが、全身膾斬りの血塗れです。
「三郎、やっときたか。少佐殿も来てくれやしたね。では、後は頼みますぜ。あっしは、……ちと寝やす」
手も突かずに前のめりに倒れました。死んではおらぬようですが、これまで気力だけで立っていたのでしょう。
倒れた後には沙希と白水、妻と子の無事な姿です。河津が護り通したものに相違ない。鳥目と赤黒がそばに付いてもおりますが、河津ほどではなくとも、それぞれ傷を負い、荒い息をついているようで御座いました。
さて、ほかに白糸嬢と件の姿が見当たりませぬ。と思えば、二人は忍の傍らに立つ蜘蛛丸に捕らえられておりました。気を失ったまま、蜘蛛丸の八本腕に支えられています。
夜叉丸、外道丸が此方を振り返り、勧修寺忍も振り返ったのでした。千早を羽織った緋袴姿で、一見して巫女装束ですが、禍々しい呪言を唱えております。両手を広げ、
「左手に蜘蛛丸、右手に夜叉丸、両手を合わせて外道丸。我が命に従え」
と告げますと、夜叉丸の尾の間から呻き声が聞こえてきました。締め上げられているのは東昇です。
誰よりも早く飛び出して行った東昇でしたが、いまは囚われの身となっておりました。というのも、
「はっはっはっ、そこの道士も河津とやらも甘い甘い。ちょっと女の格好をしとるだけで、手が出せへんのやでなぁ」
と、五月が言うようなことでした。さらに続けて、
「せやけど、わかる、わかるわぁ。忍は可愛いでなぁ。そこいらの女の子より、よっぽど可愛いわぁ。女の子にはよう手も出せへんて聞いとったでな。えへへ、忍は弟やでぇ」
楽しそうに嗤う五月でしたが、倒れていた河津が首だけ持ち上げて、
「男だろうが女だろうが、どのみち子供にゃ手は出さねぇよ」
と告げたところ、つかつかと五月が歩み寄り、ごすんと頭を踏み付けまして御座います。
「……あんた、うっさいわぁ。人の揚げ足取ってからに。うち、そういうのややわぁ。ちゃんと寝ててや」
「貴様!」
声を上げた舩坂少佐を身振りで制して、冷ややかな声を発します。
「ふん、気を失っただけや。忍は優しいでなぁ。できるだけ殺さんといてくれ、そんなこと言うんやでぇ。せやけど、千年蠱毒の成就には沙希の腹の子が必要なんや。
新政府の連中も、裏切り者の仲間も、うちが全員仲良く殺したる。えへへ。忍、あんたが出来ないなら、姉ちゃんがやったるからなぁ。代わりに手ぇ汚すでなぁ」
えへへ、えへへと笑う様は不気味なもの。なにかあるべき物が壊れているように感じられるのです。そんな異様な雰囲気に呑みこまれず、当てられず、よく通る声で千代殿です。
「あんたが勧修寺の娘か。なにを企んでいるのか、あたしには皆目見当もつかないよ。ただ、見えているようで何も見えず、聞こえているようで何も聞こえていないようだね。
弟と言ったか、忍が辛そうにしていることもわかっていないだろ。服装のことなんかじゃないよ。涙を見せずに泣く時ほど辛い時はないんだ。その子は、ずっと泣いてるよ」
「ふん、知った風な口をきくやないか。うちと忍は、此の世の最後の家族や。辛さを知らずにおるわけがないやろ。気にいらなんだら止めてみぃ。言うても、そこの道士や河津みたいになるんが関の山やでぇ」
「そりゃどうかね」
千代が一歩踏み出します。構えた五月に背後から羽矢が飛びました。懐かしや、鳥目で御座います。それを番傘で防ぐも、ちっと舌を鳴らす五月に赤黒が飛びかかりました。呼吸を合わせるように三郎も走り寄って加勢します。
その隙に千代が忍を放り投げ、蜘蛛丸から白糸嬢と件を奪い返しました。さらに夜叉丸を押さえ込むと、東昇を締め上げていた白い尾を舩坂少佐が断ち斬ったのです。と、さして時を置くことなく、五月の冷たい声が響きました。緋袴姿で蹲る忍に向かって、
「忍ぅ、手ぇ抜いたなぁ。あかん、あかんでぇ。姉ちゃんはさぁ、そういうのさぁ、一番嫌いなんやでぇ。知っとるはずやわなぁ」
と独特のゆったりした物言いが激しい怒りを示しておりました。縮こまった忍が、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返しています。
「姉さん、ごめんなさい。堪忍してください。でも、やっぱりこんなことは……」
「こんなことてなんなん? 姉ちゃんは悲しいわぁ。悲しいやんか。あんただけは、うちの味方やと思とったのに」
「でも、こんな……。姉さんは、姉さんは、本当に、姉さんなの?」
「さて、どうやろな」
五月が八重歯を剥き出しにして嗤いました。




