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第59話 逢初桜


 昼間の吉原神社を訪ねてきたのは、三郎を筆頭に、半、千代、東昇トウショウの四人です。九郎助稲荷の跡地へ行く前に、まずは合祀された神社へ立ち寄ろうというわけです。


 吉原神社には、樹の下で想い人に会えるという逢初桜あいぞめざくらが植えられており、くるわ三雅木さんがぼくの一つに数えられています。


 残念ながら今は夏、儚くも美しい薄紅色の花は咲いておりません。しかし、夏には夏の良さがあるもの。強い日差しが降り注ぎ、蝉時雨蝉せみしぐれの響く中、独り立つ桜の樹は、凛とした京美人のようでした。

 年経た古木は、人の姿で現れ出るとも言われます。であれば、逢初桜の木陰にたたずむ初老の御婦人は樹の精なのでしょうか。独り立つ女性に三郎が声をかけました。


「近くにお住まいの方ですか」


「ええ、近くと言えば近くでしょうな」


 寂しそうに微笑ほほえんで、女性は謎かけのような言葉を返しました。少々疑問に思いながらも、吉原神社のお穴様について尋ねます。神社の片隅にある奇妙なほこらで、三郎が言う九郎助稲荷の穴神様と関係があるかもしれないのです。


「お穴様というのは、どちらに?」


「境内の右手奥にあります」


 そら、あちらにと女性の指差す先、拝殿の脇に小さなほこらがあり、神社を護る地中の神様であると示されております。頭を下げて祠へ向かう三郎を女性が呼び止めました。

 

「お穴様になんの御用で」


「少し確かめたいことがありまして。こちらのお穴様は、九郎助稲荷の穴神様が移られたものでしたよね」


「そう言われています」


 やわらかい返答に再び頭を下げて、三郎ら一行は祠へ歩を進めました。その背中へ、


「……元の穴は、ここにはありませんがね」


と、ふわりとした言葉が届きました。三郎が振り返ったところ、女性の姿はどこにもなく、逢初桜の枝だけが風に揺れていたのです。


 その日、お穴様の様子を見てみるも、おかしなことは何もなく。続けて、九郎助稲荷の跡地へ向かうこととしました。


 すると、そこでは、と言って取り立てて事もなく、ただ暗い路地奥が虚ろな空き地となっておりました。穴などどこにもありません。

 何事やあらんと覚悟して訪ねてきただけに、肩すかしを食ったような気分です。どうしたものかと頭を悩ます三郎に、押し黙って不機嫌そうな半ですが、そんな雰囲気もなんのその、常に明朗快活、行き当たりばったりの権化、千代殿が嬉しそうに、


「いやはや、外れだったかい。まあいいじゃないか。人生そんなもんさ」


と笑って、傍らの東昇に漢語で何事か伝えました。頷いた東昇が小さな式盤を取り出し、どうやら占いをしようという様子です。


 閑話休題。


 占いの結果、辿り着いた先は吉原の投げ込み寺、浄閑寺じょうかんじで御座います。年季が明けるまでに亡くなることの多い遊女が、死して後、畜生の如く投げ込まれたと言われます。

 それぞれの墓があるわけもなく、戒名にすら売女と刻まれたものでした。供養塔に詰め込まれた数多あまたの骨壺は背筋を寒くさせますな。


 山門の左手には古い地蔵尊が御坐おわします。焼け焦げたような黒石で、目鼻立ちもはっきりしない。かつて付け火の濡れ衣で火炙ひあぶりにされた遊女の供養といわれ、その由縁ゆえんを聞くと、火のように紅い着物をまとった不幸な娘が目に浮かんできます。


 実際には、良い年頃の御婦人が一人、山門を抜けて参りました。これが先に吉原神社で見かけた女性で、再びの邂逅かいこうで御座います。三郎らの姿を認めて、あら、と足を止めました。夏のこととて、そろそろと日も傾きかけてきた頃、長い影が三郎の足元に伸びて絡みます。


「あら、またお会いしましたね」


 にこりと浮かぶ笑みはどこか作り物のようで、いかなる時でも笑みを浮かべることを強いられてきた者のそれです。

 その笑みに悲しさと懐かしさを感じる三郎です。自然と口を開いて、九郎助稲荷へ行くも無駄足であったことを告げました。すると、女性が口元を覆ってかすかに笑い、


「……無駄足であったと。さいでしょうな。九郎助稲荷の穴は埋められてしまいましたから。あれはね、夜しか出てこないのですよ」


「夜しか?」


 三郎の問いかけにこくりと頷きます。


「夜しか見えぬが九郎助稲荷の穴神様。埋められた穴があった場所に不意に穴が生じる夜があるのです。吉原は夜の街なのですから」


「もっともな話です。しかし、失礼ながら、くるわ稲荷いなりについてよく御存知ですが……」


「ええ、私は女郎です。いえ、女郎でした。いまは花車かしゃをしております」


「いわゆる遣り手ばばぁですか。失礼、ばばぁなどと」


「いえ、よろしいですよ。あなたの母御ほどの歳ですし、所詮、死体をさら火車かしゃみたく浅ましき花車かしゃでありますれば。

 苦界こそは蠱毒こどくの如し。地獄を生き残った女こそが花魁おいらん、されば、地獄の底を踏み抜いて獄卒と化したのが我ら花車かしゃで御座います。

 女郎であった頃、また花車となってからも九郎助稲荷の穴神様には世話になっていますな。大門を出られぬ女郎らの望みを聞いてくれる。唯一の救いでありました」


「望みを聞いてくれるのですか」


「ええ、ええ、それはもう。私も想い人に会えるよう願掛けを続けております。とにかく、穴神様の御利益にひかれるなら、夜に行ってみることですな」


 御婦人の助言を得て、その夜、九郎助稲荷の跡地へ向かうこととしました。


 吉原界隈に辿り着いたのは、すっかり日も傾いて夕涼みの頃合いです。廻れば大門の見返り柳いと長けれど、御歯黒溝おはぐろどぶに燈火映る三階の騷ぎも手に取る如く、と樋口一葉ひぐち いちようの描いたその風情ふぜい。暗い水面に映る燈火と喧騒であります。


 しかし、なにか違和感を覚える三郎でした。顔を上げても、そこには燈火も喧騒もなく、しんとしたものだったのです。

 かつて夜嵐の原田と対峙した時のように、言葉にならぬ不安と恐怖に襲われ、肌がざわつき、汗が吹き出してくるのでした。





【注釈】


 この辺りの着想と表現は、樋口一葉の「たけくらべ 」、泉鏡花の「註文帳」に負っています。明治期の作家さんの文章は美しく羨むばかりですな。ちなみに「註文表」を読んでいる時に、たまたま「貴方解剖純愛歌」を聞いていました。なんかしっくり来ましたね……。

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